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山口小夜の不思議遊戯

山口小夜の不思議遊戯

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2006年01月11日
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 ──ゆた、起きろ・・・・・何があったんじゃ!

 豊の着物の前あわせがほどけてしまうまでの数分の一秒のあいだに、兄の手が間にあった。

 綾一郎の両手まではつかめなかったが、身体ごとぶつかったときの衝撃は、弟の身体を暴く動きをそらせるに充分だった。綾一郎は横倒しになり、反射的に彼から繰り出された拳は円の左胸の上をかすめて首筋にかすかな掻き傷を残したあと、着物の袷(あわせ)を引き裂いてとまった。

 綾一郎は狂ったように暴れ、円は必死に争ってその手から弟の身体をもぎとった。
 とたんに上背のある綾一郎の身体からいっきに、すべての力が抜けていった。

 彼は親友の兄であり、彼自身の友だちでもある円の温かい腕のなかにくずおれ、きつく締まった栓が外れたかのように、わっと身を震わせて泣き出した。

 それからは、綾一郎の人生でもっとも長く、苦痛に満ちた時間となった。
 はじめの何刻かは、頭の中にありとあらゆる悲観的な思いが渦巻いていた。心には自己憐憫の情が容赦なく、くりかえしくりかえし波のように襲ってきた。

 円はぶるぶると震え涙を流すその身体を、なかば引きずるようにして拝殿の隅に運んでいった。そして赤ん坊をあやすように綾一郎の身体を揺らしているあいだ、片手と歯を使って苦労して自分で腕の血を止め、傷口に晒を巻いた。

 綾一郎はいつ果てるともなく泣きつづけ、円はその身体を抱きつづけた。
 そしてようやく、激しかった呼吸がすこしおさまりはじめ、身も世もあらぬ号泣が一定したすすり泣きに変わっていった。そのあいだ、涙のあふれるまぶたを開かずに、綾一郎は何度となく同じ言葉を、誰かにではなく自分自身にそっと語りかけるように、単調な声で繰り返しつづけた。

 ──わしはなにもしてやれん。なにも。

 さらに日暮れになると本家から菜摘子が拝殿をのぞいて、綾一郎に夕餉が整ったことを告げた。
 交代のためか、それに続いて次兄の静の姿も現れる。
 円に支えられて母屋にとぼとぼとたどりついた彼は、囲炉裏端に一族の皆が連座しているのを見て、また憤りが募るような思いを禁じ得なかった。

 だが、母である菜摘子から差し出された雑煮の中身を無言で飲むほどに、それが身体と精神に必要となっていくようだった。そして最後のひと息で残りを飲みほすと、黙ったまま壁に寄りかかっていった。大きく見開いた目は、幼い頃より顔見知りであり、仲のよい兄弟たちの顔を通り越して、天井の大きな梁を見上げていた。

 不二屋敷の家人たちのたてるざわめきのなかに、あの面影をふっと思い出す。暗闇の中に、たったひとつだけ煌めいている星のように浮かぶ豊の残像。何光年も向こうの彼方で凍えているような気がして。

 ──わしはなにもしてやれん。

 綾一郎はもう一度言った。
 だが、その声には穏やかさが戻っており、彼に心を寄せるように傍らに坐っていた円には、その嘆きがいちばん危険な段階を過ぎたことが知れた。

 やさしく力づける言葉を、そっと口々にささやきかけながら、呪師の姉妹たちは五兄の友だちのもつれた髪を指で梳き、掛け布を持ってきて、その灼けた肩の上まで引き寄せてやった。

 ───

 疲れきった綾一郎が突然の豪雨によって不二屋敷に足止めされたまま、深い、夢のない眠りに落ちていくのと同じころ、外界は怖ろしい荒れ模様となった。

 まるで四つの夏の嵐がいちどきに集まってきたような轟音。さらに稲穂の実りを約束する稲妻が、いたるところで砲火のように閃いた。

 雨粒が拝殿の四囲の壁を打って、千の拳が打ち鳴らされるような音をたて、その振動が昼間綾一郎が投げつけた小刀を、神棚から揺さぶり落とした。

 コトリ──と乾いた音が響き、それが豊の目を覚まさせた。

 しばらくのあいだ彼は自分がどこにいるのかわからなかった。
 なにか明かりがあると気づいて、のろのろと横に目をやり、祭壇の中央でまだぱちぱちとはぜている小さな火を見つめた。そのあいだに、肘の傷をなぞろうとした片手が、なにか奇妙なものをこすり、そっと手でさぐってみて、自分の肌がいたるところで縫い合わされているのを知った。

