2006/01/08(日)04:40
鳥取物語 番外編 不二一族物語 第29節●遊行●
飛遊櫛尊を吸い込んだ後、豊が両手を使って自分の肩をひと撫ですると──薄い肩にのしかかっていた重い気配が球技ができるくらいの光の球になり、その片手に写し取られた。それを楡の大木に向かってまっすぐに突き出すと、まばたきをした瞬間にはもう、うろの中に吸い込まれていた。
次いで豊が見当をつけていた方向──荒神が和魂の神に分離させられて消えたあたりから、地を這う赤い靄(もや)がゆっくりと流れ出してきた。空中でそれは凝り固まって一瞬、人の形になったかと思うと、だんだんに老いた女狐の姿に変わり、しわに埋もれた柔らかい眼で不安そうにこちらを見つめる。ものすごく近視眼ぽく。執念に凝り固まっている霊には、それはよくあることだ。
──さっきは我を忘れていました。強い言葉を投げて、ごめんなさい。悪いけれどあなた、ここは依代がなくて危ないから祠のあるところに帰って。そこにはあなたの和魂の神が待っておられます。
窺うようなその視線の奥を、豊の古代の矢じりのような双眸が貫いた。
──不二一族にこだわる理由がありますか? おのれの古い妄念ばかり追って、今まさに生きている人間を不幸に陥れる理由があるのですか?
豊の問いに、うっとりと夢見るように老狐は黙ってかぶりをふった。
──行って遊びなさい・・・・・・和魂の神とともに。
豊は手を伸べて、さまようように踏み出してゆく老いた狐の背を押した。
ついで、肌身にしていた胸飾をとり、かがみこんで獣の首にかけてやる。
──これ、儀式のあと、歴代の守宿の身体に残されたあなたの歯を集めてつくったものです。全部で27本。あなた、優しい人だ・・・・・わたしの身体に、歯型を残さなかった。わたしを岩に叩きつけたときも、ほんとは心配してくれてた。
言いながら、その手は無意識に狐の頭のうしろを撫でている。
豊の言霊に聞き入りながら、うっとりと目を細める獣神──。
木に開いたうろの前で、狐はそれでもなにか物足りなさそうにふり返って豊を見た。
──では、わたしの名を差し上げましょう・・・・・・私の神名(かむな)は天蜃宮豊臺杼唯星多(あまのみつかけのみや、とよたたらぼしのおおい)。
それは父から戴き、他人の口にのぼって穢されることのないよう、生涯にわたり語られることのない、不二一族のひとりひとりが持つ神聖名称。
──・・・・・・。
しばらくためらう様子をしたが、老狐は豊に一礼し、光る裂け目のなかに九つの尾をぞろりと垂らして入っていった。
ところが、事態はそれだけでは済まされなかった。
───
老狐を飲み込んだ幹がぼうっと緑に燃え上がったかに見えたあと、太くよじれた大木の幹にいきなり火の手が移った。油でも仕込んだように回りの速い炎が、茂った枝まで舐め上げようとする。ついで、猛烈な勢いで蔓を伝ってきた炎が、繋がれたままでいた豊の身体に引火した。
──危な・・・・・っ!
自分はともかくも、豊はとっさに身近にあった、密の骸を両手で庇おうとした。
これは自分の生きる礎となった人──毎日、君のために祈るよ。
だから、彼が土に還っていくまで、これ以上に損なわれることだけは阻止しなければ。
──・・・・・・あつっ!
だが、その手も蔓で押さえつけられたまま、楡の木が火柱を立てて弾けた衝撃に全身をそり返らせて、すーっ・・・・・・と豊の眼が閉じてゆく。
(・・・・・・駄目だ・・・・・・こんどこそ・・・・・・限界・・・・・・・)
思う間もまく、意識が闇に沈んでいく。
完全に暗転するその刹那、豊が見ることを欲した姿は──。
密は睫毛をひたと開け、不思議に緑がかった濡れた瞳をまっすぐに向けて──笑った。
無垢な心をそのまま込めた、生まれたばかりの透明な翼のような笑み。手を差し伸べてくると、口もきけない豊の、傷を負った左腕を選び取り、しっかりと握りしめた。
その手が離れていく瞬間、
──ゆたか、ありがとう・・・・・あなたを五百年待ちました──わたしは行きます。
生きます──と聞こえたのは豊だけか。
───
──いかん!
