コメ済「賀志波比売(かしわ=柏ひめ)命」が天照大神の幼名かどうかはともかくスサノオも柏と関係が深い。出雲の松柏・蔓柏は中国古典のパクリ改ざんか。有名な「瀬織津姫」は大祓祝詞の主犯=デコイでゴタ消しか
('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{こんにちは。コメントつけました。そーいや大祓祝詞みても、基本「反論するやつにコンクリはかせて海にしずめろ」みたいな内容だから、コトシロヌシとかエビスみたいな感じだなあ、コロシタのに「ジサツした」ってことにしてるとか、まさに日本警察と皇族と部落のテロだなあ、ってかんじですが。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{前回このカテゴリでどういうお告げがあったか説明しましたが、夢のお告げで聞いた「かしわの神」という名前は、ネットで調べてみると、たしかにその麻賀多神社の奥宮(船形)ともう一か所だけ(徳島の津峯神社)にまつられているようですが、祀られているのは「かしわひめ」(女神)なんですね。お告げをくれた人がいうには、それが男神のようでしたが。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{カシワヒメはアマテラスの幼名だとかいわれていますが、幼名とされる、なんていうのは、「カシワヒメが本来のアマテラスで、今アマテラスとされてる伊勢のはニセモノ」とかになるのかもしれません。よくしりませんが、日本民族がやってきたことは全部「背乗り」「歴史抹消・改ざん」だと確実にシッポをつかんでますから、間違いなく御祭神も本来の神を消してたり、御神名とかもいろいろ改ざんが多いとおもいます。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{しらべてみると、柏と関係深い男神はスサノオなんですね。スサノオをまつる神社はよく柏の葉の紋とかも使う・・・で、何かカシワの木の精霊で、木々を守ってくれるとされる存在(葉守の神)も、スサノオと関係あるのかな?っておもうんですが・・・(スサノオは日本中に木を植えた神様であると言われてもいる)('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{五月五日には関東の「柏餅」関西の「ちまき」両方あって、お告げの夢には「かしわの神」と「ちまきの御神体」の両方がでてきました。(だからなんとなく五月五日が重要なのかなとも思います)('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{祇園祭りのチマキの魔除けのお守りとは、ちょっと形が違うんですが、スサノオ自身が柏と関係深いし、牛頭天皇はスサノオと習合してるし、なんかあるのか?っておもっちゃいます。端午の節句といえば、義経や弁慶などの武者人形もよくでてきます。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{基本的にはタベモノじゃない祇園祭の京都の「ちまきのお守り」は、スサノオと習合されてる牛頭天皇(天王)の蘇民将来の「チノワ」とかと同じような役割らしいです。しかし、ハグレものぶっても牛頭天皇ってあまりにもコタンへの呪詛がひどいんですね。しかもコタンとかいうとアイヌっぽいとか・・・だからなんか祇園祭も「鬼による鬼退治」みたいなうさんくさいものを感じるんですが・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{布置が夢でみた「船形のマカタ神社にいた、昔の神職っぽいヒト」は、現代の神職の白衣をきてるのに「顔の造作を藁でつくったような仮面」を付けていたが、しらべると、昔イツコリの命の石棺の上に注連縄をたらして、竹の衝立をたててかこってたそうなので、もしかしたら、あれはイツコリの命かもしれない・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{布置がその夢の中の、船形のマカタ神社の昔の神職から、「御神体」としてもらった、ちまき(粽)みたいなものは、祇園のお守りのチマキともちょっと違って、しらべるとわりと中国の5月5日の節句のチマキと似てたように思います。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{それは「途中で悪いヘビみたいな、ミズチに供物を奪われないように(パクられないように)、チマキの葉でくるんで水中に供物を投じた」からだそうです。(たんに水中でバラバラにならないようにって事だろう)そうやって、🍃で守ったのは、「憂国の詩人も魂(神になった詩人?)へと、供物(パワー)を届けるため」=「パクられないため」だったんですね。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{布置は、戸籍をパクられそうなんですよ。人格を抹消されています。これはテッド・ガンダーソンがいっていた犯罪被害者の特徴らしいです。つまり本当の国家的な犯罪の被害者が「被害をうったえたりすると」世界政府は「やらせの京都アニメみたいなNHKのナツゾラ製の偽旗事件をつくって、偽被害者を犯罪者にしたてることで、パクリの被害者をあおったり」「(被害者がネットで叫ぶのは)承認要求だとか、(加害行為を継続させている日本軍の被害者がいってることだとはいえないので、)ネットで叫ぶマイノリティの承認要求・・なんて、話をすりかえて報道するわけです。ヤマザキマリがやっています。日本のみなさんは100%そういう犯罪者の仲間です。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{で、マイケルの知人の知人だったので話してると、マイケルを「悪鬼にしたり」、芸人「変死」させたり、プリ婆がエルヴィスの煽り映画つくったりしてきますよね。それを批判しても、推し活だとか、彩雲をだしても、「龍をのんだ奇跡の写真家」とかインチキをだして、そういう風に「全員が似たような事をやってるフリ」して、別問題へと「すりかえちゃうわけ」ですよ。エル(-_-)弁慶👺{いいかげんにしろ日本と世界!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{日本人の原動力は背乗りと歴史抹消なのです。これは覚えておいてください。エル(-_-)弁慶👺{俗にいう集団ストーカーって、布置たんの個人識別キーワードをパクって、ヒーローを捏造したり、事件の犯人を捏造したりして、それを作家や記者の仕事にして全員天狗になってるよね!僕だと生まれながらに天狗であるだけ!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうですね、うまれながらの天狗になりすましてるのがジャ~~ップなのです。天狗になってるのです。鬼滅をみて。天狗属性をもたないのに天狗になってる。卑屈な盗作サルだ。声優の名前をみてくださいよ。不自然でしょ?背乗りなんです。皇族が背乗りだから、パクリだから、日本は背乗りの国なんです。衣装ストーカーは皇族がやってるでしょ?衣装ストーカーと同じなんですよ日本の漫画家とかマスゴミは。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{昔だと目が細くてもゴトウミドリみたいな「能力的天才」とかいたんですが(たんに超絶技巧って事じゃなくて、芸術性が高い人がいた)でも、今の日本にはそんなのありえません。みなさんが集団ストーカーになってしまったせいなのです。今の芸術家は全員凡人です。まず「現代」と「日本」と「天才」は絶望的に相性わるいです。男にもキャラ的に尾崎みたいな「天才君キャラ」を産めない、うまれない、育たない、もういないんだし、むりです。エル(-_-)弁慶👺{そういえば、僕はエルヴィスとしては米国人だったけど、アメリカにも僕みたいなハチャメチャな人いなくなったなあ(笑)('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうです。精神科医という凡人代表が、集団ストーキングやスパイや盗作で天才を殺害してまわってるから、精神科医は盗作やストーキングやスパイを賛美する側であって、つまりそれは、凡人だからなのです。凡人は天才を殺すというのは有名です。ゴトーミドリなんかは芸術性は高くても、まあ性格的に天才じゃないから生き残ってるんですが。エル(-_-)弁慶👺{僕ら二人は性格的に天才君だよね!(笑)('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{ええ、ギャンギャンさわいでやる必要があります。弁護士がマケタ理由を日本軍が「しらばくれている」のは、たとえるなら「オレオレ詐欺の被害者にむかって、警察と皇族がたえまなくなりすまし、本人をみとめたくないパクリ工作員の人々が、"承認欲求"を先崎やヤマザキマリに吠えさせているだけ」なんですよ。このように、令和はすべての日本人が背乗り応援団、パクリ応援団で、人間じゃありませんし、外人らしい外人はもう絶滅しましたから、令和の人類をあまり信用してはいけません。エル(-_-)弁慶👺{で、お告げ通りに、本当に船方の麻賀多神社に祀られていた、かしわの神(男神)は何なんだろう。かしわ姫は祀られてるけど('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{日月神示(天明のオリジナル)では、和歌の祖である「スサノオを祀れ」みたいな話になっている、、それで「天詩様」とか「天詞様」なのかもしれないですね。あと、その日月は台湾の日月タンと関係あって、道教の月下老人の聖地ですから、・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{牛頭天皇(天王)も、スサノオもヨメ取りの話が多いし、その上その日月の月が縁結びの月下老人なら「日」と「月」は「陰陽和合」とか「ツインレイ和合」みたいな話なのかもしれません。(※ちなみにツインレイは地上ではワレワレしかいないと彼の魂は身内に伝言していたそうです。すると、現時点では地球上のツインレイが一組しかいないため、集団ストーカー犯罪が発生するという事かもしれません。)日月神示は神の世界での結婚の話なのかもしれません。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そんで、柏といえばスサノオの魂と関係が深いし、柏ヒメはアマテラスの幼名ともいわれてるが、阿波にもスサノオの話やイズモって地名があったそうだから、なんかカシワ姫は消された神というか、、、スサノオとクシナダ姫の子供とかかも、、、?実はそれが本来のアマテラスだったとか???エル(-_-)弁慶👺{ふーむよくわかんないけど、消された歴史とか、隠された歴史、隠れた絆がありそうだね!僕らにもかかわってきそうだね~ちなみに”巨旦将来”の”巨旦=コタン”とは、アイヌの”部落”を意味しますね。それが転じて”占領地”あるいは”植民地”という意味にもなるのではないでしょうか。故に”巨旦将来=アイヌ=東日本縄文人”となると考えております。https://savage.blog.shinobi.jp/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%EF%BD%A5%E6%B0%91%E6%97%8F/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%88%90%E3%82%8A%E7%AB%8B%E3%81%A1%E2%91%A1%EF%BC%8D%E5%BE%90%E7%A6%8F%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%A8%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%EF%BC%8D('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{柏って文字だけだとホントに今でいうカシワなのか、意味を特定しにくいみたいだけど('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あと、カシワヒメは命を与える神(カシワ木のイメージが、葉をおとさず若芽を守るので、全体として不老不死?→長寿の利益)なんだけど、岩だと無機質だから不死なんですよね。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{イワナガ姫は貴船の神でもありますが、なんか阿波のかしわヒメが「アマテラスの幼名」であるとされてるのに、一説によれば「かしわひめ=イワナガ姫」にもなってるようです。それは、アマテラスの幼名(ほんとのアマテラス?)だって事を消すため「イワナガヒメも長寿だから」の話なのかなあ?と思います。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{というのも、カシワ木は植物だし、岩よりは、むしろ花に近いような気がするので。で、カシワの木の神=葉守の神という考え方では、宮中の護衛にも見たてられるそうだから、柏の木は人の事も守ってくれる存在でもあったそうなんだけど、それなら「他の木」も守ってくれるのが柏の精なのかもしれない。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あと、ネットでしらべるとむかしの印旛の埋め立てられたあたりに、なんかすごい文化があったらしくて、歴史を消されてるとか、その事と麻賀多神社あたりの重要性は関係あるとか、一二三神示とJAL123とか・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あのネットによくでている「520体の石仏がクニトコタチをよみがえらせた」ってデマらしいです。あれは御巣鷹山のそばにある山の88仏の写真らしいです(空海かなんか)JALが御巣鷹山に墜落したというのは、マスゴミのフェイクニュースで、じっさいには当時「高天原」の山の傍に墜落したそうです。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{今年の正月も、1,2,3日の「ひふみ」の日に問題があったので、なんか気になってます。石川県の七尾ではやっぱり、柏の葉にのせて神饌をお供えする祭りがどうこう、っていってるんだけど、それはもともとは、生贄の女性を山王の(比叡山の?)お使いのサルの神にささげる儀式だったのを、オオカミの神が命がけで救ってくれた、という話のようです(神なのにシヌのか?)('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{するとなんでタイトルが「青柏の祭り」になるのか?生贄救出成功まつり、っていうのが「青柏」ってお供えをのせる葉っぱの名前になるって・・・柏の葉の上にのってる食べ物が、もともとは生贄だったって事なのか?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{石川県の「気多」の神社の鵜様とかの動向も気になります。あの鵜様はもともとは、逃げたヒスイの女神だったのではないか・・・そっちも出雲系の自称・大国主の求婚を適当にかわした?(それで逆恨みでブ@とかいわれてますが)好きなフリして途中で自分の本来の夫をかばって自分も逃げた?ことから、大国主から焼き殺されたなんて説もある・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{で、「かしわで」っていうと、神社でハクシュすることなんだけど、史上初の柏手は事代主が、ヤマトに対する意思表示としてやったことになっている・・・(つまり、神社を参拝する都度、それをまたべつの形式の拍手にしてパクってる&パロってることになる。ようするに、出雲の神に対抗する目的で儀式をやってるとか?)('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{フネを青柴垣にかえて、逆の拍手(四回?)うって、しずんでいったコトシロヌシとか・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{「草葉の陰から見てる」(先祖の霊など)とか・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{シナ中国では「松柏」は日本の「かしわの葉」の柏とは別なんだけど、やっぱ古代中国の廟とかには死者のための「松柏」が必要だったとか・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{スサノオは「柏の葉」の落ちた場所に自分の魂が静まる(隠れる)といってるわけだし・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{イワトビラキでは「サカキ」をたてる。