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テーマ:暮らしを楽しむ(388236)
カテゴリ:zen
「いただきます」の一言に、随分重みを感じるようになりました。 考えて見れば、挨拶という漢字にも意味がありました。 「挨」・・・1 うつ、背をうつ 「拶」・・・1 せまる 2 おす、おしすすめる、押しのけて進む 2 指かせをする 3 せまる、互いに近づく、接近する 3 せめる 「挨」は、疑の字の左半分の変形したもので、立ち止まり迷うの意味。ある場所から離れないで人々が思い迷う様子から、「近づく」「混雑して押し合う」の意味を表す。 「拶」は、列に通じ、わけるの意味。木を指と指の間に挟み、分けておいてしめる、指かせをするの意味を表す。 「挨拶」は、1 押しすすむ。大勢の人が押しのけ合って進む。 2 禅宗で、僧が問答を繰り返しやりあう事。 3 会釈。おじぎ。受け答え。応答。答礼。返礼。報酬。 お互いに近づいて、しかしその間に一本の線で相手との間に距離を置いて、礼節を持ってお辞儀、問答を行なうこと。 そっけなくするのではなく、さりとて馴れ馴れしくなるのではない、絶妙のバランスの元に挨拶って成り立つんですよね。 茶道でも自分以外の方とご挨拶するときは、扇子を間に置いて自ら謙る。 ご挨拶は、必ず相手があること。そして、老若男女関わらずそのお互いが自ら謙る心を持って、相手を尊敬し、敬う心を持つこと。 上手なご挨拶を交わす事ができる人の間には、爽やかな風が流れているような気がします。 さて、「いただきます」「ごちそうさま」も大切なご挨拶。 爽やかな風のように、使いたいものです。 食事の五観文。 一つには、「功の多少を計り、彼の来処を量る」 二つには、「己が徳行の全欠をはかって、供に応ず。」 三つには、「心を防ぎ、過貪等を離るるを宗とす。」 そして、四つ目。 五観文 4 「正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり」 意味:食事は飢えや渇きを癒し、心身の枯死を免れる良薬と思い、決しておろそかにはしない。平和な心持で食する。 食事って?って聞くと、「飢えや渇きを癒すもの」とまでは、答えることができます。 しかし、身だけでなく、心が枯れて死んでしまうのを免れるためにもっとも必要不可欠で最善の薬なのです。そう思えば、例えおやつの時間ですらあだやおろそかにはできないと思えます。 そして、平和な食卓である事。「平和」という大前提が無ければ、餓鬼となり飢えや渇きを癒すために争わねばなりません。世界の戦争の始まりは、食料争いから始まったと言われています。 地獄と天国の違いも、大鍋にたっぷりと茹でてあるうどんを、とっても長い箸で食べることができるか否かの違いだそうです。 地獄は、我先に争って食べようとするために、互いの箸がぶつかって、結局は誰も口に入れる事ができない。 天国は、鍋を挟んだお向かいにいる人の口にお互いに入れて上げる人ばかりなので、最終的には皆が食事をいただけて、穏やかにニコニコしていられる。 お互いの気持ちを慮り、労わりあう事ができるか否か。たったそれだけの違いなのに、とても大きなものになりますね。 さぁ、今日も平和な食卓にできるか? 一人一人が自分の腕の見せ所です。 あなたの笑顔キラキラしてる。とっても素敵ね。
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