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藤の屋文具店

時空を超えて


            【時空を超えて】


「それでは、そこへ横になってください。あ、ぱんつは脱がなくっ
ていいです」

田淵けい子は、白い樹脂でできたトレーの上に緊張して横たわっ
た。どうしてこんな事になったのだろう?どこといって悪いところ
はないのに、もう一か月ばかりお通じが無いのだ。便意はあって、
ちゃんとトイレできばるのだが、排泄感は確かにあるのにナニは出
てこない。一週間をすぎる頃から気味が悪くなって、あちこちの病
院を渡り歩いたが原因がわからない。わらにもすがる思いで、マッ
ドサイエンティトの異名をとる、この内藤研究所にやってきたので
ある。

「腸捻転のようですね・・・・あれっ?」

博士はCTスキャナーの映像をながめながら、黙り込んだ。けい
子は不安な気持ちになって診療台の上で身を堅くした。自分の身に、
なにかとんでもない事が起こったのは間違いがない。ああ、神様、
わたしがいったいどんな悪い事をしたというのでしょう。わたしよ
り悪い事している人はいっぱいいっぱいいます、どうか、他の人た
ちから先に、罰をお与えください。それとも、わたしの先祖がなん
か悪い事したのだろか?罪のないうんちを斬り殺したとか、若いう
んちをてごめにしたとか・・・・・。

博士は黙々とスキャナーを動かしている。けい子を載せたトレー
は、スキャナーのトンネルの中を行ったり来たりして、うぃんうぃ
んとせわしなく動く。こんなにいっぱい超音波を浴びて、なんとも
ないのだろうか?けい子の頭の中では、電子レンジで解凍をしくじ
ってふつふつと半煮えになった、100g65円の脂身だらけの特
売肉が、鮮やかに映し出されていた。自分の身体に、洋裁の型紙の
ような線がいっぱい引かれて、ばらとか、ふぃれとか、ろーすとか
書かれた情景が目に浮かぶ。やだよー!

いつのまにか涙ぐんでいる自分に気がついた。涙は、仰向けに寝
ているせいか、鼻のほうに引っ越してじゅるじゅると音を立てた。
息苦しくなって大きく息をすると、おおきなおおきな鼻ぢょうち
んが膨らんだ。恥ずかしいから割れてくれと願うのに、鼻ぢょうち
んは膨張と収縮を繰り返し、あまつさえ、片方の鼻の穴では、加圧
された気流によって、乾燥した鼻くその破片が音を立てだした。
 すぴぃすぴぃと音を立てながら膨らむ鼻ぢょうちんを眺めるうち
に、けい子は、今ここにいる自分が、とてつもなく情けない生き物
であるような気がして、とめどなく涙が流れた。涙は鼻腔内に流れ
込み、鼻ぢょうちんを薄めた。鼻ぢょうちんは、何回めかの膨張に
耐えきれずに、湿った音を立てて弾けた。
ふと、窓の外に目をやると、雨に打たれたあじさいが、薄水色の
花びらを震わせながら夕日を浴びていた。雲の切れ間から幾筋もの
光の帯となって地上に降り注ぐ夕陽は、ちょうど、そのあじさいの
あたりだけを照らし出していた。

「ふぅん・・・あっ、わかったぞ!」

博士の声に驚いて、けい子は鼻水のしぶきを浴びた顔を起こした。

「これは凄い、こんな事が現実に起こるとは信じられない!」

博士はひとりで興奮してスキャナーの映像をいじくっていたが、
やがてけい子のほうを向き直ると、ちょっと驚いた顔をして、堅く
絞ったタオルをくれた。{なかなか気がきくじゃん}と思いながら
顔を拭いた。顔は{物理的に}綺麗になった。ありがとうと言って
タオルを返そうとしてふと見ると、折り畳まれた内側からごきぶり
の死骸や髪の毛やほこりのかたまりが、ぽとりと落ちた。

