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テーマ:今日のニュース(1445)
カテゴリ:言わせてもらう
少年の犯罪の残虐さと罪の意識の軽さに疑問を抱くけど
なんでか?答の出ない人も多いのではないでしょうか。 私は、私なりの答を出しました。 「自我の肥大」が原因です。 自我の強い状態では、相手や対象をモノとしてしか認識しません。 少年犯罪の短絡さは、相手をまるでモノのように扱った結果だから なんだか実感のない犯罪になってしまう。 モノを壊したのと同じ感覚で、自分の親とか殺してしまう。 でも自我が強すぎて、相手が自分の心に入ることはないから後悔すらないんだな。 なんで少年少女の自我は肥大するのか? それは、やっぱりテレビなんか見ていたらそうなるよな~って普通に思える。 歯止めのない煽り方をするテレビ。 華やかな場面だけを映して苦労やドロドロした部分をすっとばすから、 何も考えない子供は、妄想のように自我が肥大するわけだ。 最近は、芥川賞を取るのも若い人になってきた。 私はここになんだか問題を感じる。 小説家というのは、あらゆることを客体化できる能力があってこそ、 人の心を打つ物語が書けるのであって、それがファンタジーであってはならないと思う。 ファンタジー小説は、そのジャンルで賞をとってほしい。 実際に経験して会得していないのに、あらゆることを客体化できるわけがない。 年齢が若ければ「あらゆること」を客体化は出来ないはずなんだ。 その年齢なりのことしかクリエイトできないはずなのね。 そんな若い人の作品をもてはやすしかない社会は病んでいる。 そして、そんな体験の乏しい若者ですら、スターとして祭り上げる社会が 若い人の自我をいたずらに肥大させるのではないかと懸念する。 結果を急ぐ若者が増えたのではないだろうか? 本当は、ゆっくり歳をとりながら、いろいろ得ていけばいいのだよと、 教えてくれる社会であるべきなのに、 早ければ早い程良いんだよという傾向になったことが、問題なのではないだろうか。 何でも年齢が若いともてはやす病んだ社会…。 少年犯罪は「ファンタジー」だと私は思う。 ファンタジーを裁けるのか? そもそもファンタジー=「幻想」を植え付けたのは誰か!? それをこそ問ってほしいと思うフリフリ13号であった。 おー、今日は社会派~? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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