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2012年06月13日
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テーマ:實戦刀譚(65)
カテゴリ:實戦刀譚
 
  物斬り四題

   首打つ音

 
  よく首がすっ飛ぶというが、サッと完全に切り放すと実際四、五尺は飛ぶ。
 昔の本には、五、六尺から二間ほども飛んだように書いてあるものもあるが、
 一度斬首の現状を目撃したほどの者には、それはありそうな事と頷かれる。
  はたで見ていると、刀を打ち下ろす時のはずみで飛ぶように見えるけれども、
 そればかりではなくて、首の截断された刹那、体腔内から、
 圧縮されていた空気が併出する、その力にもよるものらしい。
  斬られる人間の怨念から、
 噛みつこうとして飛んだなどという者もあるけれども、
 多くの場合、首斬り人というものは、後方か側面におり、
 その他の執行役人もそうであるから、噛みつくつもりなら、
 横か後へ飛ぶべきだが、それが例外なく前方に飛ぶから違う。
 誰でも、実見した者の等しく感じる体験であろうが、首が落ちる時に、
 高低強弱の差はあるけれども、“さぶっ”といったような、
 また“ぶふっ”といったような極めて瞬間的な音がする。
 このふつというのが、体腔内の空気が併出するその時の音と思われる。
  昔、打ち首をする役人の修練として、細長い藁束をつくり、
 それを川砂土の上に立てて置き、側一枚を残して切る訓練をしたというが、
 それは実際に打ち首にあたって、咽もとの皮一枚を残して斬る稽古であって、
 この修練が完成すると、飛ばずにだらりと下がるから見ばがよいのだとあるが
 しかしそれは甚だ困難な事とされていた。
  今度の事変で、陣中で見聞したいろいろな事実の中に、
 ある下士官が敵とわたり合い、薄い夏服の上から左胴を横なぐりに斬ると、
 “ばつ”という音がして、さっくり放れた。
 幾分左から右へ斜めに斬り込んだというが、
 三分の二ほど斬れて、どうと倒れた。
 勿論致命傷で二の太刀を加える余地はなかったそうだが、
 最初の一撃でばつという感じの異様な響きのあった事は、
 不思議な感触として記憶に残っている、と語った。
 
  素盞鳴尊が、出雲の川上で、八岐の大蛇を御退治になった時に、
 十拳の剣を使われて、この大蛇の首を斬った。
 後にこの剣を『天羽羽斬劍(あめのはばきりのけん)』と異称した事が
 古書にあり、後世これが、石上(いそのかみ)神宮に奉祀されたとも出ている。
  十拳の剣というのは、古書には、
 自分の手でつかんで十握の長さの剣であると書いてある。
 その十握というのは、身長の半分だとあるから、
 五尺二寸の人なら二尺六寸という事になるので、
 だいたい後世の寸尺の基準は、これから出たように思われる。
  この剣を揮って大蛇の首を斬ったその時、
 “はばっ”というもの凄い音と共に首が落ちた。
 故に後これを羽羽斬と名付け、神わざをたたえて天の字を冠した。
  こんな風に考えてみると、羽羽の意味が生きてくる。
 羽羽というのは、古い言葉で大蛇の事だというものがあるけれども、
 そうした古語は判然していない。
  この御剣が、また大和國邊郡山邊村布留の高庭(たかば)に鎮座まします
 官幣大社石上神宮に奉祀されているとあるが、
 この神宮の御神体である霊剣類は、火難盗難に慮(おもんばか)って、
 これを今の拝殿の後ろに埋め、禁足地としたという事が伝説となっていたので、
 明治七年に発掘したところが、
 神剣一振りその他数々の神宝が現れたので、その御神剣を、
 神武天皇が建国の御聖戦にお使いになった
 『布都靈(ふつのみまた)』と鑑定して、
 正殿の御神体とし奉ったものであるが、
 この御剣の他に素盞鳴尊断蛇の御剣があったのか、
 あるいはこれが同一の御剣であるのかは、今日にわかに早断はできない。
 けれども、羽羽といい、布都という剣名が、
 いずれも敵を斬った時の音から出たものだという事が確かめられると共に、
 一脈の連関がある事になる。
 
  布都靈の布都とは、?(ふつ)とも書かれ、
 共に敵の首のすっ飛ぶ時の断声だと古書にも書いてあるが、
 さらに、神武天皇御東征服の折、熊野に悪戦苦闘をつづけられ、
 皇軍毒気にあたり、疲労困憊して進みかねたその時に、
 熊野の人 高倉下という者が、夢中に一霊剣を得て天皇に奉った。
 天皇これによって皇軍を激励指揮し、
 ために将卒振るい起こって敵軍を殲滅する事ができた。
 天皇御感あつく、後この霊剣を得たる所以を御下問になると、
 高倉下奏上して、夢に天照大神及高木神の二神が、
 建御雷神を召して、葦原の中つ國がひどく騒がしいから、
 汝下降してこれを鎮定せよと宣(の)った。
 すると建御雷神が申すに、今われ自ら下降せずとも、
 さきに國を平らげた時の剣、布都御魂を下しただけで宜しう御座いませうとて、
 その神剣を高倉下の倉の屋根むねをさし貫いて落とされた。
 こういう夢を見た高倉下が、驚いて己の倉の中を見ると、
 はたしてこの神剣があったので、献上し奉ったと申し上げた。
  神武天皇御即位の後、この剣を御代々にわたって宮中に奉齋されたが、
 後、祟神天皇の朝に石上神宮として大和国に奉祀し、
 後世に至ってこれを地中に秘蔵したものである。
  この建御雷神(鹿島神)は、經津主神(香取神)と共に、
 出雲の国に天降り、素盞鳴尊の子孫である大國主尊を降ろして
 国土を献ぜしめた上、その神剣を得た事実から推して、
 この布都の剣が大蛇斬りの御剣であろうとは常識的にも判定がつくのである。
  建御雷神の御別名を建布都神又豊布都神とも申すとあるから、
 經津主神と共に、この“ふつ”という音が同音で、
 いずれも“剣を以てふつと斬る勢のある意”である事は、
 学者の等しくいっている事であるから、日本武道の神様二柱は、
 首を斬る時に発する音をその名に負い給える御方々である。
  鹿島香取に鎮座まします、この日本両武神の御名をそのままに、
 日本の将兵は、伝統の日本刀を揮って、
 ふつふつと敵をやっつけているのであると思えば、 
 刀法剣術というものに、今まで認識しなかったあるものを感じ、
 娯楽趣味のようにいじくり廻していた日本刀愛好者も、
 自ら考え直さなければならないものの存在を感得する事であろう。






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Last updated  2012年07月25日 21時56分35秒



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