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カテゴリ:陽明学
Photo By tez guitar 夫〔それ〕より先生の出処〔しゅっしょ〕を尋ねるに、 先生三十余にて伊予の大洲侯〔おおず こう〕の招きに応ぜらる。 先生の老母、船をきらい四国に渡り得ず、江州に残り居て、 先生をあんじしたわるる故、やむことを得ず、 強いて官禄〔かんろく〕を辞し いとまを願われしに、 侯惜しみてゆるしなければ、願い既に三度及びて後〔のち〕、 願書を出し捨てにして、大洲を忍び出でて帰り去れり。 定めて追手〔おって〕を向けられて重く罪〔つみ〕せられんかとて、 直〔すぐ〕には江州へも帰り得ず、 京都に深くかくれて住居〔じゅうきょ〕ありしが、 元来孝心より出でたる事ゆえ、侯も罪し給わず、 何のさわりも無くいとまをたまわりぬ。 それより江州へ帰り、老母を養われし也。 其の後、諸国の諸侯より招きありしかど再び仕〔つか〕えられず。 備前の招きにも門人の熊沢(蕃山)を出だされし。幾程無くて死去あり。 纔〔わず〕か四十二才也ぬ。 此の講堂の建ちしも死去二三年前の事なり。 先生の嫡子徳右衞門、常省〔じょうせい〕先生と称す。 多病なりしかど寿は七十二才まで保てり。 其の人子無くして中江氏の子孫絶え、今は無し。 対馬の家中に兄弟の家ありて、今に中江を名乗るとの噂なりと周助語れり。 されども其の余教近郷〔よきょう きんごう〕に深く染〔そ〕み入りて、 殊更此の小川村の百姓は、年若き者といえども毎夜集会して手習いし、 かりそめにも酒など打のみ、乱舞音曲〔らんぶ おんぎょく〕などすることなく、 まして博奕〔ばくえき〕などはいうまでもなし。 故に、いかなる軽き者といえども物書かぬ者はなしという。 誠に此の辺の風儀温和純朴にして、見る所、聞く所感に堪えず、あり難き事どもなり。 前の尾張、肥後の物語、相違なき事を知る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2015年03月04日 19時22分40秒
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