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昨日はバレンタインデーだった。
バレンタインデーはそもそも、 カトリックの聖人、 聖バレンチノ司教(司教=司祭のボス的存在) の殉教を記念する日に由来して始まった。 私たち日本人がバレンタインデーと称する 2月14日は、カトリック教会においては 聖バレンチノ(バレンタイン)司祭殉教者 の日でもあるのだ。 では、この聖バレンチノ司教とは一体どういう人であったのか。 彼についてのきちんとした記録は少なく、 様々な説があるのだが、 バレンタインにちなんだエピソードを 紹介してみようと思う。 時は、3世紀までさかのぼる。 当時、ローマ皇帝クラディウスの支配の下、 キリスト教は激しい迫害にあっていた。 そんな折に、司祭として熱心に宣教し、 苦しむ人、貧しい人、病める人を助け、 導いていたバレンチノ。 きっと優しく温かい司祭であったのだろう。 困った人を放っては置けない! そんなタイプ。 それと同時に、本当に宣教熱心で、 情熱的な司祭であったに違いない。 そんな彼の元へ、いつしか 若いカップルが訪れるようになった。 彼らは口を揃えて、こう言った。 「司教様!どうか、私たちの結婚を認めてください!!」 これには、訳があった。 当時、ローマ皇帝クラディウスは、 「兵士の士気が落ちる」と言う、 何ともハチャメチャな理由で、 若人の結婚を禁止していたのだ。 しかし、愛するもの同士が、 どうして、そんな掟にしばられることが できようか!!! こうして、バレンチノ司教の下へ、 たくさんのカップルが押し寄せて来たと言う訳である。 さて、困った人を見ては、放っておけない司教様。 訪れるカップルを、神さまの前で 祝福し、結婚式を挙げていた。 そう・・・、こっそりと・・・・。 しかし! 只でさえ、キリスト教を煙たがっている 皇帝クラディウス。 この司教の行いが、目に止まらない はずはなかった。 怒った皇帝はバレンチノを捕らえ、 棍棒や石で殴り殺してしまったのである。 270年ごろのことであった。 それ以降、 バレンチノは「恋人たちの保護者」として、 親しまれるようになった。 中世になると、バレンチノの記念日に、 異性に愛の告白のカードを渡す慣習が広まり、 恋に悩む人たちが、バレンチノに祈るようになった。 そういった慣習が、現代にまで伝わってきたのだが、 日本では、1960年前後から、 チョコレート会社の商業戦略によって、 手紙の代わりに、チョコレートを送るという、 習慣がブームとなったという。 以上、バレンタインデーにまつわる、 エピソードでした。 (あくまで、福☆母調べです。 なんせ、バレンチノ司教様は 『伝説』的存在の方なので・・・) さて、そんなバレンタインデーですが、 私も、チョコレート会社の戦略に まんまと乗せられ、 愛する人へ、チョコを贈ってみたりします。 しかも、今年はレンジを買ってもらった記念に、 手作りチョコクッキーとかにしてみたりしてね。 クッキーなんて、生地から作るの、 初めてやっちゅーの。 その結果、 焦げた。 どす黒い、何とも恐ろしげな 手作りチョコチップクッキーを、 私の愛する人は、 「うん、おいしい、おいしい」 と、食べてくれた。 本当に嬉しかった。 私は幸せ者ですね。 つまり、今日の日記は、 ただのノロケなんですけどね。 うんちく風味に仕立ててありますけどね。 そんなに嬉しかったのに、 私ときたら、ダンナさん本人には、 「ホワイトデーは、 寿司でいいよ。」 なんて、言っちゃうんですよね。 私ったらぁ! テレ屋さん☆ さて、もう一人の、私の愛する男子、 その名も福。 彼にも、手作りクッキーの かろうじて、焦げていない部分を 一口食べさせる。 そのために、ほとんど、砂糖をいれなかったのだから。 美味しそうに、ポリポリとかじってくれた。 そんな我が息子の姿をみながら、 「私はいつまで、この子にチョコをあげるのだろう・・・」 と、真剣に考える。 小学生くらいまであげるのかナァ・・・。 でも、20歳くらいになってまで、 「今年も、かあちゃんからだけかぁ・・・。」 みたいな状況になってるのって 最悪じゃない??!! かといって、一個ももらえないってのも、 なんか、寂しそうだし・・・。 あぁッ!!!母親って悩むわぁ!!! と、一人、妄想にふける私であった・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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