「これをご覧なさい、ほらっ、ここの濃い赤のところが、組織の重
積している部分です、ところが・・・」

けい子の怒りにはまったく気づかず、鈍感な博士は説明を続ける。

「・・・ほら、角度を替えて眺ると、肛門からつながって見えるで
しょう」

「・・・ほんとだ!」

「肛門の直前で捻れた腸が、ここにつながっているのに、ここには
開口部もなければ、癒着も見られないのです。口から肛門までは一
本のチューブなのに、はしっこが一つだけしかないんですよ!」

「まってまって、あたし位相幾何学を少しかじったからわかるけど、
そんな事、位相学的に絶対ありえないわよ」

「・・・ユークリッド幾何学ではね!」

博士は、小鼻をぴくぴくさせながら説明を始めた。

「えーと、あなたは今までに、わりと便秘気味だったでしょう、ね!
そして、最近、その、なんというか、下腹に力を込めるような特殊
な体操をしていませんか?」

な、なんでそんな事がわかるんだろ!けい子はうろたえた。夫に
嫌みを言われたので悔しくて始めたやらしい体操の事まで、なんで
バレたのかわからない。冷や汗がつーと流れた。しらずに息が荒く
なる。どこかでひゅうひゅうと風の音がする。と思ったら、自分の
鼻の穴の音だった。

「いいですか、けい子さん!」

博士は構わず続けた。

「これはまったくの想像なんですが、おそらく、あなたの肛門房洞
内に滞留した多量の便が、その・・・・特殊な活約筋を鍛錬する体
操によって圧縮され、一種のマイクロ・ブラックホールを生成した
と思われます」

「ちょっとまってよー、たかがふんばった位で、そんな恐ろしいも
んできる訳ないでしょ~~」

博士は、素人はこれだから困るといった顔をして、肩をすくめて
みせた。けい子は、さりげなく鼻くそをほじくって、博士の背中に
なすりつけた。ざまぁみろ!

「人間の身体は、物性物理的には液体と同じ性質なんです。胆石の
破砕に使われる衝撃波療法のように、人間の身体は「波」を非常に
良く通すんですよ」

それがどうしたというように、けい子はすぴぴぃと鼻を鳴らした。

「あなたが気張ったときに生じた衝撃波が、肛門のはしっこから空
腸に向けて走ります。そして、幽門に遮られて反転する反射波が、
ある条件を満たすとき、ふたつの波が干渉して、とてつもない巨大
な力が一点に集中するのです」

「超音波で窓ガラスが割れるみたいな・・・?」

「ちょっと違うけど、まぁ、そんなもんです。力の絶対量は小さく
ても、作用する範囲が十分に小さければ、ブラックホールは発生す
るのです」

博士は、どうだわかったか、というような勝ち誇った目でけい子
を見おろす。ちくしょう!と思って鼻くそをほじったら、怒りの余
り力がはいって、鼻血がぼたぼたっとこぼれた。あわててバッグを
捜すがティッシュは使い果たしていた。頭の中が真っ白になって夢
中で捜しまくったら、タンポンが見つかった。チャームソフトタン
ポンキングサイズのアプリケーターを鼻の穴に押し当て、うんうん
っと挿入すると、血は止まった。

「・・・その、マイクロブラックホールの周囲に起きた次元の歪み
によって、腸が四次元的に捻れて、クラインの壷のような構造にな
ってうんちを他の空間に転送してしまったのです・・・大丈夫です
か?」

心配そうにのぞき込む博士の目があまりにも真剣なので、けい子
は不安になって鏡を見た。ひぇぇ! 右の鼻の穴がぱんぱかぱんに
膨らんでゴリラのようになっている。びっくりして紐を引っ張った
ら、ぷちっと切れてしまった。あわてて左の鼻の穴を指で押さえて
「ぅふぅんんっっ!」と気張る、なかなかとれない、頭がくらくら
してきた。3回目に気張った瞬間、「じゅっぽうんっっっ!」とい
うえげつない音がして、タンポンは飛び出した。博士は見ないふり
をしていたが、後ろ姿の肩が小刻みに震えていた。