これは、「逆の柏手(かしわで)」と関係がありそうだ・・・それで、それは本当に「逆」なのかというと、わからない・・・実はそれが「本」なのかもしれない・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{日本人はいつも、自分らがイジメた相手からの呪いをおそれて、おそれるあまり、またパクって改ざんしてしまうという背乗りの病気をもってるようだ・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{なんか神社で「拍手」を打つのが気になりますよね。それを「かしわで(柏手)」というわけだし。出雲系の呪いを意識して対抗していると・・・だから出雲も神社系じゃない(出雲大社教になってる)わけじゃん!神道じゃないわけだよね!?ってことは、神道は出雲と足並みそろってないという・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{いま「おまえのPCハッキングしてるぞ!」ってひつこくひつこく出て来るんだけど、集団ストーカーヤマザキマリとか山田詠美とか可能涼介とかがうざい('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{で、とにかく神道すべてで拍手を「かしわで」という。そして、麻賀多神社(台方)には「日月神示(オリジナル版)」が降りたし、東日本1の大杉があり、「ひつくの神(ひつぐ=後継者の王子)」ってのが「日月」としてある。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{麻賀多神社奥宮(船形)には、「かしわひめ」が「八代イナリ」の横にまつられている。布置が受けたお告げでは本来ならこのカシワ姫は20歳の男ってイメージらしい、すると、この、、アマテラス幼名ともいわれるカシワヒメが「後継者(ひつぐ)=日継」だったのかもしれない。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{ぢつはウカノミタマ(稲荷になってることもある)もスサノオの子供(後継ぎ)なんだよね。それでお告げの夢に稲荷みたいなキツネも布置のペットみたいになってでてきたのかな大年神、ウカノミタマ(宇迦之御魂神)~スサノオの子たち古事記・現代語訳と注釈https://kojiki.ys-ray.com › 1_7_6_susanowo_keifu大年神、ウカノミタマ(宇迦之御魂神)~スサノオの子たち ...('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{スサノオはカシワの葉っぱの落ちたところにあの世の住処をつくったわけでしょう。で、クシナダ姫が後継者をうんだときにも柏の葉のキーワードがある。五月五日の「かしわもち」にはスサノオ系の真実を何かねじまげたい側の呪術があったかもしれないが、逆に鍵となるのもそういうカシワの葉っぱなのです。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{イツコリ命だとしたら古墳は年代があわないらしい。だからあくまでも、その古墳にいる人は「通称・イツコリの命」であって、ホントのイツコリの命という名前の人ではない。布置が夢でお告げをうけた人も、今ではイツコリの命としてまつられてるが、歴史を消された誰かなのでしょう、きっと。仮面をかぶってたのは、誰かわかんなくされてる、って意味もあるのかもしれません。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{彩流社の「鬼の大じてん」の人が「じつは全部アマテラスとスサノオなんだ。(それが引き裂かれたペアなんだ。)」みたいな事をかいてたようだから、アマテラスも本物は鬼、ってことなのかも。だから「アラタマ」とかもあるもんね('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{で、イザナギが「ミソギ」をして、アマテラスとスサノオ(とツクヨミ)を産んだ。あれ?オトンなのに産んだんだ!?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{これは、布置のように「マスゴミのリアル法廷背乗りテロ事件の被害者になった人」からみれば、ああ、背乗りしてなんかを捏造した(うんだ)=ゴタ消し=浄化した(隠蔽した)ってことね、ってわかる。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{しかし、「イザナギ自体がゴタ消しをしたのか」というと、それもわからない。イザナミとイザナギのホントの歴史を消したかった人らが「イザナギはね、ミソギをしたんだよ」なんていうかもしれないから。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{でっ、オレお告げの夢に関して、今よく考えたんだけどぉ柏って木はさあ、その「ミソギ問題=何かがしんで(ころされ?隠され?改ざんされ?)、別に生まれた問題」と関係してると思う!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{スサノオは自分がシヌ時もカシワの葉っぱの落ちたとこに霊的に住む事にしたし、スサノオとクシナダ姫がいっしょになってコドモうんだときも「産具を★柏の葉で包み、それを松葉で縫って川に流した」とありますね。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{で徳島でもアマテラスが生まれたのは「イザナギのミソギ(浄化)」が原因で生まれていて、その時のアマテラスの幼名が「かしわひめ」だっていうわけでしょ?エル(-_-)弁慶👺{なるほど!なんか「くさいものにフタ」みたいな?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{アダムとイブなんかもカミから勝手な行動?を咎められたあと、股に葉っぱ貼ってるし・・・エル(-_-)弁慶👺{うーん!!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{芥川賞作家(世界最悪のブサイクなスパイとアホしかいない。世界最悪のアホでスパイでブサイク。)からイヤガラセされて、法廷工作をされて、勝利した布置には、ヤツらの心理がわかってるのですが、('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{布置がいろいろ「わかってる人だ」っていうのは、テレビなんかみさせればわかりますよ。布置はテレビ自分からは見ないんですが、人がみてるときに「このあとこういう風な話題がでるだろう」とか「このヒト京都人でしょ」とか「この映画、松本清張じゃないの(松本清張しらないのに)」とか、「これ角田光代の映画じゃないの(角田は布置を煽ってたことがあるけど、そこまで普通ヨ予測できないのに)」とかいうと、ことごとくあたってるんですよ。的中率9割ぐらいです。バイト先でも「わかってる人」とか「UFO」というあだ名がついていたから、わかってる人なんです。エル(-_-)弁慶👺{僕のママに布置たんを紹介したときも「すごいきれものだね。あれが、おまえと双子のジェスの魂なのかい、それはすごいね」っていってたよ~('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{まあ、やっぱり、あんまし極端にアタマわるかったら、これだけマスゴミが全体に敵にならないともいえます。やっぱアタマいいとこあるから、シットしてるんでしょうね、マスゴミは。んで、マスゴミ作家(シンデレラの悪役)が貧乏なシンデレラ布置様を全員嫉妬&盗作改ざんしてくるわけですが、そういう事されてると、日本神話を理解できるようになります。たとえば「イザナギがミソイダんだ」って神話は、川上弘美がつくってるなら「弘美がイザナギ神話をかってに(NWO政府の都合がいいように)書き換えた」って事になるな、とか。エル(-_-)弁慶👺{なるほどなるほど~('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{たえず、ファクトを消して、デマに改ざんするために、パクルわけですよ。アイディアを盗作する目的だけじゃないんです。むしろ、ファクトを消すために、新聞の小説家がアホなのにどーんと目立つお立ち台でオナってるわけですよ。弘美がなんでオナってるかというと、イジメが快楽だからです。自分がなんもないからジャップはイジメや盗作がすきなんです。キーワードかぶせ(いわば検索汚染みたいな)の盗作ですね。エル(-_-)弁慶👺{デマを現実だというのがマスゴミ作家なんだね!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうです、すると、日本神話なんかも徳島でミソギをした=そこでデマを「産んだ」ということですから、スサノオとかアマテラスなんてヒトってか神は実際には、いなかったわけでしょうな。エル(-_-)弁慶👺{あっ、そうか!たしかに「水で体を洗った(ミソギした)」ことで、子供が生まれる、なんて比喩としておかしいよね!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{パクリの小説作りの比喩だとおもえばわかります。エル(-_-)弁慶👺{ああ、「その時の支配者にとって都合の良い話にかきかえた」っていうことが、神様がミソギによって自分の子供をうんだ、っていう神話の話になるんだね!?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうです、弘美が神話をつくってると筒井(集団ストーカーのリーダー作家)がいうのは、そういう事です。まさに日本神話部隊が集団ストーカー=小説家、マンガ家、なのです('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{でっ、最近よくスピ系日本人全体が「セオリツ姫の時代」「封印されたセオリツ姫」「セオリツ姫をみとめろ」とかはじまってますが、そのことに「日本製」の「三浦春馬事件」と同じ匂いをかんじますね。日本猿が一斉になんかいいだしたら、それはだいたい「おおうそ」とか、トラップです。詐欺・捏造・パラハラ・セクハラ・ヤラセ・すりかえ・なすりつけ・パクリ、やらせ、以外の元気をもたないのが日本民族なのです。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{布置様が文壇でもネットでも有名なのは可能涼介が証言していました。(もう向こうがなりすまし工作で実質敗訴してますから、なかったことにしてるでしょうが。)それなのに、可能どころかジャーップ全員が「なかったことにしようとしている」のがアリアリと見えますよね。これは、人類は全員、布置以外が超絶サイコパスかチップ入りのロボットだという可能性もあります。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{まあ、セオリツヒメとかは、ダミーでしょう。つまり、簡単に本丸がでてこないように、お前立てをいっぱいつくってるのです。三浦春馬不審死事件も、すぐに商業サイトが「春馬君へのガスライティングをカネ恋がやった」とか、これみよがしに吠えていました。(それなのに本当にそういう話をしてる布置の事をジャップ全員が敗訴後にシカトしている)つまり、春馬不審死事件はジャ~~~ップがグルで被害者になりすまし、加害者と被害者を「すりかえるため」に日本猿が捏造した事件であります。木村ひさ詩は、ようするに津原や弘美をかばうために、自分らが悪役を「わざと」やってるのです。(しかも不自然に「詩」って名前にして、あいだみつをみたいな詩をかいてますよね)やつは、うっかり三浦をいじめてしまったわけではありません。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{瀬オリツ姫はやっぱ水に流す神、ですから「ゴタ消しの神」です。本当にその女神そのものがゴタとして消されたわけじゃないとおもいます。ダミーです。これはたとえば集団ストーカー犯罪でいうと偽被害者だけが公的に話題になり、ネットでも客をあつめており、さわがれますよね?それと同じです。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{で、日本神話では「(イザナギの)ミソギ」が「産む事」と一緒になってるのがナンカ変ですよね。お産が汚いものだからミソイだ、というよりも、逆に、ミソギとは産むことなんだ、みたいなの、これはオーウェルがいう「真理省」の仕事でしょう。つまりマスゴミが警察とグルで流すデマ事件は、強制的に報道できない不都合なファクトをミソいでるわけです。エル(-_-)弁慶👺{おおお~!!!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{でっ、カシワはシナと日本で違うのに混同されてたり、ルーツがよくわかんないとこありますが、カシワというキーワードは「カシワデ」で、それもやっぱ最初にやったのは出雲系のコトシロヌシで、自粛的に自殺したときに「カシワデ」をうったことになってますよね。これはなんか、「そういう事にしとけ」っていう風に記述されたことが呪詛なのか、それともカシワデ(これは逆のカシワデだといわれている)そのものがホントに呪詛だったのか、よくわかりませんが、カシワの葉も「しぬこと(みそぐこと=コロすこと)」や「ウム事」また「隠れる事(しぬこと)」と関係が深いです。カシワヒメが「一日一人(だけ?)命をたすける」とかいうのもナゾですし、うむイザナギ&ころすイザナミの話っぽいですね('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{まあ、記録に残したくない家柄とかがあって、それを消して、あたらしく自分らに都合のよいキャラを事実のキーワードにかぶせてつくったのが日本神話なのでしょう。令和の小説家や漫画家や新聞社や警察や弁護士のシゴトとまったくおなじことをやってるのです。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{セオリツ姫は、つまり「デコイ」みたいな、つまり「おとり」みたいなものだと思いますね。昔のゴタ消し屋(作家)は、公的に真相がわかんないようにしてるわけですし('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{「瀬織津姫 祝詞」でしらべると、セオリツ姫は「ゴタ消しの神」だとわかります。つまり「ゴタとして消される側」というには、なんだか不自然です。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{祝詞自体が、「おおはらえ」つまり、ゴタ消しです。Xフロントがいってる「神道よろしくモノを隠し」というあれです。証拠隠滅罪です・・・ワヤワヤにして、ミズにながして(セオリツ姫にたくして)(都合の悪い史実は)なかったことにしよう(神話=マンガや小説でデマをつくって改ざんしよう)という感じなわけです・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{デマというのはオリジナルではデマになりませんね。フェイクニュースをマスゴミが流すのは、オリジナル事件に「かぶせている」「パクっている」からこそ、フェイクなにゅーすなのです。エル(-_-)弁慶👺{ほう~!エル(-_-)弁慶👺{えっと、だから・・・、フェイクなニュースで煽るために、現実の主張を「パクる」「かぶせる」そして「なりすます」ってことだね!?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうです!作家が布置様だけを狙ってパクるのは、布置さまだけが人類のファクトに抵触できるからです!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{で、とにかくセオリツ姫こそは「ミソギ」のまっただなかにいるわけですが、まさに「ミソイデまーす!=セオリツ姫🎵」みたいな名前だから、そういう女神自体には意味がないとかんじます。一体、セオリツ姫は、何をミソいじゃったのか?何を粛清し、どんな人々を民族浄化しちゃったのか?それを知る事が大事。エル(-_-)弁慶👺{うんうん。柏の樹とか葉もいつも、そういう「ミソギによる誕生」とか「死というミソギ」なんかに関係が深い樹木なんだね・・・?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうですね!しかも、日本でいう柏の葉っぱは「食べ物を乗せる皿」とか「食べ物をくるむもの」にもなります。食べ物といえば稲荷のイネとかですね。穏当な稲荷はウカノミタマ?