コメ済)ラ・サレット(語源「小さな要塞化された家」)の聖母がすでにパリ五輪を非難!「フランスは世界を堕落させた」8月21日(早朝)に弁慶のおこした変な現象があった。+エルヴィスプレスリー活躍中に書かれた秘教的なメモの資料
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*RUDIMENTARY=(痕跡がある) *EPISTEMOLOGY=認識論=(人が、外界をどう"認識"してゆくか?という学問) *SUBTLE=(★幽微な、精妙で捉えにくい、) *メタサイコロジー=超心理学(前世や魂や神霊や念力等の調査をする学術分野) *FETUS=胎児(エルヴィスの双子は死産の赤子のイメージ) *pons(橋)=脳幹の「橋」(呼吸調節などのためにある場所)(脳死していても、植物人間状態であれば脳幹が働いているため、自力で呼吸できる場合が多い) *cerebellum(小脳)=脳幹と連絡している *cerebrum(大脳)=脳死の場合、大脳は働かないが、脳幹は働いている *cerebral(大脳半球) *ALCHEMY(錬金術=ヤコブ・ベーメのようなクリスチャンの錬金術師もいるが、主に昔の魔女狩りの対象にもなった秘密のオカルト哲学。錬金術では基本的に人間自身が神性をとりもどし完全になる事をめざした) *physical "reincarnation=(実際の輪廻転生) エル(-_-)弁慶👺{意味わかった~?布置ちゅん('◇')ゞ布置将臣🐥{ああ、ようするにエルヴィスには、一般人からも、たまには見えるようなみえないような、そういう不思議なイメージがハッキリと見えていたんでしょう、またはぼんやりした意識の時に見えていたり・・・、(天使的なものとして)それが存在するかすかな証拠や、痕跡や、天からの霊的な息吹や風を、ときどき、感じていたり・・・、また、そのようなものをもたらす、誰か&何ものか、について考えたりしていたんですね。('◇')ゞ布置将臣🐥{エルヴィスは、エルヴィスだけが持つ独自の霊的な感覚自体を、もっと生かした活動をしたかった。外の世界へと、もっとそういう要素を、わかる形で表現したかった、謎の存在がいることも立証したかった、それが何なのか精神的に(宗教とか秘教とかいろいろな事をしらべて)真実を突き止めたかった、ってことでしょうね。('◇')ゞ布置将臣🐥{また、特に今では、エルヴィスや弁慶が、本人自身が霊的な(栄光の)身体をもっているので、そういう状態で存在していることを、目撃されたい、実際に立証してもらいたい!ってかんじですね。('◇')ゞ布置将臣🐥{あとやっぱエルヴィスとしては当時は不在だった布置ちゅんことツインレイのジェス(胎児のイメージ)にも輪廻してもらってさらにはエルヴィス自身も錬金術的なパワーでこの世にも復活して再生したい!とか、大体そんなかんじですね・・・(※まあそのあたりちょっと異教的ですが、別に呪いの藁人形やってるやつらみたいな事はしてないもんね俺ら)エル(-_-)弁慶👺{そうだよ、わかった~?あとさあ、その21日の息もそうだけど、息には神の霊とか命という意味があってね~キリスト様も戸じまりしてある室内に出現して、神の教えを、つたえるべき人らに向かって、息をふきかけるんだよ~🎵('◇')ゞ布置将臣🐥{なんだよ弁慶、キリストごっこか?エル(-_-)弁慶👺{あのね、僕、弁慶は、鞍馬の魔王尊の中身だからさ~鞍馬寺では「魔王尊は、イエスキリストをつかわしたお方!」とかいってたし~('◇')ゞ布置将臣🐥{それで、なんで弁慶が布置ちゅんへと息(プネウマ?)をふきかけてんのよ。景気づけ?あとそのあと、エアコンも不自然に勝手に作動して室内で何度かゴーッって時々うごいてたけど。なんかエアコンの下のほうに左手を移動させたときだけ何度か動くんだよ。弁慶の飾り箱もそうだったけどエル(-_-)弁慶👺{そう、景気づけ(生気を増大させる)って意味もあるけれどね~イエスキリストの場合、その息をかけられた人には「神による免罪の権能を与える!」という意味があんの~('◇')ゞ布置将臣🐥{あ、なるほど、その話しらべて下にはったけど使徒言行録→ヨハネ福音書、ですね。「勝手に家の中にはいってくる激しい聖霊の風」とか、「勝手にドアをぬけて信じた人に息かけてくれるキリストが聖霊をうけよという」聖書の話は、両方似たようなかんじで関係してるんですね!('◇')ゞ布置将臣🐥{いつも室内に、勝手に風&息(=聖霊)がふいて、勝手にイエスキリストがはいってくるかんじあるから、確かに今回の布置ちゅんに弁慶(エルヴィスは転生)がおこした不思議現象と似てるね。('◇')ゞ布置将臣🐥{この8月21日の早朝、布置ちゅんがまだ寝ていた時、ちょっと目がさめたら、弁慶の壁飾りの箱からフーーーッって息を(左手に)ふきかけられたわけだが、その、数日前には、その弁慶の同じ壁飾りの箱から「トントン」ってきこえていたわけだから、流れが理解できそうだわ。('◇')ゞ布置将臣🐥{キリストが戸をたたくっていうアレね。「トントン」の数日あとに、勝手に息とか風とか(聖霊)の形で、室内にはいってきた。なるほど、なんか意味が理解できたわ。エル(-_-)弁慶👺{そうそうそれでね僕・エルヴィスはキリスト様のお気に入りでもあるし弁慶としては鞍馬の魔王尊の中身の人としてある意味イエスキリストからみた父なる神的な存在~!(笑)('◇')ゞ布置将臣🐥{へ~いいんですかーそういう考え方・・・エル(-_-)弁慶👺{いいのいいの~僕ジーザスとなかよしだから~しかも、集ストやグロ系ガスライティング漫画やドラマの被害者である僕らに、ジーザスからの、よい知らせだよ。それはね・・・('◇')ゞ布置将臣🐥{それは??エル(-_-)弁慶👺{それは今後布置ちゅんがもう絶対に許さない人らは、絶対に神から許されないという霊的な権能がついに授けられた!ということなんだよ~。パチパチ👏👏👏('◇')ゞ布置将臣🐥{ふーんじゃあ、集ストや背乗りなりすましガスライティングデバガメや虐待加害組織はもう「絶対に神と聖霊とイエスから許されん」という事が公言された、ということですね!エル(-_-)弁慶👺{そういうことです~🎵よかったね~👏👏👏🎊おめでとう~🎊('◇')ゞ布置将臣🐥{しかも、しらべるときょう8月22日は天の元后聖マリアの記念日じゃん布置ちゅんと関係ふかい11月1日の教皇ピオ12世の回勅と関係してるような。つまりファティマの聖母とか聖母被昇天とかずらっとつながってるね。現象がおこった8月21日自体もなんかあるわ。なんで我々の話にはつねにジーザスだけじゃなくてマリア様でてくるんだろうエルヴィスはプロテスタントだったのにエル(-_-)弁慶👺{それは僕に最初のギターを教えた牧師の息子がカトリックに改宗してたし、僕もそれで興味をもってたから彼の「ファティマのマリアのロザリオの奇跡の体験」に関する歌を僕も、頼まれてうたったりしたからだよ~それで、僕も、イエスの聖骸布のようなカトリックの聖遺物とかに興味をもってたの~('◇')ゞ布置将臣🐥{聖骸布ってたしかにプロテスタントよりカトリックだよなあ。エルヴィスは聖骸布の本で有名だもんね・・・エル(-_-)弁慶👺{そう、それだけじゃなくて、本来のカトリックは離婚できないからね🎵僕のホントの愛はカトリック的つまりマリア様からも応援がある、といえる🎵♪('◇')ゞ布置将臣🐥{キリスト教って天界結婚そのものは無いはずだけどね。エル(-_-)弁慶👺{いやいや双子の天使の場合だけ、結婚みたいな状態があるの!!それはアークと関係あるんだよね~('◇')ゞ布置将臣🐥{ああ、ニュートンプレスからでてる契約の聖櫃?