カテゴリ:お茶(茶道)
人生修行が必要なやつに、必要な修行が人生にやってくる。
「お茶」がまさにそうかもしれない。 「お茶」は大好き。 先生にも、お仲間にも、本当に恵まれている。 いまのお社中にお世話になっていなかったら、 お茶のお勉強は、続いていなかっただろう。 私のお茶との出会いは、伯母とふたりの楽しいお稽古だった。 私は、緩みきっての入門だったが、 伯母のお茶にかける情熱は、今になってみるとかなりなものだった。 お稽古の前日に、電車とバスを乗り継いで 先生のお宅にお花を届けに行く。 このことだけをとっても「お茶」のお稽古とは、 その「稽古」のみならず、 お茶に向き合う姿勢そのものだということがわかる。 伯母が亡くなって、他の先生に就けなかったのも 私には、そういう気の使い方ができないからである。 伯母が築いたものを私が台無しにしてしまいそうだったから。 入るのも辞めるのも気軽かと思って カルチャーセンターに通い始めたのが いまの先生との出会い。 私にお茶を続けさせたかった伯母の配慮かもしれない、と思う。 なにをやってもそうなんだろうけど 一芸に秀でること、というのか、 その道に通じること、というのか、 ともかくも、ず~~~~っと同じことをやっていると すばらしいこともあるが、 狭っちい世界がすべてだと思い込むこともあるのであろうか。 ある意味、カースト制度、 ある意味、宗教って気もする。 「一期一会」はどうした。 「侘びさび」はどうした。 と、大声で叫びたいこともある。 いったい、どこまで本心で気を使いまくれば気が済むのだ! と、結構、小心者の気ぃつかいぃと自覚していたのに、 実は、全然、気がつかない自分発見、なのである。 仕事でも生活でも、とみに社会性を失っているせいもあり、 どうも、この人びととの距離感のとり方がむずかしいのである。 これこそ、修行、というべきか。 つい面倒になって、ストレートな物言いをしてしまって、 後悔するということが数多くある。 (って、こりゃ、お茶とは関係ないか。) それにしても、楽しいが、辛い。 そして、奥深いのがお茶である。 この辺で、今日の脳みその限界。 続きは、また、今度。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.03.06 00:03:30
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