とかですがヤバイ稲荷がダキニとかになってるのも、あと「青柏祭り」がもともとは生贄の問題に関係していたことも、なんかヤバイもんがありそうだなと。エル(-_-)弁慶👺{人柱ってこと!?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あっ、神も柱でかぞえるから、神自体がイケニエなんですよね。キリストなんかも十字架が柱でキリストが生贄っぽいですが・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{ぜんぜん種類が違う木なんですが、中国の柏(松柏?)と日本の柏は、象徴的に似た部分があるし、実際に見て比較できる人がいなかったため、混同されたそうです。中国では死者の廟にその柏を植えたそうだし、なんか中国の発想とも関係ありそうな気がするんだけどもエル(-_-)弁慶👺{あれ、たしかに日月神示の降りた奥宮の、「船形(奥宮)の麻賀多神社」は、ネットでみると「かしわひめ」を祀っているし、もう一か所「かしわひめ」をまつるのは徳島の津峯神社だけだし、布置たんが夢で神主みたいな人から言われた事はあたってるから、何かその夢がホントのお告げだろうっていうのはわかるけど・・・かしわの神なのに、なんでカシワの葉でくるんだものじゃなくて、笹でくるんだ「ちまき」みたいなものをくれたんだとおもう?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{お告げの夢では、そのチマキのようなものを(多分「いつこりのミコト」として祀られてるナゾの仮面の神職が)「あなたに渡したい御神体がこれだ」といって布置にくれた。スサノオと牛頭天皇が集合してるのでチマキも牛頭天皇のイメージがあるだろうけど、考えてみると、まずは端午のちまきのルーツである中国の神話が関係してるんだとおもう。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{端午の節句、5月5日の元の話は、「(5月5日に水にはいってしんだ)憂国の詩人におくってあげため水中に投じるプレゼントの食べ物が別の水の神(ミズチ)に奪われないように、チマキにして巻いて、ちゃんと本人に届く形でささげた(あげた)」という意味があるわけですから。エル(-_-)弁慶👺{関係ない存在に盗まれないように、詩人にあげたいものを「笹の葉」でチマキにして守ったということ!?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうですね。関係ない大勢にパクられないように、って意味もあったとおもう。あとは、やっぱりその祇園とかの牛頭天皇(スサノオと習合)のチマキのイメージがあるから、形は祇園の厄除けチマキのお守りとは違ってたけど、それによってスサノオも仄めかしてるんだと思う。エル(-_-)弁慶👺{あっ、それは、スサノオの本当の姿(本当の御神体)とは・・・みたいな秘密の情報、秘密の教えも含まれてるって事だ!きっと、データをパクリ改ざんから守るためにちまきにしたんだね!あと、布置たんと僕を応援してくれてるその「イツコリ命とされてる国造(祭祀長)」のパワーが他に散逸しないようにと・・・、('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{うん、まさにそーゆーことでしょうね。でもズバリの答えは教えてもらってないんだけど。エル(-_-)弁慶👺{とにかくアマテラスやスサノオは、元々存在していなくて、本来別の何かを消して(ミソギして)捏造された神話的存在なわけで、本来のイメージにつながる鍵が、柏の葉守の神と、かしわヒメの神なのかな。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{スサノオとして煽られてるヒトは、もともとはどっかの柏の樹にまつられていた(祖霊)で、そのヨメまたは後継ぎがカシワヒメのカミだ、それがホントは王子だった、とかなのかも・・・なんかグチャグチャにされてるんだとおもうけど('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あと、本来なら天皇が「御製」というポエムを歌う必要があるわけだし、スサノオが最初に「和歌」をうたってるのも、天皇っぽさだって事なんじゃないのか。牛頭天皇と習合したのはやっぱ「天皇とか天王」って字をスサノオに関係づけて仄めかすためでしょう。エル(-_-)弁慶👺{スサノオのポエムって「八雲立つ」だよね。八重垣って何なのかな('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{八重垣は実際には寝室とかの布の垣根+家自体をかこむ芝の垣根のようです。または、それが全部この場合は雲で出来てるかもしれないと。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{👇芝の垣根の場合、こんなの。あっ、イツコリの命として古墳にうめられていた「インバ国造」である神主みたいな人の仮面は、布置がみた夢の中ではこの柴垣に似ている。なんか藁みたいなもので顔の造作をつくってあったんだけど、柴垣みたいな感じなのか。遠くからみた竹垣(むかしその古墳の石棺のまわりが竹垣でかこまれてた)にも似てたけど👇エル(-_-)弁慶👺{あれ、でもコトシロヌシも船の上に垣根をつくって、船ごと沈没して柏手をうって、隠れた=しんでしまったんでしょ?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうですね。しらべると「青葉がついた柴の垣根」で・・・「(ウィキ)タケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主神は「承知した」と答え、船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。」エル(-_-)弁慶👺{そっくりだよね!?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうですね、すると、スサノオも、八重垣にこもらされたクシナダ姫も、コトシロヌシも・・・エル(-_-)弁慶👺{・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{テイよくあの世に追い払われてるのでは?エル(-_-)弁慶👺{呪術として「本人たちが希望して、自分で垣根に籠ったんだ」って話になってるけど、実際は呪詛として"そういう事にされてる"のかな?なんだか目出度い垣根にみえないよね!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{自分を守る垣根もあるはずなんだけど、なんか事代主の話をみると、たしかにヘンだよね。八重垣姫の名前にも垣根はいってるけど、これは「草葉の陰から」とか、義経を煽っていった「夏草や」みたいな感じかも・・・エル(-_-)弁慶👺{義経たんは青葉の笛というのも持っていたし、それで、あいつら「青葉」とか煽って「パクリ」を吠えさせたんじゃないのかな?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{それに、賢治の「中尊寺」の詩で「青葉のお堂」てのがある話してたから(京都アニメの偽旗事件で煽ってるターゲットも、義経=俺ってこと。それはその煽りと関係あるNHKの「なつぞら」「わんぱく牛若丸」「週刊少年ガソリン」とかでみんなヘンだっていってるし。でも、なんでヘンなのか理由わかってるんだから、全員がグルなんだけど)エル(-_-)弁慶👺{ヘンな苗字だし、きっと、現実の人間の名前じゃないんだよね!警察ふざけてる!ウソなんだぜんぶ!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{だから日本はウソツキ神話小説づくりの国なんですって。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{神話っていうのは、支配層と、あとはそれにまつわる共同体の構成員にとって、都合のいい落としどころをつくることだから。「こういう事にしとけ!」みたいな。エル(-_-)弁慶👺{オリジナルの日月神示は、どうなんだろうね。僕と関係ありそうだけど、完全にこっち側の応援団はいえないんじゃない、天明さんという人も当時権力者からにらまれてただろうし、ホントのコトだって当時はハッキリいえないんじゃない、それに、ターゲット以外の人間は、ターゲットそのものじゃないし(笑)('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あっそうか、だから隠れた部分とか、違ってる箇所は、みな自力で推測するしかないですよ。わりといい事をしてくれてる側だとしても、ターゲット本人以外は邪魔する方向に動く要素はどうしてもすこしはあるから。エル(-_-)弁慶👺{そうだね('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{でも、そういや、夢にでてきた仮面つけた人は神職(神主とか)みたいなカッコしてたけど、天明さんも鳩森八幡神社?の代理神職だったんだね。インバ国造(イツコリの命とされているけど、多分ちがう名前の人)も祭祀と関係あったから、当時の神主みたいなものだし・・・エル(-_-)弁慶👺{日月神示では柏手を素晴らしいものだといってるけど、なんだか変わった柏手を最初にうったのが、その青シバの垣根で自殺したコトシロヌシだっていうのも、あんまり楽しくないなあ('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{「ヤクモタツはスサノオが歌ったんだよ!」って話自体、つくられた話で、スサノオとかヤエガキヒメとかいう名前にされちゃってる消された誰かにたいする呪詛が「ヤクモタツ」かもしらんし、ね。エル(-_-)弁慶👺{最近の事件でも真実は隠されているのに、そんなに古い時代の事なら、実際に何かあったとしても、永遠にみえてこない感じだよね('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{だいたいマンガ家とかの煽りをみてもあるキャラがそのまんま煽りのターゲット、ってこともあまりないから、(フツーは記号的にシンボルをかぶせてあるだけの事のほうが多い)だから「スサノオはホントは誰なのか」なんていっても、意味がない事のほうが多いのかも。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{ただ、日月神示オリジナルの「天詞様」っていうのは気になりますね。スサノオは最初のポエマーって事になってる。エル君も歌い手ですが、五月五日の「愛国のため憤死した詩人の屈原」というのは紀元前の人だし、なんでチマキとかでみながそんなに接待するのか、なんで神様扱いじゃないのに、詩人への礼拝や供養接待をすべしというチマキが端午の節句にくみこまれてるのかもわかんない。でもとにかく「天詞」ってのは、歌の歌詞か詩みたいな感じで・・・エル(-_-)弁慶👺{うん、今では、僕だけが、あの御神木を霊的なアンテナとしてつかってるし、日月神示のお告げと何か符号してる部分もあると思うよ('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{しらべたら、歌垣の「かき」は、「かけあい」と語呂合わせしただけみたい。でも、スサノオが和歌の祖というのも気になる・・・なんだろ・・性的な集いだよね、歌垣って。スサノオの八重垣をホントに「性的な新居のことだ」とおもって、スサノオの和歌の歌+垣=聖婚を独自解釈でマネしたのかな?でも、結婚とかじゃないのにエル(-_-)弁慶👺{あっ、そうかもね。スサノオの場合は乱暴者として描かれてるけどマジメに生きてるのに('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{スサノオが死んで魂の住処を探す時にはカシワの葉っぱで占ったんだから、なんとなく青柴垣みたいな話ですよ🐣また('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{・・・ああっ、ネトで調べると、やっぱコトシロヌシとかコロされたのに「かってに自殺したこと」にされてるんじゃないか、だって。エクストリーム自殺ね。エル(-_-)弁慶👺{最近の捏造事件報道の姿勢とかわんないなあ。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{けっこう、この事代主殺害事件を現代ならこういう風にかくわけですよ。「彼、最近おちこんでて、しにたいっていって、ウツ病で、精神科医にいってたし、あとは自分でしんだんだよ」「遺書かいてくれたの。彼の国を、わたしたちが、ゆずってもらったんだ。こんな古いカフェ、誰がほしがるの、ねえ。こんな古い家(旧家)なんて、だれがほしがるのねえ、でも、もらっちゃうね(BY山田詠美 日経「つみびと」)」エル(-_-)弁慶👺{うわーいやな感じだ~~~感じわるいね、日経!!!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{犯罪一位新聞ですから。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{津原と一緒に敗訴した又吉なら「記憶にないんだけど、国を盗んでほしいっていってたんだ。それで、僕はやりたくなかったんだけど、どうしても盗んでほしい、どうしても盗作してもらいたい、といってるから、盗作したんだ。記憶にないけど」という事になります。なんかそういう言い訳を小説にしてたようなのをちらっと目撃したことがあります。人間っていう題名だったっけ?わすれたけどエル(-_-)弁慶👺{その言い訳、理屈がわかんないよね!!!日本人ってそういう頭のよわそうなウソをつく人間をよろこんで持ち上げてるって、何かんがえてるんだろう??('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{何もかんがえていません。日本人の脳もしくは遺伝子にはチップがはいってますから。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{でっ、垣根ネタの本音が、ちょっとヘタなウソでバレちゃってそうなのが、事代主の青柴垣の船の話です。「自殺したんだよ」ってことになってますが、実はたぶん、むりやり「自殺にみせかけて」コロされてるというか、神話の中で自殺にされてると。。。スサノオや妻の「八重垣」だと、なんか新婚の話にもみえますが、じつはそれもスサノオにされた人とヨメへの呪いだったのではないか??て事は事代主の話から全部わかるんですね。エル(-_-)弁慶👺{あっ、そういえば、水の中にはいって自殺、って五月五日になくなった詩人の「屈原」もだよね!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{いましらべたら、チマキにして供物をわたすのは「供物をミズチにパクられないため」って説以外に、「屈原(紀元前の中国の伝説の詩人)の亡骸を親族にはこんでくれた鯉への感謝」なんてのもあるね??よくわかんないけど、水中に何かをむき出しでいれたら、バラバラになって失われてしまうから、ちゃんと届けたい相手に贈り物(供物)をとどけるみたいなかんじ、それがチマキにする意味だろうねエル(-_-)弁慶👺{でも「かしわひめ」とかのカシワは、その詩人に関係ないよね('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{ないけど、ひたすら五月五日に関係してくるんですね。五月五日は何か花菖蒲もかざるし、水辺でしんだ詩人とか、、「水にはいって死んだ(ころされた)人を意識してる」フシがある。すると、柏モチもなんと「水にはいってしんだコトシロヌシ」を意識してるのかも、、、エル(-_-)弁慶👺{ふえー('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あと、コトシロヌシがらみの暗い歴史を消すために「うまれてきた」のが、イザナギのミソギで生まれたとされてるアマテラス・スサノオ(あとツクヨミ)とかなのかも・・・よくわかんないけど、なんとなくそんなかんじ・・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あれ、西日本では柏の葉がとれなかった、ってかいてある。そういや、それで関西では笹団子みたいなチマキなんだよね('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{じゃ、出雲で「スサノオがカシワの葉っぱで魂の居場所をうらなった」みたいなの、ヘンじゃない?神社も柏の葉の紋だけど、柏餅もつくれず、島根では柏餅のためにカタラの葉っぱをつかってるとかいうのにエル(-_-)弁慶👺{でもスサノオ系の出雲の神社の紋はカシワの葉っぱなんだよね?