フラメンコギタリスト渕崎昭彦 公式BLOG (ふちログ)
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いやはや暑い日が続きます暑さに身体を慣らしていかなければならないな・・と思いつつ、日本の気候そのものが変化してきているように感じるところです、順応させていくしかなさそうですね・・・今回、誰を書くのか少し悩んでいたのですが、完璧な技術と圧倒的な速度、そして洗練された現代的なメロディを聞かせてくれる「ヘラルド・ヌニェス」を紹介したいと思います!ソロギタリストとして活躍するフラメンコギタリストは一般的に踊りや歌の伴奏を通じながら徐々にソリスタ(コンセルティスタ)の活動にシフトしていくことが一般的ですが、ヘラルドは最初からコンサートギタリストを目指していたとインタビューで記事で読んだ記憶があります。また毎夏サンルーカルという土地でクルソ(ワークショップ)を開催しており指導力にも定評があると耳にしています。そのままコンサートギタリストとして躍進していくと期待されていましたが、後に手の故障(正確には脳か神経系統かもしれません)もあり、現在はその手で使用可能な奏法を模索しながら活動しているようです紹介したいアルバムは彼のセカンドアルバム「Flamenco En NuevaYork」ニューヨークで録音したものですねいやはや何回聞いても圧倒されてしまいますが、皆さんにはどう聞こえるのでしょうか?ギタリスト目線でいくともうモンスター級です 笑
2023.07.13
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新鮮なセロリが手に入ったので一本はマリネにして冷蔵庫で漬けております(配合はオリーブオイル、しょうゆ、酢、みりん 各大さじ1)美味しくなると良いのですが・・さて、今回は何を紹介していくのか少々迷ったのですが現在、来日中の「カニサーレス」について少し紹介します。幼少の頃から、アカデミックな西洋音楽教育を受けてきている当時では、まだ珍しかったフラメンコギタリストですが、氏が10歳位の頃、地元バルセロナの公演を行っていたパコの楽屋を訪れ演奏を披露、そして、その10年近く後に「あのバルセロナの天才少年はどうしている?」とパコのツアーメンバーに抜擢されたことは有名は話です。その完璧な技術はパコに「ギターが本当に上手い人間というのは、俺ではなく彼の事だ」と言わせしめたとも耳にしますここ最近では、フラメンコのみならずクラシック音楽なども精力的に演奏し、「アランフェス協奏曲」のソリスタとして世界各地のオーケストラとも共演、大活躍中です!お勧めのアルバムは氏の円熟した音楽と完成度の高さから「Cuerda Del Alma」を紹介したいと思います!直訳すると「魂の弦」になりますが邦題はどうなっているのでしょう卓越した技術はもちろんですが、楽曲の完成度の高さと、音のクオリティーも素晴らしく、カニサーレス節を存分に堪能できるかと思います!(故に好みが判れるところでもありますが、それは聴き手次第かとも思います)それにしても、今聞いているのですがまさに世界最高峰のギタリストの一人凄い音ですね・・
2023.07.12
前回は「トマティート」を紹介しました※ ちなみに愛称は「トマテ」でトマトの意フラメンコのアルティスタ(アーティスト)の芸名は結構、食べ物が多いのです・・「カマロン・・小エビ」「チョコラーテ・・チョコレート」等々他多数!さてパコ以降の時代の代表的なギタリストとして今回は現在も活躍中の「ビセンテ・アミーゴ」を紹介したい思います巨匠「マノロ・サンルーカル」に見出された後にマノロのチームのサードギターに抜擢、その後同郷・コルドバの歌い手「エル・ペレ」の伴奏者としての初来日しつつ、一躍「ソリスタ」としての名前を挙げていきます。毎夏に行われる「コルドバ・ギターフェスティバル」に11歳の時にマノロの講座で半ズボンで現れた彼が、やがてデビューアルバムに収録されるオリジナル曲を披露しマノロの内弟子になったことは半ば伝説的に耳に入ってくる話です※ マノロとコルドバのクルソについては以前、書いていますので興味ある方は下記からどうぞhttps://plaza.rakuten.co.jp/fuchizaki/diary/202210120000/かつてのインタビュー記事の中で「君は既に自分自身の音と音楽を持ってる、それらを損ねることなく君だけの音を育てなさい」とマノロがビセンテに伝えたと読んだ記憶があります(少し意訳ですが・・)ですので、お勧めのアルバムとしてまずは その勢いのまま強烈なデビューを果たしたファーストアルバム「De Mi Corazon Al Aire」から聞いてみてはどうでしょうか? 邦題は「わが心を風に解き放てば」※ 物凄いタイトルですよね・・・フラメンコの形式感を土台に彼独自のメロディセンスや歌いまわし、当時はまだ汎用されていなかった代理和音の使用、斬新なリズムの感覚と切れ味、もちろん圧倒的な技術!その後、時代を追うごとに洗練さと熟成を増していきますが、そういう意味で、この時期にしかなかった音として今でも 聞いているアルバムです!
2023.07.06
1990年代になると、前述の「パコ・デ・ルシア」の影響を受けた現代風(モデルノと呼ばれる)多くのソロギタリスト達が現れてきます極端な言い方をするならば パコの影響を受けていないギタリストを探すのがなかなか大変なぐらいかもしれませんさて今回は、今現在も活躍している「トマティート」を紹介したいと思いますカマロン(フラメンコの歌い手)に見出され、パコの後にカマロンの伴奏者を務めることで一気に名前が出てきますがアルメリア地方(アンダルシア東部出身)のヒターノ(ロマ)である彼の音は切れ味もさることながらフラメンコ特有の深いニュアンスに満ち溢れています、またその後はラテンジャズのピアニスト「ミッシェル・カミーロ」とのコンビでも活躍しているのは興味深いところですどのアルバムから聴いても良いかもしれませんが迷ってしまう方は、まずはデビューアルバムである「ロサ・デ・アモール」から聞いてみてはどうでしょうか?抜群のコンパス(フラメンコのリズム)感と若き日のニュアンスと鋭さでフラメンコの音を聞かせてくれます!ギタリストの立場からすると「本当に彼にしか出せない固有の音なのだな・・」と素直に思わせてくれるアルバムです!
2023.07.05
外はカミナリが鳴り始めています!さて今回はパコ以降の時代、そして現代へと向かおうかと考えていたのですが、少し思うとことろもありまして・・・今、僕が書いているのは王道的といいますか、ある一定期間フラメンコギターを勉強している人は知っていて当たり前の共通知識みたいものなんです。ただフラメンコには、実に豊かな地方色があって、それが音楽とは別の意味で、文化として色濃く伝承されている世界が確実にあるんです、そして、それらが必ずしもアルバムになっていたり商業的に成功しているとは限らない今回は、そんな部分に少しだけ触れてみてもいいかなと・・今日紹介したいのはセビージャ県モロンスタイルの始祖である「ディエゴ・デル・ガストール」です生涯その街を出ることを好まず、(録音)記録を残すことも好まなければ、フラメンコを職業として成功させていくという価値観とは無縁のギタリストです前回の記事でアップした巨匠リカルドやサビカスが当時ディエゴの事を耳にして、馬車に乗ってモロンという土地へ向かい、夜中の彼がギターを弾く場所で待ち伏せしていた、或いはギターを献上した等の伝説?が残っていますまた僕がセビージャで踊り伴奏の修行をさせてもらっていたモロン出身の踊り手である「ファナ・アマジャ」のスタジオには同郷であるディエゴ翁の肖像画が壁に飾られ、「彼の音を聞くと自然と涙が零れてくるの・」と僕に語ってくれましたただ、時代背景もありますがそういう人物背景ですから「アルバム」というものは僕の知る限りリリーズはされておらず、21世紀に入ってから、モロン市役所?が古いギターソロの音源を集めて本と記念アルバムが発刊された一枚のみなのでしょうか・・動画で探してみると歌の伴奏等の記録は結構残っているようです彼のフラメンコは、同じ家系の「パコ・デル・ガストール」「ホァン・デル・ガストール」「ディエギート・デ・モロン」他脈々と現代まで受け継がれています決して耳障りの良い音ではありませんので皆さんがそれらを聴いた時にどう感じるのかは全く判りませんし「聴く時期」ももしかしたらあるのかもしれません、ただ フラメンコの水脈は想像以上に深く一定の価値観ではとても図り切れないものばかりですそんな内なる音の旅をしてみたい方はぜひ聞いてみてください!
