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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
月岡芳年『大日本名将鑑』「八幡太郎義家」 Tsukioka Yoshitoshi "Hachiman-Taro Yoshiie" 一 心友問う。先度〔せんど〕、弓を小者に持たせる者を戒め給いしこと、 道理至極ながら、今時〔いまどき〕の武士は他行〔たこう〕に手づから持ちがたし。 一僕の小身者は弓矢もことごとし。しかれば、弓の稽古もやむに近し。 如何〔いかが〕し侍〔はべ〕らんや。 曰く。先度は、武士の弓を尊ぶの大義と心がけの道を申し侍り。 まことに、門〔かど〕をならべ、いらかたちつづきたる隣りありきには、 手づから持ち侍るとも何のやくもなく、かえりて人の目に立つこともあらん。 小者一人に弓立も過ぎ侍らん。 か様の事にも時・処・位あり。 弓矢を尊ブ心の誠だにあらば、はきかえのぞうり木履〔ぼくり〕もたせず、 みづからはきたるばかりにて、出〔い〕でざまに手をあらわしむるか、 弓矢を紙にまきてもたしむるか、いかようにもなるべきことなり。 弓矢は八幡太神宮ののりうつりおわします神器といえり。武神の舎〔しゃ〕なり。 尊信の誠〔まこと〕明らかならば、 今の時・所なりとも、みづから持ちても目にたたぬことあるべし。 世界は我が心の誠よりなりて、我が世界となるものなり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年01月10日 03時21分19秒
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