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{関東人?エル(-_-)弁慶👺{気候変動?昔は関西にもあったとか?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あっそうか。そういうのもあるのか?昔はカシワの葉をお皿にしてた、ってかいてあるし、、その地域は関東だけじゃないのかな?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{おんなじような木の葉っぱで昔もカシワの木が関東にしかない場合、スサノオが関東にいって死んだとか?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{おお!今ネトで調べたところ、出雲系の神様をまつるところは柏の紋で、「恵比寿」もそうだって。エビスって水死体のことだし、やっぱり・・・エル(-_-)弁慶👺{ん?すると、確かに、あれもこれも「水の中で死んだ」ってことが、つながってくね!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{"事代主神(コトシロヌシ)という神様は恵比寿(蛭子)様と同一視もされている"ってかいてあるし、やっぱり、自殺した(※もちろん、自殺ではなくて、ころされた)ときにコトシロヌシ(エビス神)が「カシワデを(逆に)うった」って話が神道のカシワデ参拝儀式のルーツなんだよ!それが柏の葉と関係あるんですよ!!!たぶん!エル(-_-)弁慶👺{コトシロヌシが「さかしまに柏手(かしわで)をうった」というのが、本当に支配層のトラウマになって、それで神道とか出雲の宗教とか、いっぱいつくったんだね。神話とかも、そこから沢山「うんだ」んだね、きっと。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{コトシロヌシ=入水自殺(殺人)=エビス(水死体)=水にながされたヒルコ、みんな水死体だし、しかもヒルコは太陽のヒってことだからアマテラスとか、アマテラスの幼名とされる「かしわひめ」とかだもんね、スサノオも柏の葉と関係ふかすぎるし。ガンガンうんでる。史実のゴタ消しのためにうまれた神々なのか?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{すると、案外「コトシロヌシ」がイザナギみたいなもんで、その(さかさの)柏手+青柴垣の船にのせられ強制的にミソギ(自殺という事にされてる殺人)させられた。アマテラスとスサノオと柏の葉ネタと「拍手(柏手(かしわで))」がうまれたと。かしわひめがアマテラスの幼名、スサノオのシンボルもカシワ、これは、元の植物が何であれ「柏」ではじめてアマテラスとスサノオが結びつくから、ここに消された神格の元ネタがありそうです。エル(-_-)弁慶👺{アマテラスがミソギによってうまれた「カシワヒメ」で、スサノオは「魂の居場所をカシワの葉の落ちる先で占った」んだね。@@('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{あとスサノオとクシナダ姫がこどもをうんだときの産具をカシワの葉でつつみ、松の葉でぬって、それが繁茂したとか、、すると、スサノオ(カシワの神)の子供も、やっぱり「カシワ姫」っぽいね。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{その場合は、アマテラス「カシワ姫」はスサノオとクシナダ姫の子みたいな・・・エル(-_-)弁慶👺{柏の葉は出雲系と関係あるみたいなのに、今のところ出雲にカシワの葉がないっていうのが気になるな~('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{スサノオとクシナダ姫が産具を「柏でつつみ松でぬった」とかあと須佐神社の「蔓柏」も蔓が松だから、「松・柏」ですよね。中国の松柏を勝手に解釈したとか?台湾にも「松柏(そんぱい)」という地名がありますねえエル(-_-)弁慶👺{じゃあ、中国とかの「松柏」を、日本人が文献だけで読んで文字から勝手に想像してつくった紋が出雲系のスサノオの神社の「柏」の神紋だってこと?('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そういう感じですね。中国の古典とかで先祖の霊(鬼神?)の住処とするための依り代らしいです。で、もともと柏が特定の種類なのかよくわかんないようで常緑の木とかいうために中国でも松とくっつけて松柏といったとか?いまだと松柏っていう木もあるみたいだけど。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{スサノオとクシナダ姫が産具を「柏でつつみ松でぬった」とかあと須佐神社の「蔓柏」も蔓が松だから、「松・柏」、あとスサノオが倒したヤマタのオロチの背中にはえてるのも「松柏」で、しらべると、多賀神社(イザナギイザナミ)も「柏」が神木ですね。そこで延命祈願したら柏の葉に虫食いで描かれた文字が神からのお告げだったとかいう伝説もある。延命とかって「かしわひめ」を思わせますね。あと、イザナギイザナミって「一日に何人ころ~す」とか「そんなら一日何人う~む」とか、同一人物でもないのに日本人の人口調整だけかんがえていて、個人の人権を大事にしない(日本型人権=部落利権・ペド利権・ゲイ利権=ただの利権あらそい)野党や自民党やディープステートみたいな思想ですが。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{カシワ姫は「一日に一人(だけ)助ける」だから、なんかイザナギ・イザナミ神話と関係あるネタだとわかりますね。しかも多賀神社も柏の葉がなんとなく関係してるし、でも、出雲のスサノオ系の神社の紋とかみても松柏って意味がよくわかってないような・・・(シナ人にもすでにわからなくなってるようだが)中国の詩とかをよんで、日本人が中国風にでっちあげた神話なんだろうね?エル(-_-)弁慶👺{あっ、それは、その頃は中国風が「すごく文化的で神秘的」って思われてたからなのかな('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうでしょうね。日本では食器につかわれる広葉樹を全体に「カシワ」といってたようなんですが、それに神秘性をもたせるためには、中国風に「松柏」っていう必要があって、中国風にしようとした形跡が出雲のカシワの神紋の「松とのくみあわせ」をみればわかりますね。あと、スサノオも松柏(蔓柏)で、ヤマタのオロチも松柏だというのは気になりますね。これはまさに背乗り殺~~~人ですね。エル(-_-)弁慶👺{また背乗り殺~~~人かー日本はそればかりだねー('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{ヤマトタケルなんかも神話の中では「背乗り強~~~姦ナイフ殺~~~人犯」みたいな事になっている。「レ~イープして敵から名前をもらったあ!(※ズバリ背乗り)」とかエル(-_-)弁慶👺{なにソレこわい!実際日本軍は背乗りばっかり!朝日の作家の津原もやってたし!全員がオレオレ詐欺!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{鬼滅なんかもそういう「ファクト改ざん」であり「背乗り殺~人が魂胆である」ことは一目瞭然です。ペド利権とか、部~落利権とか、そういう風に特定部~落の利権でやってるから(自民党も自由同~和団体)「かわいそうなマンガ家のぼくちゃんたち」が、どうも自分らマスゴミ政府の被害妄想だってわかるS~~M幼~女に口~枷つけたりとか。魂胆まるみえ。しかも俺がそれをコトバでストレートに説明すると「公共良俗にはんする表現やわ~いせつな表現があります」って投稿機能からチェックはいるし、なんでそれなら「ナニもかんがえず在野を鬼とみなしてコロセ、マイケルは鬼ムザンだ」なんてあおってる鬼滅は、野放しなの?ってことです。ケイサツとマスゴミはやりたい放題で、市民にだけ法律とかをまもらせようとしている、向こうはサツジンハンってことですよ。ね。天皇はサツジンしても無罪なわけです。これほんとエル(-_-)弁慶👺{なんでそんなにあからさまに性癖がでてるのに、誰も気づかないふりしてるのかな?そういうプレ~イみたいなものだから、本音では何も正義はなくて、ただS~Mや少女虐~待っぽいマンガをつくらせて、そうした自分らで応援する、イジメ加害者(集団ストーカー)応援行為が、日本政府は好きなだけなんでしょ('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{だから鬼滅もおなじ日本カルトの御都合でつくったいやがらせ神話なのです。つまりファクトを改ざんまたは抹消(ミソギ)することで、スサノオやアマテラスやイザナギイザナミなどの神話とか宗教ができてる側面がありますでしょ。出雲の国ゆずりとかだって、何かたぶん事件があったわけですが、その真相は何重にもミソがれて(浄化されて=ゴタ消し=忘却され=抹消され、抹~殺され)隠されている。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{出雲側なら全員被害者ともいえなかったでしょう。やはり色々派閥とか利権の違いはあったでしょう。で、全体のその時の支配者の都合で神話ができてゆくといえます。押し付けられてる神話もあるわけです(鬼滅ハ~ラスメントの真実は、集団ストーカーのイジメに加担しないと非国民だ、という警~察のテ~ロであり、あとは、為政者がつくった「都合のよい話(神話)の押し付け=キ~メハラ」なわけです。日本の弁護士は低学力で部落利権で性格が悪いだけなのでこういう事はいえません。)小説とおんなじです。小説家や文学程度のヤマザキマリや先崎なんとかや日本の警察は部~落や天~皇家のために神話をつくってるわけだから「ファクトを承認しない」わけです。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{「鬼」というのは「抹消された歴史そのもの(霊=鬼)」、「抹殺され、ころされた事自体かくされてる被害者のタマシイ」の比喩ともなりますから、それで「鬼滅」と同時に「承認要求」とさけび「霊なんかデマだ、統~一は霊~感詐欺だ」とさけび、それでいて「霊を退治しろ(呪術カイセン)」とか「鬼(=霊)を退治しろ」とか、「うっせえわ、わたしが天才だ」とさけんで、狂ってるわけです。本音をいえば、鬼神(魂)や、大スター天才の魂や、反骨の天才在野詩人(ホントの在野=オレ)が怖いわけです。エル(-_-)弁慶👺{なるほど。神話も決して美しい心で率直な比喩として作られたわけじゃなくて、鬼滅みたいな魂胆で、本来なら史実となる事件を承認せず、事実とか実在の人物にあてつけた、神話フィクションの中で抹消する機能をもっていたんだろうね。それでも、柏の葉っぱと関係ある神話や伝説とかをしらべてゆくと、消された問題が見えてきそうだね・・('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{そうですね。神社で礼拝する都度「カシワデ」をうってるわけだし、カシワデのルーツは国ゆずりの自粛(自殺とされたコロシ)の際のコトシロヌシの逆カシワデですし(コトシロヌシが元ネタの、エビスのマークも柏だか蔓柏だかですし)なんかありますエル(-_-)弁慶👺{布置たんが夢でみた「船形麻賀多神社の、仮面の神主」からの「柏の神(カシワ姫)はここともう一か所しか祀られていない。ホントは男神」ってお告げの話は、ほぼ事実と一致していて、感動した!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{布置も以前よりお告げを受ける事がふえてまいりました。エル(-_-)弁慶👺{修行?の成果だね!('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{る・・・そうかもしれません。エル(-_-)弁慶👺{言葉にできない、消された存在が一杯あって、柏のキーワードも、神話や民族的な節句の行事には不自然にちらつくという事なんだね。エル(-_-)弁慶👺{布置たんが、夢のお告げで、そのナゾの昔の神職から、御神体としてチマキをもらったのは、チマキは水中の他の存在に奪われないように、確実に贈られる側にとどけたいプレゼントということだから、布置たんが作家や弁護士から改ざん(なりすまし)されないように、って事なんだろうね。エル(-_-)弁慶👺{そうですね。政府による在野からの(ファクトの)改ざん・盗作・なりすまし・背乗りを防ぐパワーと、消された声を聴く力をさずけてくれたのかもしれません。エル(-_-)弁慶👺{よかった。これからまたわかってきそうだね。('◇')ゞ布置将臣🦅🍃{ならいいね。エル(-_-)弁慶👺{僕らの事に関係あるのか、直接関係ないのかは、まだわからないけど、布置たんを特にえらんで、柏の神に関する秘密を、言葉にならない言葉で伝えようとしてくれたんだね!・・・※コメント中、つづく(コメント中)(コメント中)・・・あとでつづく(コメント中)葉守の神として信仰を集めた紋柏の葉は大きく、縁に沿って丸い大きな鋸歯(のこぎりば)があるのが特徴です。そのため、古代より神に供物を捧げる際の食器として用いられました。『源氏物語』や『枕草子』では、柏の木に宿り樹木を守護する神を「葉守(はもり)の神」と記していることから、柏の木そのものも神聖視されていたことがわかります。家紋としては信仰的な意義で神職の関係者に用いられ、また柏の葉は新芽が出る翌年まで、古い葉が落ちない特性があることから、「代が途切れない」として公家・武家に愛されました。ちなみに柏は七福神の一柱である恵比寿(蛭子)と密接な関係があるといわれています。そのため全国の恵比寿神社では、装飾に柏がよく施されており、また恵比寿の腹部には「蔓柏(つるがしわ)」が高い確率で描かれています。恵比寿を祀神の根源とする神社は諸説ありますが、出雲を発祥とする説が濃厚だと考えられています。出雲系神社や、かつて出雲の神を祀っていたといわれる場所でも柏紋を見つけることができます。柏と出雲を直接結び付ける明確な文献はまだ見つかっていませんが、元々は出雲の象徴の一つであった柏が恵比寿に引き継がれているとも考えられます。https://kamonmuso.com/kamon/kashiwa/いろいろ便利なこのカタラの葉ですが、なんと島根県周辺の地域では柏餅の葉として使われているんです!島根県周辺にお住いの方なら、「え?当り前じゃない?」と思われるかもしれませんが、実はこれ全国的な話ではないんです!ではなぜ柏の葉を使わず、カタラの葉を使うようになったのでしょうか。柏餅と名前がついているのに不思議ですよね?それは…『柏の葉は、西日本には自生していないから』です!西日本では柏の葉がとれなかったため、代わりとしてカタラの葉を使うようになったんですね。https://www.sakaneya.jp/fcblog/71150.html②神話の世界堪能コース - 出雲観光ガイドizumo-kankou.gr.jphttps://www.izumo-kankou.gr.jp › volunteer出雲の国造りを終えた素盞嗚尊が、根の国より柏の葉をとり「吾が神魂はこの柏の葉の止まる処に住まん」と言って投げたところこの美佐伎の「隠ケ丘」に飛んできたと伝え ...端午の節句には粽(ちまき)を食べる。この日に粽を食べるようになったのは、中国・戦国時代の楚(そ)の国の政治家であり、国民的愛国詩人であった屈原(くつげん)の命日、五月五日にまつわる故事が紛れ込んだからである。楚の王族に生まれた屈原は、才能と忠誠心により国王の側近として国政にあずかったが、上官に妬まれて失脚。故郷に帰り、農耕のかたわら憂国の詩を書く。楚に伝わる歌謡をもとに、激励な感情を朗誦する「楚辞」文学の完成者、代表的作家として、中国の人々に熱烈に迎え入れられる。しかし、敵軍の近づくのを噂に知り、放浪の末、長江(揚子江)・汨羅(べきら)の淵に石を抱いて身を投げた。紀元前二七八年五月五日のことである。米を竹の筒に入れたものが楝(おうち)(栴檀(せんだん))の葉で米を包み、五色の糸で縛ったものになり、茅(ちがや)の葉で巻く粽から、現在の笹や葦(あし)、菖蒲で巻く粽となった。端午の節句が日本にもたらされたのは平安時代といわれる。貴族たちの間で、菖蒲を軒に挿し、粽を食べ、蓬で人形をつくったりした。http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/prayer/123.htm天孫降臨神話とその前段階にあたる国譲り神話が記紀神話のやまと言ってよい。国譲りの話は,わが子が葦原中国を統治すべしとの神言をアマテラスが下すところから始まる。次いで地上界の頭目大国主神(おおくにぬしのかみ)に国譲りを約束させ天孫を天降(あまくだ)すまで,あれこれと采配をふるうのもアマテラスである。