2023.07.04
さて、前回までは「パコ・デ・ルシア」を視点の軸にその同時代の代表的ギタリストを紹介しましたが、今回は、パコ以前の時代に古典期について紹介しますここで紹介したいのはまずは、フラメンコギターのソロスタイルの礎を構築したとされる「ラモン・モントージャ」そしてフラメンコギターに携わるならぜひ聞いておいてほしい二人の巨匠「ニーニョ・リカルド」と「サビーカス」圧倒的に異なる個性で、現代につながるスタイルを作り上げたギタリストですが、時代もあり、音源としては「アルバム」というより再編集された「ベストアルバム」を選択することになります皆さんにはどのように聞こえるのでしょうか?あまり先入観を持ち過ぎずニュートラルな感性で試してみるのも一考です以前、パコがインタビューでこんな発言をしていたのを覚えています「最近のギタリスト達に言いたい僕の真似をする時間があるのならば、モントージャやリカルド等の古典を勉強すべきだ、なぜなら 僕はそうしてきたのだから・・」ちなみに、以前にも近い内容の文章を書いていますので下記も参考にしてください!https://plaza.rakuten.co.jp/fuchizaki/diary/202204060000/
2023.07.02
さて、前回は「パコ・デ・ルシア」と対比の意味も兼ねて「マノロ・サンルーカル」を紹介しました訳ですが、1970年代当時「現代フラメンコギターの3代名手」あるいは少し古い言い方ですが「三羽ガラス」と言われていたのが上記既に故人である二人と、もう一人が「セラニート」というギタリストです!マドリード(スペインの首都)スタイルの技巧派で知られ、右手の3本指の使い方にも独特の個性を持っているギタリストです、パコやマノロと対比して聞いてみても面白いかと思います!併せて、当時のパコをしのぐのではないか?と言われた「ヒターノ(ロマ)」の天才ギタリスト「ニーニョ・ミゲル」またグラナダのギタリスト一族の一人である「ペペ・アビチェラ」は派手さはありませんが、その乾いた音色と、アクセントの鋭さ、実に毒を含んだフラメンコは、まさに玄人好みかもしれません 笑まだまだ紹介したいギタリストはたくさんいるのですが、あまり情報量が多いと混乱してしまいますよね?ゆっくり聞ききながら自分の好みや方向性の一歩を見つけていくのもフラメンコの楽しみだと思います!今回は 「ソリスタ」を中心として、伴奏ギタリストについては、ほとんど触れていませんがもう少し進んでから触れていければと考えています次回は、古典期(パコの前の時代)に目を向けていきたいと思います!
2023.06.30
前回まではパコの音源を時代別に紹介しましたが、フラメンコギターはもちろんパコが圧倒的な影響力を持ったとはいえそれがフラメンコの全てという事ではありません今回はパコと同時代のギタリストである巨匠「マノロ・サンルーカル」を紹介します!パコがフラメンコギター界のスーパースターならマノロは後進の育成や音楽監督等にも力を注いだマエストロといったところでしょうか・・そこに優劣はなくあくまで、各々のフラメンコが在り様が存在しますさてマノロのアルバムといえばデビューアルバムの「リサイタル・フラメンコ」もぜひ聞いてほしいところですし、様々なフラメンコの曲種形式別に録音した「フラメンコギターの世界と形」全3集も大いに興味深いところかと思いますが、その軌跡の中でやはりお勧めしたいのは「タウロマヒア」というアルバムでしょうか一冊の長編小説であるかのようなテーマ性を持ったアルバムはフラメンコギター界では絶品の評価を受けています!マノロの楽曲の構築性、独自の音楽的イディオムなどは実に興味深いところです機会を見つけてぜひ聞いてみてください!
2023.06.28
前回に引き続きパコの作品を視点に現代へと向けていきましょう次に紹介したいのは1980年代に発表された名作「シロッコ」このアルバムが現代フラメンコシーンへどの位影響を与えたのかは正直なところ図りしれません!40年近い経過した今聞いても決して古くささは感じないのでは?とも思いますパコのフラメンコがより確かな型(スタイル)となった時期ですまた、パコがフラメンコ界にとどまらずスーパーギタートリオ等を始めジャンルの垣根を越えての動きが活発になり、またセクステットというリーダーバンドも活発化していきます時を経て90年代の作品の「ルシア」この時期、パコの母親、そして盟友の歌い手「カマロン」が亡くなった時期というのあるかもしれませんが、曲想がより深く静寂を感じさせるものをまとう様になったと感じるのは僕だけでしょうか?あまり先入観があってもいけませんので次に進めましょう最後に2000年代に発表した(結果的に最後の純フラメンコアルバムになりますが)「コシータス・ブエナス」様々な経験を経たパコの現在進行形フラメンコのスタイルである意味「フラメンコへの原点回帰的」的なアルバムになりますかなりざっくりと書きましたが時代順でなくランダムに聞いても構わないと思います!好みはさておき、これらはフラメンコギターに携わってる方ならば、まず知っているであろう代表的なものばかりですので参考になれば幸いです!次回はパコから少し視点を変えて書きたいと思います!
2023.06.27
さて前回は「パコ・デ・ルシア」のデビューアルバム「天才」を紹介しました続いて、もう少しパコのアルバムを紹介していきたいと思いますが、次に紹介したいのは、少し時を進めて1970年代中盤にリリーズされたアルバム「アルモライマ」です!(その合間に紹介したいアルバムはもちろんあるのですが、ここではあくまで大まかな音源紹ですので中略としますね)さて、このアルバムは当時のフラメンコ界に革命の一歩を与えたアルバムと言われています今まで、あくまでギター一本で弾き通す、フラメンコギターのソロ中心だったアルバムに様々なアレンジが加わり、より厚みのある音へと変わっていきます(※ その前のアルバムから既にその麦芽はありました・・)そして、一番大きいと僕が感じるのは、フラメンコのもつ「センティード」(フラメンコ的ニュアンス感覚)が変化してきたというところかもしれません今までの伝統を生かしながらもパコの作曲技法が大きく変化した時期のものです そして、今までの指の動きや技術ではとても弾くことが出来ない新しいリズム感覚のファルセータ(ギターのフレーズ)が増えていきます。(ここは、自分自身でフラメンコギターを学んで経験を重ねないと具体的に判りずらいところでもありますが・・)これからフラメンコを学ぶ方は知っておいて絶対に損のないアルバムですのでぜひ聞いてみてください!
2023.06.25
先日、近所の農園で取り立ての枝豆を(枝付き)を仕入れて、自宅で茹でて食べてみましたが、いやはや 甘くて美味しいかったです!枝豆300グラム、水は50CC蓋をしたフライパンで中火5分塩加減がポイントですね!(あと団扇も・・・)さて、前回「フラメンコ・ラジオ」を紹介しましたが、今回は、フラメンコギターの音源等を紹介していきますフラメンコギターといっても時代性や,地方性、演奏スタイルがたくさんあり「どれを選べばいいのか判らない」「何から順番に聞いていくのか?」という質問はクラスでも多いのですが、確かに、なかなか選ぶ行為も楽しみとはいえ逆に情報が多すぎて選べなかったり、また時代別に古典から順番に聞き始めても良いのですが、逆に古すぎる故に音質が聞きにくかったり、また音楽的にも「よく判らない・・」という事もありますそんな方々には僕は、やはり巨匠「パコ・デ・ルシア」を推薦しています!フラメンコギターの歴史を語る時に「パコ以前の時代と以降の時代」という言葉が必ず出てきますが、好むと好まざるに関わらずひとつのスタイルを作りあげたギタリストとしてその影響力は圧倒的ですそういう意味で、まずはパコから聞いてみることで自分なりの「定点観測ポイント」が生まれてきてそこから比較的掘り下げやすくなるのではないでしょうか?パコを時代別に聞いていくことで更にひとつの視点が出来てくるかもしれませんねまずは デビューアルバム「天才」はいかがでしょうか?圧倒的な技術とスピード、音の粒立ちもそうですが、巨匠「ニーニョ・リカルド」の影響が色濃く残りまだ当時は全編オリジナル曲ではありませんが、フラメンコギターがどんな構造体系で弾かれているのか?後々、参考にしやすい面もあるかと思いますパコが10代後半の時のアルバムです恐るべし!!!
