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振り返ると、私は親には相談をしたことがない。
報告しかしない。 小さい頃の事は定かじゃないけれど、 高校受験先も1人で決めた。 就職先も決まった随分後に、実は都市銀行への学校推薦の話しがあったんだと話したら、物凄く叱られた。 転職も、1人暮らしを始めたときも、結婚も…。 全部1人で決めて事後承諾だった。 悩んでいるのを話しておいたと言う点では、離婚した時だけは違うけれど。 私も少し変われていたし、親に心配させたくなかったし。 親に学校からのプリントや、通知表を見せなくなったのは、小学校の5年か6年あたりから。 保護者会や参観日にはどうせ来れないだろうし、実際に全く聞かれたこともなかった。 通知表も見せていないのに何も言われなかったから、出欠表も、通知表もタンスの引き出しから印鑑を勝手に出して自分で捺印していた。 欲しいものがあっても、買ってもらうのはあきらめてたから、ねだったりすることはなかった。 お小遣いをやりくりして買うか、あきらめるか。 あー、学用品くらいは買ってもらえてたけどね。 この頃の夕飯の支度は私の係で、中学生の次姉は部活、高校生の長姉はアルバイトだから、オマエしかいないからだと言われて。 父は転職したため家計が逼迫し、母は慣れない仕事を始めたばかりだった。 聴覚障害のある母は人との付き合いが下手でこの頃とても苦労していたのを何となくわかっていたから、従うしかなかった。 だけど1度だけ、夕刊配達をしてる新聞やの孫の友達を手伝っていて遅くなってしまったとき、先に母が帰っていて叱られた。 ご飯を炊いてなかったから。 それで食事の時間が遅れたため苛立った父にも殴られた。 泣くと余計に殴られるから我慢する。 グッと歯を食いしばるんだけど、その顔が反抗的だとまた殴られる。 父は外向きは立派な人だけど、家族第一の人ではなかった。 物心ついた時から、まぁよく殴られたものだ。 一発殴ると治まらなくなるらしく連打される。 拳骨で頭を殴るから、タンコブがボコボコできるんだよ(笑)。 私だくでなく、姉たちも、そして母もよく殴られていた。 今なら完璧に幼児虐待にDVだね。 ご飯のおかずが気に入らないから殴る。 子供が泣くとうるさいからと殴る。 次姉はなぜか窓ガラスを誤って割ったり、うちの家電製品をよく壊す人だったから、これでよく殴られてた。わざとじゃないのにって可哀相だった。 たまには母が庇ってくれたけど、そうすると母が殴られるから、私たちが我慢しないといけなかった。 とにかく、父の機嫌を悪くしないように心を砕いていた。 掛け算九九を覚えるのにはうちには決まりがあって、板の間に正座させられて、言わされるの。 で、間違うと1mの竹のものさしで足を叩かれる。 上の姉の時の印象はあまり記憶にないけど、下の姉の時を見てるから、私は死に物狂いで覚えたから、足(太股)が真っ赤に腫れるのは免れた。…これはスパルタだということで、後から感謝だったんだけど。 後にも先にも勉強させられたのは、この時だけで他には言われたことがない。 …凄いなぁ。 書いてると気が滅入ります(-_-;)。 読んでても重いですよね~(^_^;)。 ふぅ~。 これ以上書くのは躊躇しそうです。 でも、今は親には感謝してるし…念のため…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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