「異~次げ~んれぇざぁめ~す!」

博士が変な節をつけて、ポケットから道具を取り出す。いつのま
にか、手首がまんまるくなっている。顔もまあるくなって髭がぴん
ぴんと生えている。

「このメスで、あなたの肛門を異次元空間から切り放します」

けい子はうつ伏せになって診療台の上に固定された。窓の外のあ
じさいは夕陽に輝いている、みあげると大きな虹がかかっていた。
子どもの頃、父の舟で沖に出て、夕立の後に空にかかった大きな虹
をいつまでも眺めていたことを、ふいに思いだした。こんな美しい
ものが、ただの自然現象のはずはない。これは、にんげんに見せる
ために神様が描いた「絵」なのだわと、彼女は子ども心に思ったの
だった。その神様のいたずらで、わたしのうんちはどこかに隠され
てしまった・・・・・。

「おわりましたよ」

何の痛みも感じないうちに、手術は終わった。

「最初のうんちのときだけ変な事があるかもしれませんが、二回目
からは昔通りに出来ますから、安心してください」

「・・・あのー、お代は・・・その、おいくらでしょうか?」

いっちょうらのぱんつをずりあげながら、けい子は不安そうに聞
いた。

「そんなもんいらんよ」

博士の言葉に、けい子の顔がぱあっと明るくなった。

「ただし、この事件の著作権及び編集著作権は、わたしに帰属する
ものとする」

ぼそっと呟く博士の言葉が、いつか災難として自分にふりかかる
事にも気づかず、けい子は舞い上がって帰路についた。来るときに
はモノクロームに沈んでいた街が、今は輝いて見える。人並の排便
を約束されて、けい子は幸せだった。世界は色を取り戻し、けい子
は口笛を吹きながらスキップをして雑踏を走り抜けた。
と、突然しくしくとお腹が痛みだした。慌てて近くの喫茶店に飛
び込むと、カフェオーレを注文するやいなやトイレにかけ込んだ。
だが、トイレには先客がいた。ドアの前でじっと待っていると、身
体がかあっと熱くなってきた。背中がじっとりと汗ばんでくる。た
まらずにブラウスのボタンをふたつ外して、ぱたぱたと扇いだ。そ
れが過ぎると、今度は寒くなってきた。ぞくぞくっと悪寒が走って、
二の腕にぷつぷつと鳥肌が立ってくる。やばい!このつぎ熱くなっ
てきたらおしまいだわ、と、あせりはじめるころ、ドアが開いた。

まだ生々しい残り香をものともせずにしゃがむと、いっきにきば
る。と、小さな黒い玉がことっと落ちた。先ほどまでの便意は嘘の
ように収まり、狐につままれたような顔をしてけい子は水を流した。
 だが、その小さな黒い玉は流れなかった。水がたまるのを待って
もう一度流してみたが、やはり流れなかったので、まあいいやと思
ってトイレを後にした。
席に戻ってカフェオーレを飲むと、やっと落ちついてきた。「変
な事」というのがこれ位で良かった、もりもりといくらでも出てき
たら大変な事になるところだったわ。と思いながら、ふと目を上げ
ると、トイレの前で騒ぎが起こっている。なんだろうと思ってそう
っと見に行くと、ウェイトレスの女の子がべそをかきながら、狂っ
たように水を流し続けている。便器を見たけい子はひとめで事情を
察し、勘定をすますとすたこらさっさと雑踏の中へ消えて行った。

喫茶店の便器の中では、まるでへび花火のように、小さな黒い点
から大量のうんちがあとからあとから湧くように吐き出されていた。
次の水流が走るまでのひととき、ギャラリーはいつしか品定めを始
めていた。

「あ、とうもろこしだ」

「あれはひじきだ」

「えびの尻尾まであるぞ」・・・・・・・・・・・・・・


{了}



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