2023.06.22
こんばんは先程、肉じゃがを調理して現在、味をしみ込ませるために寝かせているところですが、今日の味はどうでしょうか?未だに自分の味として安定しないところです!さて、これは驚かれることが多いのですが、フラメンコギターはそもそも楽譜を通じて学ぶものではなく、落語の語り芸の様に音と耳によって(目も使いますが)学んでいく手法がメインです少し硬く言うと音によって「伝承」されてきた文化芸能なのです(これには、きちんと理由がありますが、長くなってしまうため、また別の機会に書ければと思います!)ですので、楽譜は読めなくても全く大丈夫です!スペインでは、ほとんどがこの方式です、逆に、楽譜がなくては大変ではないですか?とも質問を受けますが、慣れてくると、まずほとんどの生徒さんが楽譜がない方が楽だと言います!特に、伴奏にチャレンジしていきたい方は踊りや歌(カンテ)には、譜面が基本存在しないわけですから、最初から「楽譜なし」で慣れておいた方が有効かとも思います。この点は、様々クラスの特徴が出るところです!併せて、アウラ音楽院では現在、入会応援キャンペーン実施中です!渋谷校(土)秋葉原校(月、金、土)池袋校(水)でフラメンコギタークラスを担当しております無料体験クラスもありますのでご興味ある方は下記のリンクからどうぞ!お待ちしておりますhttps://www.guitarschool.co.jp/archives/34222
2023.06.15
久しぶりに「堂場瞬一」さんの刑事シリーズ作品を読んでいました!物凄く深いところに入っていくというわけではないのですが、キャラクターの個性が実に味わい深くついつい読んでしまうんですよねさてまずフラメンコギターを始めるのに今までのギター経験はなくても大丈夫です!確かにギター経験がある方は、左手と右手の連結や左手のポジションなどを把握していたり、そういう意味では導入はスムーズですし、そこはアドバンテージかもしれませんが、ギターと言ってもなかなか幅が広くて、ピックスタイルで弾くエレキギターもあれば、指で弾くクラシックギター等々それぞれ異なりますし、当然ながらそこにはジャンルの特性からくる「癖」みたいものも少なからず存在しますので人によっては、それを「修正」「書き換え」が必用になる場合もあるのです、そういう視点から眺めてみると、未経験者の方達が、最初はゆっくりでも後から上達の伸びが良くなるケースは多数あります!ギター経験、様々な楽器経験、そして音楽経験それぞれの特性を客観的に見ながら、今度、この辺りをもう少し掘り下げて書いてみると面白そうですね!併せて、アウラギター音楽院では現在、入会応援キャンペーン実施中です!無料体験クラスもありますのでご興味ある方は下記のリンクからどうぞ!https://www.guitarschool.co.jp/archives/34222
2023.06.07
手元の湿度計を見ると64パーセントフラメンコギターといいますかスペイン生まれの楽器は湿度の影響を見事に受けます!地中海性気候であるスペインのアンダルシアは空気も見事に乾燥していますので、そこで生まれた以上異なる気候風土の地では何かしら影響が出てしまうというのは何も、ギターだけではなく建築などは特にそうですよね?(人体も?)以前、日本からスペインにギターを持参した際に楽器が見事に鳴り始めて驚いた記憶がありますでは、自宅を空調コントロールして常に最適温度に保てれば話が早いのでしょうが、そんなにコストをかけられる人は多くないですよね?僕の場合は、ギターケース内には「乾燥剤」を入れておき、ケース内の湿度は50パーセント弱を保つように一応注意をしています、これだけでも、かなり音が変わってきますし、季節による湿度変化からギターの割れ等の予防にもなるかと思います。ギター専用の乾燥剤もありますが、僕は、普通にホームセンターで購入したものを使っています!
2023.06.04
今日は、スーパーでセロリが安かったので牛肉と合わせてオイスターソース炒めで行こうかと思っていますさて、フラメンコギターを学ぶためにスペイン語は必要なのですか?という質問ですが、結論から述べると、スペイン語を理解しておく事のデメリットはありません、ただ、現実的に時間とエネルギーの配分でスペイン語にそれを費やすことが可能かどうか?という事がポイントですよね実際、フラメンコギター、あるいは「フラメンコ」には少なからず専門用語としてスペイン語が関わってきます、例えば、ギターの奏法の技術名称にもラスゲアード(かき鳴らす)ゴルペ (打つ、打撃)というように、スペイン語の意味が、そのまま名称になっているものも多いです、実際,右手の指の記号もスペイン語の頭文字を使用してますよね?このレベルであればレッスンを通じて先生の説明に耳を傾けていれば時と共に勝手に覚えてしまう質のものでしょう、リズムのカウントで使うスペイン語の数字もレッスンを通じて覚えてしまえば良いかと思います!ただ、より深いところでフラメンコを学びたいという方は、例えば、カンテ(フラメンコの歌)を知りたいと求めたり、やがてスペインの先生に習いたい等、希望される方は、少しでも触れておくことは悪い気ではないかと思います。民族音楽と言語の関係性は様々な文献や資料がたくさんあるかと思いますが、フラメンコのコンパス(リズム)はかなりスペイン語とリンクしていますのでこの辺のところを深めていくのも実に面白いかと思いますよ!
2023.05.31
更新が滞り失礼しました、昨年からの流れといいますか、曹洞宗の始祖「道元禅師」の文献を読んでいたらなかなか「言葉そのもの」が飛んでしまう状態になっておりました・・でも 少しづつ戻ってきております!さて、お勧めの音源といいますか、学ぶ過程において、進めたい音源というのはもちろんありますし、クラスなどでは、その人の方向性やレッスンの進行状況を見ながら紹介してはいるのですが、万人に「これですよ!」というは、時に先入観を与える場合があるので少々、注意を払わなくてはならないのです・・そこの部分は今後もう少し整理するとして今日、紹介したいのはインターネットラジオといいますかスペインのラジオ局「Canar Sur」の「Flamenco Radio]です!!これ24時間ずっと流れてるのですかね?いわゆるレコードだけではなく、古典から現代のフラメンコまで、過去のライブやフェスティバル等の貴重な音源が次々と流れてきます!歌い手やギタリストの名前もクレジットされていますし、選ぶのが大変だけど聞いてみたい!という方はお勧めかと思います!ただ「巻き戻し」はしてくれませんので、「繰り返し聞き直す」という勉強には不向きかもしれませんが、ここからお気に入りのアーティストと出逢い、自身で掘り下げていくというのも面白いですよね!
2023.05.24
2017年に発刊された「騎士団長殺し」から6年ぶりの長編小説となる「街とその不確かな壁」先日、読了しました。ひとつひとつ選び抜かれた言葉や文体と対峙するには読み手もなかなかエネルギーを要するのでしょう、急がずにゆったり読み進めていくことでしか見えてこない質のものってありますよね?ここで、あらすじや批評めいた事はもちろん書く気はありません(批評なんて元々出来ないですが・・)また、これから読まれる方もいるかと思いますのであくまで最小限の感想だけになりますが、圧倒的な静謐さが伴われるその物語の源泉に触れているとふと「ユングの集合無意識」の地平を垣間見た気がしてなりません自分では手が届かない深い部分にそっと触れてくるこの物語が今後の自分にどんな影響を与えていくのか、そのまま時間と共にどう変化していくのか正直、全く未知数ですひとつ言えることはそういう表層ではない深い部分で旅をさせてくれる「物語」に出逢えることは本当に幸運なことである事という事かもしれません少し時間を置いて再読することになりそうです今までもそうでしたが・・
2023.05.10
「良い音」といのはあくまで個人的な感性に任されている部分ですので、何とも言えないところですが、弾いていくことで「良く鳴る」というのは間違いなくあります例えば、部屋に香りがしみ込んいくように、音もしみ込んでいくと考えてみると良いかもしれません音は振動です、その振動がギターの木に少しづつ馴染んでいくことで音は変化していきます、同じ意味で、音楽ホールもそうですよね?弾く前にきちんと調弦をしてあげて大事に弾き続けていくことで、人もギターも共に成長していくかと思います!
2023.04.19
「ケースの開閉の手間」「目の前、あるいは手の届くところにギターがあると練習しやすい」そういう理由でギターを部屋にそのまま置いている方もいるのかもしれませんもちろん、それはそれで構わないのですが僕の場合は、ギターは必ずケースに閉まっています。なぜかといいますと何かしらの不測のアクシデントによる楽器の破損リスクの回避もそうですが、直射日光や、エアコンも含めて、温度変化や湿度変化による、木材、塗装の変質や故障を最低限に抑えるという理由が大きいですフラメンコギターは基本的に職人が手作業で製作したものですので、とてもデリケートに出来ています部屋の壁に立てかけておいて転倒して壊れた!というのは避けたいところですケースそのものが完全に信頼できるとは言えなくても、ハードケース、あるいはセミハードケースに保管しておくことをお勧めします!クラシックギター セミハードケース リュックタイプ ストラップ付き 型抜き おすすめ 楽器 カバー 軽量 おすすめ ギターケース Classical Guitar cases カラー レッド ブラウン ブルー グリーン ブラック 送料無料(北海道/離島/沖縄/代引き/同梱不可)アランフェス・ギターケース・ナチュラルカーボン(ブラック) クラシックギターケース ハードケース 定番 黒 カーボン製 軽量 ショルダーベルト付属
2023.04.13
先日、ヘレスから来日しているカンタオール「ルイス・モネオ」のリサイタルを聞く機会に恵まれたまずは、はるばる日本にまで来てくれている彼等、そして招聘元の方々には心から感謝したいリモート、デジタル的な価値観や音は多かれ少なかれ自分の深部に影響を与える、時代に合わせて上手に付き合っていこうと、どんなに注意を向けて生活したとしてもそれらは多くの場合、無意識の領域によるものなのであろう、それにより自分の感覚がどう変化しているのか客観的に気が付く事はかなり困難だ。彼らの自然な歩みのコンパスと共にあるカンテ、そしてギターを聴きながら、自然に細胞が反応し始める自分に気づくそう僕にとってカンテを聴く事は全身の細胞で聴く事だったはずであった、何かしらの「知」にどうしてもしがみつきたくなってしまう自分を手放すことで初めて「本当の意味で聴く」という事になるのであろうか?まだまだ途上です!