とかいう本では古来からあのアークの双子の天使はイチャイチャしてたっていうもんね・・・エル(-_-)弁慶👺{そう、だから、問題ないよ~天界結婚も双子の天使だけはアリだから~('◇')ゞ布置将臣🐥{あと、さっきの息フーーーーっってかけられた8月21日に関していえば、フランスの、ラサレットの聖母の戴冠の日らしいですね。;エル(-_-)弁慶👺{だからそれもマリア様からみてもあんまりひどい人たちが神から霊的に裁かれるって話だからおなじでしょ~。キリストが息をかけた人には人を許す許さないの権能が与えられるんだもの~('◇')ゞ布置将臣🐥{ラサレットの奇跡って調べるとルーツが異教的だとか問題あるそうだけど一応本物の出現現象だと認められてるんだね。原文まだ調べてないけど、ネットみるといいかげんな翻訳がおおそうエル(-_-)弁慶👺{そう~?('◇')ゞ布置将臣🐥{ラ・サレットのほうに「神の息」とかでてこないかな・・・?あっ、あった!エル(-_-)弁慶👺{どこどこ~('◇')ゞ布置将臣🐥{「大天使ミカエルの息」とか、「一息で・・・」とかでてくるよ!最近の悪魔的な文化にはまる大勢を弾劾するような内容になっておるね。正しい人は少なくなってる、っていう例のアレですね。エルヴィスはイエスによれば大天使ミカエルだっちゅってたからそれであってはいるな。以前、ジーザスが「ルシファーって名前はまちがって悪魔と翻訳されてるからもう布置ちゅんは大天使の双子とかゆったほうがいいかもね・・・」ってエル(-_-)弁慶👺{何にせよちゃんと天使のつまり神のメッセンジャーからの息が邪悪なものをやっつける、ってでてきたわけでしょ~🎵だからほら~日付とかも偶然じゃないんだよ~8月21日に僕からの息と風が室内にふいたし、この話の意味が伝わったのが、きょう、つまり8月22日の聖母マリアの記念日だからね~('◇')ゞ布置将臣🐥{そうみたいですね。何か今のラサレットの聖母の話では「手がおもくなる」とか「キリストの(裁きの)手にゆだねる」とかそういう表現も面白いですね。布置ちゅんの場合、息がやたら左手にあたったんですが、あれはエル君がくれた指輪してるからなんでしょうかね。あと、そう、8月22日は聖母マリアの大きな記念日みたいですね。それにしても、「みだりに名前をつかうな」ってこれ、布置ちゅんが鬼滅とかにやられてることですよ。エル(-_-)弁慶👺{ほんとうにそうだよね~ ('◇')ゞ布置将臣🐥{名前や誕生日や在野作家がどうだこうだコロセとか漫画キャラとかで煽ってサツジン脅迫するのって、冒涜&脅迫&いやがらせ、ですよね。布置ちゅんになりすまして実質敗訴したら国全体で偽装愛国の反日活動やって、山本太郎まで「鬼滅が正義だ」みたいな嘘をついて逆上するって、もうすくいようのない末世ってかまさに反キリストのペドSM軍団が反日日本軍だとおもいます。日本軍は昔から反国民で売国奴でした。('◇')ゞ布置将臣🐥{あと、小池真理子とかもイチジクの森とかでただのフリン小説なのに「イエスキリストの到来」を、フリン相手とゴールインみたいな話のたとえにだしてた。DV被害者のヒロインが主人公なんだけど、布置ちゅんが「手拍子にあわせて動くおもちゃみたいにマネする小池真理子」っていったら、小池真理子が日経の中からそのイチジクの森で「夢の中でわたしの動きを父がマネしていた」とかすぐほとんど同じ事いって煽ってマネしてた。こわっ・・・おまけに小池はまたまた在野煽りで、そのイチジクの森の中で「くっていけない詩人をアイジンにしてた」とか(※この嘘はヤマザキマリもまったく同じ事を小説じゃなくて現実にいってる。ヤマザキマリ「食っていけない詩人を養って、自分が働いてかせいでいた。そして、彼の子供をうんだ」ぜったいにうそ。絶対に絶対に嘘で煽り。だって島田とヤマザキは敗訴した可能の仲間らしいから)('◇')ゞ布置将臣🐥{つまり、あの悪質な林真理子どころか小池真理子もスパイで、しつこくあおってたんですよ。で、被害者だって設定にすればいいや、っていうのが日本人女性のバカなところだよね。自分自身が正義をうったえてゆくとか、世の中の悪を問題視するとか、なんかそういう事もしないのに被害者であるという設定だけで正義にはならないのに、わかってないなとおもう。そもそも作家ってスパイで煽りの集団ストーカーだからね殆どが('◇')ゞ布置将臣🐥{で、さらに小池真理子はその詩人を「しんだ在野の詩人」にして脅迫し、「しんだ在野の詩人のベッドでイズミとアイジンはせっくすした」とか、かならず俺を殺したうえで百姓がストリップの盆踊りを おどる、みたいな話なのよ。('◇')ゞ布置将臣🐥{これは、放課後インソムニア?のヒロインと男が白丸先輩の部屋にはいってきてベタベタしてるのとおなじなんです。やつらは集団ストーカーのターゲットをオカズにしてランコーしてるんですよ。白丸先輩も冒頭の不気味な煽り文からするとすでにお空にいる死人みたいな煽りがあるんだとおもうね('◇')ゞ布置将臣🐥{ネットで話題になってたので「放課後インソムニア」ってチェックしたんだけど、ようするに最果てタヒ系の煽りでしょ。あいつら文壇で「一等星の歌」とか、わすれたけど、やたら星を死人にむすびつけて煽ってるし。「せかほし」で三浦春馬がしんだとか、芦名星?がしんだとか、最果タヒも「人がしねばほしになる」とか、あと俺、湘南横浜うまれなんだけどそうすると「横浜流星」とか、まさにやつらは反キリスト=集団ストーカーで猿芸でくるった、さまよえる呪われた死に星集団なんですよエル(-_-)弁慶👺{とにかく悪魔教文化だよね~現代はね~ラサレットの聖母のメッセージとされる言葉「すべての秩序とすべての正義が踏みにじられるでしょう。人殺し、憎しみ、ねたみ、うそと不一致しか見受けられなくなり、~パリは燃え」~反キリストが・・・('◇')ゞ布置将臣🐥{あ~第二次パリテロの五輪のアレですね!エル(-_-)弁慶👺{そうだとおもう~それにしても12歳で成功して有名になる悪の子だった男?ってだれだろうね~12歳??('◇')ゞ布置将臣🐥{ゼレンスキーとかプーチョンでもないね。しらべると「大谷翔平は顔が12歳」ってでてきた。これ、ほめことばだとおもってるかもしれないけど、バカにされてる事に気づかないのだろうね・・・これあれだろ、マッカーサーの「われわれ西洋人は40歳ぐらいで、日本人は12歳のガキみたいなもん」ていうエル(-_-)弁慶👺{あ~そっか~じゃあ聖母マリアがいう「12歳の勝利」っていうのは、大谷翔平の勝利ごっこのことだね~大谷の奇跡とかいわれるものは、反キリストの呪術、布置ちゅん在野逆恨み煽り呪いマンガを応援してる義経なりすましをして煽る悪の子の奇跡だったんだね~ ('◇')ゞ布置将臣🐥{在野に敗訴した津原一味の煽りのかずかず(反キリスト軍団の悪魔の冒涜)小池真理子イチジクの森(日経)「死んだ在野の詩人をアイジンにしてて、その死んだ詩人のベッドでイズミと男はせっくーすをした。詩人はしんでいた。イチジクの木をみれば、イエスキリストがくーるよ。」