 そのとき一切が、頭の中に甦ってきた。
 豊はものうげに拝殿のなかを見まわし、ここは何処だろうといぶかった。
 拝殿であることは確かだが、そばにいて、うたた寝をしているようでいる人物は、この時分、不二屋敷にはいるはずのない者だった。

 口の中が綿のように乾ききっていたので、片方の手を掛布の下からすべらせ、指で枕元を探った。すぐに水を半分満たした小さな椀に手がぶつかった。彼は片肘をついてそれを持ち上げ、何度か時間をかけて水を飲み、また身体を横たえた。

 ──・・・・・・誰だったか・・・・・・ひ・・・・・ひゅー・・・・・・?

 知りたいことはいくらもあったが、いまはなにかを考えることはむずかしかった。拝殿のなかは木陰のように涼しかった。火の影が頭の上で楽しげに踊り、雨は耳元で子守唄をうたって眠りに誘い、そして豊はひどく弱っていた。

 ──なんしてここにすせりながおるだ・・・・。

 まぶたがふたたび下がりはじめ、最後の火明かりを締め出したとき、そう思った。
 眠りに落ちるまぎわに、彼はひとりごちた。

 別にそれもいいが──と。

 ───

 死で織った黒衣に口惜しげな顔を包んで、夜の闇に消えていった死神の起こした気配は、新しき至高の守宿を守る者たちにとってはただの風だった。

 明け方、ふと頬を吹き過ぎる風に目を覚ました綾一郎が、最初に見たものは、誰かの一対の目だった。すぐさま一切の記憶が戻ってきて、綾一郎は呪方の大人の注目を浴びていることを知り、当惑と恥ずかしさに襲われた。はなはだ威厳に欠けた相生の民らしからぬ振舞いを、彼はしでかしたのだ。

 できることなら、顔を隠してしまいたかった。
 不二の長兄が、気分はどうか、なにか食べたくはないかと訊き、綾一郎はこくりとうなずいて、気分はいい、なにか食べたいが朝餉の時分まで大丈夫と言った。

 身体を起こしながら彼は、中庭で家人たちがあれこれの仕事に精出しているのを眺め、それがこれまでの深い眠りの効果とあいまって、綾一郎に生気を甦らせた。

 ここでは、起こってきた事に誰も嘆かず、日々の暮らしはずっと続いている──そう思うことで、また若者らしい心地を取り戻すことができた。
 綾一郎は絶望に向かってはいなかった。彼の気骨な精神は回復に向かっていたのであり、彼の味わった苦難は、それがひとたび癒されると、これまでにも増して彼を強くすることになった。

 悪いことから良いことが生まれる。いや、良いことはすでにはじまっていた。彼は良い場所にいた。そしてこの場所が今後の長いあいだ、彼の拠り所となるだろう。

 綾一郎がうたた寝をしていた場所、それは拝殿の豊の傍らだった。

 遼が立っていったのを見計らい、つと手を伸ばして額を撫でてやると、指先に不思議そのものを触れたよう──止まらない。
 月石の勾玉が引っ掛けられた豊の耳朶へ、黒曜石をとかしたような黒髪へと這った。なんだか蝶が触覚で未知の世界をまさぐるように。

 薄荷に似た、豊の香り。ふと、やわらかい朝の光の中で、豊の見てきた全部の時間に包み込まれたような気がした。

 滝壷、祠、川のヌシが棲む淵、五百年もそこに建っていたような、霧に包まれた聖域の鳥居。そこは森のクニ・・・・・小さな首都の若君に、ぞろぞろとかしずいている、素朴でバケモノな男ども。

