お父さんから子供たちへ

2020/02/19(水)00:10

お父さんの怒りとドライバーの執念

思い出(大学・大学院時代)(31)

お父さんがカンボジアに行った1993年、カンボジアでタクシーと言えばバイクタクシーがほとんどで車のタクシーも存在していたが、日本でいう白タク(メーターもなく交渉で金額が決まる)しかなかった。海外では今でも白タクは珍しいものではない。日本では違法だが違法でない国もまだまだ存在する。  プノンペンからシュムリアップへの移動は以前に書いたように、車→船→車でプノンペンのホテルからシュムリアップのゲストハウスへ移動した。今回はこの逆ルートだ。シュムリアップのゲストハウスから船着き場までに乗った車(タクシー)のお話。  出発前日の夜、お父さんたちは港まで移動するのにタクシーを予約した。値段は1人1ドルということで予想通りの値段だったためすんなりと予約が終わった。料金は下車時にドライバーに直接支払うように指示を受けた。  翌日の日の出前、お父さんたちは早くから起きだして荷物のパッキングをしていた。ちなみになぜ出発の朝に荷造りしていたかというと、前日の夜は停電で部屋にはろうそくが1本のみ。暗くてまともに荷造りができなかったからだ。  しかしながらお約束通り、早朝も停電は続いており結局ろうそく1本の明かりのなかでお父さんはO君と荷造りをしていた。そもそもカンボジアの暑さにまいっていたお父さんたちは、無理をして高いエアコン付きの部屋に泊まっていた。それなのに結局毎夜停電状態で、エアコンを使える時間はほとんどなかった。宿の主人に文句を言って値下げを試みたが、停電は宿の責任ではないと断られていた。  真っ暗な中で何とか荷造りを終えたお父さんたちは迎えのタクシーを待つべく宿の外に立っていた。そして迎えの車がやってきたのだが、その車とドライバーを見てお父さんは「やばい」と思った。なぜならその車とドライバーは、​お父さんたちがシュムリアップの港から町まで乗ったピックアップトラック​だったからだ。  往路で乗ったそのピックアップトラックは、無料で宿に送り届けると言っていたにも関わらず別の宿に到着し宿泊するように強制してきたため、他の宿に行くなら1ドル払えと言われたのも無視して結果として無賃乗車をしたものだった。  ドライバーがお父さんたちを覚えていたらもめると警戒したが、ドライバーは何も言わずに乗車を指示してきた。良かった良かった。  しかしピックアップトラックを改めてみるとずいぶんな人がのっている。荷台はすでに人でいっぱいでどう見てもこれ以上人がのるスペースがない。そして室内の方も同様にすべてのシートが埋まっている。どうしようかと思っていると、ドライバーが荷物を荷台の人に預けてお父さんは助手席に、O君は後部座席に乗るように指示してきた。  助手席にはすでに2人、後部座席にはすでに4人の乗客がいた。もちろん通常助手席の定員は1名、後部座席は3名だ。お父さんたちがのる前にすでに定員オーバーの状態だ。しかしながらすでに荷台にも乗客があふれていてこれ以上乗れば走行中に転落の恐れがある。それならば室内のほうが安全だと判断した。  とはいえすでに2名がのっている助手席にお父さんが入るスペースはない。するとドライバーが無理やりに助手席のスペースにお父さんを押し込み、通勤で満員の電車のドアを閉めるように、ドアを閉めながらお父さんを押し込むことに成功した。  助手席のスペースは完全になくなった。お父さんは身動きの取れない状態になり、顔は窓ガラスに無理やり押し付けられた状態になっていた。O君がどのように乗っているかを見ることもできなかった。  やがて車が走り始めた。不思議なもので車が走る振動や揺れで、ぎちぎちだった状態が少しなじんできて、手が動くスペースができた。しかしながら顔は相変わらず窓ガラスに強力な力で押し付けられていて、首が折れそうな状態だった。  この状態で1時間弱の行程を耐えられるのかと思っていると、お父さんの手に窓ガラスを開閉するハンドルが触れた。窓を開ければ首が楽になる、でも風がきつめに入ってくる。お父さんはしばらく迷ったが、あまりにも首が痛くなって耐えられなくなっていた。  そこで意を決して窓ガラスを開けることにした。ハンドルを回し始めると、徐々に窓ガラスが下がってくる。