鬼滅「在野の作家はしろうとで、商業作家になれないから、(お前がパクって、なりすまして敗訴したんだろ、っていうと京都アニメ事件をおこしてあおってた敗訴ストーカーで裁判にされたら負ける顔だせない犯人がこいつ)あいつは鬼だからころせ」呪術「わたしはなんとか先生にあこがれて詩人ぶって雲の巨人という詩をかいて玉砕してただしく、しろうと詩人としてしにました」ヤマザキマリ「しろうとの外人詩人がたべていけないのでわたしマリがやしなって、詩人の子供をうみました(ウソ)」エル(-_-)弁慶👺{やーひどい煽りだよね~パリテロも漫画家あげ~とかは「イルミナティユダヤ人あげ」工作だし、鬼滅もイルミナティ漫画家あげ工作~イルミナティ業界を批判してたマイケルの野郎を鬼にしたり反イルミナティの在野を鬼にしたり~ひどいよね~あと、京都アニメ事件も在野を貶める印象操作をNHKがやってるってことなのに、そのNHKはずーっと義経転生である布置ちゅんの個人情報とか名前をやっぱり鬼滅みたいにあおってるよね~('◇')ゞ布置将臣🐥{ラ・サレットの聖母マリアも「布置ちゅんの名前煽りぬきで何もできないイルミナティの反キリスト作家集団はキリストの名前を冒涜してるのとおなじ内容の漫画だしそういう嫌がらせ漫画で気晴らしばかりして本当に困ってる人をたすけない人々はほろびます。さあ、世には、ちゃんとしられていない少数の戦士よ、でてきなさい。いままで反キリスト軍団から、ひどい目にあってきましたね。やつらは、大天使の息でフーッとやられるだけで追い払われちゃうんですよ!」っていってるみたいね。8月21日がラ・サレットの聖母戴冠で、きょう8月22日も聖母の大きな記念日だしエル(-_-)弁慶👺{よかったよかった。そもそも聖書ではキリストが息をかけた人は罪を免責するかしないかの霊的な権能を与えられてるということだからもうこれで究極の解決策だよ👏👏👏🎊('◇')ゞ布置将臣🐥{ラ・サレットってそもそも何だろあっ、「フランスは世界を堕落させた」だって。やっぱりパリ五輪を非難してるわ(笑)この女性が私に言ったことは次のとおりです。フランスは世界(宇宙)を堕落させた、いつの日かそれは罰せられるだろう。フランスでは信仰は消滅するだろう――フランスの4分の3がもはや宗教を実践しないか、あるいはほとんどもうほとんど宗教を実践しなくなり、・・・(France has corrupted the universe, one day it will be punished. The faith will die out in France: three quarters of France will not practice religion anymore, or almost no more, the other part will practice it without really practicing it.)https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_La_Saletteエル(-_-)弁慶👺{フランスの反キリスト系文化が主導している全世界の文化面での堕落はさ~、ラサレット出現の聖母マリアから、前もって予告されてたんだね(笑)クリスチャンならいいってわけじゃないけどあれは、いわゆる悪魔教のばかふざけだし~('◇')ゞ布置将臣🐥{あ、今ラ・サレットしらべたら、名前の「サリー」と関係あるらしいけど、それよりも、仏語版ウィキペディアでラ・サレットを地名で調べたら、正確な情報でたわ。ラ・サレットは「要塞化された、お家ちゃん(小さな要塞化された家)」というような意味らしい。(※これ普通に単語で調べても、でない情報だよ)小さな家とか、小さな要塞化された家エル(-_-)弁慶👺{あ~それは水晶玉の中にも、物質化された「岩の上にたつ鞍馬のお堂」みたいな家を天にもってる僕らにぴったりだね~ ('◇')ゞ布置将臣🐥{そうですね。それにしても、ルルドの次にフランスで有名とか知らなかったですよ。また詳しくしらべてみたいですネエル(-_-)弁慶👺{聖母マリア様とジーザスから新しいお告げを、教えてもらってよかったね~🎵('◇')ゞ布置将臣🐥{聖心の記念の6月16日(この日にわざと野球の、ドジャースがヘンなゲイの悪魔教修道女仮面団体を表彰してカトリックが冒とくだと抗議パレードをした)とこのラ・サレットの9月19日って似てるから聖心の一致みたいな意味があるのかもしれないね・・・Mugdha Goyalのプロフィール写真ムグダ・ゴヤルラ・サレットは、2人の子供より先に聖母マリアが現れたフランスの村です。彼女は彼らに、イエス・キリストを信じ、罪から神に立ち返ることの秘密を話しました。彼女が明かした秘密は、非常に重要であることがわかりました。今日、「サレット」という言葉は、強く、勇敢で、信頼でき、尊敬に値する女性を意味する「サリー」という言葉の同義語として使用されています。内面も外面も美しい女性。ラ・サレットの聖母(Wiki)「美しい女性が★山でひどく泣いているのを見た。」と報告した。彼らが詳しく語ったところによると、二人は、ひじをひざの上にのせ、顔を両手で覆って激しく泣いている女性を見たという。この女性は、真珠がちりばめられた白いローブを纏い、金色のエプロンをかけ、足には白い靴を履き、頭には大きな飾りとバラの花を被り、小さな鎖で首から十字架を下げていた。彼らの説明によれば、まず正則フランス語で、続いてオック語[2]のこの地方の方言[3]で話したという。その時も女性は泣き続けていた。この女性は、二人にそれぞれ秘密の預言を託した後、★丘を登って姿を消した。(Wiki)地の塩、世の光(ちのしお、よのひかり)は、新約聖書の山上の垂訓のひとつ、単に塩と光(しおとひかり)と略することもある[1]。マタイによる福音書の5章13節から16節に記述がある。そのほかマルコによる福音書の9章48節から50節、ルカによる福音書の14章34節から35節に、地の塩に関する同様の記述がある。塩は腐敗を防ぐことから、優れたもの、役に立つものを示す比喩で、ここでは愛と慈悲を意味している。また、光は神の智慧とその働きを意味する。光について[編集]あなたがた[2]は、世の光である。 - マタイ5:14山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 - マタイ5:14、5:15わたしは、この世にいる間は、世の光である。 - ヨハネ9:51846年9月19日、フランスのラ・サレット (La Salette) ラ・サレットの聖母の出現~人々の罪深さを収穫を台無しにすることに例えたという[4]。ジャン=マリー・ヴィアンネやヨハネ・ボスコ、さらには作家ジョリス=カルル・ユイスマンスはこの出来事に大いに影響を受けた。ラ・サレット山の精神とは、祈り、回心、そして献身の精神であるとされる[6]。北米ラ・サレット宣教会のルネ・J・バトラーは、「ラ・サレットの聖母は、和解のためにお出ましになった」と語っている[7]。ヨハネ・パウロ2世は「150周年の際に書いたように、『ラ・サレットは希望のメッセージである。私たちの希望は、人類の母である彼女の執り成しによって育まれるからである。』」と述べている[8]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D1878年ラサレットで聖母マリア様が言われたとされていること👇(引用)~もし、私の民が従おうとしないなら、私は御子の★手がなさるがままにせざるを得なくなります。その★手はもう私が支えることができないほど、ずっしりと重いのです。~私はあなた方のためにずっと苦しんでいます!御子があなた方をお見捨てにならないようにと私が望む限り、私は絶えずそう祈らなくてはなりません。ところがあなた方と言えば、そんな事におかまいなしです。~荷馬車を御する人々〔注:当時は主に農夫たち〕は、御子の御名を途中に置かなければ話すことができません〔注:天主の御名をみだりに用いること〕。これが御子の★腕をこんなにも重くしている二つの事なのです。