|
テーマ:夢を叶える人になる(1191)
カテゴリ:ペルーの音楽・踊り
クスコで新しいコンクールの声が聞こえ始めた5月・・焦ってきた。
出るか、出まいか・・。 2月のコンクール後、生徒でトルヒージョのコンクールで好成績を挙げた兄妹が新しくアカデミーを興し(失業した母親が仕掛けたのだ)、上級クラスの大半が引き抜いていった。私は元のアカデミーにに残ったが、新しく中級から上級に上がった子達に合わせて練習の質が落ちざるをえなかった・・。 上級クラスと初級クラスだけが移ったジムは狭く、床がすべりやすいため、上体をそらすことすらままならない。 こんな状態でコンクールに出られるのか? 一方でようやくマリネラ・ノルテーニャの踊りを理解し始めた自分に気づき始めた。マリネラを踊るのがすごく楽しくなった。 メガネなしの生活以降、なにかが自分のなかで変わり始めていた。 自分を表現したい・・。 アカデミーでの練習の質は落ちていたが、腹筋、背筋、ダンベル、バレエなどのエクササイズを自宅で続け、基礎体力をつけることは怠らなかった。 クスコには全国レベルの実力を持つ先生を除くと22歳以上の男性でマリネラを踊る人はいない。先生にアレキパからパートナーを探してくれないかと頼んでおいた。 コンクール前一週間のうち、5日間は仕事。うち3日はホテルの宿泊。 せっかくリマから全国的に評価の高い先生が来ているのに、レッスンを受けることもできない。 コンクールまで一週間を切ってもまだパートナーは見つからなかった。 それでも希望は捨てず、ホテルに宿泊中もミネラルウォーターのボトルをダンベル代わりにエクササイズし、衣装の重さを計算に入れてボトルを両手にもちながらステップの練習をした。 マチュピチュで一泊し、太陽の門にのぼって足が疲れ、ディナーショーに付き添ったあと、午後10時30分からのレッスンに行った。当然体はくたくた、足はフラフラ、ろくな練習にならなかった。 でもコンクールに出るんだという気持ちは変わらなかった。 プーノで一泊後、クスコに帰宅、コンクール2日前の金曜日、早朝7時のレッスンへ行った。 その夜、クスコの先生から電話が入った。翌朝午前4時にアレキパからパートナーになる男性がバスでつくと言う。慌ててホテルを予約。 4時着というものの、一時間以上待った。実際ついたのは5時過ぎ。コンクール前日だ。 その日は銀行に行くなどバタバタし、髪を染めるなどしてバタバタして一日は過ぎていく。 夜になり、体育館に出場申し込みに行ったあと、夜10時、ようやくレッスン開始。 全国的に振り付けに関しては評価の高い先生。しかし、コンクール当日の朝も含め、わずか2時間しかパートナーとの練習ができない。 遠くからペルーではシンガー・ソング・ライターとして評価の高いジャン・マルコの野外コンサートの音が聞こえていた。練習のために行けなかった・・。 グロリア・エステファンが歌ってヒットした”Hoy”が聞こえてきた。クスコの周辺で撮影されたビデオクリップを思い出す。 【Aポイント+メール便送料無料】グロリア・エステファン Gloria Estefan / Amor Y Suerte: Exi... ”Hoy”収録のCD。ほんとはジャン・マルコが歌っているのがサイコーだけどレコーディングはされていない。 それでも集中して振り付けをものにしなければならない。 振り付けの65パーセントが終わったところでその日はタイムアップ。 アレキパからきたダンサーがレッスンに入る。 その横で振り付けを何度も反復しているうちに12時近くになり、 先生から、「明日の8時から練習だろう。休みなさい」と言われ、退散。 一夜明け、コンクール当日。8時から練習。とりあえず振り付けをしてもらったけど、よく反復できないうちに練習終了。私は髪のアレンジとメークに出かけなければならなかった。 衣装を持って髪飾りを持って、友達の美容師のところへ。 アイラインの引き方がまずかったのか、なぜか左右の眼の大きさが違って見え、メイクをやり直す。 開会の時間が近づいている・・。 ピアスを忘れたことに気づき、自宅に取りに戻らなければならなかった。 一人暮らしの悲しさ・・。まだ不慣れなコンクールに家族に支えられないで参加する孤独を思わず感じる。 衣装のスカートを自分で持って、体育館に入った。 幼児の部がもうすでに始まっていた。 ろくな練習はできなかった・・。 でも楽しんで踊ろう! なにか吹っ切れた気持ちで不安感はまったくなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ペルーの音楽・踊り] カテゴリの最新記事
|