2023.04.12
「手が小さいのですがギターは弾けますか?」「指が短いのですが大丈夫でしょうか?」これらは、実に多い質問の部類かもしれませんね、確かに、弦を押さえる左手に関して簡単に「それは全く関係ないです!」と言ってしまう気はありません、ですが多少の影響はあるとはいえ、「基本的には、問題になる程の影響はない」と僕は考えています実際、嘆いていても、成長過程を終えた成人の手が大きくなることはないでしょうし、できることなら自分の手と仲良くし、「そのためにどんな工夫をすべきか?」と考えていった方が現実的ですまた、僕自身も自分よりも手が小さい、あるいは指が短いギタリストが様々なコードを容易に押さえる左手を見ながら「なぜ これができるのだろう?」と悩んでいた一時期があり、そこから様々アドバイスを受けながら、身体の使い方や角度など、考え方や工夫することを覚えましたが、そこで「指の長さより使い方だな・・」と思い知りました僕は、どちらかというと指が長い部類かと思いますが、それ故に考えることを怠ってしまったひとつの例かもしれません、「ギターの持ち方は?」「軸指は?」「指とギターに対しての角度は?」「左手の脇はどう使うのか?」「そもそも力で何とかしようとしていないか?」「指が拡張するというのはどういうことか?」「ギターを正面から見過ぎていないか?」等々・・・何かしら、参考になれば良いのですが・・この点は、独習でがむしゃらに頑張り過ぎずにアドバイスを受けてみるのは、かなり有効かとも思います!
2023.03.29
「Fのコードが押さえれなくてギターを挫折しました・・」実際、独学者だった方からよく耳にする話ですが、これは、まず少し考え方を変えてみることを提案します!左手のセーハ(バレー)の時に人差し指の力が足りないから、力一杯に強く押さえよう!と考えていませんか?もし、そうだとするならば、セーハ以外の他の指をまず優先して、一番最後に人差し指で補足するように試してみてください左手の人差し指はギターで言うところの指番号が1であり、かつ器用な指ですのでどうしても優先されがちですが、一度、そういう先入観を取り去るところからアプローチすると必要な力の加減が見えてきて自分のポイントが見えてくるかもしれません!特に、左手の親指が痛い!という場合は力の入れすぎ、握る力に頼りすぎている可能性が高いですので、くれぐれも注意してください!痛みはサインでもあるので敏感になっていきましょう!
2023.03.23
先日、久しぶりに高村薫氏の作品「太陽を曳く馬」を読了しました先に読み終えていた奥さんに「どうだった?」と尋ねると「うーん 簡単に説明できないから自分で読んでみた方がいいよ!」との談でしたが、いやはや、確かにこれを説明するのは至難の業といいますか、僕自身も果たして読了と書いておきながら何とか読み通した・・というのが本当のところで、圧倒的な筆力に、しばし呆然とする程でした「芸術」「宗教」「法」のそれぞれの視点から世界を眺めた時言葉はどこまで通じ合い、調和を見出すことが出来るのであろうか?この物語は僕自身にどんな作用を与えていくのか?少し時を置いた後にもう一度読んでみたい作品です話は変わりますが、来月に村上春樹さんの新作が発表されるのですね!実に6年ぶりの長編、実に楽しみです!!【中古】 太陽を曳く馬(上)/高村薫【著】 【中古】afb【中古】【古本】太陽を曳く馬 下 新潮社 高村薫/著【文芸 日本文学 文学 女性作家】
「ギターを弾くために左手の握力を鍛える」確かに、僕がギターを始めたころそういった風説と言いますか根拠に乏しい思い込みの言説はありました。でも今から40年近く前の話ですからこれもやむを得ないですよね・・僕自身もそう思い込んでいた時代がありました!現在の僕自身はギターの左手は、「握る力」つまり握力ではなく、それぞれの指を独立させて、どう脱力し、そして最小限のエネルギーで稼働させていくか?という事を中心にいつも考えています握る力を主役に考えると、指の柔軟性を奪い瞬発力や立ち上がりの速度を損なってしまう恐れがあります実際に、ギターの左手の押弦は「おはしを持つ力」程度かとも思います、もちろん、握力をひたすら鍛えることでもしかしたら僕の知らない境地があるのかもしれませんが、そこに費やす時間がもしあるのなら、「いかに脱力、リラックスしてくのか?」という方向性で練習していく方が圧倒的に良いかもしれませんね!
2023.03.16
こんばんはこれもよくある質問です!結論から言うと僕は鏡を使っての練習は取り入れています、その理由は、「自分のフォームをチェック」するというはっきりしたものです、右手や左手はもちろん、座り方や構え方、自分の姿を知ることで、他者との比較や修正がしやすくなると考えているからです。ただ、くれぐれも鏡を頼りすぎて「視覚的」にギターを練習することは、注意した方が賢明かとも思います。最悪、「鏡がないと弾けません!」となってしまうと本末転倒です人間の感覚器官の中では「聴覚」が一番速く、鋭いと一般的に言われておrますが、「視覚」を中心に練習することで、本来「聴覚」に従って動いてくれるはずの指が逆に動かなくなり、成長が止まってしまう恐れがあるからです、何でも、やり過ぎはよくありません、目的を見失わず、取り入れていってください!
2023.03.15
先日、久しぶりの札幌在住の同級生が電話でこう語った「現在都内在住の息子が、ある大学のビッグバンドの公演にピアニストとして出演するんだ・・」と続けて話を聞いていると、昨年、ある大手楽器店のビッグバンドコンテストでどうも最優秀ソリスト賞を受賞し、そして、その大学のビッグバンドはフュージョンバンド「カシオペア」でかつてドラムスだった神保さんや、「スクエア」でキーボード担当だった和泉(故人)さんを輩出してきた、歴史と伝統のある名門サークルであることを思い出した今から10年以上前の雪の降る年末、その友人の自宅に訪れた僕にあるスペインクラシック音楽をふるまってくれたその少年の姿は今もありありと覚えていますそれに合わせて上京するという友人に再会、そしてコンサートの同行許可とチケットの手配の無理をお願いし、初のビッグバンド鑑賞をしてきました!実は、あまりに僕はビッグバンドを知らな過ぎた事もありスゥイングジャズ時代のスタンダードを少しだけ予習したりもしていったのはここだけの話・・初めて生で聞く、大人数の金管楽器を含めたバンドアンサンブルは実に新鮮で選曲も現代的で(僕の予習の意味は聞かないでください・・)実にエネルギッシュでチームワークのある音を楽しませて頂きましたピアニストであるご子息の「縛りの無い風通しの良い音」そして、音楽を全身で感じながらアンサンブルで一致させていく所作に、これから更に磨かれ開花されるであろう才能の麦芽を感じさせるもので本当にこれからが楽しみです終演後少しだけ挨拶させていただきましたが、その軽やかな佇まいである彼の前では、僕のアレコレの言葉は無粋というもの、次世代の自由な感性と技術は僕の経験や想像など軽く超えて新しい道や手法を開拓していくのでしょうし、時に余計なコメントは雑音にもなりかねませんそう思いながらも帰り道にふと気がつくと、今の自分に伝えられる事は何であろうか?言葉を探している自分に出逢います、「もしかしたらこれが老婆心というものかもしれないな・・」と何かしらの違う形で見守りたいものです!※ 写真はステージの休憩の合間に撮影したものですが、あんまり雰囲気出てなくてすみません!
2023.03.08
音楽のジャンルやカテゴライズに出来るだけ偏見は持たないように常にニュートラルであるように注意を払いつつも、限定された時間の中で、かつ自身の志向性や嗜好性?が介入してくる以上は、特に嫌いでもないのに、距離が遠のいたまま現在に至ってしまった音楽というのがいくつもある、ここ10年で僕自身が大きく変化したのは、クラシックとジャズを好んで聞くようになったことかもしれませんが、何故か、ロックやブルース等には今まで全く縁がなく、(恐らくエレクトリック主体の音を無意識に避けていた事も影響しているかと思います)自分でも「なぜだろう?」と思ったりもしていたのですが、先日、「ベースでフラメンコを学びたい」とレッスンに来てくれている、ベーシストの生徒さんがライブに出演するという事で見に行ってきました!いやはや! 下町にある常連さんで集うその親密なスペースは何とも音も人間も濃密で、久しぶりに聞くエレクトリックの音も、「ブルースロック」と呼ばれる音楽を楽しんできました!終演後、出演者であるミュージシャンの方々と少し、お話をさせていただいたのですが、人生も音楽も先輩にたる猛者ぞろいで実に興味深いひと時でしたよく音楽では、その音楽の学理的な意味ではなく、その生き方そのものを例えに使われます例えばフラメンコでも「彼は、何とフラメンコな佇まいであろうか・・」という言葉はアンダルシアでは日常会話の中でもよく出会います、同様に「ブルース」でも同じ意味合いで語られているのですねこういった異なる音楽に点在する共通点、相似面は非常に興味深くまた いつか記事で書いてみたいものです!