~すべての秩序とすべての正義が踏みにじられるでしょう。人殺し、憎しみ、ねたみ、うそと不一致しか見受けられなくなり、~パリは燃え、マルセイユは飲み込まれてしまうでしょう。幾つかの都市は、地震によってゆさぶられ、飲み込まれてしまうでしょう。人々はすべてが失われたと思うでしょう。どこを見ても人殺し、どこででも戦争の騒ぎと冒漬が聞かれるでしょう。義人は大いに苦しむでしょう。彼らの祈り、彼らの悔俊、彼らの涙は天にまで届き、すべての天主の民は赦しとあわれみを乞い、私の助けと取りなしを願うでしょう。~迫害する者と罪に溺れた人々全員は滅び、地上は砂漠のようになるでしょう。その時平和になり、天主と人々との間に和解が成るでしょう。イエズス・キリストは仕えられ、崇められ、光栄をお受けになり、いたる所で愛徳の花が咲きみだれるでしょう。~最終戦争は反キリストの十人の王によって遂行されるでしょう。この王たちは皆同じ一つの計画を持ち、彼らだけで世界を統治するでしょう。この事が起きる前に、世界には一種の偽りの平和が訪れ、人々は気晴らしの事しか考えず、悪人はいろいろな罪にふけるでしょう。~彼らは反キリストのように悪魔の化身ではなくとも、悪の子となるでしょう。十二歳の時、彼らは勇敢な勝利をおさめるので、周囲から注目されるようになり、そうしてすぐに、地獄の軍団に助けられて、各々軍隊の頭となるでしょう。~苦しみの内に、世に知られずに生きてきた、『イエズス・キリストの忠実な弟子たち』に呼びかけます。今や彼らが出て地上を照らしに来る時なのです。さあ、私の愛する子らとして自分たちを示しなさい。あなた方の信仰が、この不幸な時代にあなた方を照らす光でありさえすれば、私はあなた方と共に、あなた方の内にいます。あなた方が、熱心によってイエズス・キリストの光栄と誉れとに飢え渇く人になりますように。光の子らよ、戦いなさい、あなた方がたとえ少数でしかなくとも。何故ならごらんなさい、すべての時の時、すべての終りの終りだからです。~善意の人は天主を信じ、多くの霊魂が慰められるでしょう。彼らは聖霊の力によって大きく進歩し、反キリストの悪魔的誤謬を断罪するでしょう。~(反キリストは)大天使聖ミカエルの★息一つで窒息してしまい墜落するでしょう。~すべては新たになるでしょう。天主は仕えられ、光栄を受け給うでしょう。~(聖母マリアは)★一息で吹き動かされそうなほど軽そうに見えましたが、微動だにせず落ち着いておられました。お顔つきは威厳があって堂々としておられましたが、この地上のお偉い人のように堂々としておられたのではありません。・・・https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/67c4af6c7b904b82f92d8b46056c16cbLa Salette-Fallavauxは、フランス南東部のイゼール県にあるコミューンです。高山地帯に位置し、その歴史は中世にまでさかのぼります。「サレット」という言葉は、M.ヴィンセントによるとゲルマン起源。それは家、住居を意味するサルという言葉から来ています。したがって、サレットは小さな家、質素な住居に相当します。それに近い別の定義も提案されています:名前は主にピレネーオリエンタルで使用され、そのバリエーションであるサレタ、サレート、サレートも同様です。サレット形式は、アリエージュとオートピレネーで見られます。これは「サラ」(=要塞化された家)のちっぽけな地名です。ラ・サレットの名声は、1846年9月19日の幻影に負っています。その日、二人の子供が聖母マリアが現れるのを見たと主張し、聖母マリアは彼らに回心と祈りを呼びかけるメッセージを明らかにしました。この出現は5年後にカトリック教会によって認識されました(周辺地域が主にプロテスタントであったことは注目に値します)。ラサレットの聖母の聖域は、ルルドに次いでフランスで2番目のカトリック巡礼地です。聖域の建設に伴い、道路は改良され、幅が広くなりました。同様に、聖域にアクセスするための元の道路であった現在の十字架の駅は、移動され、サンジュリアンを通過しています。当初、巡礼者たちはグリペットと呼ばれる古い十字架の道を通っていましたが、これは非常に曲がりくねっており、急な傾斜と急な斜面がありました。最初に流通した車両は、ラ・ビュイレの車(1907年頃)、ラティル・トラクター(1914-18年以前)、そして1923年のシトロエン・ハーフトラックであった14.サンクチュアリに車で到着するのは至難の業でした151946年に第二次世界大戦が終結し、道路が大幅に改善されるまで。https://fr.wikipedia.org/wiki/La_Salette-Fallavaux👆この地名をねらって最近も、悪魔教徒がエロ白雪姫(2019年)とか精神びょーいんとかのお笑いかホラーかなんかの創作物の舞台にしてあおってるそうです。ファティマの出現のチャペルもNWOのカルトから爆弾まかれたもんね。ほんと漫画家が殺人してるって冗談じゃなくてホントですよだってNWOカルトの主犯こそお笑い芸人や漫画家とかだから。呪術廻戦とかあきらかに反キリストだから茨の冠とか「のばら」とかにしてるのもワラ人形=磔刑でしょ。ラ・サレットの聖母は薔薇とか釘ぬきをもってるけど、これは十字架からキリストを救おうとしてるという意味がある。逆に、呪術廻戦いは薔薇ってやつが、藁人形で磔刑・釘うちをしている。(しかも敗訴した又吉につづく花煽りです)それを応援する大谷翔平は反キリストなんですヨメディア=反キリスト=悪魔教👇悪魔教の呪術廻戦。キリストやマリアを呪う。磔刑を何度も煽り、茨の冠などもでてきて侮辱。まさに冒涜で問題になった反キリストの野球ドジャースと偽義経である呪いの漫画家・12歳知能の大谷翔平そのもの。(鬼滅でもイバラの冠の跡のある弁慶みたいなのがでてくる)@@@@@🔴🔴🔴金銭や、名誉や、楽しみへの愛のため、司祭たちは、不潔さの汚水だめのようになってしまいました。彼らは不忠実と悪い生活とによって、御子を再び十字架に★釘づけにしているからです。ナポレオンは、剣をもって強引に民に自分を高めさせようとしましたが、常に上昇しようと望みながらもまさにその同じ剣の上に墜落する~★地上は悪い本であふれるでしょう。~「蘇った死者たち」(※偽義経の大谷翔平とか、偽エルヴィスのバトラーとか)は、その姿をした「悪魔」に他ならないのですが、真のキリストなるイエズスの福音に反する別の福音を説教するでしょう。~富の上に富を貯め込み、自分たちの権威を守って、思い上がりで支配する~人々は家庭においてでさえ、互いに殺し合い、殺戮し合うでしょう。~淫猥によってしか養われないでしょう。その子には兄弟たちがいて、彼らは反キリストのように悪魔の化身ではなくとも、悪の子となるでしょう。十二歳の時、彼らは勇敢な勝利をおさめるので、周囲から注目されるようになり、そうしてすぐに、地獄の軍団に助けられて、各々軍隊の頭となるでしょう。http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/savebox/la_salette_2.htmlラ・サレットの聖母 (rosario.co.jp)フランス/ラ・サレットはアルプスに連なる高山の巡礼地。1846年に聖母の御出現があったことで知られる。(不思議のメダイの教会は1830年。ルルドは1858年。)ラ・サレットの聖母 : 長崎教区典礼委員会 (exblog.jp)1846年9月19日、フランスのラ・サレットの少女メラニーと少年マクシミンの前に聖母マリアが出現されました。