 ──やっぱ、わしってなんも知らないっちゃな・・・・・。
 自分の見てきた世界以外は。たぶん、ちっぽけな‘地球’以外。

 だが、豊の性質は知り尽くしている──彼は自分のことをあれこれ表現したがる者ではない。
 けれども、生まれてからほとんどの時を彼と共有してきた、綾一郎だけに気がついていること──目立とうとしていないわりに、その辺の少年のなかでも、彼は浮く。
 慣れてきて、見れば見るほど、いつのまにこんなに‘違った’ものが、身の回りにまぎれ込んでいたのかと、ぎょっとしてしまうような・・・・・・持っているのはそんな気配だ。

 (こいつって、ひとりで‘他所者’だったんだ)

 綾一郎自身の血統が不二一族の豊とぜんぜん関係がないとか、そういうわけではなくても・・・・・・実際に綾一郎の父は、豊の母の従兄弟でもある。狭い村だとみんな血がつながっているようなものなのだ。

 だが、精悍な気風を特長とする田中一族とは好対照──もともと鼻筋の通った、女雛(めびな)が命を吹き込まれたかと見間違うほどの面立ちが本物に見える、不二一族を代表する端正な外見のせいもあるが・・・・・平安京の暗い路地裏や、朱雀大路の祭りの夜のにぎわいや──よその世界で重ねてきた、濃茶の爽味にも似た、‘違う時間’が均整の取れた細身の身体いっぱいにみなぎっている。

 隠れ里の少年は、経験がないのではない──経験が別モノなのだ。寝かされているだけの今だって。この国、学校、そこらへんの街角。そういうスカスカの日常ではない、どこかここではない時間と場所の──風の匂いをまとって見えた。

 そうして、綾一郎はようやく気づくのだ。
 いまだ静かに眠る不思議の少年が、友だちに掛け布をかけなおそうとするかのごとく──その右の手がつと横に伸ばされて、綾一郎の敷物の布目をしっかりと掴んでいることを。

 胸の真ん中を突かれたように、いつもは勝ち気な色しか浮かべない赤銅色の瞳が、痛みを宿して豊を見つめた。

 ──いってしまったんじゃなかった・・・・・・よかった。

 おれたちと暮らしてるってこと自体、これ以上はないような、おまえの返事(こたえ)だろうに。

 この、不思議の生命は──不二屋敷と外界とを遮る鳥居をこえ、身体をはみだし、里いっぱいに浮遊し、分校のなかにもしのびこんで、綾一郎たちといっしょに、いつもいたのだ。
 綾一郎が孤独に苦悶する夜にも・・・・・・ほら、こうして豊はそばにいる。

 そう、それは海のよう・・・・・・底はない。豊には、あらゆる意味で底がないのだ。
 なぜ? ──と問われても答えられない。理屈で説明することはできない。
 豊といるかぎり、ありのまま受け入れなければならないことは、あまりに多い。豊といることは、豊にまつわるすべてとともにいること。まぼろしも、血肉のうち。

 ぐったりと力なく伸ばされた豊の手を、綾一郎は自分の方によせてみた。華奢な腕をとってやりながら夜明けを待った。眠る間だけ飽かず眺めるくらいなら、あの照れ屋といえども、ゆるしてくれると思うのだ。

 月ひとつ、影ふたつ。
 こんな美しい晩には。

 誰か語ってくれないか──豊をめぐる物語。

 夜、森に遊び、屋敷の窓際で夢を見るごと文字を綴り、あの朽ち果てた滝洞の祠、平気でひとりで行ってしまった・・・・・・綾一郎の知らない少年のこと。





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 たとえどんなに愛のある家族であっても、自分の内面(なか)を目覚めさせるものは身内ではなく・・・・・外から吹き寄せる風であることは、私自身の持論でもあるのです。

 明日は●生還●です。
 あー。明日はまたうるさくなるんだろうな(笑)。
 おはよう、ゆたさん。
 起きて起きて。
 タイムスリップして、おかえりなさいって・・・言ってあげてください。

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最終更新日  2006年01月11日 06時20分58秒
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