2023.03.02
スペインは「アンダルシアの日」でもある、昨日、僕もまた齢をひとつ重ねることになりました毎年、この日に生まれた不思議な縁、あるいは星巡りみたいものと共に、齢を重ねる事とは?みたいものをつい考えてしまったりするのですが、最近は、素直に「感謝」の念が生まれるようになってきました以前、登山をライフワークとする北海道在住の弟に「なぜ 山を登るのですか?」と率直に質問したところ実に、率直に「こういう景色が見たいからかもね・・」という答えが返ってきました決して安全とは言えないであろう凍てつく北海道の冬山の過酷さを知りつつも、その希求する心はその一歩を前に進ませる、そして時にはあきらめる勇気と決断と共にある生きることもそうかもしれませんね、まだまだ途上ですが一歩一歩確実に進んでいきますので引き続きよろしくお願いします2月28日 渕崎昭彦※ 写真は弟が撮影した北海道支笏湖周辺の幌下山の色彩です
2023.03.01
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「フラメンコギター演奏時にリズムを足で刻んだ方が良いですか?」こういう質問を良く受けますこれは演奏者自身が決定することですが、それは目的として?なのかあくまで手段として?なのかをまず考えていくのが良いかもしれません以前、あるスペイン人のギタリストがこう発言してました「舞台上にある音は、全てコンパス(リズム)として必要な音であるべきで、そしてそれはギタリストの足の音も同様である、自分のために踏んでいるのか、他者に聞かせるために踏んでいるのかを知るべきであるし、その音に責任を持たなければならない」と1970年代のパコ・デ・ルシアの映像を見ると、かかとの高い靴で、足でリズムを取っていますが、その音そのものが、天然のパーカッション的な役割を果たしています少し、視点を変えて「パルマ・手拍子」を考えてみると良いかもしれませんパルマは手拍子のみならず、足の音が入ることで、より安定すると共に、低音と高音の複合による多声的なリズムハーモニーを生み出してくれますまた、上半身のみではなく下半身も積極的に演奏に参加させることは、全身でリズムを感じることになるので練習ではどんどん使用すべきだと思いますただ、ここでくれぐれも注意してほしいことは、その足の音は、あくまでコンパスですので、やみくもに、力任せに足を踏まないことです。また強く踏み過ぎて、上半身のバランスを崩してギターの演奏に支障がでてしまうと本末転倒です、あくまで体内のコンパス(リズム)を自然に下半身にも伝えていくように練習していくと、身体のより多くの部位を使う事でリズムの習得に役立ててくれるのではないでしょうか?あと大事な点として、」足の音は、かなり振動しますので、近隣の住環境への配慮だけは気をつけてください!!僕も、スペイン在住時に近隣からかなりクレームを頂いてしまい、そのおかげで、かなりコントールを学びましたが、少し、強めに踏みたいときはそれなりのスタジオ等を借りた方が賢明かもしれません!
2023.02.15
ギターの寿命に関しては、よく聞かれる質問です正直なところを言えばこれは「判らない・・」としか答えようがないのが本当のところです。どれ位弾かれてきたのか、どのような環境で保管されてきたのかによっても異なるかとも思いますが、ギターそのものの歴史がまだ短いという事も多分にあるようです例えば、バイオリンやチェロでしたら200年以上前の楽器が丁寧に修復されてかなり現存されておりますが、いわゆる「スペインギター」はまだ100年少々の歴史しかなく、1930年代にはスペイン内戦もあり、またどちらかというと、丁重に扱われて保存されているケースよりも、一家に一台的な感じの生活の品として扱われている場合が多く、それ故に、充分なデータが取れていないという事なのだと思います僕も、何人かの製作家に尋ねたことがありますが、ほとんどの人が「うーん」と悩みつつ、また、何人かは「まぁ 人間と同じ位かな?・・」と首をかしげながら述べておりました人間も、たまに健康診断や場合によってはメンテナンスも必要になるわけですから、ギターも、同じように付き合っていくしかなさそうですね!
2023.02.08
気がつけば2月、更新が滞り大変失礼しております先日のルーツ調査資料を再度確認しながら、取りこぼしはなかったか?他のアプローチはないのか?また、脳の基礎滋養を高めるために様々な文献を読みこんだりしておりました。また、ギターについても「基礎」とは本来どうあるべきか?今まで、何万回も繰り返してきた右手と左手の各フォームや、発音のタイミングはこれで正解なのか?それらは、どうリズム(コンパス)と有機的につながるべきなのか?そんなことを見直してたりしつつ元気にしております!何かを習得するという行為はこれらを試行錯誤しつつ、何度でも繰り返しては見直し、壊しては積み上げていくという気が遠くなる作業と行為の積み重ねの中から生まれる一滴なのかもしれませんねまだまだ途上です!
2023.02.01
1月のアウラ音楽院フラメンコギタークラス秋葉原教室(金)は6日渋谷教室(土)は7日より池袋教室(水)は11日より開始となります併せて 秋葉原教室(月)も無料体験クラスも実施中です詳細は下記のアウラ音楽院のサイトをご参照くださいhttps://www.guitarschool.co.jp/fuchizaki
2023.01.09
新年明けましておめでとうございます昨年の秋頃からコツコツ読んでいた宮本輝さんの著書「流転の海」シリーズ全9巻を年越しで昨晩読了しました。氏が37年の年月をかけて記した自伝的作品であることを思うと「読了」ではなく「何とか読み通した」というのが正しい表現かもしれませんそれぞれの家族にはそれぞれの固有の物語がありそこに立ち込めてくる、「慈しみ」や「不条理」は、とても容易にこの場で記せるものではありませんが、今後の自分が生きていくうえで何かしら大切な視座を提示されたのかもしれません、それらを、しかと自分の中に落とし込みどのような形で昇華させるのかは僕自身の課題ですが、いつもの通りコツコツ時間をかけていくしかなさそうですね本年もよろしくお願い致します皆様にとって素晴らしい一年でありますように2023年1月 渕崎昭彦※ 写真は昨年「ルーツと巡礼の旅」で訪れた香川県さぬき市志度の町から眺めた瀬戸内海の景色ですかつては海岸線間際まで民家があり「家でタコを釣っていた!?」という言い伝えが我が家には残されていましたが、さすがに現代では整備されているようです!
2023.01.04
早いものでもう年末なのですね自分の周囲もそうですが、様々変化し続ける世界のあり様を思うととても総括などは容易にできるものではありませんがだからこそ本当に大事なことについて考え続けなければいけないのかもしれませんねまだまだ途上ではありますが1年間大変お世話になりました来年もよろしくお願い致します皆様にとって良き一年でありますように渕崎昭彦※ 写真は今年中頃「ルーツと巡礼の旅」の道中に立ち寄った、北海道三大秘湖のひとつ「オンネトー」でのものです。その色彩と空気感や静寂は、とてもぼくの腕で写真に収めきれるものではありませんが、その「静謐」さは今でもありありと思い出す事ができますきっと季節や天候で、日々異なる表情を見せてくれるのかと想像するとまた訪れてみたいです!
