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山口小夜の不思議遊戯

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2006年01月06日
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 目を閉じることで世界を見る人種もいる。

 正面にひきすえた豊の帯に、神人の皙い手がかかる。
 だが、もともと乱れきっていた着物を引き落とし、剥ぎとった瞬間、陽子の崩壊のよう──ほの暗い月明かりとともに、少年はぷつりと気配を消した。

 異様な感じにとらわれ、神人は伸ばしていた手を引き戻す。
 息を殺し──ため息ひとつ残さず消え入ろうとしている、この不定形な生命体の気持ちが満ちるのを待った。この・・・・散らされてゆくもの。
 深呼吸。逸る気持ちは、とても長くはもちそうにない。

 (──気のせいだろうか?)
 波の音、かすかに生臭い、水の匂い。

 その時、思いもよらぬ近くで声がした。
 ──いつまで待ってるつもりさ・・・・・水のなかには時がないのに。

 (いけない!)

 神人がはっと息をのんだ瞬間、おそろしい勢いで滝洞のとば口が開いた。

 そして波が──天井の高さの波がどっと押し寄せ、和魂の神は岩壁に叩きつけられた。
 空気のかわりに水が、喉になだれこんできた。

 豊はもう水の底にいた。神人にとっても信じがたいことだが。

 咳こんで気管の痛みをやわらげようとしたが無駄だった。
 空気がない。滝洞は隙間なく海水でみたされている。

 水壁の奥からにじみ出すようにして、豊が現れた。白い素肌をさらして、下肢はなく、ゆったりとうねった長い半身は、きめ細かな虹色のうろこでおおわれていた。

 (・・・・・・おまえなのか・・・・・・!?)
 
 ──これが見たかったんでしょう。

 水中花のように髪を揺らし、優美なうごきで豊が近寄ってきた。冷たい指先が頬に触れると、すこしだけ胸が楽になる。

 ──お別れです。

 そう言って、めったに見せない顔で艶然と笑った。二対の透明なひれと尾びれをそなえた、蛇に似た半身がゆっくりと波を打ち、神人のからだに巻きついた。うろこは薄刃のように痛く、触れると血がにじむようだ。

 (行かせるものか。どこにでも喰らいついていってやる)
 ──教えてあげる・・・・・異類婚姻譚にハッピーエンドはないんだ。

 (異類じゃない。おまえだけだ)
 ──息ひとつできないくせに。

 いきなり豊が腹筋に力をこめ、咄嗟に半身にすがりついていた和魂の神はあまりの激痛に目がくらんだ。血のまじった泡が、おびただしく口から逃げてゆく。肋が全部折れただろう。

 豊は神人の腕をふりきって身をひるがえした。
 行ってしまう──高みへ──二度と届かぬ世界へ、あの清冽なうしろ姿で。

 (行くな!)

 神人は追った。
 あばらの痛みも、窒息も、かまってなどはいられない。これっきりになるよりは、砕けてしまえ。

 竜人、竜神、卵、胎児、夢、海、豊饒の海──とめてくれ。だれか、この連鎖をとめてくれ。

 光の中に整然と魚の群れが尾をひるがえす。不安をかきたてるような冷たい白の狭霧(さぎり)をひいて、くらげやえびの幼生たちがすり抜けてゆく・・・・・・。数億トンの水の思いに豊、還っていく・・・・・。

 迷わず、狙い違わずに、もとは一塊であったふたりの惹かれあう心のままに、巨鳥プテラノドンは耳までひれにした海馬イクシオケンタウルと出会う。舞い降りて出会い続ける。

 時のはじめよりなお遠く──神々たちの・・・・・・創造の昔の海のほとりで。

 (ゆたか!)

 追う射手座の神人。逃げ去る人魚の少年。水妖──病めるは昼の月。
 不吉な伝説がほんとうだといい。水の中に引きずりこむならそれもいい。行ってしまうよりは、喰らいにきてくれ──。

 それは言霊。それは不知火。さながら廻り灯籠のよう・・・・・あたりは光の吹雪になって、幾千もの泡沫。熱帯魚色の届かぬ想いが、頭上はるか、螺旋を描いて揺らめき昇る。

 尾びれの先に右手がかかった。全力ですがる。手ごたえはぬらぬらしていて、力を抜くとすり抜けられてしまうにきまっている。竜人は驚きに一瞬身をこわばらせ、色のないすごい目でにらみすえた。

 大海に浮かぶ木の葉のように神人は翻弄され、いきなり水圧の変化を感じたと思ったら水面に出ていた。漆黒の夜空が上にあり、ひと呼吸できたのも束の間、顔を水に浸されたまま、魚を追う水鳥の動きそのままに、波間を引き回される。ヒトであるときも、素潜りならば三、四分は平気な豊。四分、五分・・・・・・もっと!・・・・・永遠──。

 竜人は深みにもぐり、跳ね上がった。また跳ね上がる。

 躍り上がった頂点、まっさかさまの視界に神人は見た。真珠のきらめきをみせる竜人の肌、サファイア色の星々、海の青。氷のように夜を染め上げている月。その冴えわたる青。

 ──きれいだ・・・・・。

 これ以上はないというほどの苦痛のなか、神人はうっとりとなって手をゆるめてしまいそうになった。勝ち誇った顔で竜人がほほえむ。

 はっと我にかえってもちこたえたのは、八百万の魍魎を率いる大神の意志力。そして腕が、顔が熱をおび、神人は発光しはじめた。だんだんに強く、金色から閃光。それは鳳凰のかたちを成して、水晶色のうろこと混交する。

 竜人が叫んだ。

 ──熱い!

 神人の身体は炎をあげて燃えさかり、すがりついたうろこには火の粉が移って火花を吹いている。

 ──ゆたか! ゆたか!

 苦しがると知りつつ、のし上がり、神人は抱きしめた。

 神人にえぐられる衝撃に、水飛沫が跳ね上がる。
 射ち込まれる刹那、重い衝撃でからだがいっぱいになる。
 強烈だ。一秒も気をそらせないくらいの刺激。
 竜人が身をもがき、うろこが突き刺さる。赤い糸をひいてふたりは落ちはじめる。血の匂い。

 炎。自由落下。星の爆発。着水──砕ける白い泡、氷の破片。

 ──あああッ!!

 豊の悲鳴──。




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 体温が異常に低い人っていますよね。

 鳥取時代、豊に聞いた話ですが──。
 魚類の肌には、人間の体温がひどくこたえるのだそうです。
 釣られてまた放流してもらっても、ヤケドで死ぬのがいると。


 明日は●簒奪●です。
 ‘さんだつ’と読みます。帝位を奪い取ることをいいます。
 タイムスリップして、その後に起きたことすべてお話しいたします。
 ──これがほんとの事後報告。


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最終更新日  2006年01月06日 05時23分37秒
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