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カテゴリ:日清戦争占話考
ご無沙汰しております。更新が1年ぶりとなり申し訳ありませんでした。
今、占いとして非常にいい経験をさせていただいています。 (いつかご紹介させていただきます)
さて本日ですが新企画のお知らせです。
不定期ですが、これから 明治の占い名人 高島嘉右衛門の日清戦争に関する占いをご紹介していきたいと思います。
高島嘉右衛門は、明治の占いの名人であるとともに、実業家でもありました。 (現在の横浜を作り上げた貢献者の一人とされています) http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/hamaN/hamaN18.html#toku
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/kusei/profile/rekishi/takasima.html
易経の名人であり、伊藤博文はじめ明治の高官が彼の占いを参考したほどの腕前であり、 明治の易聖と言われています。国会図書館にそれに関する資料がアップされています。 http://www.ndl.go.jp/modern/column/04.html
政治家、あるいは実業家が占いに頼っているというと、 「そんなことあってたまるか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、国家を真剣に慮る人間が、あらんかぎりの知力・努力をし、それでも不安な時のあくまでも参考とするならば、決して責められるべきものではないだろうと思います。
現に伊藤博文は、あくまで参考にしただけで、政治はそんな単純なものではないと言っております。
政府の高官等立場の高い人に決定が求められるとき、既にたくさんの人による下ごしらえが済んでおり一定の方向性を変えることが難しい場合がままあります。 しかし、それでも方向性がおかしいと思うときは、勇気を持って「違うんだ!」と別の方向を舵を切るジャッジをする必要がある。勇気のない、判断できない政治家の政治は、状況に流される結果国民がひどい目に合ってしまう。 そのジャッジは、十分な論拠なくスピーディーに行う必要がある。 あてずっぽうの動物的直観で行うのか、 それともそこに占いの結果を加味し、よく考え行うのかで、どっちがいいかわからないともいえます。
判断のできない惰性の政治が、日本を責任者不在の太平洋戦争へ突入させていしまいました。
判断できない惰性の政治しかできない幕府を倒し、新たな政治を目指したのが明治維新です。占う方も占われる方も真剣だった、 そんな息吹のようなものを感じていただければと存じます。
明治時代、多くの占い師が日清戦争について占ったかもしれない。 しかし、高島嘉右衛門ほど特別な立場にいた人はいませんでした。
なんせ、当時の首相の伊藤博文と仲がよく(娘を彼の養子に嫁がせている)、時の外務大臣陸奥宗光とも昵懇だったためです。そんな彼らから情報を貰い、時には頼まれて占ったものが高島易断に記載されています。しかもそのいくつかは当時の新聞に公開している。 今だったら下手すれば機密情報漏えいで問題になりはしないかとも思うのですが。。。。
通常は占いを一つずつ「リストラ戦記」のように紹介していきます。 しかし、次回は、彼の易を理解する前提として、歴史的な背景をご説明します。
その後は一つ一つ易断をご紹介する予定です。 乞うご期待!
【参考文献】 日清戦争 大谷正著 中公文書 訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞 高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房 新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫) 陸奥宗光 蹇蹇録の世界 みすず書房 中塚明 いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎 日本史A 高村直助ほか 山川出版 詳説世界史研究 山川出版社
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最終更新日
2018年06月04日 21時53分43秒
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