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山口小夜の不思議遊戯

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2005年11月16日
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 相生には家族に死者が出ると、残った者の病を死者に持っていってもらうという習俗がある。清二郎(さやじろう)の‘かっつぁ’もそれをまざまざと見たひとりである。
 清二郎が赤ん坊のとき、治りの悪い皮膚炎に苦しんでいた。ちょうどそのころ彼の曽祖父の病が篤くなり、かっつぁは清二郎らを連れて見舞いにいった。すると病人の方が逆に幼い曾孫を案じて、身代わりになってやりたいとしきりに言った。帰り際、清二郎の病は確かに持ってわしは逝くぞと爺がいい、彼の死とともに、清二郎の皮膚病は溶けるように消えたという。

 またみくまりに妹が生まれるとき、黒沼家に呪(まじない)の不二一族が出向き、集落の皆も集まって、癒しの御詞(みことば)を唱和したのを小夜は覚えている。

 この癒しの唱和は、出産に関わらず、重い病気の時にも行なわれた。
 額に汗して一心に御詞(みことば)を唱える呪方(まじないかた)の衆を盗み見ながら、小夜は医療の根本とは、ここにあるのではないかと思っていた。
 これだけの人数が集って、自分のために汗して必死に祈られてみれば誰もがわかる。もはや癒されるより、ほかはないではないか。

 一族のうちでも傑出しているのはやはり豊で、変声期を迎えてなおさらに、彼の轟かす霊音の響きはすっぽりとその場を包み込み、まるでこの世界にこの民家しかないような不思議な真空状態を作り出していた。
 
 その折りの出産は難産で、痛みに耐えかねていた母親は、だが豊の霊音を浴びたとたんに大きく息をつき、娩出のリズムを取り戻した。
 気遣わしげに寄り合っていた村の衆にも、安堵の様子が広がった。それからはすべてが善い流れとなり、ほどなくして何事もなく健やかな男の子がこの世に生まれ出で、豊はそっと手の甲で額の汗をぬぐった。

 癒しの呪(まじない)──それは力だった。
 自分のエネルギーの出力を最大にして、他の人に与えるのである。いや、他人に与えるからこそ、出力最大になりえるといった方がいいのか。

 ───
 
 このような自らの体験、人が分かち合ってくれた話を、小夜は五月の飛び石連休の間に約五十本にわたって書きとめた。

 人間がそこにある限り、ふつふつと民話は生まれている。
 狐、天狗、河童、学校の怪談、夢、生まれ変わり、神隠し──。

 語(かたり)の大人たちからそんな話を回を重ねて聞くうちに、小夜の中には何ともいいようのない不思議な世界が広がっていった。
 小夜は民話を集めようとしていたのに、あらかたの人はあったること、として自らが出逢った本当の話を述べている。

 もしかして遠い昔、いや少し昔の出来事は、いつのまにか民話と呼ばれるようになっているが、本当は【あったること】と呼ぶべきではないだろうか。

 
                                 小夜のあったることのおわり



 本日の日記---------------------------------------------------------

 まさしく‘あったること’として、ついでにこんなこともありました。

 【神隠し】
 もう長いこと行方知れずだった相生のとある青年が、ある日ひょっこり戻ってきたのです。

 何もわけを話さない青年が呪方(まじないかた)のもとに連れてこられました。
 しかし、呪師たちは皆神隠しにあったのだと口々にいい、それ以上は追求しませんでした。
 その場は丸く収まり、青年はまた何事もなかったかのように集落の生活に落ち着いていきました。

 けれども、私は幼心にもこの事件を神隠しとは思っていませんでした。
 その青年は、思うところあってこの集落を抜け出したのでしょう。
 立身出世の野望、あるいは野望とまではいかないまでも願望くらいならあったのかもしれない──だが世間は厳しく、そして冷たく、志を果たせないばかりか、身も心も傷ついて舞い戻ってきたのです。
 けれども、それまでにあった様々ないきさつを、根掘り葉掘り訊ねられては青年もやりきれなさが増すばかり。それを、「神隠し」という一言で、呪方の人々は救ってしまったのです。

 神隠し──神を畏れ敬うことを第一とするこの村の人々に、神の采配ははかりしれない。
 神隠しにあったなら、その子は神に愛されすぎたのだと慰め、人界に戻ってきたなら人知を超えた出来事としてそれ以上の究明をはばかる。

 何か妙な行動をしている者を見かけても、狸か狐に化かされているものとして見過ごしてやる。
 また、精神を病んでいる人、知恵が遅れている子供ももちろんいましたが、それは精霊にとり憑かれているとされて、神の依りしろであるかのように優れて人権がありました。

 すべては運命を受け入れるための方便に聞こえないこともないですが、相生の集落の人々には、それがまぎれもない信仰であり、真実だったのです。
 これは人間の純朴と謙遜というものではないでしょうか。

 けれども、私がこの‘小夜のあったること’の章のおわりにどうしても書きたいのは、人間による人間の神隠しのことです。

 2000年の1月28日というから、ごく最近です。
 新潟県柏崎市の37歳の男が奇声をあげて暴れ出した。母親の通報で近くの病院の精神科から医師らが駆けつけ、男を入院させたが、同じ二階の一室に、9年間閉じ込められていたひとりの女性を発見したといいます。
 悪臭の発する部屋で、男物のだぶだぶの服を着た女性は青白くやつれ、歩くのもおぼつかなかったといいます。不審に思った病院側の通報から、前代未聞の未成年者略取誘拐監禁事件が明るみになりました。

 なんとこの女性は1990年11月、新潟県三条市の郊外で行方不明になっていたA子さんでした。
 学校からの帰り道、若い男にさらわれ、車のトランクに押し込められ、50キロ先の柏崎市の男の家に、以来9年余りも閉じ込められていたといいます。

 一階には男の母親がいたといいますが、息子の暴力がおそろしく、食事は男が運び、A子さんと母親は一度も顔を合わせたことがなかったといいます。A子さんは閉じ込められた部屋から一歩も出ることなく歳月は流れていきました。

 娘がいなくなった当時、この三条市のご両親の心に、神隠しという言葉が浮かんだかもしれません。
 けれども、2000年代の今、三条市の少女をさらったのは、私たちの社会のなかにまぎれこんでいる人間なのです。
 私にはそれが怖い。天狗さんの神隠しより怖い。

 人間が人間を隠す神隠しは、ほかにもあります。
 
 北朝鮮に拉致されたという疑いのある人々です。
 国と国との話し合いは遅々として進まない──。
 横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから昨日で28年が経ったそうです。
 どうか彼女を、南アフリカやら、まったく日朝に関連のない国で見つかったことにして、あとは本人の記憶喪失というかたちで日本に返すことはできないものなのでしょうか。
 まさしく現代の神隠しの仕業にしてしまうのです。

 一見ゆたかに、もののあふれた日本のなかに、ぽっかりと裂かれた深淵に、戦慄を覚えずにはいられません。


 明日から●豊のあったること●です。
 中学生編、高校生編、大学生編の三話をお話しいたします。
 ちょっと切ない話もありますが、明日の中学生編はあまりにも日常話というか──くすりと笑える小噺です。このくだらん話を書きたいがために、番外編を書いたといっても過言ではありませぬ。
 タイムスリップして、久松山の二の丸にある祠のところに集合しなんせ。
 注:貴重な豊ファンの方にはおススメできない内容となっております(笑)。


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最終更新日  2005年11月22日 21時15分14秒
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