学生ツアー PART2■ 学生ツアー PART2 ■学生ツアーの目的地は、夏は与論・沖縄の南国ツアーおよび志賀高原+野尻湖のテニスツアーだった。 特に南国は大人気だったが、往復飛行機だと高いから、片道は「波之上丸」というフェリーを使った。 JET&SEA SEA&JET といったネーミングで、一番安いのはSEA&SEA。 なんと船泊だけで4泊!驚異的なツアーでしたね、安かったけど。 でもみんな船旅は暇なので、現地に到着する頃には何組ものカップルが誕生したものだ。 おいしい女子大生が来るのはJET&JETでしたね。 お金持ちのお嬢さんがいっぱい。ってことは質的も◎でした。 当時最も人気のあった南の島はなんといっても「与論島」だった。 当時は「ヨロン島」とカタカナ表記するのが一般的だったので、中にはグアムやサイパンと同様に「外国の島」だと勘違いしていた子もいて、「パスポートはいらないんですか?」と受付時に真顔で質問されることもあった。 たしかに日本離れした雰囲気だったので、「ヨロンパナウル王国」として、国旗や国王が存在した時期もあった。 そんな南の島の独特なノリは、まず初日の夜から始まる。 そう!「与論献奉」と呼ばれる歓迎の儀式を行うのだ。 地元の主が宴を主催して、アルコール濃度50度近い「有泉」という焼酎を大きな杯で回し飲みするのだが、これには「お客をもてなす」という意味がこめられているので、どんなに酒の弱い人でも断れない雰囲気がある。 限界を超えたら「とうとう」(もう貴方の気持ちは充分伝わりましたという意味)と言ってやんわり断る。 しかし、スタッフは断るなんて言語道断! 初日を盛上げるために、率先してひたすら有泉を飲み続けなければならない。 そんな具合でいつしか意識がどこかに飛んでしまって、気がつけば大金久海岸(百合が浜)のグラスボードの脇で上半身裸で朝を迎えるってこともたまにあった。 そんなノリで、無事翌朝を迎えられた者は、グラスボード・シュノーケリング・当時大流行したウインドサーフィン(サーファー艇・手差しダガー・ハーフバテンセール)やカタマランヨットでマリンスポーツを堪能。 一方有泉につぶされた者は、日中は何もできずにただただうろたえるのであった。 でも、夜になると全員が集結してそのテンションも最高潮に達し、東区の「スカイラブ」茶花の「サザンクロス」大金久の「ラブアタック」「エデン」等のディスコを貸切。 ラスト3曲は必殺パターンがあり、まずは「ロントレ」で手拍子、次は「セイムオールドソング」で全員揃ってステップ、最後はお決まりの「君の瞳に恋してる」で絶頂を向かえた。 二次会は「ココナッツガーデン」というビーチサイドのカフェバーで朝近くまで、というのがパターンだった。 冬は志賀一ノ瀬・北志賀竜王・斑尾高原・苗場・栂池あたりへのスキーツアーだった。 私が一番添乗・駐在した場所は斑尾で、3泊コースの場合、1日目と最終日は箱を貸切って「ウエルカムパーティー兼フェアウエルパーティー」を行った。 貸切る箱は「サーディンハウス」「花言葉」「ホワイトハウス」 どれも音響や照明がシッカリしている「ディスコ仕様」だった。 特にサーディンハウスは最高で、昼間は「ふわふわわうわう」というケーキが大人気。 夜は一転DJが入り、当時の最新ディスコヒットをガンガンかけていた。 青空に白い雲をあしらった天井からは、カモメのオブジェが飛んでいた。 最終日はツアーメイトを半ば強制的に土産屋に連れて行った。 これが駐在スタッフ唯一の小遣いで「R」と言われていたが、要は連れて行ったメイトの売上の何%かが駐在スタッフのみにバックされた。(ヘッド以下はタダ働き) 提携先はラフォーレシャンピア内の「マザーグース」「ペパーミントハウス」「ホワイトハウス」。 ヨロンだったらサブさんの「タンディー」かマサさんの「ココハウス」。 メイトが他店に行きたい!と言っても、いかに提携店舗に金が落ちるように仕向けるかは駐在の腕だった。 こんな感じのツアーを、平均で夏は7-8本、冬は15本近くこなした。 このあたりの曲でパーティー・出張DJをご希望の方は、こちら
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