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カテゴリ:雑記
今日の画像はなし。何でかって?
告別式に行っていたからです。 こんな話をしてよいのか分かりませんが、祭壇はキクの花だけで作ら れた、すばらしいグラデーションのアートでした。 お客様ですが、仕事でも個人的にも色々と教えてくださった方で、と ても残念です(某大手の取締役)。 困ったときはいつでも相談に来いと・・。 62歳そろそろ仕事から解放され、これからようやくと言う言葉も周囲 からは聞こえてきます。 ところが、喪主の奥様のお礼の挨拶は 『主人は62歳と短い人生ではありましたが、十分に人生を生きたと思 います。会社、仕事を愛し、趣味の歌やギター、三度のご飯よりもゴ ルフが好きだった。何事にも一生懸命で、一時も無駄な時間を送るこ とは無かった主人だったと。 病とも、諦めることなく最後まで前向きに闘った主人。 だから、十分人生を生き尽くしたと・・』。 それを聞くと自分の人生、価値ある時間はどれほどだっただろうか? 定年後の年金生活をなんて目標にしてはいなかっただろうか。そう思 うと、のんびりとしてはいられない。 明日やりたいことは今日やらなければ・・。 会社に勤め、定年を待つのが自分の人生の目標だったのか? それでは、定年が自分の人生に終着になってしまい、少し寂しいよう な気も。 ただ長生きすることよりも、くいの無い人生を生きることの方が幸せ なのではと思えてきた。 どんなに頑張っても100歳。 コツコツとでいいから、1日を大切に生きよう。 人生24時間仕事。趣味も仕事。遊びも仕事。食べることも仕事。 健康を維持することも大事な仕事。 明日はどうしようかいつでも考えているはずだ。仕事の合間に、今日 何を食べようか仕事の途中考えたこともあるでしょう。 だからいつでも仕事。 それでまた明日、いい仕事が出来る。 仕事を忘れたら人生も終わり。 そうすれば、たとえ70歳まで生きられたとしても、100歳の人生感を 感じることも出来るのでは。 幸せであったか、不幸せな人生だったかは、その時がくるまでまでは だれにも分からないであろう。 今の社会、ことさら明日を見ることは難しい。 ビジネスの書籍に「見える化」なんてありますが、人生までを覗くこ とは出来ません。 たとえ「ドラッカー」でも! 未来の皆さんへ。もしタイムマシンが出来たらなら、これまでの生き 方をリセットしてほしいものです。 ふと、「久保田一竹」の言葉を思い出す。この仕事の途中で、もし一 生を終えることになったら、たとえ化け物になってでもいい!蘇って この仕事をやり遂げたいと・・。 「久保田一竹:冨士をモチーフにした辻が花のしぼり染。約50枚の着 物で、1つの富士を描く」河口湖に美術館有。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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