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カテゴリ:東日本大震災の記録
今日、3月10日の午後六時から、 仙台市の泉ヶ岳スキー場から二万発の鎮魂花火が打ち上げられました。 現地に入れたのは被災者の方々など招待枠のみで、一般の人は来場不可でした。
こちら、読売新聞に載っていた「お願い」です。 「 二万発の花火は、県内最大になってしまいます。 しかし、意図が意図であるため 混雑による交通事故などは極力避けていただきたいのです。 泉ヶ岳スキー場は、泉ヶ岳の南側斜面のスキー場です。 ゆりあげや亘理、仙台空港からでもよく見えます。 是非、趣旨をご理解頂き、お墓からでもお家からでも、 大切な場所から、大切な方と、手を合わせて下さい。」
個人的に、上記の文章には、心を打たれました。
結果的に、今日の仙台の天気は、 午前中に雪が降っていて、それが午後は雨に変わり、 夕方も小雨とはいえ、ずっと降り続いていました。 我が家では、午後六時ちょうどに「見えるかな。。」と、思って近所の高台まで行ってみましたが、 靄がかかって泉ヶ岳の姿すら見えず、花火も全く見えませんでした。 しかし、個人的には、 招待された被災者の方々だけが花火を見ることができて、 「これで良かったんじゃないかな?」と、思ってます。 震災で犠牲になった方々とほぼ同じ数の二万発の花火は、確実に天国に届いたことと信じています。
まだ撤去されていない被災車両が残っていました。 DSC05133 posted by (C)りと様 あれから二ヶ月たつので、いまは撤去されているかもしれません。
地図上から沼が消えた。。と、いうことです。 一年前のあの日は、地震のあと、街中で大渋滞に嵌っている間に、 外では冷たい雪が降り、 「三月の雪」というと、どうしても、あの日を思い出してしまって、 ここ数日は、朝、雪が降っていると「嫌だな。。」と、思っていました。 震災直後に停電し、電気が止まっていた三日間(自動販売機に電気が通った嬉しさは今もハッキリ覚えています。あっというまに人が群がり、ほとんどが『売り切れ』表示になりましたが。不味そうな飲み物だけは残っていました・・汗。)、 水道が断絶していた五~六日ことは、思い出したくないような辛い生活でしたが(ガスが復活したのは四月一日)、 それでも、我が家は14時46分の大地震に遭遇したところは仙台の内陸部だったし、 家族全員、怪我をしたわけでもなく、 友人達からは品薄でどうしようか?と思っていた紙おむつその他を送ってもらったりして、人の思いやりのありがたさを実感したものでした。 あれから一年たっても、まだオムツがとれていない娘・りと子には困ったものですが・・(汗)。 先日も、この辺りを通過しましたが、 津波にさらわれ、何もない土地の海岸近くにはポツンポツンと何軒かの処理場があり、 煙突からは黙々と煙が出ていました。 聞いた話では、あと一年少々で、よその瓦礫も処理できる目処がたったらしいです。
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