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あとがき 「はじめに」で私の病気のことについて書きました。発病して約5年経つのに進行が非常に遅く、もしかして誤診なのではないかと思い今年4月に病院を替え、相模原市の大学病院で再度筋電図を取り検査してもらいました。結果、筋萎縮性側索硬化症という病気は非常に個人差が大きく、100人から200人に1人は10年から15年間もあまり進行しない人もいるそうです。また20年以上も人口呼吸器を付けずに生活している方もいるそうです。私の場合そのような稀なケースであることを完全に否定することは出来ないが、誤診である可能性もあり、後3年とか5年経過を見てみないとなんともはっきりとは診断できない、と言われてしまいました。とても複雑な気持ちになりました。もし誤診だったらこの5年間は何だったんだろう。貯金を使い果たし、1年7ヶ月ほどの間、年金生活している母の扶養に入れてもらい弟妹には肩身の狭い思いをして・・・。もともと人工呼吸器はつける気持ちはなかったので介護が必要になる少し前にでも呼吸困難で亡くなることが出来れば家族にかかる負担は少ないし、生命保険が2000万円下ります。贅沢さえしなければ残された家内と子供たち二人はしばらくは何とかなるだろう。そんな気持ちでこの数年間生きてきました。もし誤診だったら頚椎症だけだったら、それこそ手術してでももうこれ以上筋力が低下するのを止めたい。でもこの難病の疑いが残る以上、どこの整形外科でも手術などしてくれないだろう。誤診であるなら本当なら喜ばなくてはいけないのにとても不安な気持ちになって来ます。頚椎症では呼吸器の筋肉は落ちないので呼吸困難で命を落とすことはないだろうが、無理をして悪化させれば皮膚の感覚が無くなったり、全身の筋力の低下だってありえる。落ちた筋力は決して戻ることは無いそうだ。こんなことを言ったら不謹慎だが、もし普通にこの筋萎縮性側索硬化症という難病であるのなら最初から呼吸困難になる場合もあるそうだが、もし手足から来て介護が必要な状態になっても人工呼吸器を着けなければ、家族に負担がかかるのは1年か2年だろう。しかし、頚椎症で介護が必要になったならいつまでも家族に負担が掛かってしまう。 などといろいろ考えてしまい、それからひと月ほど非常に重い気持ちでいました。今からだの状態はというと、左の手がもつれ感があり細かい事がやり辛いのと、力を入れると筋肉が攣ってしまいそのまましばらくの間筋肉が固まって戻らなくなります。最近右手にも左手の最初のころのようなもつれ感とふるえが出るようになってしまいました。タイピングも10本の指では出来なくなりました。でも他は大丈夫です。余り先のことを考えると辛くなります。でもいつまでも考えて落ち込んでいても始まりません。4年ほど前、病名を告知された時「息子のランドセル姿は見ることが出来ないのか・・・。」と悔し涙を流したことを思い出してみれば、今こうして生きていられることは何て幸せなことだと思わなくてはいけません。 元気なうちは無理をしないで少しでも多く働かなくてはと、今年の5月から市立中学校の非常勤講師の仕事をさせて頂くことになり、中学生の子供たちから元気をもらい今頑張っています。 2009年 7月 深見元彦 ![]() 発音がわかる!英語の絵本(4) ![]() ABC ![]() はじめてのえいご(5・6才用) ![]() どうわでおぼえるえいご お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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