2022.12.26
「パコ・デ・ルシアはいかなる事があれフラメンコギタリストだ、そして一方マエストロ・マノロはムシコ(音楽家)だ、両者は比較できない質のものだ・・」これは、当時王立音楽院(コンセルバトーリオ)のフラメンコギター科首席教授のパコ・セラーノの言葉だこの意見に関しては様々な角度から議論できる極めて興味深いテーマであるようにも思える、そこには後進達が今後どのように学び進んでいくべきか?ひとつの指針や姿勢が映し出され、示唆ているように思える言葉です「フラメンコギターの原点は伴奏である共に歌い、踊ることでフラメンコギターが発展してきたことは絶対に忘れてはならない重要な要素だ」そんなパコ・セラーノの話から歌い手。踊り手を交えた受講生一同を介した最後の実践的な伴奏レッスンが開始されたマエストロ・マノロはオブザーバー的な立場で参加していることから講師陣も受講生も全体が緊張しているのがビリビリ感じられる、実際、スタートしてみるとギタリストの伴奏ミスにがあれば歌い手は歌う事を辞めてしまい、またギタリストのイントロや歌い手へのつなぎが上手く行っていなかったり不自然な事が起これば、マノロは躊躇なくストップをかけるレッスンは容赦なく進む最終日の踊り伴奏で光栄にも僕が代表者として弾かせてもらう事になった。セカンドギターにパコ・セラーノが入り何とマノロはパルマで参加!?踊り手と歌い手に簡単な構成の打ち合わせを求めると「君が好きなように弾けば良い」という恐るべし一言のみ、つまり完全初見ということだ※ 通常。日本のステージでは踊り手から簡単な構成の指示がありそれを基本としたうえで開始されるのですが、スペインでは決してそうとは限らないのです!曲種形式は「アレグリアス」と呼ばれる12拍のEメジャー(ホ長調)のもの恐怖や緊張を感じる間もなく弾き始めることになった演奏途中の事はほとんど記憶に残っていない(おまけに音源も残っていない)ただその熱と興奮の断片が、かすかには細胞に残っているだけだ無我夢中で弾き終えるとマエストロが初めて見せる笑顔で僕にこう声をかけてくれた「君の名前は?」と最終日にやっと名前を聞かれるところまで辿り着いたのだそして「もう一度 コルドバに戻って来なさい」と言って観客の拍手とエールに応えるよう優しく促されたこの瞬間のマエストロの暖かい眼差しは今もはっきり脳裏に焼き付いているその約束を果たすことが出来ないまま今日に至ってしまいました「いつかフラメンコギターの教育を集大成するメソッドをつくりたい」とも発言し自身の演奏や作曲活動、舞台音楽提供のみならず後進の育成についても精力を注いでいた「マエストロ・マノロ・サンルーカル」あなたから学んだことは今も僕の大事なものとして生き続けています心からの冥福をお祈りして渕崎昭彦
2022.12.09
クルソが終盤になってくると、やはり少なからずの疲労を感じるようになりますクルソと練習、様々なコンサート、同じ受講生同士でのギター談義とフィェスタ僕にとっての優先順位は迷いなく「学ぶ」ことであったが、世界中から集まるギタリスト達との交流は、やはりここでしか叶わない大きな経験であり「学び」でもあるこのバランスをどう保っていくのかは各々の立ち位置で決まってくるのでしょういつの間にカ受講生も減っているようですマエストロはこう語る「僕はフラメンコギターで長編物語を描きたかった・・」これは名作「タウロマヒア」のアルバムを指しているつまり、フラメンコギターの曲の構造は一般的な音楽とは異なりストーリー性よりも「短編小説」的な要素が強く「マルカール」「レマーテ」「ファルセータ」の三要素の原則を保ちながら(少々専門的ですね・・)進行していくため、前後関係に必ずしも必然性があるわけではないそれらにテーマ性を与え「アルバム」という形で作品にしたのが今でも名作と呼ばれる「タウロマヒア」ですまた、マノロのエクササイズを習っていると今までに経験したことがない独特の和声の動きが出てくるのですが、それらをより深く覗いていくとそれらは「タウロマヒア」等でも使用されている彼独自の「文脈」の基礎に共通していることに気づくことになります。常に自分の「イディオム」を求めそして探してきた「自分だけの語法」その「思考体系」を語るマノロは「音楽家」であると共に「哲学者」の佇まいに映るかのようでしたただ、かなり話が複雑で、何度か僕も文脈を見失ってしまい隣のスペイン人の若者に「今 話どこにいるの?」と質問したところ「いや それがさっぱり判らない!」とウィンクしながら答えてきたのでどうやら僕の語学力だけの問題ではないようですね・・ 笑
2022.12.07
「ここにいる君たちは一通りの技術訓練はすでにやってきているはずだ、このクラスでは機械的な反復練習は行わない、そのエクササイズをどう考えどう取り組んでいくべきなのかこれから一緒に学んでいきましょう」そんな冒頭の挨拶からマノロのテクニカクラスは開始されました。クラシック音楽の様に共通のメソッドが存在しないフラメンコでは、各々が独自の練習方法を持っており、そういう意味でどのようなエクササイズを(スペイン語でエヘルシシオ)どういう考え方で日常練習してるのかを知ることは学ぶうえで、ひとつの重要な要素になりますマノロが30年以上毎日欠かさず行っているというエクササイズをまずは学び(楽譜はありませんので、その場で耳で覚えることになります)説明を受けながら進めていくとそれらはただの指の反復運動ではなくギターのポジショニングと指運の関係性、そして単旋律の背景に描かれているマノロ独特の和声進行(コード)を意識することの重要性に気が付くことになります。そして、それは単なる肉体運動という意味でのエクササイズではなく、より音楽的で濃密な練習曲として脳内にインプットされていきますマエストロは繰り返しこう続けます「今、学ぶべきは速さではありません、速度を求める必要はありません、それらはゆっくり認識した後の結果です。自らのギターの音の響きに耳を傾けながら自分が何をしているのかを常に意識しなさい」とここで学んだ「エヘルシシオ」とその考え方は、今でも自分自身の練習はもちろん、ギタークラスにフィードバックされています最後にマノロが「何か質問はあるかね?」と尋ねたところ生徒の一人がこう問いました(イタリアの筋肉ムキムキの若者でした)「マエストロ! 私はパコ・デ・ルシアの様に速いピカード奏法(フラメンコの特殊奏法)が出来るようになりたいのですがどうすればいいですか?」と 苦笑※ パコはマノロとほぼ同世代の世界的、革命的フラメンコギタリストですはい!恐るべし質問に、ツッコミどころが満載で、もちろんクラス全体が絶句フリーズしました!その後マエストロがどんな対応を取ったかはご想像にお任せいたします 笑
2022.12.06
クルソも中盤になってくると一日の流れにもリズムみたいものが生まれてきます朝食に立ち寄るバルの店主女将とも顔見知りになり「頑張ってね あなたのコンサートはいつなの?」という様な、スペイン的な軽い会話が交わされるようになりそして、そのままメスキータ(コルドバの寺院)の庭の木陰でギターの朝練をしているとそこをマエストロ・マノロが通りかかり「おはよう!」と声をかけていただくことも少しだけですが、懐かしい学生の頃の新鮮な気持ちを思い出しつつマノロの「テクニカ(技術)」クラスを受講するために早めに会場入りすると、まだ誰も来ていない教室で、窓から差し込む朝日を背にマエストロ・マノロが一人で朝の練習をしているではありませんか!!恐らくはギタリストとして何十年、毎朝欠かすことなく続けてきたであろうその所作と佇まいは優雅ですらあり、そして、一音一音をゆっくりと慈しむように空間に響き渡るその音を目の当たりにしてその場で呆然としてしまったわけですが早く来すぎてしまった事を詫びるのも逆に迷惑になってしまうかと思い静かに退室しようとするとこう声をかけて頂いた「君は、毎朝 メスキータの前で練習している者だね?もう少しで終わるから そこで座って待っていなさい」と時間にすると5分もなかったかもしれないただ、それは決してレッスンでは見ることができない貴重な瞬間であり、その寛大さに感謝せずにはいられないそう「大事な瞬間は不意に訪れる」のだ早起きは三文の得?という言葉はあまりスペインでは通用しないかな?なんて思っていたりもしてたのですが、ここは日本の習慣に育まれたことも感謝ですね 笑
2022.12.05
さてさて前回のブログでも少し触れましたが今回のクルソのテーマである「フラメンコギターの自然と形」全てのカリキュラムはこのテーマが常に意識しながら進められていきます。この「自然」という言葉は追求すればするほど本当に悩ましい事になってしまうのですが 笑ここで言う「自然」はあくまで民族音楽としてのフラメンコの成立要因といいますか、「フラメンコをフラメンコたらしめる」うえで意識しておくべき、スペインの音楽的な歴史背景等、そして具体的な和声やリズム等に焦点が当てられますただ僕のような異邦人にとってやっかいなのは、言語能力の問題のみならず、彼らの自然と、僕の自然は異なるということであり、そこの無意識をどこまで自覚し、意識化していくかということでしょうマノロから語られる「アンダルシア音階」「カンデンシア・デ・アンダルシア」(アンダルシアの和声進行)フラメンコが発生する前から、土着のものとして存在していたアンダルシアの音楽の代表でもあるファンダンゴを中心にそれらが、どのように他の曲種に影響を与えて現在に至るのかを知ることで見えてくるフラメンコの形式達よくある例えではありますが、「自由」や「自然」をはき違えて「型」を学ばないまま自分勝手な事をしてしまうとそれはただの「型無し」になってしまいますよね?「型破り」はある一定の型を学びつくし、その後、一旦壊して再構築するそんな作業の繰り返しの後に昇華されて生み出されるものもちろん僕自身は「型破り」とかそんなことを考えている気持ちも、余裕も全くなくて 笑ひたすら「スポンジのように吸収する!」という感じで精一杯でしたが、今でも大事な「型」として生き続けており教えて頂けたのは本当に感謝です!
