43. 沢天夬(たくてんかい)上爻 祖父からもらった法律書
【背景】年末も押し迫っています。皆さんにとって今年はどんな年でしたか?私は。。。まあ、、、いい年だったかな。そこそこ波乱に満ちた一年でした。現在進行中なので公開しませんが、いつか思い出としてこの日記に公開することもあるかもしれません。本日は家の掃除をしました。今日は掃除に関すること今年の正月、実家で掃除したときの卦をご紹介します。今は実家から出ていますが、実家にも私物があります。そのほとんどは亡くなった祖父からもらった本です。法律学全集、尾高朝雄、小野清一郎、鳩山秀夫、田中耕太郎、末弘厳太郎とあまりに古めかしい法律書がどっさとあります。祖父はあるメーカーの経理部長でした。一橋大学で中山伊知郎先生の下で経済学を学び本当は学者になりたかったらしい。でも、養子であったため、大学に残って勉強を続けることは難しかった。先生も「残りなさい」とは言ってくれなかったのでしょう。ツムジを曲げた祖父は、当時、ゼミの卒業生の多くが銀行や商社に就職する中、メーカーに就職した。中山先生はびっくりして祖父を研究室に呼び、「成績表を見せてみろ」といった。祖父が出した成績表を見ると、先生の顔がみるみる険しくなる。「悪いでしょうか」と祖父が尋ねると、先生は面白くない顔をして、吐き捨てるようにいったという。「良すぎる!」祖父は入社時こそ「副社長にはなる」とかなり期待されていたらしいですが、勉強ばかりして気が利かなかった。入社当初は社長秘書としてカバン持ちをやっていた。社長がいう。「君、たばこ」祖父「どうぞ」と煙草を渡す。社長、「君、灰皿」祖父「どうぞ」と灰皿を渡す。社長「君、マッチ」・・・・翌日から経理部に配属になった。しかし、経理部でも上司に楯突いていたため役員にはならず経理部長で終わった(その後は監査役にはなりましたが)。業務時間中にJapan Times読んだり、経済学の論文を読んだりしていたらしい。祖父の本の最終頁には読み終えた日が記録されています。「昭和31年6月23日午後4時15分●●(会社名)にて読了。」みたいな感じで。。リストラされずに経理部長までなったのだから、いい時代だったんですね~。まあ、ちゃんと仕事はしていたんでしょうが。。。仕事をちゃんとすることより、勉強をすることを重視していた。部下にも「仕事なんかせずに勉強しろ、勉強しろ」と諭していたと、部下だった人から聞いたことがある。私が司法試験を受けるといった時も、法律の勉強をすることを大変喜んでいた。そして「偉くなるためなんかで勉強してはだめだ。勉強は一人でやるもので一生やるものだ」なっていっていた。祖父は経済学や会計学の勉強以外に法律書もかなり読んでいた。仕事で法律が必要になったからというのがその理由。はじめ商法の勉強を始めた。しかし、商法を勉強すると民法を勉強する必要がある。そして民法を勉強したのだが、「待てよ、最高法規である憲法もやらなくてはならん」ということで憲法もやる。そのうち刑法、刑事訴訟法、民事訴訟法と次々と広げていって、気づいたら法律学全集を全部読んでしまったとのことだった。祖父はめったに本を人に薦めなかった。曰く、「本を薦めると、その人は面白くなくてもその本を読まなければならなくなる。その人にとって迷惑なことだ」でも、そんな祖父が私に本を薦めたことがある。中勘介「銀の匙」だ。かなり感動したらしい。しかし、私は中々読まなかった。そのときの祖父のがっかりした顔は今もありありと思い浮かびます。実はあとでこの本を読んだのですが、若い私には何がいいのか分からなかった。祖父が私に本を薦めることはなくなりました。そんな祖父が亡くなる数年前に私に言った。「法律学全集、おまえ欲しくないか」と。社会人になり、会社で法務をしていたが古い法律書は仕事では役立たない。しかも祖父の持っている本は、司法試験でも読まなかった。「いつか読みたい時が来るかもしれないな」と思った。で「ほしい」と言ってしまった。そのときの祖父の嬉しそうな顔。祖母が、「よかったですね」としみじみと祖父にいった。そして、祖父のどっさりとした名著の嵐は私の蔵書となったのであります。いつかは読もう、いつかは読もうと思いながら、8年近く経過した。自分の本もどんどん増えた。あっちこっち転職して、仕事の幅も広がり、自分の実務書もどんどん増えた。これらの本は、私の仕事の記録であり宝物です。書き込みを見て、そのころのことを思い出し、アルバム代わりにもなる。捨てることはできません。社会人デビューしてから、祖父を意識することが幾たびかあった。祖父が、経済学者になりたかったがならなかったこと。会計の勉強から法律の勉強をするようになったこと。私は、司法試験には受からなかったが、祖父とは逆に、法律から会計の勉強をして同じ頂を目指しているつもりになった。私が内部統制構築の仕事をしているとき、粉飾決算を防止することがいかに大変なことか肌身感じました。監査役を設置して、監査法人に会計監査をさせて、内部統制の文書化しても、最後は結局社長の問題となる。今も、東芝の粉飾決算を見て、決算を誠実に行うことの難しさを感じます。大切なのはスキルではなく心がけだということ。実は祖父は社長から粉飾決算を指示されたことがありました。そのころは制度上、監査役もおらず、他の上場会社も二重帳簿をやっていた。しかし、祖父は断った。そして、社長からいったんはクビを言い渡されます。丁度、祖父が白内障の手術で会社を休んでいたとき、それが起こりました。病院から家に戻った日に、突然、上司の役員の方が家に来て首を言い渡したのです。祖母が言うには、なんかいつもと感じが違うが、応接間で話していた。