飛び出したのは、実は滅多に見られない大神と守宿御統とのやりとりを、なんとか垣間見(出歯亀)しようと、少し離れた幹の蔭から見守っていた河童水霊だった。
なぜか相生村の消防団のハッピを身にまとい、開けた大口と両手のひらから、
シャアアアアッ!──噴出した水が炎に覆い被さった。水びたしになったあたりには、ぴちぴちと小魚がはねている(←これぞ秘技、水ワープ)。
なんとかボヤで消し止めたものの──くすぶる煙の奥から現われてきた黒焦げの幹を見て、ゆっくりと肩を落とし、安心したようにため息をついた。
──これで、もはや‘魂依の木’としては使えないな。あの方たちがこちらに戻ってくることも、もうないのだ・・・・・。
炎が立ち消えた後は、何事もなかったかのように、洞窟は静けさに包まれていた。
封印が成ったことをふり返って報告しようとして、だが豊はそこに立っていなかった。
洞穴の真ん中に、身体を丸めて横たわっている、単衣をはおったなりの若君の姿を見たとき──。
──ゆたさん?
水霊は手をついてかがみ込む。
闇色の髪を散らし、眠り込んでいるような。
時おり洞窟を吹き抜ける風に、長くて細い睫毛が震えている。
──あの。ちょっと、いいですか。疲れて・・・・・眠っていらっしゃるので?
不吉な予感と淡い期待が並び立つあたり、惚れた男の哀しさというか。水霊は魂依りの木と豊のカラダに交互にちらちら眼をやりながら、揺り起こすのをためらってしまう。
ビシッ!
怪しい物の出現の合図のように岩肌や天蓋が鳴り、あたりの空気が色を変えてゆく。
深い苔が這い登り、洞一面を染め上げた。
森の匂いがし、あちこちで青や黄色の蛍火の点滅がはじまる。
その中心で真っ白な蛹のように、眠る少年がひときわ明るい透明な輝きに包まれていた。
──ゆた・・・・・・さん・・・・・・。
せめて、羽をたたんだ翠色の蝶みたいに息づいている睫毛くらいは触りたいな、と──水霊はどぎまぎと腕を伸ばした。水かきのしっかりついた指先が、ほんのちょっと触れたか触れないか、の時。
──ゆたさん・・・・・!
勇気を出して、その陶器のような額に手をかけてみたのはいいが──だが水霊は骨までゾクッと震撼した。
冷たくなって、意識がなくて。
硬直がはじまって何時間もたった死人のように、顔を起こそうとすると全身がのけぞってしまうくらい固まっている。なんとかこっちを向かせると、静脈の青さが浮かびあがった喉元には、いくつもの血の流れた筋の痕があり、くっきりとした鎖骨の血溜まりが、朝の陽光を受けて光っていた。水霊の痩せた腕の中で、豊はひくりとも動かない。無惨に引き裂かれた身体の彼処からしたたる鮮血が、無情に岩床を染めていく。
──どうしよう・・・・・どうしよう・・・・・ひどいケガだ・・・・・・。
激しく胸を締めつけられる痛みで、よけいに頭が真っ白になって、どう対処したらいいのかも思い出せない。滝のとば口には豊の兄たちが夜明けを待っていることはわかっていたが、水霊には安易に呼びにいけない心情があった。
──だって・・・・・・もしかしたら・・・・・・もう、死んでるのかも・・・・・・。
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わあ。死んでるのかもしれないに関わらず、本日、20000アクセスを超えるやもしれませぬ。
キリ番を踏んでくださった方に、なにか佳いことがありますように。
皆さまおひとりおひとりにも、今日一日小さな幸運がありますように。
ちなみに、ただ今連載しております番外編『不二一族物語』だけで、総アクセス数の四分の一を持っていったことになります。さすがはミッチー、大人気(笑)。
皆さまの応援、本当にありがとうございます。
来週の今日には番外編が完結していることを思うと、少し淋しいような気もいたしますが、あと一週間、全力投球してまいります。
その後に再開する本編ともに、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
明日は●竜骨●です。
朝を待っていたお兄ちゃんたちが、滝洞に入ります。
兄弟たちの感動の再会、というわけにはいかなくて──。
タイムスリップして、今年お初に皆さまにご挨拶申し上げます、不二四天王に会いにきなんせ。
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