聖母は岩に座り顔を手で覆い泣いていましたが、二人に気づき立ち上がり、「私はあなた方のためにずっと苦しんでいます。私は絶えずあなた方のために祈らなくてはなりません。」とおっしゃり、人間の罪の多さについて話されました。また、大天災などのことの預言もしたと言います。多くの人が回心し、病気が奇跡的に治癒されるのを聞きラ・サレットには多くの巡礼者が集まるようになりました。ラ・サレットの聖母 - キリスト教聖品アクセサリー専門店 -THE SACRED SECRET-🔴使徒言行録第2章2~4節より「突然、★激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた★家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は★聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」🔴ヨハネによる福音書 20章19節~23節(聖書の話9)より「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる★家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち『あなた方に平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに★★息を吹きかけて★言われた。『★聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』」活躍中にかかれたエルヴィス・プレスリーのメモ(これは、以前何かのYOUTUBE記録ビデオからうつした情報です。もしかしたら「エルヴィスはツインレスツイン」って感じの題の海外の動画にうつってた資料かな?)ノートか本の、ページ左半分にエルヴィス・プレスリーがメモした言葉CONBIOLOGYバイオロジー(生物学、生命体を研究する科学)carbon- dioxide(二酸化炭素)sub-conscious(潜在意識、おぼろげに意識している)HUM(=※鼻歌か、唸る音"ブーン"などの低い連続的な機械音や雑音、口を閉じたフーン、フームなどの音?)exoteric(顕教的な)esoteric(秘教的な)(BE BEING) ? (存在 )?(・・EEM?)↑4:38―――ページ右半分にエルヴィス・プレスリーがメモした言葉IMAGE+(イメージ+RUDIMENTARY 未発達の・原始的な・初歩的な・痕跡のある)EPISTEMOLOGY(認識論)―――SUBTLE(★幽微な、精妙で捉えにくい)Metapsychology(メタサイコロジー=※超心理学・前世や魂や念力等の調査をする学術分野){FETUS【胎児※エルヴィスの双子で死産した赤子のイメージがあるのはジェス】pons(橋)cerebellum(小脳)cerebrum(大脳)cerebral(大脳半球)ALCHEMY【錬金術】}―――8:53physical "reincarnation輪廻"動画9:59 エルヴィスが魂の双子と感じるジェス(ジェシー)を生来失っている事で悩み、虚無感や痛みを感じてる内面の苦悩の再現シーン、独白台詞「俺(エルヴィス)は、世間的なものだけは全部得たのに、まだ何か欠けてるんだ、(ジェシー)分かるだろう」橋 (脳)Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wiki › 橋_(脳)橋(きょう、羅: 英: pons)は、脳の部位の一つ。脳幹に含まれ、前後を中脳と延髄とに挟まれる。※「hum」は、主に2つの意味を持つ英単語である。一つ目は、口を閉じたまま音楽やメロディーを軽く歌うことを指す。二つ目は、特定の音、特に機械や装置から発せられる低い連続音を表す。また、場所や状況が活気に満ちている様子を表すこともある。「hum」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書ヨハネによる福音書 20章19節~23節(聖書の話9)「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち『あなた方に平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』」(ヨハネによる福音書 20章19節~23節)今回の聖句は金曜日に十字架にかかって死んだイエス様が、日曜日に弟子たちの前に現れた時の記述だ。今や死刑囚の弟子となったイエス様の弟子たちには、社会からの迫害の危機が迫っていた。それでも、弟子であることを諦めて逃げてしまうのではなく、恐怖を感じながらも家の戸に鍵をかけて、彼らは集まっていたということになる。「あなたがたに平和があるように」その言葉は、彼らの心の不安への言葉だ。「大丈夫、安心しなさい、私だ」とイエス様は言う。さて、「死んだ人間の復活」という視点でこの物語を見ると「眉唾物だな」などと感じてしまう。「あり得ない出来事だ、バカバカしい」となってしまう。しかし、弟子の気持ちになって読み取ると、弟子が「喜んだ」という気持ちを、素直に受け入れることができることに、ある時僕は気がついた。そりゃあ嬉しかっただろうと思うのだ。だって、会いたくても会えないと思っていた、死んだはずのイエス様が目の前に現れたのだから。イエス様が肉体を伴ってそこに現れたかどうかを知る事は出来ない。しかし、少なくとも弟子たちはイエス様をそこに感じ、イエス様の声を聞いたのだろう。そして、再会以上に嬉しい言葉がイエス様から弟子たちに発せられる。「わたしもあながたを遣わす」弟子達に、イエス様が、この先の人生の指針を与える瞬間である。イエス様は彼らに息を吹きかけたと書かれている。高校の授業で、この場所の解説をするときに、学生たちが、どのようにこの言葉を読んでいるか、素直にそのシーンを演じてもらったりする。フーと優しく息を吹きかける学生もいれば、「ささやくような小さい声で言ったということでは?」という学生もいる。役者になったと思って、どう演じるかを考えるとなかなか難しい記述だ。僕は、「息」と訳されているギリシャ語が「風」あるいは「聖霊」とも訳せる言葉であることから、「彼らに息を吹きかけた」というイエス様の動きではなく、弟子の側に、息を吹きかけられたような気持ち、もっと言うと、鳥肌が立つような、ビビビッと来るような湧き上がる力が吹き込まれたような感覚があったのではないかと解釈している。これからの人生に意味を与えてもらった!という喜びからくる感覚だ。弟子たちは失意と絶望の中にいた。未来を見失って、それでも諦められずに集まっていいた。そこに、イエス様がやって来て、「落ち着け、安心しろ、お前たちには仕事がある」というのだから、やっぱり嬉しかったと思う。彼らへの指示はこのようなものだった。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」この言葉は、二つの読み方ができるように思う。一つは、「はい、あなたの罪は赦されません」というように、弟子たちに、彼らがこれから出会う人々の罪を赦すか赦さないかを決定する権限を与えるという読み方。意地悪な言い方をすると悪い人間をさばいて、天国に入れない、あるいは地獄へ落とす権限を弟子に与えるという読み方だ。もう一つは「おまえたちは、これから、人々の罪を赦してまわるのだ。