お金も腐る
お金も腐るってことに、みんないい加減気づいてもいい頃だと、思う。 人間の歴史は、常にコンスタントに食べ物のある状態。飢えのない生活を目指してきたもの。食品は、農耕によって作られてきたので、天候によって飢饉になって、餓死したりしたからだ。 飢えのない生活をめざして人間は食品を保存する方法を考えてきた。お米や麦は比較的保存しやすいが、飢饉は免れない。 海産物や、農産物も腐るから、冷凍することで長期の保存を可能にし、コンスタントな食糧の保存と提供を目指してきた。 そして、お金というものに置き換えて、必要なものにいつでも変えることができるようになった。お金は腐ることもないし、どんなものとでも交換が可能な、腐ることのない財産の保存方法だと、思われてきた。 けれど、お金もまた、腐るのだ。物価の上昇によって、貨幣の実質的な価値が下落してしまうからだ。 物価が上がるから、減る。減るから、もっともっと貯めなければならない。 けれど、たくさんお金を貯めこむ人がいるということは、お金を吸い足られてなくなる人もいる。 お金はさびしがりやだから、集まりたがる。だから、一箇所にたまっていく。けれど、お金というものが、あまりにもたまりすぎると、同じ価値のまま、保存することは出来ない。物価の上昇、インフレによって、価値が下がってしまう。 億単位、兆単位という、極端にたまった個人の持つ多額の資産は保存が難しい。 お金という資産を金属の金に変えたとしても、金の相場もまた、変動する。目減りするのだ。それでは、絵画のようなものにするのは?けれど、絵画や、宝石もまた、価格の変動が存在していて、買ったときと同じ価格で、売ることはできない。株もまたしかり。 お金というものは、たまればたまるほど、その価値を落とし、腐っていくのだ。 みかんが10こあったとして、10人に一つづつくばり、みんながたべてしまえば、みかん十個の価値はそのまま生かされる。そして、たべられたみかんのエネルギーは、労働力となって、次のみかんを(資産を)作り出す。けれど、みかん10個を一人の人が独占し、毎日一つづつ食べようとしても、10日たつ前にみかんは腐ってしまう。そして、あたらしい資産は作り出されない。 お金もまた、一人じめすれば、その一人の保存の間に腐っていく。食品が多すぎれば、冷蔵庫に入りきらずに腐るように、資産もまた、貯めすぎれば、冷蔵庫に入りきらなくなって腐る。 だから、億単位のような巨額のお金を個人が、あるいは、少数の一部の人たちが、しまい込めば、その間に腐ってしまう。 多くの人が労働によって作りだしたはずの資産は、使われないまま、腐っていく。だから、働いても働いても、苦しい。豊かにならない。作ったはずのものは、いつの間にか消えてなくなり、あたらしいものも作られていない。 お金は腐る前に、みんなに等しく、細かく分ける。みんながもっていれば、必要最低限のものや、レベルの低いものが多く売れる。いろいろなものが売れる。だって、洗濯機一人で一台あれば十分だもの。一人に70万あげるより、10人に7万づつくばれば、洗濯機は、10こ売れるのだもの。 けれど、お金持ちのところでたまったお金は、贅沢で高価なものにしか使われない。 人々の労働によって作り出された資産は、一箇所にためると、使われないまま、物価の上昇、価格の変動、株価の下落によって、いかされないまま、腐る。 だから、お金はなるべく多くの人に、少しづづ分けるべきなのだと、思う。 お金は人と同じで群れたがる。 でも、むれないようにするには、法的な規制によって、群れないようにするしかないと思う。 会社の一定額以上の利益に対しては、会社の資産としての保存や、株主への利益としての配当を禁止して、社員に給与、賞与、特別給付として、払われるように法制化するべきだと思う。 経済学においては、市場は、ほうっておいても自然に世問に流れていくという説があるそうだけれど、実際にはそんなことはないと思う。市場は、ほおっておくと、かならず、一箇所に資産が集中し、貧富の差が広がっていくだけだと、思う。 人が数人集まれば、必ず誰かがリーダーになる。あるいは、リーダーを必要として、リーダーを決める。その究極のリーダーが今の各国の政府なのだとすれば、政府はやはり、リーダーとして、市場に対して、法規制するべきなのではないかと思う。 お金が細かく分散されれば、使われるお金は増えて、市場に還元されるお金も増えると、思う。 経済社会には、好景気、不景気というものがあるけれど、好景気なんて幻想だと思う。不景気の時でも、待っていれば、景気はよくなるからと、だから今は我慢だと、思い込まされている。けれど、好景気なんて本当にあるのだろうか。わたしは、どちらかというと、いつもいつも不景気な気がする。数年前まで好景気だったそうだが、私は全くきがつかなにかった。 だって、給与は不景気の時に減らされたままで、増えなかったし、賞与が少しだけ多くなっただけで、我が家の収入はほとんどかわらなかったからだ。にもかかわらず、不景気の時は、会社は、不景気を理由にがんがん給与を減らしてくるのだ。 好景気、不景気なんて、本当にあるのだろうか。 不景気という波は、本当は、ごく一部の資産家が極端に資産をためこみ、それが増えすぎて、同価値のまま保存できなくなって、腐り始めた時におきるのだと、思う。 だから、資産の極端な一極集中をなくし、資産をある程度、普通の人々に届くようにすることで、景気の波はなくなるのではないか。常にコンスタントに給与や収入があれば、みんなは安心してお金を使えるし、物価の上昇がなければ、昇級がなくても暮らしていける。 物価の上昇があるから人々は不安で不安で、老後のためや、いざといった時のために、お金をためる。そのせいで、市場には、お金がながれない。だから、不景気になる。 物価が安定して、上がることがなければ貯蓄を必要以上にする必要もなく、安心して、くらせるし、普段もお金を使いやすい。お金がみんなに行き届けば、不景気にはならない。 だから、企業の利益を企業に一定額以上ためない、株主に配当しないで、社員に払われるべだと、思う。 ためこみすぎれば、お金もまた、腐るんだ。 社会主義でもない、資本主義でもない経済社会はいつできるのだろう。