2023/06/22(木)06:20
渡辺利夫先生と森田理論
渡辺利夫先生は経済学、現代アジア政治経済論が専門である。
経済以外にも人生観に関する書物をいくつも書かれている。
森田理論を基にして様々な視点から取り上げられている。
私は森田理論研究の第一人者としてとらえております。
興味や関心のある方に是非お勧めしたい本がある。
神経症の時代(わが内なる森田正馬)・・・この本は開高健賞に輝いている。
煩悶する倉田百三、森田療法と森田正馬の生涯、岩井寛の生と死について、事実に基づいて精緻に書かれている。
事実とはこう取り扱うのですよという意思が感じられる。
死生観の時代・・・「超高齢社会をどう生きるか」について森田理論の考え方を紹介されている。
その中でも、本日は特に次の本を紹介したい。
種田山頭火の死生(ほろほろほろびゆく)・・・種田山頭火は神経症者であったという。
定住できず、家庭に寄り付かず、法衣をまとい全国の句会仲間を訪ね歩く流浪の俳人と言われている。
他人に依存し、自由気ままでみんながあこがれるような生涯のように見えるが実際はそうではない。
父親の放蕩と蒸発、母の自殺、弟の自殺、兄弟姉妹の早世、家産の瓦解、離婚、アルコール依存症など自分を取り巻くすべてが滅びゆくという強迫観念にさいなまれ、なんとか出口を求めてさ迷い歩いてもどうにもならない神経症者の必死の叫びが彼の句から読み取れる。
分けいっても 分けいっても 青い山
振りほどこうともがけばもがくほど頑固にこびりついて離れない執着、それがこの山の緑だ。執着を振り払って少しでも安らかな心境を手になろうと必死に努めても、いや、努めようとすればするほど執着が強くなってゆく。
ひとつの山を通り抜けても、また別のもっと深い山に分け入ってしまう。
これは神経症の葛藤と苦悩そのものです。
山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし
種田山頭火は本名は正一という。
早稲田大学文学部に入学したころの写真を見ると男前であった。
29歳で結婚した奥さんは近所で評判の美人であった。
種田正一氏は、アル中と極度の強迫神経症で定職を持たず、一ヵ所に定住することができなかった。愛する家族と一緒に暮らすことができなかった。
そのために奥さんの兄から離婚を迫られている。
彼は全国の句会仲間に物心両面で全面的に依存し、自由で勝手気ままな放浪生活を送っている。
彼自身は自己嫌悪、自己否定の塊で、そのやりきれない気持ちを飲酒で紛らすという生活だった。
神経症で苦しんだ種田正一氏の人生とは何だったのか。
彼の俳句は自分の気持をストレートに表現する自由律句であった。
生涯に渡り苦悩のどん底であえいでいた彼の真骨頂は、鬱と鬱のわずかの隙間に創作したこの自由律句にあった。
過酷な運命と彼の繊細な神経質性格によって絞り出された作品群が、多くの句会仲間に感動を与えているのである。
自分がダメになる過程を自由律句に託して、悩める神経質者に自分を反面教師として参考の具として提供しているような気がする。
不器用な生き方だったが、天賦の才能を与えられた彼の業績は計り知れない。
たとえ神経症で一生苦しんだとしても、何らかの形で社会貢献することができれば、それはそれで立派な人生だということを伝えているように感じる。