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カテゴリ:實戦刀譚
日本刀観の訂正 昔の侍が、佩刀をつくる用意周到ぶりの一端を聞いた事がある。 昔の柄師(つかし)、白銀師、鞘師などの家には、 たいてい職場に接して一段と高い一室があった。これは、 注文主たる侍がそこへ詰めかけていて、出来具合を検分したものだという。 いったいに昔拵えの外装はしっかりしていて、 七、八十年なり百年なりを経過しているにもかかわらず、 昨今出来たものより強靭なものの多いのに時々驚かされた。 例えば柚の木でつくった柄(つか)木地などは、百年以上経過したものでも、 しなやかな強靭さを失ってはいない。 いざ戦争という時に、刀全体のどこの部分が一番大切かという事を 考えてみると、おそらく刀身とは、五分五分ではなかろうかと思われる。 刀も切れなくてはならぬが、切れる切れないその働きによっておこるところは、 柄である事を忘れてはならない。 柄が太すぎたり細すぎたり、長短また各その度を越え、その上脆弱であったら、 刀がよし虎徹、兼定であっても、どうにもならぬであろう。 しかるに、薙刀とか槍とかになると、そうした観念は刀とはちょっとちがって、 柄と刃の部分とが平等に考えられてくる。 弓の機構を刀にあてはめて考えれば、弓と弦は刀の柄に相当し、 矢は刀身に相当する。斯(か)く、弓と矢のように、 どうして刀と柄も総合不可分に考えられていなかったであろうか。 それもこれも、みんな治(ち)にいて乱を忘れた結果にほかならないのである。 一度最前線に出て、もの凄い白兵戦を経験すると、 その日から刀に関する観念ががらりと変わってくる事は前に述べた。 柄が折れぬだろうか、目釘は折れぬだろうか、 柄糸(つかいと)が切れぬだろうかと、かなりそうした事に注意深くなる。 実際乱戦中に柄がポッキリ折れたなどという事は、無念中の無念らしく、 「自分の刀の外装は何々軍刀店製で保証づきだ。 それがけもなく折れたんだから、帰ったらひどい目にあわしてやるぞ。」 などとかんかんになって怒っている士官もあった。 百七十圓(えん)の刀身を求めて三十圓に外装を値切るよりも、 むしろ百五十圓の刀身に五十圓の外装を施すのが賢明である。 それだけの差があれば、多少やかましい事をいっても、 軍刀屋はだまっていう事を聞く。 昔の侍は三度の食を節しても佩刀だけは全体的に実質を尚(とおと)んだという。 考うべき事である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年04月27日 02時22分21秒
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