こうした由縁をもって葦原中国はニニギさらにその子孫によって統治されることになったとしている。天武・持統朝までの天皇や皇子が,記紀歌謡や《万葉集》でしばしば〈高照らす日の御子〉とうたわれるのはそのゆえである。このように展開する記紀神話は,古代国家成立の時点でまとめられた皇室の縁起譚である。天空高く輝く超絶的な太陽を明確に神格化し,祖神として独占すること,それと結びつけて天皇家の始祖の地上界統治の由縁を語ることによって,支配者的地位の神聖性・絶対性の証としようとしたのである。一般に,太陽崇拝は農耕社会に古くからある普遍的な信仰だと考えられがちだが,それはあたらない。たとえば現代なお農耕儀礼が重要な意味をもつ沖縄で,崇拝の対象となるのはもっぱら水の神,山の神である。太陽神は支配者の聖性を誇示するために王と重ね合わされ,独占的に崇拝されていた。太陽の明確な神格化は強力な政治権力の成立と不可分であったらしい。 アマテラスの伊勢遷座の由来は《日本書紀》に語られている。神と人との同殿共床をはばかって宮廷内にまつられていたアマテラスをいったんは倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)にうつしたが,よりよき宮処(みやどころ)を求め,皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が御魂代(みたましろ)(神霊の代りをするもの)となって遍歴した末,大和の東方伊勢度会(わたらい)の地に鎮座させたという。伊勢神宮の成立は,諸豪族中の一氏にすぎなかった天皇家の祖神が国家的最高祖神に転化することを意味した。天皇家と諸氏族の支配服従関係は擬制血縁関係をもって表現されていたからである。伊勢神宮には三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)がまつられている。この鏡は,ニニギ降臨の際,アマテラスが太陽神にふさわしくみずからの御魂代として授けたものである。ヤマトヒメによる伊勢遷座にはふれていない《古事記》では,鏡にかんする話がかたがた神宮起源譚にもなっているらしい。アマテラスの前史--ヒルメところで,この神には前史がある。広大無辺な,政治性をおびたアマテラスという名の神格がいきなり成立したわけではない。この神は《日本書紀》《万葉集》などで〈ヒルメ〉とも呼ばれている。日の妻(め),すなわち日神に仕える巫女の意である。https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=390記紀の編纂者は、穂日家が大国主を夜見の国に追いやった史実を隠すために、大国主と国譲りを結びつけ、神話の物語に書き換えた、と斎木氏は述べます。同じく事代主も、古事記に「八重事代主は、船を傾けて、青柴垣に打ち成して隠れた」と書かれ、あたかも本人が入水自殺したように見せかけています。これにより、穂日家の罪を軽く見せることに成功しました。https://omouhana.com/2018/12/12/%E8%AB%B8%E6%89%8B%E8%88%B9%E7%A5%9E%E4%BA%8B%EF%BC%9A%E5%85%AB%E9%9B%B2%E3%83%8B%E6%95%A3%E3%83%AB%E8%8A%B1%E3%80%80%E7%95%AA%E5%A4%96/この歌については、スサノオの説話と無関係に成立したもの(一般に新婚の夫婦の住まう新居をほめる歌)が、この場面に取り入れられたものとする説があります。しかし、この歌の内容自体は、まず「八雲立つ」と「出雲」をほめ、さらにその枕詞が「八重垣作る その八重垣を」と新妻との新居の宮をほめる言葉を導き出す「八雲立つ」が絹垣・綾垣を連想させたということです。閨(寝室)を区切る絹垣・綾垣のことであるとしています。八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る延喜式の践祚大嘗祭に、「柴で垣を作り、その八重垣を桙(ほこ)で押す」という記述が見えますが、やはりこれはほめ言葉であって、幾重にも廻らせるものではなかったようです。「八重垣作る」はここでは新居を造ることを意味します。上でも触れましたが、この歌はもともとは結婚の際の新居を寿ぐ歌だったものが、このスサノオの物語に取り入れられたものと考えられています。 その八重垣を | 古事記・現代語訳と注釈〜日本神話、神社、古代史、古語 (ys-ray.com)< id="HEADING" class="wVAcr S8" data-test-target="main_h1" style="margin: 12px 0px; padding: 0px; font-size: 24px; font-family: 'Trip Sans VF', 'Trip Sans', Arial, sans-serif;">鳥居の扁額。八重垣とは、クシナダヒメをお守りした垣根が八つあったことからついた名前だそうです。スサノオノミコトが八岐大蛇と戦っている際にクシナダヒメが境内の奥の院に身を隠したとされ、その奥の院には、クシナダヒメが鏡代わりに姿を映したと伝えられる「鏡の池」なる神池があります。 第四帖 (一四一)この神示 ★盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。九月十六日、ひつくのか三。 第五帖 (一四二) 片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥(くたびれ)儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ、神にまつろへと申してあろうがな、臣民の智恵で何出来たか、早う改心せよ。三月三日、五月五日は結構な日ぞ。九月十六日、ひつ九のか三。 第六帖 (一四三) 神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命(いのち)おあづかりしたのざぞ、神の肉体、神の生命 大切せよ。神の国は神の力でないと治まったことないぞ、神第一ぞ、いつまで仏や基(キリスト)や色々なものにこだはってゐるのぞ。出雲の神様 大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて釆たぞ、上下ぐれんぞ。九月十七日、一二の 。ひふみ神示 第05巻 地つ巻 / (九二つまき) (uresi.org)今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしているのだから、この位不忠ふちゅうな事はないぞ、天地の先祖、元の神の天詞(てんし)様が王の王と現われなさるぞ、王の王はタマ(霊)で御現われなされるのだぞ新しき世界には新しきてんし(天詞)天下天詞をこしらえねばならん、このこと間違えるでないぞ、珍らしき御型(お方)が出て来てびっくりじゃ、びっくりしなければヒックリひっくりとはならんぞ神は光ぞと申してあらうが、てん詞様良くなれば皆良くなるのだぞ、てん詞様良くならんうちは誰も良くなりはせんぞ一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にも天詞様二にも天詞様三にも天詞様ぞ天詞様まつれと申してあろが、天津日嗣皇尊大神様あまつひつぎすめらみこととまつり奉れ、奥山には御社みやしろ造っていつき奉れ、皆の家にも祀れ、天津日嗣皇尊弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ、おろがみ奉れ一ひとつの王で治めるぞ、てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現われるぞと申してあろがな、天二てんぷ様のことだぞ日月神示語句選別 てんし様・天詞 (hp-ez.com)出雲国造と「火継ぎ神事」https://jpars.org/journal/database/wp-content/uploads/2019/02/231.pdf瀬織津姫記紀からは消されているこの女神偽書ともされる異端の書『秀真伝(ほつまつたゑ)』では男神・天照大神の后神とされているが、この謎多き女神が最も集中して祀られているのが早池峰−遠野郷である。著者のフィールドワークによると遠野の近郷・東和町の大澤瀧神社では、瀬織津姫が祀られている本殿と対面する巨岩に天照大神が祀られており、二神が一対として祭られていた痕跡が見つけられるという。伊勢神宮の祭祀形態についての考察も優れている。遷宮が始められたのは天武・持統朝であるが、一対で祀られていた天照大神・瀬織津姫を融合して女神・天照大神とすることを目的とした改革であったのではないかという仮説が出されている。東北で家庭に祀られているオシラサマも男女二体で祀られているが、天白神=瀬織津姫はアマテラスの祖型神の一神で、その対なる神として男神・天照大神があり、それがオシラサマ信仰に反映しているというのが著者の仮説である。https://www.amazon.co.jp/review/RFRTTD5L8PU9B尾張めぐり2 津島神社かつては津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)ともいわれ神仏習合によって生まれた日本の神である牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていた尾張の津島神社の祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのお)奇霊(くしみたま)を祀る柏樹社(かしわぎのやしろ)柏樹社はかつて柏宮・柏社といったらしく柏の古木があったことに由来するといいます。https://navihico.com/owari-tsushima/ひふみ神示(日月神示・岡本天明)第一帖 (二七五)てん詞様おろがみてくれよ。てん詞様は神と申して知らしてあろがな、まだ分らんか、地(くに)の神 大切せよと聞かしてあろが、神様にお燈明(あかし)ばかり備へてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ぞと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ、守護神殿 祭りて呉れよ。まつはらねば力現はれぬぞ、守護神殿は拍手四つ打ちておろがめよ、元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか、ひふみ神示 第10巻 水の巻 / (三◎の○キ) 全十七帖 第二帖 (二七六) 第三帖 (二七七) 神の子は神としての自分養ふことも、つとめの一つであるぞ。取違ひすると大層な事になるから、気つけておくぞ。書かしてある御神名は御神体として祭りてもよく、お肌守としてもよいぞ、皆に多く分けてやれよ。御神名いくらでも書かすぞ、その用意しておいてくれよ、神急ぐぞ。ひふみ神示 第24巻 黄金の巻第二十七帖かしはでとカシハデと二つあるぞ。拍手はちかひとチカヒのしるし。手摺(す)るのは願ひのしるし。https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4650196&id=66830666ひふみ神示(日月神示・岡本天明)気の巻 第一帖節分からは手打ちながら、一二三祝詞 宣りてくれよ。★柏手かしわでは元の大神様の全まつたき御おん働きぞ、高皇産霊たかみむすひと神皇産霊かみむすひの御働きぞ気の巻 第二帖尾張の御用、ご苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組み通りになりている、臣民心配するでないぞ。一の宮は桜咲く所へ造れよ、わかりたか、天之日津久神あめのひつくのかみ 奉賛会ほうさんかいでよいぞ気の巻 第五帖キが元ぞと申してあろがな、早う気付かんと間に合わんぞ。この◉は、従う者には穏やかざが、逆らう者には鬼となるのざぞ。三月十日 一二◉気の巻 第十帖◉はいよいよ鬼となって規則通りにビシビシと埒明けるぞ、もう待たれんぞ、どこから何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。気の巻 第十三帖一厘のコト言わねばならず、言うてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んで悟りてくれよ、◉頼むのざぞ。気の巻 第十四帖三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、★五月五日から更に更に厳しくなるから、更に用意してどんなこと起こってもビクともせん様に心しておいてくれよ。九月八日の仕組み、近づいたぞhttps://xn--cest9bq1vj7a.jp/hifumisinji-9/公津原39号墳は、その状況から7世紀になってからの築造に違いなく、伊都許利命の墳墓としては年代が合わないために、「伝」の文字が冠されることとなりました。私見を言わせてもらえば、「伊都許利命墳墓」という呼称はともかく、「初代印波国造の墳墓」という言い方はあながち間違えではないのではないかと思っています。なぜなら、『国造本紀』に崇神天皇や成務天皇、応神天皇の御代などの任命記事が列挙されているものの、それはそのくらい遡る時代に入植したという意識であって、東国における「国造」の存在は早くても6世紀になってからだと言われており、更にもう一つ後の時代に、★少々性格を異にする「国造」という地位があった事がヒントになります。すなわち、律令制施行後に各郡に置かれた主に★祭祀を職務とする「国造」です。律令制施行後の国造ならば、年代は7世紀後半となります。★祭祀を職務とした国造の墓所が、★祭祀対象であった聖地の傍らにあるのは自然なことではないでしょうか?https://iniparu.jimdofree.com/%E5%8D%B0%E6%B3%A2%E5%9B%BD-%E9%81%BA%E8%B7%A1-%E5%8F%A4%E5%A2%B3-%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BB%96/%E5%85%AC%E6%B4%A5%E5%8E%9F39%E5%8F%B7%E5%A2%B3/2010/07/22XMLスサノオがいたという「須賀山」 (2)スサノオといえば・・・出雲神話となりますが・・・ノンノンノン・・・!!スサノオは阿波に住民票(笑)があるのです去年の秋、出雲の「八重垣神社」「須賀神社」をまわりました「忌部」の里の周辺に、これらの神社はありましたhttps://plaza.rakuten.co.jp/sueyasumasa/diary/201007220002/島根半島にある日御碕神社の祭神は、「須佐之男命」と「天照大御神」だが、島根県の八重垣神社の祭神は「須佐之男命」と「稲田姫命」となっており、「クシナダヒメ=アマテラス」と「スサノオ=垂仁天皇」が夫婦だったことを証明している。http://shinsengumi3.seesaa.net/category/8212235-1.html『阿波神社』鎮座地 奈良県生駒郡斑鳩町阿波字宮の森創建 不詳祭神 素盞鳴命古事記では、スサノオはオオゲツヒメと出会っている。オオゲツヒメは『阿波』の別名。つまり、スサノオも阿波にいたのだ。スサノオは、父イザナギに「海原を治めよ」と言われた。古代、阿波の海岸部を中心は『伊津面(イヅモ)』と呼ばれていた。阿波の古代海人族は、この『大倭(オオヤマト)』に移り住み、その土地を、故郷と同じ『阿波』と名付けたのかもしれない。そして、一族の王を祀ったのである。https://ameblo.jp/noginohi107/entry-12817640249.html「草葉の陰」ってどういう意味か説明できますか?https://intojapanwaraku.com › 読み物 › Culture2021/08/24 — 「草葉の陰」は、純粋に草の葉っぱの下、という意味もありますが、草の下=土の中ということから、お墓の下・あの世・黄泉の国を指しています。 つまり、 ...2023/02/03 —▽津島神社 540年の欽明天皇元年の鎮座と伝えられ、1450余年もの歴史を持つ。明治までは、除疫・授福の神である「牛頭天王社」とも呼ばれ、京都・八坂神社と並ぶ天王社として崇敬されている。また、全国に3000以上も点在する津島神社の総本社である。摂社・和御魂社(にぎみたま)、★柏樹社(かしわぎ)などには、★スサノオの荒魂・奇魂・幸魂が祀られ、境内に6座鎮座している。長期的歴史観点で言えば、元々は蘇民将来を祀る「祖民社」だったようだが。。https://note.com/yanma_travel/n/n463fe28e5afe津島神社敷地内にあります。柏樹社、かしわぎのやしろと読みます。須佐之男命(すさのおのみこと)が祭られていると言われてます。https://map.yahoo.co.jp/v2/place/puDZLERmjwo/review隠ヶ丘|スサノオ最期の地?