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2015年08月07日
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テーマ:臨戦刀術(92)
カテゴリ:臨戦刀術
 
 
 河南省の首府、人口三十万を有する歴史上でも有名な開封城が陥落したのは、
昭和十三年六月五日の夜であった。
翌早朝私達は、自動車につらねて北門から入城したのであったが、
珍しい事に、市民のほとんどは逃避しておらなかった。
老若男女、いずれもあやしげな日の丸の旗を振り、沿道に並んで私等を出迎えた。
 それには、いろいろな理由もあったろうが、
「土肥原兵団長は支那通だ、支那をよく理解している大人〔ターレン〕だから、
その将兵にもよく徹底している。
決して危害を加えるような事はない。」
とこう固く信じた結果の現れで、
案の定、入城するとほとんど同時に、治安維持会も出来、新聞も発行し、
翌日から、料理屋も浴場も、色々な商店も一斉に開業するという有様であった。
 入城後間もなく起こった例の黄河決潰〔こうが けっかい〕の大事件だが、
私の考えでは、これはずっと前からの敵の計画であって、
開封が陥落したら、いつもの手で、土肥原兵団は総軍急追撃に移る。
うまく兵団本部をやり過ごしておいて、全軍を水浸しにした上、
今度こそはにっちさっちもならぬ本当の孤立無援にして殲滅する、
それがこの計画であったらしい。
 ところが、こうした地形、こうした事情などは、
ちゃんとのみ込み過ぎてござる閣下は、開封が落ちるなり入城し、
いつになくどっしり腰を据え、一部隊をして追撃せしめ、
全軍はここで骨をやすめ、将軍は久しぶりの支那料理に舌鼓をうち、
風呂に浴して垢を落とし、当分滞陣の気配を見せたから、
敵はしびれを切らして、やけ糞半分に堤防を決潰したのだが、
水までが土肥原兵団を恐れてか、当然流れて来るべき開封城へは寄りつきもせず、
反対に、予期せぬ方面へ流れて行って、
万頃の沃土〔よくど〕を失い、万民の良民を苦しめたのみであった。
 天佑と見れば見られるが、これとても将軍の腹からでた兵略の一つと、私はそう考えている。
 
 
 ちょっと以前に遡るが、
私は軍刀修理のために寺内部隊から第○軍即ち梅津部隊に派遣され、
途中共産匪の列車襲撃にあい、石家荘の本部に到着したのは、
五月二十日(
昭和 十三年)の夜であった。
その晩、すぐにこれから土肥原兵団へ行ってくれと、派遣の命令が出た。
派遣先のこの兵団は、臨海線上の内黄という所に戦っている。
 詳細は前方へ出て承合せよというのであった。
ここから内黄までは数十里、その間は彼我交戦区域である。
ずいぶん無茶な命令のように思われるが、こんな事は戦場の常で、
いかなる事も「不能」と考える事が許されない。
最後は死だ。死ぬ前には不能はないのだ。
 戦地における「部隊追及」というのはこうしたもので、
戦闘以上の苦痛を嘗〔な〕め、時に中途にして殪れる者もあるのだ。
 幸いにも、内地への帰還兵をつれて帰り、いま原隊へ引き返すのだという安藏少尉、
内地から補充として来た望月少尉、鈴木見習士官の部隊追及と同道で、
この遠距離追及を結構する事となった。
 途中、進行中の無蓋車上で、病名不詳の発病をし、嘔吐をする事数回、
宿舎につくともう動けないという始末で、
同行三人の看護を受けるのがいかにも心苦しく、
それぞれの重い任務をもつ人たちの手足まといとなるのがつらかった。
 飲まず喰わず、一晩中輾轉〔てんてん〕として苦しんだ。
翌朝はつとめて起き上がり、佩刀を杖にしてふらつく足を踏みしめ、
軍用列車に乗り込みはしたが、ただ前後不覚であった。
ようやくにして二十四日新郷に到着、
兵舎兵站の新郷ホテルに落ちついたが、熱は依然として去らない。
その日から雨降りで、三人は前方の様子をさぐるために毎日出て行った。
ここの宿舎の主人夫妻は、大分県の出身者で、
親身になっ看病してくれたのは、今でも忘れられない。
兵站病院へ入ってはとすすめてくれたが、
そうすれば必ず後方へ送還されるにきまっている。
あくまで頑張り通した甲斐があって、
郷国を出る時、医師である義兄の調剤してくれた薬だけで、だいぶ熱も引き、
粥もすすれるようになって、二十六日には軍用列車で道口鎭まで出た。
 ここで、土肥原部隊が、黄河の南岸、
陳留口渡河点を確保しこれを背にして背水の陣を敷き、
大敵に包囲され、かつ弾丸食糧欠乏その極に達しながらも、
敢然〔かんぜん〕と戦闘を継続しつつあるという確報に接した。
雨は依然として降りつづいている。
土肥原兵団からは、米よりも弾丸を送れ、という悲愴な無電が刻々入って来る。
しかも、この道口鎭から黄河まで二十数里には、
一万余の敵の騎兵が蟠踞〔ばんきょ〕しており、
加えるに、数日来の大雨で、道路は至るところ池のように氾濫しているのだ。
 この悪路と闘い、また敵の襲撃に備えつつ、
弾丸糧食を積載した八十車両の自動車輸送を決行する事となったのが二十七日の夜で、
その輸送の責任者は竹澤部隊長であった。
この自動車が、はたして黄河に到着し得るや否や、
土肥原兵団の死活はかかってこの大輸送にあるのだ。
 私が、この自動車に便乗を乞うために、部隊長に面会しつつあった時、
地形偵察に出で、泥まるけになって帰って来た将校下士官の報告を聞いて、
慄然〔りつぜん〕たらざるを得なかった。
道路の泥濘の深さは底知れず、所々に池のような水たまりが出来て氾濫し、
加えるに○○は○○して危険の度量り知れず、というのであった。
 到底人間業で出来る事ではない。しかし、部隊長の心はすでに動かぬものがあった。
「明日決行。」
という凛乎たる鉄案は、この冷酷無情な自然と戦い、
こうした地の利をたのむ敵と戦いつつ、
この大輸送を完了する準備を、夜を徹して行なわしめたのであった。





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Last updated  2015年09月22日 02時35分12秒



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