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カテゴリ:日本のこと
今回は過去の話
妹が結婚式を挙げたのは、1999年7月29日。 私はその当時ドイツに住んでいたのだが、彼女の結婚式とビザ調整のため、彼女の結婚式1ヵ月半前に、実家に戻っていた。 そして実家に戻ってびっくりした事が 結婚式の1ヵ月半前なのに、妹夫婦は 会場確保していない状態だった。 彼女達の披露宴担当者の、女性は泣き出しそうな顔をして、「お姉さんどうにかしてください」といっていた。 スローモーな妹夫婦・・・。 当時妹は、看護学校にいって忙しい身。だから彼女達の担当者は、妹の都合のよい日に、極力あって、「がんばりましょう」「この日までに衣装を」などいって、励ましていたが、 妹達は「なんとかなーる」状態で、私が帰るまで、何もしていなかった。 こういう、「準備物」が好きな私は、「時間が足りんぞー」と思いました。 彼女達の披露宴は、「おまかせパック」ではなく自分達のオリジナルの披露宴が出来る「オリジナルバック」そして、人前式・・・。 という事は、結婚式の段取りも考えなくてはいけないのだが、妹夫婦の手元にあるのは、出席者の名前と、披露宴会場の押さえだけ。 オーイッ!!L(゚□゚o)オーー(゚|□|゚)ーーイ!!(o゚□゚)」オーイッ!! 「忙しいのなら、おまかせパックにしなさーい!!」と妹の頭を、ポカポカ殴りたくなった。 私は、日本に帰国して時差も覚めてない3日後から、彼女達の披露宴のために動き始めた。 まずは、衣装を決めるため、披露宴会場と提携している、貸衣装やさんに連絡をいれ、衣装を決めるので、予約を入れておいた。妹のダンナの方には、「○日の○時に予約を入れたから、絶対いってくるように」といった。しかし、まずは妹の衣装を決めないと、ダンナの衣装は決まらない。妹のおしりをたたいて、学校の終わった後衣装やさんで彼女にあった。 彼女は「ウェディング・ドレス一着で良い」といっていたが、日本の披露宴、お色直しがあるから、ヒマをもてあまさなくて良いとか、花嫁がずっといられると、ゲストが食事しにくいといって、もう一着選ばせた。その後、妹のダンナの衣装も決まり、第一関門終了。 次は、妹夫婦にリサーチ。 どういう雰囲気で、音楽のイメージ、カラーのイメージなどを聞いて、私なりに彼らの披露宴、人前式の式を作っていった。 当時パソコンを持っていなかった私は、友人にラップトップを借りて、音楽ダウンロード、席表+妹達のプロフィール、席札を作っていった。横で妹が、のんきに「フラットが早めに帰ってきてくれてよかった」と、のんきにTVを見ながら言い放った。 「(」°ロ°)」オーイ!!、アンタの結婚式やー、TV見るヒマがあるなら手伝えぇー」と叫んだが、 「今日は疲れてるから」 勘弁してください。 彼女達は結婚式の後、新婚旅行でドイツに私と行き、私はボランティアのガイド。結婚式の準備と同時に、飛行機の手配、ホテルの確保をしていた私のほうが、切れそうです。 結婚式前日に、ようやく式の内容も固まり、必要なものはホテルに預けたが、私にはまだ仕事が残っていた。┌|゚□゚;|┐ガーン!! 妹夫婦が「ウェルカムベアーとボードもいるんだよぉ」と、それを式の1週間前から作り出し、それが出来たのは式当日の朝4時過ぎ。 式の当日、寝不足なのは妹達ではなく、私であった。 そして、式最後の盛り上げどころ、花嫁の手紙で、妹は「お父さん、お母さん、そしてフラット・・・・」と、私の名前は呼び捨てであった。 とたんに周りから失笑が・・・ 後に叔母から、あそこは「お姉ちゃんか、フラットさん」だよねぇと指摘が・・・ ハァーイ!L(´▽`L )、私もそう思います!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月17日 09時19分50秒
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