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カテゴリ:東日本大震災の記録
娘が通う保育園では月に一度、必ず避難訓練があります。 どうやら避難訓練を行う時は「突然、地震または火事が起きた」という想定で行うらしく、日にちはだいたい決まっていても変更も多々あり、 訓練を行う時間も正確には決まっていないらしく、 予定外の出来事が苦手な娘にとっては嫌な行事のようでした。 家では「どうして避難訓練をしなくちゃいけないの?」と、頻繁に聞かれ、 保育所では娘自ら園長先生に「何月になったら避難訓練は終わるの?」「9月も10月も11月もするの?」と、質問しまくる現場を目撃・・。 園長先生「一応、三月が年度末だけどね〜」と、おっしゃっておりました。 ちなみに、娘の保育園は3月11日の震災後、三ヶ月も閉鎖されていたそうです。 DSC08717 posted by (C)りと様 途中、津波で児童74人が犠牲になった大川小学校に寄りました。 画像は小学校のすぐ側にある北上川で、かなり大きな川です。 小学校は河口から四キロほどの位置にありました。
これでは、六メートルの津波がきたらひとたまりもないだろうな。。と、感じました。 学校のすぐ裏が山なのに、なぜそこに逃げなかったのか?と、いう意見が多々ありますが、個人的にも全く同じ気持ちです。 「裏山へ即、逃げろ!」と、いう教員が一人でもいなかったのだろうか? 「なぜ、河口から津波が来ているのに川の方へ向かったのか?」 と、ずっと疑問に感じていました。 もし、「自分の子供が大川小で犠牲になっていたら?」と、想像すると、 許せない気持ちになるだろうなと思います。
「山へ逃げよう」と言った児童や教員が何人かいたという説、 たまたま校長不在という(不幸)もあり、地域住民の(意見)によって北上川沿いの高台へ避難することになった説、 地滑りを恐れて山を避けた説(確かに急な斜面ではありました。) など諸説あるようです。 ここは、死人に口無しということでしょう。。
家族で手を合わせてきました。 りと様「・・・・と、いうわけで、避難訓練をする理由が分かった?」 娘「わかった。」 と、言っていました。 鎮魂の鐘を鳴らしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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