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テーマ:たわごと(26866)
カテゴリ:自分育て
梅雨に入ってからと言うもの雲が厚くたれ込めて、どんよりとした気分になります。 窓から見える抜けるような青空が少々恋しくなって来ているところですが・・・・。 雨も必要、晴れも必要、雷様も必要な物。この自然界あるものは、一つとして不要な物は無いのですから、もっと大らかな気持ちで受け止めなければなりませんね。 「雨はね、お花が喉が渇いたって神様にお願いして、お茶をもらっているんだよ。」という怪獣まぁちゃんの言葉に、ついつい「洗濯物が~」とか「お布団干せない」などの我儘を反省・・・・。 長雨の日でも、二人でできる楽しみを見つけなければと思っています。 またまた「背負うた子に教えられ・・・・」です。 例えそれが物言わぬ雨だろうと、草花だろうと、感性の違う人だろうと、まずは相手の心に共感すると言う事の大切さは、頭ではわかっていたはずなのに、まだまだ心から理解していなかったことが判明・・・・。訓練の道は長いですねぇ。 そういえば、先日新聞で見つけた心療内科医の海原純子医師のコラムにも、共感について書かれていました。 コラムには、共感する力が大切だと書かれています。 『人生は常に選択の連続で、その選択は自分でするもの。そして、人生には成功もあれば、失敗や挫折もある。もちろん、失敗という結果も自分で引き受けるのが大人だけれど・・・・。 家族や友人ならば、その失敗や挫折を共に「大変だね。」と分け合って欲しいというのは贅沢なのであろうか? 自分で選んだのだから苦しむのも悩むのも一人ですれば?というのは悲しすぎる。 誰かのせいにしている訳ではなく、頑張っている上で、失敗や挫折の痛みに苦しんでいるのである。 だけど、実際には「自分が選んだ道なのだから」とお説教して、共感するのを忘れている家族が多すぎる。 体を壊した人には、「大変ですね。お大事に。」と共感できるはず。 でも、心の痛みも体の痛みも同じもの。 心に傷を負う人にも、共感する心を持って欲しい。』というような内容でした。 傷ついた時、頑張らなきゃ!とか、自分のせいでしょ!とよく言われました。もちろん、自分が蒔いた種を今刈り取っているという事は、重々承知しています。 でもね、そこにほんの少しでも共感して、「その痛み、チョットの間変わりに持って上げましょ!」と言ってくれる人がいたならば、悩みや挫折の山をもう少し早く、もう少し楽に登ることができるかもしれません。 相手の痛みに共感できる心を持ち、その痛みを共に背負える人でありたいと思います。 そのためにも、『大らかで動じない優しい心』と『痛んだ人を背負ってでも共に道を進めるだけの強さ』を持つ訓練をする必要を感じます。 まずは、子供の純な心に共感する事。素直な心で物事を見る事。 ここらあたりからはじめてみることにいたしましょう。 あなたのお陰で生かされています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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