もしさぼって、罪を赦す事を怠ると、その人たちは天国に行けないようになってしまう!人生をかけて、赦してまわりなさい、救ってまわりなさい」という読み方。随分印象が変わる。https://www.haradise.net/archives/2542見よ、私は戸の外に立ってたたく。だれでも私の声を聞いて戸を開けるなら、私は彼のところに入って、彼と共に食事をし… (黙示録3;20)新約聖書最後の手紙である黙示録に記されている言葉です。終末の時代を描いた場面だと言われていますが、この混乱に満ちた世界・社会を見ていると今まさにそのような時代に差し掛かっているように感じます。https://www.shinshochurch.org/news/1900.html人間の創造―つまり、土地のちりで形作られた人が生きものとなったそのプロセスにおいて特異なのは、神である主がその鼻にいのちの息を吹き込まれたという点です。新改訳は「生きもの」という表記 新共同訳は「生きる者」、KJVは a living soul、NIVは a living beingと訳されています。原語は「ネフェシュ・ハッヤー」(נֶפֶשׁ חַיָּה) 七十人訳では「プシュケー・ゾーエー」(ψυχη ζωη)と訳されています。直訳は「生きている魂」です。「ネフェシュ」の旧約聖書での使用頻度は754回です。「ネフェシュ・ハッヤー」は人間特有のものではなく、いのちある者、生けるものすべて「ネフェシュ・ハッヤー」です。創世記1章20, 24節、2章19節の「生き物」も同じく「ネフェシュ・ハッヤー」です。ただし、1章21節の「生き物」だけは形容詞の「ハッヤー」に冠詞がついた形で「ネフェシュ・ハハッヤー」(נֶפֶשׁ הַחַיָּה)です。新改訳も新共同訳も同じく「うごめく生き物」と訳しています。「ネフェシュ」は、創世記2章21節にはじめて登場する「肉」(バーサール、בָשָׂר) と共に、人間を構成する重要な要素で、「息、たましい、いのち、自身、願望、望み、喉」という意味をもつ非物質の部分です。「ネフェシュ」は「魂(たましい)」という訳以上に、「願望」「喉」という意味を持っているということが注目点です。なぜなら、そこに「ネフェシュ」本来の意味があるからです。単なる身体的機能としての「喉」を表わすだけでなく、飢え渇く存在、必要の塊、切望、欲望、旺盛な食欲、外から何かを得ることなしには生きられない存在、満たされることを常に求める存在を表わしているように思われるからです。こうしたニュアンスは、「魂」、あるいは「生ける魂」という訳では到底表わし切れません。私的には、赤子と同様に、必要の塊的存在、それが「ネフェシュ」の本体だと考えています。つまり、すべての「ネフェシュ・ハッヤー」は、神のように自存できない存在、常に依存しなければ生きられない存在として造られているということです。特に人間の場合は、すべての必要が神によって与えられて生きる者として造られたということが、他の被造物と決定的に異なる点です。そのことを指し示しているのが、神が人の鼻に「いのちの息を吹き込まれた」という事実です。この箇所にある「いのちの息」の「いのち」が複数形の「ハッイーム」(חַיִּים)であるにもかかわらず、ほとんどの訳が単数形のような訳となっています。ちなみに、その後の「息」(breath)と訳される「ネシャーマー」(נְשָׁמָה)は単数です。これは、ヘブル語の「神」を表わすことばが複数形の「エローヒーム」(אֱלֹהִים)で使われているにもかかわらず、その動詞の「造られた」という動詞が単数であるのと似ています。複数形で現わされる神は、神の三位一体的啓示と理解しますが、2章7節の「ハッイーム」(חַיִּים)も同様に考えることができるように思います。つまり、複数形で表わされる「いのち」は、同じく複数形であらわされる「神」と同義だということです。むしろ、重要なのは「息」の方です。というのも、人間以外のすべての「生き物」は、いのちの本源である神によって「生き物」ものとされていますが、人間の創造だけは神の「いのちの息」が吹き込まれて、はじめて「生きもの」とされているからです。「神のいのち」と「人間のいのち」は、語彙的な面からも共通しています。それは神と人とがいのちにあって呼応する関係であることを意味しています。⇒「神のいのち」と「人のいのち」の語彙的な面からの呼応性神の「息」は、七十人訳では「プノエー」(πνοη)というギリシア語が当てられています。新約聖書での「プノエー」は、「息」(使徒17:25)と「風」(使徒2:2)として2回しか使われていませんが、「風、息、霊」という意味が込められた「プニューマ」(πνεύμα)と同義であると見なしてもよいと思います。なぜなら、両者はいずれも「呼吸する、吹く」を意味する共通の動詞「プネオー」(πνεω)」を有しているからです。「息を吹き込まれた」の「吹き込む」と訳された「ナーファハ」(נָפַח)は、炭火を吹き起こして煮え立たせるという意味です。火は息(風)を吹きつけることで勢いよく燃えます。水の中に溺れて仮死状態になっている者に、息を吹き入れて生き返らせることがありますが、人間の場合も、神の「いのちの息」が吹き込まれることで、はじめて他の被造物とは異なる「ネフェシュ・ハッヤー」となったのです。ですから、死とは、神の「いのちの息」を喪失したか、あるいは機能不全、破損したことが考えられます。いずれにしても、それによって死が支配します。その死からから回復するためには、神の息を再び吹き入れていただくしかありません。エゼキエル書37章9節では、主はエゼキエルに、死んだ者を生き返らせるために、「息よ。四方から吹いて来い。」と預言せよ、と命じています。エゼキエルがそのようにすると、「息が彼らの中にはいった。そして彼らは生き返り。自分の足で立ち上った。」とあります(39:10)。また、「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。」(ヨハネ3章34節)とあるように、神の「いのちの息」は、神と人とをつないでいるいのちの「ことば」と同義です。神の「いのちの息」が人に吹きこまれたことによって、人は他の被造物とは異なる存在、つまり、神と親しく向き合うかかわりを持つ存在となりました。もし、この神の「いのちの息」を喪失したならば、「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる(ほふられる)獣に等しい」(詩篇49:20)とあるように、他の生き物となんら変わらない「ネフェシュ・ハッヤー」となってしまいます。神の与えてくださる賜物としての「いのちの息」(主の御霊、聖霊)と神のことばこそが、神と人とのかかわりを回復させ、人を本来のトーヴ・メオッドな存在として回復させてくださるのだと信じます。https://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E4%B8%BB%E3%81%AF%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%BC%BB%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%81%AF%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8D%E8%BE%BC%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F(4)ヨハネ版、聖霊降臨ご承知のように使徒言行録では違います。