いくつになっても成長していない自分
今日は片付けの記事はお休みします。昨日おきた出来事が自分の中であまりにもショックで一人反省会をしながら色々考えました。いつも適当な、自分勝手な記事ですが今日は特に自戒の念をこめた記事なのでお気に召さない方はスルーしてください。昨日とてもショックな出来事がありました。仕事のミスでも家での事でもなくこどもを迎えに行く途中の道端でのこと。詳しくは書きませんが、人助けをしたつもりで大きなお節介をしてしまったのです。何がショックだったって、困っている人がどうしてほしいのか(そもそも手を貸してほしかったのか)、何をして欲しかったのかをきちんと聴かずに「こうした方がいいのかな?」と自分本位な行動をしてしまったこと。その方と別れてからかなり落ち込みました。助けるつもりが迷惑をかけてしまったこと。自分の都合で動いてしまったこと。自分が過去にしてきたこともお節介だったのかもと振り返りました。たぶん、私は多分人が恋しいのかもしれません。普段は会社でも周囲の人と仕事以外の話をほとんどすることもなく、残業もできないので時間が来たらさっさと帰って家に帰ればおとぼけなむすこと2人きり。会社では周りの方も同じ年頃のこどもがいるので時々こどもの話になったりもしますが抑えようと思いながらもどうしても普段親ばかな話をする相手もいないので「うちの子は・・」「自分は・・」となってしまいます。 そしてあとで反省・・・そういう気持ちを吐き出す場をブログに求める方もいるかもしれませんがブログに書くのと実際に人と話をするのはまったく違うものだと思うんですよね。私はどちらかというと人に直接話をきいてもらった方が、相手の反応だったりきいてもらっているという満足感が欲しいです。自分の価値観の5位にあった「認められること」の1つなのかなと思ったりしました。週末に母と電話したりしますが母も一人暮らしなので孫の話や日々のこと「きいてもらいたい」欲求が強く、お互いに話すもきくも中途半端で欲求不満な状態なのかなと思ってます。それと今回できなかった「聴(訊)く」ということ。これから自分が向かおうとしている道は今までよりももっと「聴く」ことが大事です。向かおうとしている道だけでなく普段のこどもとの生活、仕事の場でも本当に大事です。それを忘れずに自分ができること、自分にもできること、できないことを判断すること。判断する余裕がない時は無理にやろうとしないこと。心にとめて自分らしく生きていこうと反省しました。 以上。