報告があります。
一ヶ月ぶりの 電源オンです。 結局 父は逝ってしまいました。 悪いところを取り除き 七月十日に すべての手術を終え 踵は残せませんでしたが クルブシまで足は残り 家族としてはというか 私としてはもしかしたら元気に群馬に戻ってこられるのかも・・・と。実家も改造せにゃいかん。・・と。 病棟の集中治療室(HCU)で二晩過ごした後 13日の朝に 旅立っていきました。 臨終には間に合いませんでした。 何しろ遠いところに入院させすぎたのかも知れません。 高齢で無理だったのですね。 ずっと痛い思いをして。 交代で 母と娘と交代で泊り込み・・・。 最後は食事もろくにとらず・・・。 群馬に帰りたいと・・・。 ああすればこうすればと 考えることはあります。 でも 寿命で逝ったと。 手術中にではなく 数日後に 肺炎が原因で逝ったということで 私への集中攻撃を避けてくれたのかも。 15日に 告別式も済ませました。 死顔は安らかなものでした。救いです。 八月末に 納骨予定です。 帰りたがっていた群馬に一日でも長く・・・。 死人にメスを入れるのを嫌がる親族もおりましたが 本人も納得していたことを話し解剖も。 10年間透析により生きてこられたこと。 腎臓もひとつしかないという特異な体であったこと。 最後の手術・・・(本人はもう嫌だったのかも・・・)の承諾の際「後進のために・・・」の一言。 埼玉医大でも 命、足を残すために 精一杯のことしてもらったと思ってます。 人それぞれで考えはあるでしょうが わがままに80年生きた 幸せな男でした。 以上 報告です。