使徒言行録によれば、イエス・キリストの復活から聖霊降臨まで、50日間という時間的幅がありました。しかしヨハネは違います。復活の顕現の中にすでに聖霊降臨が語られています。復活と聖霊降臨が、同時的なのです。「息」と「聖霊」は、もともと一つでした。旧約聖書の「霊」と言う言葉(ルアッハ)には、「風」という意味があります。~5)第二の創造これを読みながら思い起こすのは、創世記2章に記されている、最初の人間アダムの創造であります。「神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」創世記2:7これは、最初の人間だけのことではありません。私たち人間が生きているのはすべて、神様が息を吹き入れてくださったからです。神様が霊、魂を吹き込んでくださったからです。物質からだけ言えば、人間は土と同じでありましょう。私たちがいくら土をこねて人の形を作ってみても、それは人形であって、人間ではありません。生命の主は神様です。今、復活のイエス・キリストが弟子たちの前に現れ、まさに死んだようになっている弟子たちに息を吹きかけて生かされた。これはまさにあの第一の創造に匹敵する第二の創造がイエス・キリストによって行われたということではないでしょうか。レクリエーション(再創造)です。私たちがクリスチャンとして生きるということは、復活の主から命の息を吹きかけられて、新しく生き始めるということです。~新井奥邃は、明治後期から大正時代の特異なキリスト教思想家です。「風が吹く。 ときに激しく、嵐のように。 ときに穏やかに、そよ風のように。 すべてのものは、 風となって吹き寄せる空気を呼吸する。 息はいのち。 息は愛情。 太古の昔から今日にいたるまで、 空気は風の流れとなって 世界中のすべての地域に広がっている。 その空気を私たちも呼吸している。 空気をもらい、空気を返す……。 まさに、いのちは 一息の間において包まれている。 呼吸の不思議さ。つながり。 同じ空気を肌で感じながら呼吸することによって 人も動物も植物も無機物でさえも 時代と場所の違いを超えて 互いに関わり合いながら一つに結びついている。」新井奥邃『名実閑存(めいじつかんぞん)』よりこの新井奥邃の言葉を引用しながら、阿部仲麻呂神父はこう続けます。「聖霊降臨のときに弟子たちが圧倒的に実感した神の慈しみの力は、神の命の息吹を吸い込んだ弟子たちの呼吸を通して世界中至る所に広がっており、将来も廃れることなく続いていく。 まさに弟子たちが聖霊降臨の日に呼吸した空気を、あらゆる時代の、あらゆる場所のキリスト者たちも、2000年かけて呼吸し続けてきたのであり、その同じ空気を私たちも呼吸している。もはや、神の慈しみの息吹と無関係な場所も時代もありえないのだ。」(8)同じ空気を吸っている私はこの言葉を読んで、はっといたしました。イエス・キリストが呼吸されたその空気は、今日まで連なっている。イエス・キリストが弟子たちに向かって吹きかけられたその息は弟子たちの中に入り、弟子たちの息となり、この私たちの空気も、その息を共有している。空気は時代を越え、場所を越えて、世界中へ広がっている。2000年前と今日の私たちとの不思議な一体感を感じました。https://kajiya-ch.or.jp/2024%E5%B9%B43%E6%9C%8831%E6%97%A5%E8%AA%AC%E6%95%99%E3%80%8C%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%81%AF%E3%80%8D%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%95%8F%E4%B9%8B%E7%89%A7%E5%B8%AB/2021/05/24 (MON)その他中高共通チャプレンより聖書のことば突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録第2章2~4節)~「聖霊」は、どのようなものかということを、頭の中で考えることは難しいことです。しかし、聖霊が私達のうちにいるということは、頭で考えることではなく、体で感じることです。「霊」の原語での意味は「空気の動き」であって「息・風・霊」と訳されていますので、聖霊は「聖なる息」とも翻訳できます。これなら体感することができます。https://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2021/od7mpo00000021uh.htmlイスラム社会では、天文学や錬金術、医術などが独自の発展をとげていました。これが、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還する目的で派遣されたカトリックの十字軍によって、再発見されることになります。東方の文物が西ヨーロッパに流入し、交易が盛んになり、その過程で、中世のヨーロッパに錬金術の概念が持ち込まれるんですね。~キリスト教会でも錬金術的な行為を行っていました。ヨーロッパにある修道院では、各種の薬草とアルコールを独自の製法で配合し、「エリクサ」をつくって資金源とすることが多かったんです。修道院でつくられたリキュールとしては、フランスのシャルトリューズ酒などが有名です。キリスト教は錬金術を基本的には禁じながらも、需要が大きいため、見て見ぬふりをすることで対応してきたんですが、決定的にダメな場合もありました。錬金術が悪魔の力を借りて行われることです。みなさんはゲーテが書いた戯曲『ファウスト』をご存知だと思います。https://www.haradise.net/archives/2542プシュケー(希: Ψυχή、ラテン文字表記:Psyche)とは、古代ギリシアの言葉で、もともとは息(いき、呼吸)を意味しており、転じて生きること(いのち、生命)、また心や魂を意味するようになった言葉である。希: Ψυχήはもともと息(呼吸)を意味していた。呼吸は生命のしるしとして最も顕著なものであったので、やがてこのプシュケーという言葉は、生命を意味するようになり、それが転じて、やがて心や魂も意味するようになった[1]。そのような語義になったのも当然[1]と指摘されている。[注 1]「プシュケー」という言葉を現代日本語に訳す場合、ひとつの訳語で押し通すことは困難なことが多々ある。同一の文献でも、ある文脈では「いのち」と、ある文脈では「心」あるいは「魂」と訳したほうが適切で、ある文脈ではどちらとも解釈可能、ということもある。古代ギリシア語と現代語では概念の体系自体が異なっているのである[6]。古代ギリシア哲学ソクラテスは(あるいはプラトンが自著で描くソクラテスは)、プシュケーを知と徳の座だとした。< よく生きる >ことを《プシュケーの気遣い》として説いた[7]。プシュケーの世話をせよ、と説いたのである。ソクラテスの弟子のプラトンは、滅びる宿命の身体に属する感覚を超えた知を描き、知を特質とし自己を動かすプシュケーは不滅である、とした[7]。アリストテレスは『ペリ・プシュケース』(「プシュケーについて」という題名の書)において、さまざまな生命の生存の原理を論じ、プシュケーとは「デュナミス(可能態)において命をもつ自然的物体の形相」と述べ、プシュケーというのは命の本質である自己目的機能であり、そして起動因である、とした。