出雲の国造りを終えたスサノオは仰いました。私の魂はこの★柏の葉の泊まるところに住もうそしてその★柏の葉がひらひらと舞い降りた場所が、ここ★隠ヶ丘だっとされています。終焉の地を自ら選んだスサノオ。ちなみにこの時投げられた柏の葉が由来となり、★日御碕神社の御神紋は三つ葉柏★となりました。ところが、出雲にはスサノオの最期を記した地が2つあるのです。その一つがこの隠ヶ丘であり、もう一つは須佐神社です。須佐神社についてはこちらに詳しく記載しています。そういえば★須佐神社の御神紋も三つ葉柏★です。。https://izumo-enmusubi.com/entry/kakuregaoka/落葉の槇(おちばのまき)須佐之男命の妃姫である稲田姫が誕生山で御子を御産みになった時、産具を★柏の葉で包み、それを松葉で縫って川に流され、それが流れ着いたところに繁茂して今日に至る。今でも柏の葉の縁に松場で刺したような穴がある。須佐之男命のご神紋といえば二重亀甲蔓柏紋(にじゅうきっこうつるかしわ)ですが、この七不思議のうち「落葉の槇」が由来しているのでしょう。柏の葉というのは古代では食器代わりに使われ、食べ物を乗せる、あるいは神にささげる神饌を乗せたのです。このことから柏の葉は食べ物の象徴、命の象徴https://izumo-enmusubi.com/entry/susa-jinjya/ これによれば 古代中国において社稷や宗廟には樹木が必要であり、その樹木には「松柏」などが多用され、また墓地に「松柏」を植えることはこれを鬼神の廷府とみなし、祖先神のよりどころとすることであった。・「後彫(凋)」と「枯れてもすぐに落葉せず、枝についたまま冬を越す」という点・神聖視された樹であるという点・「椒柏酒」と「御酒柏」など、酒とのつながりがあるという点・「門閭を守る」と「葉守の神」など、なにかを守ってくれると考えられていたという点 このような類似点をもつことから、実物を見ることのできない大半の日本人が「柏」と「カシハ」を結びつけてしまったのではないだろうか。 中国において「柏」は4のように「後彫」であり、12から14のように廟前や墓前に植える神聖な樹であった。https://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/98nagaoka.html国譲りを出雲の大国主神に迫ったところ、息子の事代主神に判断をゆだねているという。再度、事代主神に国譲りを迫ると、国を譲る事を了解したという。しかしその後、すぐに船を踏んで傾け、天の逆手(アマノサカテ)を打って、船を青柴垣に変えて、そこに篭もったという。この天の逆手(アマノサカテ)が呪いの柏手といわれている。大和が無理やり国譲りを迫った。勢力的に不利な事代主神は、しょうがなく了承したが、その悔しさのあまり、呪いの柏手を打って、自殺したと解釈している人が多い。事代主神は大陸側に向けて、手のひらを下に向けて(あるいは手の甲にして)拍手を打った。そして大和の伊勢神宮はその倍の八回の柏手を打ち、それに答えたのだ。https://artworks-inter.net/ebook/?p=2792島根県・出雲大社の4拍手の理由と4つの鳥居の秘められた ...jinja-tera-gosyuin-meguri.comhttps://出雲大社-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com › ...実は出雲大社では8拍手をするのが正式のようで、「5月14日の例祭(大祭礼)」の時には「2礼8拍手1礼」をしています。御身の体毛から様々な樹木をお生みになりました。そして「木々よ、育て、育て。スギとクスノキで船を作ろう。ヒノキは家に使おう。マキは大事な人が亡くなった時の棺にしよう」とおっしゃったのです。こうやって生まれた数多の樹木の種を、スサノオノミコトの子である、五十猛命(イタケルノミコト)と大屋津姫命(オオヤツヒメノミコト)、枛津姫命(ツマツヒメノミコト)の三柱の神が全国に植えていかれました。スサノオノミコトは日本の樹木をお生みになった神であり、樹木の使い方を示してくださった神なのです。https://note.com/ichinomiyahikawa/n/n14b083e10cac青柏祭|イベント|【公式】石川県の観光/旅行サイト ...石川県観光公式サイトhttps://www.hot-ishikawa.jp › event › detail_5674七尾市の大地主神社(山王神社)の春祭り。神饌を青い柏(カシワ)の葉に盛ってそなえる儀式からこの名がつきました。能登で最も盛大な祭礼で、ユネスコ無形文化遺産に ...柏木(かしわぎ) とは? 意味・読み方・使い方 - 国語辞書goo辞書https://dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書1 カシワの木。2 《カシワの木に葉守の神が宿るという伝承から》皇居警備の任に当たる兵衛 (ひょうえ) または衛門 (えもん) の異称。>... 葉守(はもり)」は樹木の葉っぱを守る神様>『大和物語』柏木に 葉守の神の ましけるを 知らでぞ折りし 祟りなさるな柏: 剛毅朴訥仁に近し柏木は葉守の神が宿るという伝説から、皇居を守る兵衛、および衛門、 の意でもある(岩波古語辞典)。「葉守の神」とは、 ★樹木を守護すると云ふ神、 であるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/474516605.html?1586545258「青柏祭」毎年五月に石川県七尾市で行われる「青柏祭」。大地主神社の祭礼で巨大な曳山を曳くことで有名です。この祭りは人身御供を要求する猿神を狼のシュケンが退治したことに由来すると伝えられています。 大地主神社はもとは山王社と呼ばれ大山咋命を祭神とし、その総本社が大津の日吉大社です。その日吉大社では猿は神の使いとして魔除けの象徴としています。ところが七尾の山王社ではその猿が邪神として退治されて祀られているのです。 一方、猿神を退治し人々を救った狼シュケンは祀られてはいません。これはどういうことでしょう。 比叡山山王総本宮の日吉大社では猿は神の使いであり、神猿と書いてマサルと呼び「魔去る」「勝る」に通じるとして魔除けの象徴としています。 一方、七尾の日吉山王社ではその猿が人身御供を求める邪神となり犬(狼)に退治されて命を落とします。 ある種の神殺しとも言える矛盾ですが、ここに御霊信仰の「祟り神を手厚く祀り守護神とする」思考が取り込まれることで「祭祀対象としての猿神」という関係を保ったまま猿神退治説話との融合が可能になります。 https://decencies.jimdofree.com/home/%E5%82%99%E5%BF%98%E8%81%9E%E9%9B%86/%E7%8C%BF%E3%81%A8%E6%9B%B3%E5%B1%B1%E3%81%AE%E9%9D%92%E6%9F%8F%E7%A5%AD%E8%80%83/今年2023年は七尾市の青柏祭が4年ぶりに通常開催された。またアニメ「君は放課後インソムニア」が放送開始された年いやぁ、これぞ祭りって感じがする。戻ってきたのだ、通常開催の青柏祭が。https://www.seisyunsanka.com/entry/2023/05/21/202850七尾市の大地主神社(山王神社)の春祭り。神饌を青い柏(カシワ)の葉に盛ってそなえる儀式からこの名がつきました。能登で最も盛大な祭礼で、ユネスコ無形文化遺産にも認定されています。「でか山」と呼ばれる曳山https://www.hot-ishikawa.jp/event/detail_5674.html青柏祭、でか山巡行中止 道破損、組み立て危険〈1.1大震災〉2024/2/15 05:00(ユネスコ)の無形文化遺産に登録され、七尾市中心部で5月に行われる「青柏祭(せいはくさい)の曳山行事」が、能登半島地震の影響で中止となることが14日、分かった。高さ12メートル、重さ20トンの「でか山」と呼ばれる巨大な山車が街中を練り歩く青柏祭の目玉の一つだが、道が破損していることや組み立て時に安全が確保できないことを理由に神事のみを執り行う。https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1317842「松柏」の常緑の性質と矛盾しているようにおもわれるが、これを文意に沿って訳せば「松柏のような忠良の臣も害されてしまった」という悲嘆の言葉となる。「松柏」は常緑樹の代表であるというイメージから、節度の堅さや立派な人物のたとえとしても通用するようにとその持つイメージの幅を広げているのである。 これによれば 古代中国において社稷や宗廟には樹木が必要であり、その樹木には「松柏」などが多用され、また墓地に「松柏」を植えることはこれを鬼神の廷府とみなし、祖先神のよりどころとすることであった。では何故、その重要な樹に「松柏」が選ばれたのだろうか。それはやはり、これまでみてきたように、常緑で冬にも枯れないという永遠性・不変性、繁栄の象徴としての面や神秘性などが尊ばれたからではないだろうか。12は古墓が耕され、墓辺に植えられた「松柏」の樹が伐り倒されて薪となってしまったことを嘆いているのであるが、その「松柏」が永遠性や繁栄を表すものであるが故にその悲しみは増幅されるのである。 ところで、ここまで見てきて気になるのは「柏」単独の用例よりも「松柏」と連称したり、対にして用いる例が多数を占めている点である。初めは「松」と「柏」というそれぞれの樹木の具体的なイメージがあって「松柏」と連称したのかもしれないが、「松柏」として多用されるようになると、典故の踏襲を文学の正統とする中国では「松柏」と連称することが当然となっていったのだろう。とともに「松」「柏」それぞれの個性と具体性は薄れ、「松柏」として定着した語も、いくつかの決まったイメージを長期に渡り踏襲され続けることで形骸化し、観念的な存在になっていかざるを得ない。この点は日本人が中国文化を受容していく過程にも影響を与えているとおもわれるが、それは後ほど述べることにする。 15は「柏」の材が椁(棺の外側を覆う枠)に用いられたことを表している。その材質はおそらく、丈夫で狂いが出にくく細工がしやすい、また材に良い香りがあり、かつ腐敗しにくいという特徴を持っていたのではないかとおもわれる。 そして、忘れてはならないのが「柏」の薬としての用途である。第三節 日本古典における「柏」・「カシハ」 まず、『万葉集』中の「柏」及び「カシハ」の例を拾ってみよう。 86柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむもかしこし。兵衛の督、佐、尉など言ふもをかし(『枕草子』三十八段)[83] 以上これまでの用例を見てくると、「カシハ」は、葉が大きく美しいという点と枯れてもすぐに落葉しないという点から特別な樹木として認識された、と考えられる。少なくとも平安時代には、「カシハ」の葉には「葉守の神」が宿っている、とする考えが貴族階級に広く普及していた、といえるようである。そのため、上世においては酒食器として用い、土器などが普及した後も神事の用具としては「カシハ」を用いたのである。・「後彫(凋)」と「枯れてもすぐに落葉せず、枝についたまま冬を越す」という点・神聖視された樹であるという点・「椒柏酒」と「御酒柏」など、酒とのつながりがあるという点・「門閭を守る」と「葉守の神」など、なにかを守ってくれると考えられていたという点 このような類似点をもつことから、実物を見ることのできない大半の日本人が「柏」と「カシハ」を結びつけてしまったのではないだろうか。 中国において「柏」は4のように「後彫」であり、12から14のように廟前や墓前に植える神聖な樹であった。『史記』亀策伝には「松柏為百木之長、守門閭」ともいう[26]。さらには邪気をはらう習慣として椒柏酒を飲むこともあった。 対して、日本の「カシハ」は葉が大きく美しいことから酒食器として用いられ、土器が普及した後も祭祀の時などには酒食器として使用された。また、枯れてもすぐに落葉しないという点から、葉守の神に守られた樹であると考えられた。この葉守の神は、葉以外のものも守ってくれると信じられていたようでもある。https://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/98nagaoka.html枚岡神社の神前には幹回り6,5mの柏槙(びゃくしん)があります。カンヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が日本の平国(建国)を祈念して、枚岡山の山頂、神津嶽に天児屋根命をお祀りした際に、柏槙をお手植えされました。白雉元年(650)に麓に御殿を建てた際、この柏槙の枝を神前に挿し木した、と伝えられています。かつてこの柏槙は樹高が20余mあり、当社の歴史を物語るご神木として、氏子の人々から信仰され、親しまれてきました。昭和13年には大阪府の天然記念物に指定されましたが、昭和36年の第2室戸台風の被害にあって、今は地上3mの幹しか残っていない状態で、真に残念な限りです。佐賀市諸富町の新北神社に、徐福がお手植えされたといわれる、樹齢2200年の立派なご神木の柏槙があります。http://www.hiraoka-jinja.org/greeting/archives2017.html鬼の日本史沢史生彩流社 1990スサノオから牛頭天王まで、稗田阿礼から斎部広成まで、出雲神話からエミシ伝説まで、ワダツミ神から鍛冶神まで、一つ目小僧から酒呑童子まで、★歪曲と誇張の裡に放置されてきた“鬼”たちが、斉しくアウトサイダーの刻印をもって扱われる。これは負の壮観だ。~国津神の一族には服属をした者たちもいたし、抵抗した者たちもいた。また天津神に組み込まれた者たちも少なくない。そのような宥和服属の関係が、主に記紀神話に記された物語になっている。 けれども、★服属できず、★また抵抗した者たちの物語は、★徹底的に貶められ、★換骨奪胎されて、地方に流された者の物語に、あるいは山中に押し込められた者の物語になっていった。これらが本書でいう★「鬼」の物語の主人公なのだ。 他方、国の歴史は子孫を誰がつくるかという歴史でもあるわけだね。そこには女性たち、母になる者たちの歴史が加わった。娘媽神も弁天もミヅハノメもコノハナサクヤヒメの物語も、そのような婚姻の事情がどのようであったかを物語っていた。 ★婚姻し、子孫を生めば、★たいていのばあいはそこで名前がすげ替えられた。オオヤマツミの子供たちがいくつもの名の娘になっているのは、このためだ。記紀や風土記で名前や係累が異なっているなんてのは、当然のことなのだ。★★日本人は優美なところも残虐なところもあるけれど、★★事実を徹底的にリアルに記録するという能力には残念ながら欠けていた。 日本神話の中核部分の原型は、ことごとく海にまつわっていたんだねえ。そのこと自体は驚くべきことではないだろう。 それよりも、そのような★原型の物語はつねに改竄され、奪われ(※「パクられ」)、変更され、失われてきたわけだ。その後も神仏習合や本地垂迹をうけるなかで、大半の“流され王”たちが★まったく別の様相のなかに押し込められ、ときに★悪鬼や悪霊のような扱いとなったということに、驚くべきなんだろう。そのうえ、★そのような変遷の大半を★われわれは看過したり軽視したり、また侮蔑するようになってしまったわけだ。これは悲しいね。ぼくも、そのようなことについて『フラジャイル』のなかで「欠けた王」などとして、また『日本流』では負の童謡として、『山水思想』では負の山水として、さらに「千夜千冊」では数々の負の装置として、いろいろ持ち出している。★けれども、ぼくが予想しているのとは程遠いくらい、こういう話には★反響がない。寂しいというよりも、これはこういう話には★日本人が感応できなくなっているのかと思いたくなるほどだ。 あのね、話というのは、そもそもそこに凹んだところと尖ったところがあるんだね。尖ったところは、どちらかといえば才能がほとばしったところか、さもなくば我田引水なんだ。 だからこそ絶対に逃してはいけない大事なところは、凹んだところなんですね。そこは痛切というものなのだ。★その痛切を語ってあげないと、歴史や人間のことは伝わらない。なぜなら、その痛切は我田からではなく、他田から引かれてきた水であり、そこに浮かんだ舟のことなのだ。その舟には自分は乗ってはいないで、誰かが乗っている。それが弁天だったり淡島だったり、ミヅハノメだったり百太夫だったりするわけだ。つまり知らない人たちなのだ。 だからそこには、ぼんやりとした灯りがふうーっと流れるだけなのだ。★それが流し雛であって、精霊流しなんだね。 さあ、見えてきましたか。★鬼というのは、このように★語られなくなった者たちの総称のことだったわけだ。★異様異体の外見を(※物語の中で)与えられ、★申し開きができない歴史に閉じ込められた者たちのことなんである。 えっ、だから、ほら、語りえないものは示しえない、ということだっけ。戦艦大和はどう沈んでいったっけ。★葉隠って、どの葉に隠れることだっけ。