2022.12.01
出演情報です石岡美紀フラメンコ「情熱・2022」2022年11月27日(日)開場 18時開演 19時場所 六本木クラップス出演 踊り 石岡美紀他、カンテ 廣重有加ギター 渕崎昭彦料金 7,700円(1プレート、1ドリンク付き)配信 2,500円
2022.11.26
何と! ワールドカップ初戦日本がドイツに勝ちましたねいやはやお見事です!さて 前回の続きですクルソが始まると、朝食後は朝の個人練習、午前はクルソ、昼食休憩(シエスタ?)の後は宿で習ったことの復習、練習。夜は何かしらのコンサートといったなかなか濃密なスケジュールで進んでいくわけですが(この期間 様々な会場でジャンルを問わず素晴らしいギターコンサートが催され受講生は無料または格安で見ることができるのです!)まずはマエストロ・マノロの「オーディションクラス」についてまず「オーディション」というのが何かの選抜や審査を意味するのか?と疑問に思っていたのですがどちらかというと自己紹介的な意味合いが強くマノロの前で自分が聞いてほしい一曲を弾きそれに対してレクチャーを受けるという内容でした、とはいえ クラス時間は限られており全員が弾く時間はないので希望者のみということになります(90分のクラスで2名が弾きました)僕の出番はありませんでしたがそのレクチャーを聴講しながら何をどのように改善していくのか?技術的なアプローチ、コンパス・リズム的なアプローチ、和声進行、メロディの動き、フラメンコ的なニュアンス等々自分が弾かない時間でも様々な角度から、より客観的な視点で学ぶことになります今回のクルソの総合テーマである「フラメンコギターの自然と形」フラメンコに携わるうえで自由が許容される面があると共に、守るべき形式や様式美が存在することから、それらを「どのように踏まえていくのか」「なぜ そうそうあるべきなのか?」「その背景は何か?」という視点から具体的に語られるマエストロのレクチャーは間違いなく 今の自分の基礎原動力となるものでした(ただ 僕の語学力では相当な取りこぼしがあったはずです・・)ちなみに1番手に弾いたクラスメイト10代中頃のスペイン人の少年はラファエル・リケーニの「ソレア」を一曲弾きとおしたのですがフレーズとコンパスの関連性の説明を受けて細部を修正していくことでより「フラメンコ」な演奏へとどんどん変化していきましたその後「いいレッスンだったね!どんどん良くなってたよ!」と声をかけたところ彼は僕に苦笑いしながらこう答えました「緊張して 何も覚えてないよ・・」とそういうものかもしれませんね 笑
2022.11.24
さて前回の続きとなりますが、ここで このクルソがどんな構成カリキュラムだったのかを簡単に書いておきますね 1日5時間×8日間 計40時間だったのか10日間で50時間だったのかは残念ながら失念してしまいましたクラスは下記のように5段階のレベルに区分されそれぞれ担任の講師が付きます1 上級 2 中級の上3 中級の中4 中級の下5 入門、初級各クラス10名づつの定員50名と聞いていましたがこの年の上級は2名のみだったようで、マエストロ・マノロが担当します(どこかの部屋で極秘のレッスンでも行われていたのでしょうか?レッスンはシャットアウトされていたようです、ちなみにこの二人は既にプロ活動をしているようで門下生候補なのでしょう、完全なプロクラスですね)2の中級上はマノロフランコが担任見る限りでは、既に相当弾けていてプロへの予備軍というところでしょうか?10名のクラスでした僕は3の中級の中だったわけですが、ホセ・アントニオ・ロドリゲスが担任コンパスやテクニカ等の基本ポイントはそれぞれ踏まえていて次のステップへ向かう層のようです。10名のクラスです最後に4と5中級の下と初級の担任はパコ・セラーノ当時のコンセルバトーリオコルドバ王立音楽院の首席教授ですね、ここは20~30人位いた気がします一応担任制という事になっていますが、特にそれにより、何か特別な事があるわけでもなく 笑実際は高校の授業のようにカリキュラムによって、クラス単位でそれぞれの教室へ移動し学ぶ形を取っていきます例えばリズム系の曲種の理解、ファルセータ、歌伴奏については マノロ・フランコの部屋へリブレ(自由リズム)の曲種の理解、ファルセータ、歌伴奏についてはホセ・アントニオ・ロドリゲスの部屋テクニカ&オーディションクラスはマノロ・サンルーカルの部屋尚、最後の2日間は歌い手と踊り手も交えた伴奏の実践訓練となり、受講生全員が参加となります、踊り伴奏はパコ・セラーノが担当講師でした(ゲストの歌い手の名前は失念しましたが、踊りはパコ・セラーノの妹さんで当時コルドバのタブラオで踊っていたようです)書いていて思いますがなかなか濃密ですよね!続く
2022.11.20
スペインの生活で欠かせないものと言えば毎朝のカフェ・コン・レチェ!近くに良さげなバルを見つけまずはカフェとトスターダ(トースト)で落ち着いた朝食を取り,予定より早めの時間に会場へ(この辺は実に日本人的な習性なのかもしれませんが、正直なところ、この国ではいつも物事がスムーズに行かないといいますか、多くの場合において僕の意志とは関係ないところでトラブルに巻きもまれてるため、それを想定していての行動だったのでしょう)受け付けは珍しくスムーズに進み、まずはマエストロ。マノロを始めとする講師陣の紹介から講師陣にはマノロ以外に「マノロ・フランコ」「ホセ・アントニオ・ロドリゲス」「パコ・セラーノ」と言った大活躍中のギタリスの3名このクルソの主旨、10日間のカリキュラム等の説明等の後に先日送った音源審査に基づいたそれぞれのクラスの発表ということで一人づつ名前を呼ばれその担当クラスのレッスン会場に移動するわけですがはい僕の名前は見事に呼ばれませんでした!笑心の声「どうして いつもいつもこうなのだろうか?」という感じですね 笑一人ポツンとしているとマエストロ・マノロが僕の方に寄ってきてこう言いました「このMDは君のだね?残念ながら我が家ではMDを聴く事が出来なかったついては、今 君のレベルを判断するからここで弾いてくれたまえ」と「なぜこの国は 僕にとんでもない試練をいつも与えるのであろうか?!!」そんな事を思いながらも、緊張する間もなくすかさずケースからギターを取り出しチューニング後 マエストロの前で演奏させてただきました!そして最初の30秒で「クラス・メディオ」の一言を頂きました5段階クラスの丁度 「真ん中」ですそして、このレベル判定は後日 見事に的を得たものであることを実感することになります!さてさて続く
2022.11.16
バックパックに最低限の着替えと歯ブラシ、そしてタオルとシャンプー等を詰めこんでギターを片手にいよいよコルドバへ向かう事にあっ途中 宿で洗濯することも想定して詰め替え洗剤も持参しますさすがに10日分の着替えを持っていくのは厳しいですよねセビージャからコルドバまでは高速バスで約2時間30分位だったでしょうか?到着したら、ますは宿探しから!今、振り返ると「「何の手配もせずに行くなんてとてもリスクが高いなぁ・・」と考える位には僕も年齢を重ねたわけですが、当時は、旅人時代の習性が色濃く残っていたこともあり、恐らくは「何とかなる」と思っていたのでしょうクルソ会場から、ほぼほぼ近い場所に、オスタルと呼ばれる安宿を見つけ無事10日間確保確か1日12ユーロの部屋だったような気がします部屋は簡易ベッドと小さな机と椅子のみでシンプルと言いますか、無駄がないといいますか、徹底的に狭い部屋です、バス、トイレはもちろん共同。でもパティオと呼ばれる中庭があったことで、ここで各国から学びに来るギタリスト達とワイワイ集う貴重な経験をすることにもなりました。夜、少し涼しくなってきたコルドバのある広場で持参したおにぎりを食べていると時を知らせる教会の鐘の代わりに「ホアン・セラーノ」というコルドバのギタリストの「ソレア」のフレーズが街に響き始めました!ここが「コルドバ」フラメンコやギターがアンダルシアのそれぞれの町とどのように根付いているのか、明日から始めるクルソへの期待と不安を感じつつそのあくまで静寂な夜の空気と肌触りは今でも僕の細胞のどこかに確かに刻まれているようです続く
2022.11.15
今の様にスマホもなく、また異国の地でパソコンも所有していなかった僕は、異邦人ご用達のネットカフェへと辞書を片手に向かったコルドバ・ギターフェスティバルのサイトにアクセスしてみると、どうやら申し込む為にはいくつか所定の作業を行う事が必須のようだ・・(電話で申し込みをして、現地で料金を支払えば完了!というような、さすがにローカル習慣とは異なるらしい・・)まずはネットで申し込みして、指定銀行に然るべき金額を振込し、別途 郵送でなぜか?写真を2枚送付(これは 現地で発行される証明書に使われました 納得!)そして、指定された形式で自分が演奏した2曲をカセットテープまたはCDで送付と書かれているではありませんか!!オーディションという名目ではなくあくまでクラスのレベル編成に使われるとのことで、本当にマノロがそれを聞いてくれるか否かはさておき、(仮にマノロが聞くならば、最初の30秒で実力は判断できるかとも思いますが・・)いかなる理由があろうと、こちらも真摯に取り組むのが当然というものです、せっせと練習するのは当たり前ですが、このアウェイの地では CDを録音する機材もなければ、カセットテープを録音する装置もないではありませんか!当時、誰かに借りるという発想は皆無だった僕は当時、MDが全盛期の時代であったので「マノロだってMDは聞けるだろう!」と判断して録音後郵送したのですがこれが、後日ちょっとしたハプニングへのきっかけになるとは、もちろん気付いていませんでした・・続く
2022.11.09
ここで コルドバという街について少しだけ書いておきますねスペインはアンダルシア地方にある古都コルドバは、他のアンダルシアの都市と同じくイスラムの統治下であった長い歴史があり、観光の名所でもある「メスキータ」というイスラム建築様式の寺院が今も残っています但し、歴史の途中で奪回したカトリック達が手を加えてしまったこともあり、イスラムとカトリックが混在する形になっています。それをどの様に捉えるかは各々の歴史観に任されることになるかと思いますが、機会があったら一度ぜひ見て欲しいなと思いますまた、かつてセファルディと呼ばれていた旧ユダヤ人街も残っており、この地の複雑な歴史を垣間見ることが出来るかもしれません「道路で目玉焼きが焼ける!」と言われる位、夏が暑い事で有名なこの地ですが、大学等も多く、セビージャが芸術の都であるならばさしずめコルドバは「学問の都」と言われたりもしています、街を散策すると、どことなく適度に落ち着いた空気感が残るのも、そのせいなのでしょうか?「アラビアのロレンス」という映画でベトウィンの族長(首長?)が接見を許されたロレンス氏に対して、こんな言葉を述べていたシーンがありましたね「ロンドンで松明を灯していた頃コルドバでは既にガス灯が灯っていたのだ!」と(多少表現に誤差があるかもしれませんが・・それは許してください!)