それが終わりその人が玄関で挨拶をし外に出ても祖父は送りにいかない。祖母が「おかしいなぁ」と思っていたら「今、首になった」と祖父に言われた。「え、え~」っと祖母は思ったが、翌々日からリハビリのため祖父は病院に入院。ところが事情を知った経理部の部下たちが反乱を起こした。部下たちは病室に机を持ち込んでそこで仕事を始めてしまった。すったもんだしているうちに、外に漏れてマスコミが騒ぎだし、今度は逆に社長が辞めざるを得なくなった。当時は、「社長をクビにした男」ということでマスコミに騒がれいやがらせ電話がジャンジャン来たらしい。でも、祖父はビクともしなかった。その凄さは、社会に出て社長に歯向かうことの大変さ、内部統制文書化業務の大変さを知り、にもかかわらず粉飾問題が出ることニュースで聞くたびに強く感じます。だから、応接間の祖父の本を見ると「かなわないな」といつも思う。しかし、自分の蔵書もどんどん増え、置き場所が困るようになると、実家の応接間に飾ってある祖父の蔵書を捨て、そこに自分の蔵書を入れたいという思いをちょっと持つ。定年退職しても、祖父の本ではなく、自分の本をゆっくりと読み返すような気がする。だったら自分の蔵書を応接間に入れてもいいのではないか。私が読まなければ祖父の応接間の本は誰も読まない意味のない本となってしまう。「捨てたもいいかな。」と両親に聞くと「いいよ」と言った。「おまえ以外は読む人間はいないから。。。」しかし、いざ処分しようとすると、やっぱり引っかかった。罰が当たりそうな気がする。でも、祖父は、読まずに人に見せるために本を飾る人間を軽蔑していた。「仕方がないな」と許してくれるかもしれない。そこで、天国にいる祖父に許しを請うつもりで占ってみた。【占的】応接間に飾ってある、おじいちゃんからもらった本。せっかくもらったのだけど、たぶん読まないような気がする。捨てていいかな。【結果】沢天夬(たくてんかい)上爻 ― ― ×――――――――――――――― 【判断】1.まず易経の辞をご紹介します。雰囲気だけでも感じられると思います。(1) 卦辞「夬は、王庭に揚ぐ。孚あって号ぶ、あやうきことあり。告ぐること邑よりす。戎に即くに利あらず。往くところあるに利あり」(2) 爻辞「上六は、号ぶことなし。終に凶あり。」(3) 皆さんはどのように判断されますか。本を捨てる?捨てない?2.私の判断 なんだかやばそうだから、祖父からもらった本、捨てるの止めました。3.解説(1) 「夬」について決断とか、押し切る。きっぱりと断ち切るという意味。― ― ――――――――――――――― この形をみればわかるように、陽(―――)が初爻から5爻まであり、陰(― ―)が、上爻にちょこんと乗っかっている。これは陽の勢いが力強く伸びて陰を押し切る形となっている。そこで、「夬」と命名される。たしかに、祖父からの贈り物として応接間に飾ってあった大量の本を処分しようとしている。思い切った決断です。(2)卦辞についてa) 「夬は、王庭に揚(あ)ぐ。」夬は、上記の説明のとおり、陽の勢いが力強く伸びて陰を押し切ろうとしている。陽は君子であり、陰は小人である。君子がわずかに残る小人を切ろうとするのであり、ある意味当然と言える。しかし、そうだとしても、まずは小人の罪を明らかにすることが大切である(「王庭に揚ぐ。」)b) 「孚あって号ぶ、あやうきことあり。」誠意を尽くして(「孚あって」)、衆人に大声で呼びかけ(=号)、皆と力を合わせて小人を切るのであるが、それでも危いことがあるので、慎重にしなければならない。c)「告ぐること邑よりす。戎に即くに利あらず。往くところあるに利あり。」だから、まず自分の領地において(=邑)命令をしてよく治めるべきであり(=告)、武力に頼んでむやみと戦争を仕掛けるのはよくない(「戎に即くに利あらず。」)。このようによくよく慎重にことを進めるのであれば進んでも不利ではない。d)祖父が大切にしている本を処分するというのはあるいみ思い切った決断です。本の置き場所がなくなって困っているのであれば仕方ないかもしれない。でも、本当に本の置き場所がなく、祖父の本を捨てなければならないのかよくよく考えてほしい。よくよく考えた上での処分であればやむを得ないか。。。というのが卦からの全体の判断です。(3)爻辞について「号(さけ)ぶことなし。終に凶あり。」大声で号(さけ)び呼ぼうとしても、答える仲間は一人もいない。最後には凶運があろう、が直訳。この「終に凶あり」とは、切られる小人の立場で、命運が長くはないためにこのような言い回しとなっている(象辞では「号ぶことなきの凶なる、終に長かるべからざるなり」としています。)たぶん、捨てられる本の立場から「凶なる、終に長かるべからざるなり」なのだろうと思いました。本も祖父も、今はさけぶことはできない。長くはないのか、と祖父の溜息が聞こえそうな気がしました。だから、自分なりに本を本当に捨てる必要があるか考えました。応接間の本を捨てて代わりにどの本を置くのか。今、自分が持っている本は本当に全部残すべき本なのか。よくよく考えて、結論として、祖父の本は捨てませんでした。一年がたちました。そして、自分の本をじっくり見るとゲーム会社に勤めていた時の本で捨てるべき本がたくさんあった。あるいは司法試験受験時代の本で捨てきれずにいた本(判例百選など)が今は何の愛着もなくなっていることに気が付いた。そこで、先週,自分の本を捨てました。なお、沢天夬については、以前、芸能人の酒井法子が覚せい剤事件で行方不明になっていた時に何をしているか占った時も出てきた卦です。次週は、これをご紹介します。