https://1000ya.isis.ne.jp/0834.html例えば千葉いすみ市の「日月神社」では、大日霎貴命おおひるめむちのみことと月夜見命mつくよみのみことを祀っています。オオヒルメムチは日本書紀における最初の太陽神の名前(アマテラスは一書で別名とされる)。ちなみにこの時生まれたのは「月神」(一書で月夜見尊とされる)です。元の意味が“天の日と月の神社”だとすれば、「太陽には烏、月には兎」という中国よりの伝承の伝播が古くからありましたので、何らかの神兎との接点があったかもしれません。千葉のいくつかの神社で行われている射日神事(おびしゃ)においては、日と月を矢で打つ神事が伝わっています。稚日女尊は、アマテラスの妹とも娘とも言われており、その字から、まだ幼い太陽の神であることが伺えます。先述の大日霎貴命おおひるめむちのみことやアマテラスは、現在の太陽の神ですが、稚日女尊は“別に存在した”太陽の神ともとれます。ここでふと、先述の射日神事の元となる中国の射日神話を思い出しました。かつて世界には多くの太陽(7個,10個,12個など伝承によって異なります)が存在し、地上が熱くなり作物が実らずにいました。それを英雄が撃ち落とし、現在の1つにしたというもの。伝承によっては最後の1つの太陽が隠れてしまい今度は夜が続いたので、鳥の鳴き声や踊りによって復活させるというエピソードも伴います。これは実は天岩戸神話と源を一つにするものとして考えられています。ヤマトタケルが埋め伊都許利命が掘った7つの「玉」が、何を意味するのかを考えた時、ひょっとしてそれは「多過ぎた太陽」という可能性はないでしょうか。https://www.shintoken.jp/kenkyu/2019/07/makata/賀志波比売大神の神名は「古事記」等に書かれていませんが、伊邪那岐命がこの地で禊ぎ祓いをして天照大御神が生まれたと「古事記」に記されていることから、天照大御神の幼名は賀志波比売大神であったと考えられます。光輝く天照大御神と月読命は、高天原(神山町)へ巫女として送られました。賀志波比売神社は、平安時代(九二七年)に完成した延喜式神名帳の中に記録された三一三二座の由緒ある延喜式内社の一社です。現在、賀志波比売大神は津峰山頂にある津峯神社に奉斎されています。御神紋は八角形(三方)です。神様に御供えする際に使われる「三方」は、古くは柏の葉(ひらで)が用いられ、現在も皇室では使用されております。また、「柏」は「柏手を打つ」というように神事と深い関わりをもっているのです。」名前が、「柏」ですよね。たしかに、神様にお供えするのに、お皿の代わりに敷いたりしますよね。柏餅もそうですね。https://note.com/kyokannazuki21/n/n9aacaddf7f10G 日御碕神社(出雲市大社町日御碕)出雲の国造りを終えたスサノオは、根の國の熊成る峰(熊野大社の南東3㎞にある天狗山)から柏の葉を投げて自らの魂を鎮める場所を占いました。その葉の落ちた場所が日御碕の「隠ヶ丘」で、その前にスサノオを祀る神の宮を建てたそうです。日沈宮は、アマテラスの「伊勢大神宮は昼の守り」「出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て、夜を守る」との神託をを受けて建てられたそうです。https://www.hotel-nagata.co.jp/2012/01/02/5613麻賀多神社は古代氏族の多氏(=おおし、意富、大とも書く)によって創建されたとする説があるのですが、G氏によると、徳島の吉野川北岸は、元々多氏が支配していた痕跡が色濃く残っているとかで、大麻比古神社と麻賀多神社が同じ麻紋を使用するのは、両者が元々同族であったからだと言えなくもありません。考えてみたら、千葉県南部は「安房」(あわ)と呼ばれ、徳島はと言えば、「阿波踊り」で有名な「あわ」の地です。ここで、ぼんやりとではあっても、どうやら千葉と徳島との関係はかなり深そうだということが分かってきたのですが、果たして猿田彦はそこにどう関わってくるのでしょうか?また、まあかたが渦海であったというのは日月神示にしか見られない記述ですが、香取海の奥行は広く、湾口付近とは大きな干満差が生じただろうと予想されます。すると、口の狭まった地形の場所では、時刻によっては海流が速まり、渦潮が発生していた可能性もあっただろうと予想されます。私は、多氏は渦の発生する場所を選んで、徳島から千葉、あるいは千葉から徳島へと移動したのではないかと予想を立てています。何故なら、渦そのものが、大きな自然エネルギーの象徴であると、古代の人々は考えていたかもしれないからです。https://maakata.holy.jp/2020/08/14/1344/印旛国造・伊都許利命(いつこり)というのは、古事記表記の伊斯許理度売命(イシコリドメ)をもじった存在とおもえならない…。いつの頃かは不明であるが、神八井耳8世孫というのはおそらく仮冒。玉と鏡を祀る氏族の正当性を訴え、鏡神イシコリドメをもじってイツコリを名乗ったのではないだろうか?。https://www.sekihotu.com/entry/2020/10/10/192526これは、成田国際空港を中心に空輸が行われている現在の姿と似ているとも言えます。そして、そのような土地にはおそらく宮が置かれ、どういう習俗かは不明なものの、都(みやこ)と呼ぶに相応しい古代都市がそこに広がっていただろうと想像されるのです。ここで現代の成田を振り返ってみましょう ・真言宗の大寺、成田山新勝寺がある ・江戸時代は軍馬の生産地であった ・明治期以降、御料牧場が置かれていた ・731部隊の前身となる賀茂村があった ・空港用地買収に関わる三里塚闘争の長期化 ・123便の残骸が一時的に成田空港に運ばれ保管された他にもあるのですが、これだけ見ても、一癖も二癖もある土地柄であることが見えてきます。成田に関しては、私も123便事件の調査関係で、成田公安に執拗に追いかけられたことがあり、成田の地には国家的な何か大きな隠し事があるのだろうと、ずっと思っていました。それが、今回の古代期におけるキーワードとどう関わるのか?実は私なりに一つの答に辿り着いたのですが、それについては、明日配信のメルマガで先行してお知らせしたいと思います。事前に予告するなら、これこそが日本国の成立過程において決定的な事実であり、また123便事件を生み出した核心的事由であると、私は考えています。隠された祭神と成田2020年9月30日By adoi 高天原と日高見国これまで、「麻賀多神社」をキーワードに、同社が点在する千葉県の北総地域について調べてきました。 ・麻賀多神社と高天原 ・麻賀多神社と高天原(2)また、同じ北総地域の話題として、神話に記された神、猿田彦(さるたひこ)が関連していることも既にお伝えしています。 ・天孫降臨とミヲの猿田彦 ・椿海とミヲの猿田彦 ・麻賀多神社と猿田彦https://maakata.holy.jp/2020/09/30/1406/ここに、なんか岩の墓があるんだが、変わってるのは五角形なのです。従来は、卑弥呼または天照大神の墓を想定されていたのだが。しかし、五角形は「男性の神様の印」なんだって。私は「ひふみ」とはまさしく「秘文」で、それは何かの「啓示」を表しており、35年前の123便事件(ひふみ)とはまさに「この世に体現された啓示」を意味しているのではないかと思っているのです。見方によっては、麻賀多神社群の一族(多氏?)こそが、香取海内海の集落群と外洋を結ぶ最も要の場所を押さえていたとも言えるのです。■隠された高天原(たかあまはら)今回はスピリチュアル的な話は一切抑えて、観測できる事実から麻賀多神社の周辺状況を整理してみたのですが、そこから見えてくるのは、香取海の恵みに支えられた豊かな古代社会の姿なのです。しかし不思議なのは、中世頃まで存在し、関東人の生活と社会を支えたはずの香取海なのに、日本史の教科書における関東の記述、例えば次のような事項に、香取海が触れられることはないのです。 ・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 ・平将門の乱 ・鎌倉幕府と東北を巡る役、そして、香取海だけでなく椿海も、江戸幕府による大規模な治水工事と干拓政策により、ほとんど元の姿を残さず消滅してしまったのです。本当に食糧増産が目的なら、江戸から離れた香取海や椿海ではなく、東京湾を干拓すればよいのに。まるで、何かを歴史から消しさらなければならないかのように、江戸幕府は香取海を埋め尽くし、現在の歴史教科書はそれが初めからなかったかのように触れようとはしない。私は、日本書紀・古事記が編纂された目的自体が日本古代史の改ざん及び抹殺であると見ていますが。西暦700年代に始まった歴史改ざんプロジェクトは今でも有効であり、江戸時代を経てそれが現在でも続いているのだとすれば、本当に残念なことです。では、その改ざんプロジェクトはいったい何を日本の歴史から消し去ろうとしているのか?麻賀多は「まあかた」と読むことを思い出してください。逆さ読みが「事実の裏返し」を意味しているのなら、その答は簡単です。 高天・原(たかあま・はら)そう、曖昧なまま神話の世界に貶めようとした、麻賀多神社の周辺に実在していただろう高天原(たかあまはら)の存在こそが、この国のもっとも忌むべき時代と見なされている、そう考えられるのです。しつこいようですが、123便事件もおそらくその一件に関わっているようなのです。なぜ日月神示が麻賀多神社に降りたのか?パワーやおかげを求めるフワフワしたスピリチュアルも結構ですが、たまには出来事の背景と真意を探く考えてみては如何でしょうか?画像6田中英道 (著):同じような主張の方がいらっしゃるようですhttps://maakata.holy.jp/2020/08/31/1376/高天原は関東にあった 日本神話と考古学を再考する 単行本 – 2017/7/24田中英道 (著)3. 記紀で人の集団が天から降りてくるという(現在の感覚では)荒唐無稽な話が、関東地方の「高天原」から渡ってきたというのであれば、頷ける話です。日本人というのは、とんでもないフィクションを書き残さ無いように思います。https://www.amazon.co.jp/%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%8E%9F%E3%81%AF%E9%96%A2%E6%9D%B1%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%82%92%E5%86%8D%E8%80%83%E3%81%99%E3%82%8B-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%8B%B1%E9%81%93/dp/4585221832「たかま」の逆読みは「まかた」ですから、より麻賀多(まかた)神社との関係性が感じられます。思うに、古代は「ま」を「まー」と長音で発音していたのかもしれません(「まーかた」→「まあかた」)。むしろ気になるのは、どうしてこれを今様に「たかまがはら」などと発声するようになったかです。私は、その高天原は、現在の千葉県・茨城県に跨る旧香取海の沿岸地域に存在していたのではないかと予想していますが、どちらかというと、場所の特定よりも、どうして高天原の記憶が史実から消されてしまったのか、記紀における上代史の神話化と同様に、そちらの方が気になるのです。https://maakata.holy.jp/2020/09/15/1388/2010-12-11日本社会では、言っていること=認識理由(定義)は滅茶苦茶立派で、やっていること=実在理由(原因)は最悪だと思っていれば間違いは無い。こういうどうしようもない社会に参画するだけすでに負けだよ。x-front 13年前https://x-front.hatenadiary.org/entry/20101211/p4三流政治を隠蔽して何ら苦痛に感じないのは、無学で白紙脳で見栄の塊の日本ザルのなせるわざなり。神道よろしくものを隠し(これを本質としながら、定義上「犯人隠匿罪」を処罰したりするのだ)・・・x-front 13年前 読者になるhttps://x-front.hatenadiary.org/entry/20101211/p5賀志波比売命が天照大神の幼名かどうかはともかく、伊邪那岐命が禊祓いをした場所を日本書紀の一書が「阿波の・・・」と記していることは事実です。★★ここまではっきりと書かれているのに話題にならないのも不思議なことです。https://kohun-jinjya.blog/kashiwahime/この賀志波比売命という女神がどなたのことなのか?は不確定であり、現在までにおよそ三つの説があります。その壱 天照大御神史料としては上記画像『神祇全書 第5輯』明治41(1908)年刊に収録の「阿波式内神社考」長谷川貞彦(文化文政年間・1804年~1830年ころの人)に「祭神 天照皇大神ㇳ云う」とあり、主語がありませんが、おそらく江戸時代の宮司か土地の人は、賀志波比売を天照大御神と認識していたようです。その弐 夏之売命(夏高津日神) ※羽山戸神と大宣都比売の娘その参 石長比売命https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/2023/05/22/18202510 か月前この世の高天ヶ原は阿波だったで良いのではないですかね忌部氏は何故歴史の表舞台から隠れたのか隠されたのかhttps://www.youtube.com/watch?v=d1Chl-dYSS0八倉比売神社【やくらひめじんじゃ】正式名称は、天石門別八倉比売神社。祭神は大日霊命(おおひるめのみこと)、即ち天照大神である。そしてこの神社の古文書には、天照大神の葬儀の詳細が記されており、おそらく八倉比売とは天照大神の別称ではないかと推察される。また八倉比売神社は延喜式において明神大社として挙げられており、さらに言えば、延久2年(1070年)の太政官符には「八倉比売神の祈年月次祭は邦国の大典なり」と明記し、奉幣を怠った阿波国司を叱責している。時の朝廷にとっても非常に重要な神社であることがうかがえる内容である。そして、この地は阿波国の国府が置かれた場所であると同時に、縄文期から古墳時代にかけての遺跡も多く残されている(このエリア一帯が阿波史跡公園として整備されており、神社もその公園の中にある)。八倉比売神社の御神体は鎮座している杉尾山であるとされているが、この山を含む気延山一帯には約200もの古墳が存在している。実は、八倉比売神社も古墳の上に建てられており、前方後円墳の前部分に社殿が、そして後ろにあたる円墳部分は奥の院となっている。この奥の院には、五角形の石積みの祭壇が置かれ、その上には“つるぎ石”と呼ばれる石が収められた祠がある。この祭壇は一説によると“卑弥呼の墓”であり、この阿波一帯こそが邪馬台国であると言われている。真偽はともかく、この青石で造られた祭壇の異質ぶりは一見の価値があるだろう。https://japanmystery.com/tokusima/yakurahime.html石工の秘儀には「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフェルの力は彼のものと成る」とある。此の「ルシフェル」とは、光の天使の意味であり、其の力とは「宇宙に渦巻く力」であり、時間・トキの事象である「螺旋・うずまさ(渦定・ただしくおさまるうずまき)」を司る事であるのだろう。其れを考えると、阿波忌部の働きは石英・水晶が含まれている「神憑り石」に、「すめらのみこと」神霊を憑依させて、「天皇・すめみま」の住居に祭祀させ、移住地を拡大する事にあった事が見えてくる。阿波忌部が開いて行った土地には、五角形の石碑が建てられ、五角形の井戸が掘られている。石工の秘儀には「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフェルの力は彼のものと成る」とある。此の「ルシフェル」とは、光の天使の意味であり、其の力とは「宇宙に渦巻く力」であり、時間・トキの事象である「螺旋・うずまさ(渦定・ただしくおさまるうずまき)」を司る事であるのだろう。其れを考えると、阿波忌部の働きは石英・水晶が含まれている「神憑り石」に、「すめらのみこと」神霊を憑依させて、「天皇・すめみま」の住居に祭祀させ、移住地を拡大する事にあった事が見えてくる。阿波忌部が開いて行った土地には、五角形の石碑が建てられ、五角形の井戸が掘られている。昨日は、「富士の仕組み」として、文章を書いたが、「日月神示」には「富士の仕組み」と「鳴門の仕組み」と有る。富士の仕組みとは、日本から新しく起きる政治的な仕組みの事である。其れに対して、「鳴門の仕組み」とは何であろうか。「鳴門」は、阿波徳島の海峡の呼び名であり、渦潮で有名である。其れを考えると、「鳴門の仕組み」とは阿波徳島から起きる「渦・うず」を意味しているのではないだろうか。そして、其の意識は、徳島に祀られている「賀志波比売・柏姫・かしわひめ」の様な気がした。徳島県の阿南市見能林町青木に有る「賀志波比売神社・かしわひめじんじゃ」と、津森山の「津森神社」に祀られている「賀志波比売」は、天照神とされている。