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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:自分育て
昨日、今日と、随分涼しく、じっと座って本を読んだり、お裁縫をしたりするのに、もってこいの一日です。 といっても、日中はわずかの時間を除き、中々じっとしていてくれないまぁちゃんが居るので、週末と言えどもノンストップ・・・・。 私のお楽しみ時間は、まぁちゃんが寝てからという事で・・・・。 いろいろな雑誌を読み返して『私辞書』を作っている中で、と閃いてくる暮らしのあれこれ。 評論、コラム、暮らしの情報、子育ての事、料理等など、多岐にわたる分野に、暮らすという事がいかに大切なことかを改めて知らされます。 もちろん、一つ一つの情報は知らなくても暮らして行く事はできる。でも、知っていたからもっと楽しく(ここがポイント)暮らす事ができた。 楽しく暮らすための工夫が、実は一番効率よく手際よく、暮らしを回していくテクニックだったと教えられる事もたくさん。 昔はきっと、祖父母から父母へ、父母から子へと、諄々に教えられてきたであろう技の数々を、ここで途切れさせないためにも、いろいろなメディアが与えてくれる物の中から私というフィルターを通して取捨選択。 好きな事を好きなだけ一生懸命追い求めて行ける、大人になって良かったと思える瞬間です。 『流れはますます厳しく、水はどんどん澄んでくる』 これまでの人生を振り返ると、自分は「生かされている」とつくづく感じます。 知らないところでご先祖様に道を用意され、その道を精一杯生きていく人生、開拓ではなく定められた事を遂行して行くのが課せられた役割なのかも知れないと、歳を重ねるほどに実感します。 川の下流から上流を目指して歩き続けるのが私の生きかた。これまで、ただひたすら上流を目指し、ひたむきに歩いてきました。 歩くほどにだんだん川は急流になり、冷たさも増してきています。上流もまだ見えません。でも、だから楽しい。 上流に近づくほどに水もどんどん澄んできているように感じます。その美しさを味わいながら、まだまだ歩き続けていこうと思います。まだ見ぬ遠い上流にたどり着ける日を思いながら。 (「生きる美学」田中宥久子著より) 今まで、人生って上流から下流に流れていくものだと思っていました。 大人になるにつれて、清濁あわせ飲み、何事にも動じないようにゆったりと流れて、最後に海に流れ込んで行く・・・・。 そんな生きかたが大人だと思っていました。 でも、ここ一年、その考え方に疑問を感じていたところに出会ったこの文章。 そうか! 混沌とした中に何も疑問を持たず、流れに身を任せて入られたのは、何も知らない子供の頃。与えられた環境の中で、とりあえずの安全圏の中で・・・・。 でも大人になるって、実際は痛い目にも会うし怪我もする。それはまさに急流を遡っていくような作業。ちょうど鮭が生まれた川を遡るように・・・・。 でも、だからこそ水(=自分)も澄んでくるし、周りの自然も見えてくる。自然本来の姿に戻っていく作業が、大人になるってことかもしれません。 行きつく先がどぶ川の排水溝にならないために・・・・・。 新鮮な水が湧き出る泉のほとりまでは、まだまだ遠い道のりだけど・・・・。 ますます澄んでくる水、清らかな風、美しい緑を求めて・・・・。 さぁ、今日も上流へ!いざ、いかん!
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