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塗り替えていただいております。 想像していたよりおおごとになっております。 大工さんとか、左官さんてカッコイイよね。 「職人さん」にひかれる。うんうん。 ガチブクロ下げた大道具さんの雪駄脱いだときの黒足袋がちょっとほころびてるとこ、なんてツボだよね。その瞬間に惚れますな。(って、誰がわかる。) 絵が描けて(美術/想像力/読解力)、 図面が引けて(数学/物理)、 立体化できる(技術力/体力/統率力)って、 これ、私が求めるすべてがそこにあるわけで。 そのうえ、舞台稽古の最中に わずかな手直しで、一瞬にして補修していくところ、とか、 それが、表側だけじゃなくて、 現場に関わるひとたちが通り道なんかに、 ほんのちょっとの不都合があったとすると 放っておかないで、ちょちょっと直してくれたり。 プロとして目に見える場面での完成度は、 そりゃ、もちろん、大前提の話で、 見えないところ、ちょっとした心遣いみたいなものが 舞台をやってる人にはあるよね~。 舞台、というより、 たぶん、本物のプロフェッショナルは、 そういうものを持ち得ていると思う。 プロとしての仕事100%、それにプラスαがプロなんだろうなぁ。 って、何の話だっけ。 『職人』さんが好き、って話でした。 それまくったついでに、 舞台美術さん、って話をするときに 必ずイメージする大学時代の友人がいることに気がついた。 彼は、理工学系の大学を中退して舞台美術を学んでいて、(←理科系+芸術系=ドツボ) 彼の描いたエレベーションが美しかったのを覚えている。 とにかく語りたい、口から生まれた人たちが多く、 相手を論破して自分の意見を通したがる(のは、みんなでものを作るうえでは、仕方ない)仲間の中で、 たぶん、寡黙な方で、温厚であった。(あまり記憶なし。たぶん、美化) 木を相手に、寸法を測って、切って、くぎを打つ、 地道な作業をもくもくとこなすその手が大きかった。 その作業で汚れた、大きくて厚みもある手が(これははっきりビジュアルの記憶あり) そうだ、私の手フェチの心を鷲掴みであった。 よく思い出せないが、眼鏡の下の顔も それなりに素敵だったのではないか。(激しく思い出改ざん中) それなのに、片思い、という感情さえ抱くまでに至らなかったのは、 諸処の事情があった(いろいろあったが、ほぼ忘却)からである。 そのうえ、当時、先輩の卒製はじめもろもろ、 一緒に仕事(勉強だけど)をしていたときは、ものすごく忙しく、 気がついたときには、むしろ『仕事仲間』になっていたのである。 う~む。 四半世紀(!)経って考えるに、 もしや、一生のうちでもかなり『好きなタイプ』ではなかったか。 残念じゃ。 いいなぁ、人間って。 記憶をいいように美しく塗り替えて行きていけるのだ。 私もまた、記憶の左官屋さんなのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.07.22 17:27:15
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