2022.11.03
時を経て僕はスペイン・セビージャという街に住んでいた2002年頃だ少しはフラメンコギターの事が判ってきた、あるいは「フラメンコ」が見えてきた・・・そんな異邦人の勝手な思い違いはこの地での生活を重ねれば重ねるほど自らの在り様に容赦なく刃を向け自分はまだ入り口にすら辿り着いていないという事を思い知らされながらも、日々訪れる学びに喜びを感じつつ、同時に翻弄されているかのような生活に身を置いていた。ある踊り教室の稽古伴奏に伺った時だ、「マノロのファンダンゴ弾けるかしら?」と踊り手の先生に質問された※ ファンダンゴはフラメンコの代表的曲種形式のひとつ 「あの・・・知りません」と答えたところ彼女は。やれやれと言った表情を浮かべながら親切にこう教えてくれた「マノロのタウロマヒアというアルバムを聴きいてみなさい、このアルバムは絶品で、フラメンコに携わっている人ならば皆、聞くべきアルバムよ。そして じっくりと味わいなさい・・」とまた、様々なレッスンやクルソ(ワークショップ)を受講していると、これはマノロの有名な練習曲、エクササイズだよと教わりながら、それは学びの大事な共有財産であるかのようにフラメンコギタリスト達に浸透し、僕も。それらに触れる機会に少しながらも出逢えるようになってきた。マノロの弟子といえば「ビセンテ・アミーゴ」とまずは頭に浮かんでいた認識は少しづつ書き換えられ「ラファエル・リケーニ」「ニーニョ・デ・プーラ」「ペドロ・シエラ」「チクエロ」他多数の活躍するギタリスト達は皆、彼らの門下であったことも知るようになった毎年7月に開催される、コルドバのギターフェスティバルについては、セビージャ在住のフラメンコギタリスト達の話もよく耳にした。ジャンル問わず素晴らしいギタリスト達のコンサートや講座が催され、またそれらを求めて世界中からギタリスト達が学び集い、街はギターの色彩に染まるそして、その中にはマノロが主任講師である10日間のフラメンコギターのクルソがあり、かつては 11歳のビセンテアミーゴが見出された場でもあるという「いつか 僕も受けられるのだろうか?」という気持ちは、「そこに行くべきだ!」という想いに徐々に変化していた続く
2022.11.01
フラメンコギターを始めたばかりの頃だまだ、何をどのように聞いてよいのか判らなかった僕は、当時習っていた先生に「聴いておいた方が良いアルバム」を尋ねてみた「そうだね、パコ・デルシアとマノロ・サンルーカル、そしてセラニートはどうかな?彼らは現代フラメンコギターの三羽烏(いささか古典的な表現ですが 笑)と以前は呼ばれていたんだ」その名前だけを頼りに店で購入したマノロのアルバムは、偶然にもデビュー作であったようだ。古典も現代も何も判らない状態で初めて耳したマノロの響きは、スペインの空気のように乾きながら重厚で、思わず聞き入った記憶がある時が過ぎて、当時、急速に名前が上がりだしたビセンテ・アミーゴというギタリストはマノロの弟子であることを知るようになった。当時の僕からすると、そんな雲の上のような話に強い関心を抱いたわけでもなく「ふーん そうなんだ・・」という感じだったと記憶しているやがて、スペインで修行中のギタリストの友人からスペインのコルドバという土地で「マノロのクルソを受講してきた」と聞いた、彼が語ってくれた、その灼熱のコルドバでの体験談は講座の内容にとどまらず、マノロの音や人柄はもちろん、マエストロと正面から向き合うことの在り方、そして世界中から学びを求めて集まるギタリストの交流から生まれる「その地でしか起こらない何か」等多岐に渡るその話は、僕を魅了するには十分なもので、今、思えばこの時だったのかもしれません「自分が求めている学びとは何か?」そして「僕もそこに参加することは可能なのか?」と具体的に思うようになったのは続く
2022.10.28
先日、フラメンコギターの巨匠マノロ・サンルーカルが亡くなったパコ・デ・ルシアとは違う手法、道筋を辿りながらマノロがフラメンコギター界に残した足跡の大きさや、その敬意の払われ方を知ることになったのは、やはりスペインでの生活経験によるものが大きい、それらは決して「アルバムの作成部数」や「世界でのコンサート回数」等数字として、あるいはデータとして容易に提示されるものとは異なる価値観であり、表層的に眺めていてはうっかり通り過ぎてしまう、また、当地で信頼できる人々からのレクチャーや案内を要するものも多分に含まれていたまた、一年に一度だけ行われる「コルドバ・ギターフェスティバル」のクルソでマエストロの直接指導を受ける機会に巡り合えたことはあらゆる意味で、今の僕を大きく支えることにもなったいつか「コルドバ」で過ごしたこの記憶を記しておきたいと思いつつ「機が熟したら・・」という言葉を理由にそのまま今日まで引き延ばしてしまったもはや、「機を逸してしまったのではないか?」仮にそう問われたなら、その通りなのかもしれない・・でも、その時のマノロのギターの音がまだ頭の中に鳴っているうちに、コルドバのメスキータの木陰で練習していた僕に毎朝「おはよう」と声をかけてくれたその温かさが、また思い出せるうちに少しづつ記していこうかと思っていますいつも通り ノンビリ書いていくことになると思いますがそれはご容赦ください!
2022.10.12
讃岐への旅から戻ってこの数か月、頭の片隅に引っかかる何かを常に感じていました。それは、自分が気が付いていないだけで多くの取りこぼしが存在するのではないか?というシンプルな問いみたいものです。今回、様々な図書館でレファレンスを受けながら、其の時点で考えうるほとんどの資料、文献に目を通したものの、当時の時代背景や制度、習慣、宗教観、生活の在り様等の「基本的素養」みたいものが圧倒的に欠如した自分の眼では見抜けなかったこと、気が付かなかったことが無数にあるのでは?そんな自身に対する問いが生まれてくるのは当然のことなのでしょう例えば「菩提寺」という言葉は知っていても当時を生きていた人が、どのようにお寺と関わりまた仏教がどの位生活に密着していたのか、その信仰のあり様などを考え始めてしまうとより深く、そして時間を費やして学んでいくしかないのかもしれません。まずは自分の家と関係性があった「真言宗」「弘法大師 空海」の文献資料などを読み進めながら、それだけでは腑に落ちずより総合的な視点から俯瞰しなければと考えていくとどうしても「天台宗」「最澄」はもちろん、より現代に近い「法然」「親鸞」「道元」等の鎌倉仏教を知る必要があるのではないか?という感じになってしまい、その膨大な内容に圧倒されながらもコツコツ進めております・・・「具合的にどうなるのか?」「どんな役に立つのか?」そういう意味性みたいものを求めずに進んだ時に、その先にどんな風景が見えてくるのか?あるいは何も見えないのか?物理的な移動のみではないそんな旅も悪くないのかもしれません!
2022.10.05