そこに強烈に押し付けられているお父さんの顔も引きずられるように下がっていきとても痛かった。  1分ぐらいで窓を全開にすることに成功した。お父さんの首から上(要は頭全体)は完全に窓の外へ出ていたが、首にかかっていた力はなくなりとても楽になっていた。しかし真正面から吹き付ける風が今度はお父さんの顔に襲い掛かっていた。車は時速100キロまでは出ていなかっただろうが、80キロ程度は出ていたと思う。それでも首が痛い状態よりはましだったので、お父さんは窓を開けたことに達成感を覚えていた。  顔を出し、風に吹かれながら日の出間近の薄明るい景色を見ていた。これで無事に船着き場についていれば特に問題は無かったが、そうはいかなかった。  しばらくすると朝だというのにスコールのように大粒の雨が降り始めた。はじめはぽつぽつという感じだったが、あっという間に豪雨になった。お父さんの顔面を時速80キロで大粒の雨が襲っていた。痛かった。首の痛みなど比べ物にならないくらい痛かった。  さすがにこれは耐えられないと思い、お父さんはもう一度窓を閉めようと、ハンドルを回そうとした。しかし頑張って回しても、窓ガラスをお父さんの首に当たってそれ以上上昇をさせることができなかった。お父さんの頭は相変わらず内側から押され続けていて、どんなに力を入れても社内のスペースに戻すことができなかった。  そしてそれから約30分間、船着き場に到着するまでお父さんの顔には大きな雨粒がぶつかり続けることになった。  誰が悪かったわけでもない。運が悪かっただけだ。しかしながら、お父さんはそれほど人間ができてはいない。30分間も雨粒に顔面を打たれているうちに怒りが込み上げてきた。通常あの時ほど怒りがこみ上げれば爆発してしまうのだが、なにせ体が動かない。怒りをぶつけるにも人もモノもそこになかったので、お父さんは怒りに怒っていたにもかかわらず、何もできずにただただ顔面で雨を受け続けていた。  ようやく車が船着き場に着いた。お父さんは素早くドアを開けて外に出て、体の自由を取り戻した。荷台に乗っていた人から荷物を受け取ると、荷物もびしょぬれになったいた。もちろん荷台に乗っていた人たちもずぶ濡れだった。お父さんはこの瞬間に最終的にブチ切れて、「こんな無茶苦茶な移動をさせられたのにお金なんか払えるものか」とドライバーにお金を払わずに船に乗り込んだ。幸いドライバーはほかの人からの支払いを順に受けていてお父さんが船に乗り込んでいったことに気づいていないようだった。  乗船して数分後にO君も船に乗り込んできた。Oくんはお父さんにドライバーにお金を払っていないだろうと言ってきたが、お父さんは30分も顔面を雨に打ちながらのせられてお金なんか払う気にならないとまだ残っていた怒りをO君にぶつけた。O君はあきれていたと思う。    船に乗る人たちが次々と乗り込んできておおむね満席になった頃、ふてくされて眠ろうとしていたお父さんの肩を誰かがたたいた。目を開けるとそこにはピックアップトラックのドライバーがたっていた。ジェスチャーでお父さんに1ドル払えと言ってきた。  その瞬間、お父さんは思わず笑ってしまった。さっきまでの怒りをなぜか忘れ、素直に1ドルを払い、ドライバーはそれを受け取ると文句も言わずに下船していった。  お父さんがなぜあそこで笑ってしまったのかよく覚えていない。でも通常船に乗るにはチケットがないと無理なはずである。飛行機のチェックインほどではないが、現地の人が勝手に物売りなどをしないようにチケットを持たない人を乗船させないように結構厳重に管理がされていた。それなのに、そこを乗り越えてお父さんのところへお金を取りにやってきた。  さらに言うと、20人以上がのっていたはずなのによくお父さんの顔を覚えていたものだと感心してしまったこともあると思う。それだけ1ドルが重い金額だったのだろうと今は思うが。  O君はお父さんとドライバーがけんかを始めるのではとドキドキしていたそうで、ドライバーがいなくなった後、素直に支払いをしたことに逆に驚いていた。    こうしてお父さんたちはアンコールワットの町シュムリアップをあとにしてプノンペンへ戻っていった。

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