「賀志波比売神社」其の、賀志波比売の「神・はたらき」の名が「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」で、徳島市国府町に有る「阿波一宮」に祀られている。http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53783512.htmlこの神示が降ろされた神社は、僕が住んでいる千葉県にあります。千葉県成田市台方にある麻賀多神社がその神がかりの舞台となりました。1944年、画家である岡本天明は麻賀多神社の境内末社である天之日津久神社を参拝します。しかしその直後、右腕に激痛が走ります。直感的に何かを感じた天明は急いで筆と紙を取り出します。ここから全38巻+補巻におよぶ壮大な自動書記が始まったのです。まずは神社の様子から見てみましょう。屋根に配される神紋は麻ですね。神社名にも麻をという字が使われます。そしてここは阿波忌部が築いた総の国。つまり阿波忌部の神社です。そもそも古代は麻賀多神社がある一帯を印波国(いんばのくに)と呼んでいました。印波とは、みなさんお察しの通り、忌部でしょう。麻賀多神社が印旛沼周辺にしか存在しないのも、印旛沼が忌部の沼であったことからくるものでしょう。次に社伝を見てみましょう。今から千七百年余前、印波国造であった伊都許利(イツコリ)が、現在の地に麻賀多神社大神として崇めたとあります。伊都許利は神八井耳の子孫なので多氏の人間ですね。鹿島神宮も元は多氏が祀っていましたから、鹿嶋からほど近いこの地域にも多氏は影響力を持っていたのでしょう。もともと阿波忌部が祀っていた場所に、あとから多氏が入ってきた感じでしょうか?では次に御祭神です。主祭神はワクムスビ。養蚕と食物の神。トヨウケの父ですね。代表的な御食津神です。もともと阿波忌部の神社でのちに多氏が来て祭神がワクムスビという御食津神ですから、祭神は変えられている可能性がありますね。阿波忌部が御食津神を祀るとすれば、それはオオゲツヒメになるでしょうから。千葉県袖ケ浦市神納に率土神社(そっとじんじゃ)という神社があります。主祭神は埴安姫です。祭神埴安姫は天竺(インド)摩伽陀(マガダ)国盤古帝の后であったが、盤古帝の悪政によって国が乱れ、人民に国を追われて七人の王子と家臣、大朝臣清麻呂と共に、養老二年(718)に日本に漂着した。マガダ国は古代インド、ガンジス川の下流域に存在した国家です。率土神社の縁起では、この国の妃が千葉の地にやってきたと伝えています。ただ縁起に書かれる718年にマガダ国は存在しておらず、その時代にインドからお姫様が亡命してきた歴史も正史には残っていないので、おそらく地元に残る古い言い伝えの年代を変えて、神社の縁起としたのでしょう。僕はこのマガダ国のお姫様、実際に千葉に来ていると思います。ここでもう一度麻賀多神社の社伝に戻っていただきたいのですが、神社を造営した伊都許利は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それをご神体としてワクムスビと一緒に併せ祀りました。マガダ国のお姫様は7人の王子と共に日本に漂着します。率土神社は彼女のことを埴安姫と伝えます。埴安姫は日本書紀で埴山姫と記され、カグツチと結婚します。そして二人の間に生まれた子供がワクムスビなのです。ワクムスビとは麻賀多神社の主祭神ですね。つまり率土神社の縁起は麻賀多神社の社伝のエピソードゼロとなる内容なのです。おそらく千葉の袖ヶ浦にやって来たマガダ国の姫君が半島をのぼり、成田までやって来て印旛沼周辺に居を構えたのではないでしょうか。いつ頃の話なのかはわかりませんが、マガダ国の存在時期を考慮すると紀元前の話と推定されます。そしてこのインドからやって来たマガダ国の一団が阿波忌部と交わり、その地が麻賀多(まかた)神社として現在まで残っていると考察します。さて、話は変わりますが千葉県は関東地方でも特に出羽三山信仰の厚い地域となっております。東北から遠く離れた地域でありながら、房総半島西部には今でも三山信仰にかかわる行事がさかんに行われている地域があります。僕は千葉県北西部に住んでいますが、近所の神社では出羽三山を合祀しているところが非常に多く、こんな遠く離れた場所になぜ?と以前から不思議に思っていました。出羽三山信仰とは崇峻天皇の息子、蜂子皇子が593年に出羽国で開山した3つの山「羽黒山・月山・湯殿山」を信仰する山岳信仰です。もともとあった日本古来の自然崇拝の山岳信仰に、仏教・道教・儒教などが習合し成立した修験道の聖地です。明治政府による神仏分離政策の影響を受けるまでは、非常に仏教色の強い場所であり、真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕されていました。この出羽三山信仰が千葉の西部で厚く信仰され続けている謎を解いてくれたのは、今回の麻賀多神社の考察でした。僕はこの蜂子皇子の祖先は古代インドからやって来た人々であり、もっといえば彼は千葉の袖ヶ浦に漂着したマガダ国王妃とその一団の末裔であると踏んでいます。だから東北から遠く離れた千葉の西部で、現在でもさかんに蜂子皇子が開山した出羽三山が厚く信仰されているのだと思います。マガダ国は当時の新興宗教であった仏教とジャイナ教を保護した多神教の国でした。出羽三山も仏教・道教・儒教などが習合し成立した信仰です。マガダ国の一団は千葉で阿波忌部と交わり、日本の朝廷にも深く入り込んでいたと思われます。蜂子皇子は32代崇峻天皇の皇子で、父親を殺した蘇我氏の手から逃れるために東北へ逃れ、出羽三山を開きます。崇峻も蘇我氏も仏教推進派で、ともに反対派の物部氏と闘った仲でしたが、物部氏を倒した後に二人は仲違いしてしまい、結局崇峻は蘇我氏に暗殺されてしまいます。僕の考察では、紀元前にやって来たマガダ国一団の末裔が仏教伝来時における朝廷内の推進派の一部にいたのではないかと推測します。そしてそれは、この崇峻天皇ー蜂子皇子の系譜ではなかったかと。それでは今回の考察のおおまかな流れをおさらいしてみましょう。紀元前、千葉西部にマガダ国王妃とその一団がやって来る。 ↓一団は千葉を北上し、成田に居を構え、阿波忌部と交わる。麻賀多(まかた)神社建立 ↓マガダ国の末裔は皇族と血を交えるが蘇我氏により崇峻が暗殺される。子である蜂子皇子は東北に逃れ出羽三山を開く ↓千葉県西部では現在でもマガダ国の末裔が開山した出羽三山が厚く信仰され続けている現代に至るまで千葉で厚く信仰され続けている出羽三山信仰の起源は、このような流れなのではないかと考えています。ここまで書いて来ましたが、僕は蜂子皇子が開山した出羽三山がいったいどこにある山なのか、その詳細についてあえて触れませんでした。それは最後のオチのために、隠しておきたかったからです。そもそも今回の記事は、そのオチを言いたいがために書いたものなのです。つまり今まで長々と説明した内容は、最後の結論に向けての壮大な前フリです。出羽三山とは山形にあります。つまりはこういうことです。マガダ国→麻賀多(まかた)神社→ヤマガタしょうもないと言わないでください。ダジャレなのはわかっています。でもどうしても、この「マガタつながり」をみなさんにお伝えしたかったのです。なぜなら僕はこの言葉遊びのような音のつながりを発見した時、それはもう、ほんとに、心の底からときめいたのですから。出雲口伝により、古代出雲族が4000年前にインドからやって来たドラヴィダ人であることは周知の事実となりました。であるならば、別の時代にもこの島にやって来るインド人がいてもなにもおかしくないわけで。じつは東国には、やたらとインドのお姫様がやって来る話が多いんです。茨城にも「金色姫伝説」という養蚕をもたらしたインドのお姫様の伝承が筑波、神栖、日立の3ヶ所に伝わっています。おもしろいのはどの伝説も国を追われたお姫様が常陸国の海岸に流れ着くという話なんです。インドの人々にとって日本の東国は亡命先として人気だったのでしょうか?とにかく東国には古代インドの伝承が数多く残っています。さて、今回の記事でも古代における日本と世界の繋がりを考察してきましたが、実は僕、前からうすうす気付いてはいたんです。東国に残るインドの気配に。香取神宮を参拝するたびに思っていました。拝殿の彩色が日本ぽくないことに。https://note.com/paulson20220106/n/n340c6ae70653元々、「祇園社」(感神院)という名の神仏習合の地でした。2月号で紹介した明治維新時の神仏分離令(1868年)によって八坂神社に改称し、名称のみならず祭神も変更させられました。 祇園社ではそれまで牛の頭と書く牛頭天王を祀っていましたが、「日本神話に出てくる神を祀れ」と言われ、祭神を素戔嗚に変更したのです。 牛頭天王とは釈迦が説法をしたという古代インドの僧院・祇園精舎の守護神で、これが祇園社の由来です。一方、素戔嗚は日本神話で天照の弟とされ、八岐大蛇を退治したエピソードなどで知られる神話上の皇室の先祖です。https://www.min-iren.gr.jp/?p=46138伏見稲荷とは?「お稲荷さん」の総本宮。ご神体は、稲荷山全体 。ご祭神は、宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)宇迦之御魂大神…スサノオノミコトの子、穀物の神とされている。https://magic-dice12.com/yasaka日御碕神社の小野氏は家紋を「柏」としている。下総国で出会った「カシワヒメ」は、そのルーツをたどると、阿波国、更に近江国を経て、出雲の日御碕神社に行きつき、出雲最高の太陽の女神であった。http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1934.html 5月5日の端午の節句には日本でも粽(ちまき)を食べる。中国の戦国時代、祖国楚の首都が大国秦により陥落したと聞いた屈原は祖国の将来に絶望し、石を抱いて泪羅江(現在の長沙の北)に身を投じて死んだ。旧暦の5月5日のことであった。人々が屈原の無念を鎮め、また亡骸を魚に食べられないようにするために、魚の餌として笹の葉にご飯を包んで川に投げ込むようになった。これが粽の由来である。今でも、旧暦の端午の節句には、屈原の魂を鎮める祭が開かれる。 屈原は楚の王族三家の昭、屈、景の屈姓に生まれた。出身は申し分ない。彼は幼少より聡明利発で、曲がったことが大嫌いであった。奔放であるが、政治的手腕を発揮して、妥協したり、反対派をまとめることが苦手であった。典型的な激情家の楚(今の湖南省と湖北省)のひとの性格である。激情家は革命家になりたがる。毛沢東主席も劉少奇も湖南で、死んだ林彪が湖北なら、党長老の董必武も湖北出身なのだ。このような楚人の性格が後になって、屈原と楚の運命を決めることになる。当時最高の文章家であった屈原は、そこで、「天問」、「離騒」、「九歌」などの名作を残した。才能が爆発したのである。北方の『詩経』は四言句という定型化されたなかで、詩を読むため表現が限定的であった。しかし、屈原は人間の感情を強く表す新しい詩の様式を発明した。それは『楚辞』と呼ばれる。30歳代後半のことである。「天問」は天地創造以来の歴史のなかで、不思議と思われる出来事に対して疑問を呈している。『書経』など公式記録とは異なる説を唱えているようにもみえる。楚は黄河文明と異なる長江文明を継承しているためであろうか。歴史は中原に咲いた黄河文明の視点で書かれているため、屈原はそれに一石を投じたかったのではなかろうか。例えば、以下のような疑問が提出されている。「呂尚(太公望)が屠殺場の店にいたとき、文王はどうしてこれを見分けて用いたのであろうか」「武王が殷の紂王を殺したのは、何を心配したのであろうか」「父文王の葬儀も済まないのに、位牌を車に載せて会戦したのは、何を急いだのであろうか」などなど。 太公望は釣をしていた時、文王にその才能を見出されたと、史書には書かれている。武王が殷の紂王を攻めたのは、殷の大軍の留守を狙ったと現代の歴史家は唱えている。屈原の疑問は根拠があったと考えられている。正統歴史観に対する反骨精神が旺盛である。このような問いかけは、公式記録に頼らず、真実は何かを追究する精神の重大さを示している。このような人物は政治家には向かない。屈原は突然王に帰ってくるよう呼び出される。斉との国交を回復するためである。自殺するより、祖国のために頑張らなくてはならない。やはり、生まれつきのエリートなのだ。そして、秦王は和睦のために、秦の地で懐王と会見したいと提案してくる。屈原は、秦は信用ならないと強硬に反対するが、懐王は秦に向かい。抑留され、身柄と引き換えに、領土を要求される。懐王は三年後、秦の地で客死した。哀れな王である。屈原は楚の政治闘争に敗れ、江南に放逐される。十八年の放浪生活の間、「招魂」などの作品を書き続けた。秦の大軍が楚の都を降したという情報を聞くと、屈原は祖国の将来に絶望し、石を抱いて泪羅江に入水自殺した。享年63。彼の死後、数十年で楚は秦に滅ぼされた。司馬遷は、屈原と漁夫の会話を掲載している。 屈原「世の中すべてが濁りきっている。そしてわたしだけが清い。衆人みな酔いしれている。そしてわたしだけが醒めている。それだから放逐された」 粽の話は前述したが、五月五日にドラゴン・ボート・レース(ペイロン競争)が行われるのは、入水した屈原を救おうと近くの猟師たちが競って助けようと舟を出したことに始まる。日本の長崎にも伝わっている。 屈原は誰も自分を理解してくれないと絶望し、楚辞にその気持ちを記し~彼は政治家ではなかった。清濁併せ呑むことができるような人物ではなかった。だが、偉大な詩人であったのだ。両者の能力を兼ね備えることは難しい。https://spc.jst.go.jp/experiences/impressions/impr_09008.html【柏餅】日本独自の風習としてスタートした柏餅【ちまき】中国から伝わったちまきの起源は、その昔、中国・楚国の詩人の死を供養するためのものが始まりだったと言われ、今日でも端午の節句にちまきを食べる習慣が残りました。日本へ奈良時代に伝わり、平安時代には宮中行事として5月5日に用いられ、そのまま引き継がれています。柏餅が関東を中心に食べられているのに対し、ちまきは関西圏で食べられています。https://www.mainichigrillbu.com/column/757賀志波比売大神とは?アマテラスの幼名?何故そうなるの?賀志波比売大神とは?アマテラスの幼名?何故そうなるの?地球外生命体がよろこんでとびまわる???https://www.youtube.com/watch?v=FobldV7wRE0★牛頭天皇の八王子が「クマラ」で、クマラを祀るから「★鞍馬(くらま)」寺になった?祇園祭のお守りの「ちまき(粽)」・茅の輪・牛頭天皇http://www.gionmatsuri.jp/volunteer/seminer/seminer-3.htm厄除けちまきを手に取って見てみると,稲のわらを,ササの葉と藺草(いぐさ)を使って包んだものだと分かる。このササは,いわゆるクマザサの一種で,通称★チマキザサと呼ばれる大型のササだ。種としてはチュウゴクザサ (Sasa veitchii var. hirsuta) である。 特に京都市北部, ★鞍馬山★から花背別所町や大原百井町周辺の山間部に自生するチュウゴクザサは, 香りが良く, また葉の裏に毛がないために加工がしやすいという理由から好んで用いられており,古くから根強い需要がある。17世紀末に書かれた『雍州府志(ようしゅうふし)』にも,“他産不堪用(=他産地のものは品質面から使用できない)”との記述があるほどだ。祇園祭だけでなく,お菓子のちまきや麩まんじゅう,京料理の敷き笹などにも多く利用され,京都の暮らしと文化にかかせないものだと言える。チマキザサの危機 しかし, 2004年から2007年にかけて, 京都市北部においてササの一斉開花現象が起き, 上記のチュウゴクザサ群落のほぼ全てが枯死してしまった。https://ikimono-museum.city.kyoto.lg.jp/06/20150123/神武天皇が奈良へ行く前の最東端の地は、橘湾に面した阿南市見能林町青木・柏野地域にあたります。ここが『天照大御神の生誕の地』です。賀志波比売大神の神名は「古事記」等に書かれていませんが、伊邪那岐命がこの地で禊ぎ祓いをして天照大御神が生まれたと「古事記」に記されていることから、天照大御神の幼名は賀志波比売大神であったと考えられます。光輝く天照大御神と月読命は、高天原(神山町)へ巫女として送られました。賀志波比売神社は、平安時代(927年)に完成した延喜式神名帳の中に記録された3132座の由緒ある延喜式内社の一社です。現在、賀志波比売大神は津峰山頂にある津峯神社に奉斎されています。御神紋は八角形(三方)です。神様に御供えする際に使われる「三方」は、古くは柏の葉(ひらで)が用いられ、現在も皇室では使用されております。また、「柏」は「柏手を打つ」というように神事と深い関わりを持っているのです。阿波古事記研究会境内掲示板よりhttps://ameblo.jp/may-199704/entry-12412381151.html