【イヤな仕事の中に成功の種が】
【イヤな仕事の中に成功の種が】 阪急グループの創業者、小林一三という人が言いました。 「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。 そしたら、誰も君を下足番にしておかない」Bさんは今は、ある菓子問屋の社長である。高校時代、家の都合で学校を中退し、今の菓子問屋に就職した。与えられた仕事は、倉庫番。問屋だから倉庫の広さはかなりのもの。この倉庫を毎日丁寧に掃除して、商品を棚に整理整頓しながら帳簿に記入していく。単調で変化のない地味な仕事だった。Bさんは、「高校を中退した自分にはここでしっかり働くしか道はない」と、必死で頑張った。2年たつと、Bさんは倉庫内の膨大な種類のお菓子の商品一つひとつの在庫数が頭の中に、しっかりと入っていてその場で答えられるようになっていた。当時はコンピューター管理される設備はなかった。このBさんの仕事ぶりが社長に認められ、5年後に物流課の課長に昇進し、さらに5年後、支店長となった。昇進は続き取締役に抜擢され、ついに社長という地位を得たのである。「私が現在あるのは、倉庫番をしたお蔭です。あの辛い仕事を経験しな ければ、面倒くさがりの私は、いい加減な仕事しかできなかったかも しれません。倉庫は今でも私のホームグランドなんです」小さな仕事や、人が嫌がる仕事に手抜きをする人は、大きな仕事はできません。どんな仕事でも、自分の夢とかけ離れた仕事であっても、その時の天職であると考え、誠意を持って真剣に取り組むことが大事です。