また同書でプシュケーは栄養摂取、知覚、理性などの順で階層をなしていると捉え、各階層ごとに説明を試みた[7]。より細かく挙げれば、栄養摂取、生殖の能力、感覚能力、欲求能力、場所的移動の能力、表象能力、理性能力などである。アリストテレスは、一時期は生物の種類によって異なるプシュケーの段階があると見なし、(1)植物的プシュケー (2)動物的プシュケー (3)理性的プシュケー の3つを区別した。だが、彼の知識が増えるにしたがい、植物・動物・人間にプシュケーの違いが絶対的にあるとは考えないようになり、動物もその程度に応じて人間と同じような理性を持っていると考え、さらにその後になると、植物・動物・人間でプシュケーに区別は基本的に無い、と見なすようになったようである[8]。プロティノスは、神秘主義的な方向に進み、一者からヌース(知性)が、ヌースからプシュケーが、そしてプシュケーからヒューレー(質料)が流れ出ると述べた。新約聖書「霊性」を参照新約聖書における「プシュケー」は、例えば『マルコによる福音書』3:4、8:35、10:45のそれは、日本語では「命」と訳しうる。また、マルコ 14:34、ルカなどでは感情の座である[7]。新約聖書の「プシュケー」という表現は、現代語で言う「精神」と「身体」を合わせた人間を表しているのであって、霊肉二元論ではないので、「人」とか「人々」と訳したほうが自然なくだりも多い[7]。新約聖書ではプシュケーはプネウマと対比され、プネウマのほうは神から与えられる超自然的賜物とされている[7]。 例えば、パウロ書簡でもそうで、(ロシア語聖書ではプシュケーはドゥシャ、プネウマはドゥーフ、という語に訳し分けられている)、プネウマ(ドゥーフ)はパウロ書簡では、心・魂ではなく、それらを超えたところから外的に働く力、としてしるされている[9]。救済は古代ギリシアやグノーシス主義では「神的プシュケーの罪ある肉体(ソーマ)の牢獄(セーマ)からの解放」であったが、新約聖書ではあくまで体の復活としてとらえられている[7]。ルタールターは、ギリシア語のプシュケーをつねに「いのち」と訳していたという[10]。脚注注釈^ なお、息という意味から《生きること》や《いのち》までも派生するようになったのは何も古代ギリシャ語に限らない。日本語でも、「いき(息)」という言葉が活用(語形変化)して「いき-る(生きる)」という言葉が成立したのである[2][3]。また「いのち」という言葉の語源に関する説は(説がひとつに定まっているわけではなく確定的な説は無いものの)「い(息)のうち」という意味・表現から生じたという説[4]、あるいは「息のち(力)」から生じた、とする説[5]が主たるもので、いずれにせよ日本語でも一般的に「いのち」は「息」から派生した言葉だと判断されているのである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%83%BC古代ユダヤ人は最期の息を引き取るとき、シェキナー(神の臨在)のビジョンを見る。それからネフェシェ(生命、息)が身体を離れる。https://osoushiki-plaza.com/anoyo/world/ancient/a_judaya.htmlイエスは霊を送るに際して「息を吹きかけて」います。この場合、息を吹きかける動作にはいったい、どんなイメージが込められているのでしょうか。https://www.sanpaolo.jp/18124みことばの響き息を吹きかける 復活節第2主日(ヨハネ20・19~31)2023.04.14https://www.sanpaolo.jp/17907身体をもつ人間を「生きる者」とするのは、神が吹き入れられる「命の息」、すなわち「生かす霊」です。聖書の用語では息は霊の象徴です。神からの霊によって生きる者となった人間は、子が親を慕い求めるように、命の根源である神を慕い求めないではおれません。人間は生まれながら宗教的人間(ホモ・レギオースス)です。神を慕い求める人間の営み(=宗教)は、ときにグロテスクな形態を取りますが、生命への畏敬の形で現れるとき健全な方向にあると見ることができます。「木は実によって知られる」のです。自分の宗教のために人を殺すような宗教は正しい宗教ではありえません。https://www.tenryo.net/old/Dawn25.htmキリスト教は自ら「啓示宗教」(revealed religion)であるとする。それによれば、神自身が行為と言葉において自身を啓示しなければ、人間は神について何も知ることができない。また、人間は神をあるがままに認識することができない。そこで、神が自身の存在と性質、計画と意思について明らかにし、知識を伝達する限りにおいて、人間は神を知ることができる。自然や良心において知ることができる神知識や善悪の知識を一般啓示、特に人間の救済についての啓示を特別啓示という。特別啓示の範囲についての理解は教派によって幅があるが、一般に聖書が特別啓示であるとされる。具体的に聖書に現れる啓示の範囲については言語霊感と思想霊感などがあり、表され方としては機械霊感や有機霊感など理解の幅がある。啓示 - Wikipedia>神秘主義のなかにも邪悪なものへと変質していったものが多々あることを忘れてはならない。全般的に善を求める神秘主義の根底にあるものはある種の救済論である。> プラトンによれば永遠不変のイデア界に似せて善性を本性とする神デミウルゴスが世界を創造したが、既に存在する物質を材料として使用したために、世界は不完全なものとなってしまった。そのため物質界はイデア界を手本にして変貌していかなければならない。グノーシス派では原初の世界は至高神アイオーンによって創造されたが、私たちが住んでいる世界を創ったのはこれよりも劣るヤルダバオートあるいはデミウルゴスと呼ばれる神であった。これは旧約聖書における創造主の神に匹敵するもので、プラトンの考えと同じように世界の創造の素材として物質が使用された。それ故、人間は神の霊を持ちながら肉体という牢獄に繫がれていることになる。救済のためにはグノーシス(霊知)が必要であるというのが、グノーシス派の基本形である。> 旧約聖書の「創世記」では、アダムとイヴは神から禁じられていた知惠の実を食べて堕落したが、その発端は蛇がイヴを騙したことによる。そこで正当キリスト教では蛇は悪魔の象徴と見なされる。しかし物質的世界を悪と考えるグノーシス派では、アダムとイヴに木の実を食べるように促して「霊知」を授けた蛇は善なるものの象徴だった。ウロボロスと呼ばれる自分の尾を嚙んでいる蛇の図像は、自らの死と再生を意味し、グノーシス派においては復活したキリストの象徴となる。この円環状の蛇は初めと終わりを示し、ヨハネ黙示録の21 章6 節の「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」というキリストの言葉と呼応している。> さて、ウロボロスを重要な象徴として用いているものに錬金術がある。>必要なものは「賢者の石」pierrephilosophale である。>錬金術の根幹を成すヘルメス思想では、マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙=人間)が照応し合っているという考え方が根本にある。>また錬金術師たちは万物は神の霊である第一質料prima materia から生じていると考えた。https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/303