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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 来書略。生は天の吾〔われ〕を労するなり。 死は造物者〔ゾウブツシャ〕の吾を安〔やす〕んずるなり。 狂者〔キョウシャ〕の、親〔しん〕の喪〔も〕にあうてうた(歌)う道理なり。 みずからの死生を思う事尤〔もっと〕も同じと。 しかれば、生をにくみて死を好むとも申す可く候や。 返書略。労安の義二つにあらず。昼夜を以って見給うべし。 夜はい(寝)ねて安く、昼はお(起)きて労す。 しかれども、夜のやすみ極まりぬれば、昼の労をおもい、 昼の労極まりぬれば、夜の休みをおもう。 死生労安は時なり。ただ造物者のなさむままなり。 私意を立て好悪すべからず。 狂者は、凡人の生をむさぼり死をにくむの迷〔まど〕いをた(矯)むべきがために、 過言あるものなり。 其の見所〔けんじょ〕、天人陰陽の外に出でたり。 聖人もとより此の心なきにあらず。 しかれども、中行〔ちゅうこう〕(※中道を行なう者)は、 くわしきが故に、其の見をわすれ、 狂者は、あらき所ありて、見をわすれず。 大知は愚なるがごとし。物あれば則〔ノリ〕あり。 聖人は道と同体なり。天地万物の則なり。 何ぞ見解〔ケンゲ〕を立て物理をやぶらんや。 しかれども、狂者の心も又よみすべし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年09月23日 15時22分00秒
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