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『JINさんの陽蜂農遠日記』にアクセス ありがとうございます。
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カテゴリ:JINさんの農園
小田原城址公園「本丸広場」。
小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いた城を前身とし、北条早雲(伊勢宗瑞)に始まる 小田原北条氏の本拠となって以降、関東支配の拠点として整備されました。そして、豊臣秀吉との 小田原合戦を前に周囲9kmにおよぶ総構を構築し、日本最大級の城郭となりました。 北条氏滅亡後には、徳川家康の家臣である大久保氏が城主となります。小田原城は、北条氏時代の 姿を継承しつつも、改修されながら用いられていきますが、大久保氏の改易により破却される こととなりました。その後、稲葉氏が城主となりますが、寛永10年(1633)の地震により、城と 城下は潰滅的な被害をうけます。そのため、稲葉氏は小田原城を大規模に改修し、小田原城は 現在見られるような近世城郭としての姿に生まれ変わりました。 明治維新を迎えると、明治3年(1870)に小田原城は廃城となり、建物は解体・売却されます。 城趾は陸軍省の管轄を経て御用邸として用いられることとなりますが、大正12年(1923) 関東大震災を期に神奈川県・小田原町(小田原市)へと払いさげられることになります。 現在、小田原城の本丸・二の丸一帯に相当する城趾公園は国指定史跡・都市公園に指定されており、 往時の姿を取り戻すよう、史跡整備が進められています。 「本丸広場」越しに小田原城天守閣を見る。 「常盤木門SAMURAI館」の正面入口を見る。 小田原城常盤木門の展示をリニューアルし、新たな歴史観光施設「常盤木門SAMURAI館」が 2016年オープン。 甲冑や刀剣などの武具に特化した展示を行い、武士の精神性や武具の美術性を紹介しているので あった。 甲冑・日本刀コーナー 小田原城天守閣で収蔵する武具をはじめ、日本甲冑武具研究保存会会員の所蔵品など、 甲冑や刀剣類の優品を展示していた。 また、甲冑・打掛・忍者衣装の貸出・記念撮影も有料で出来るようであった。 プロジェクションマッピング「花伐つ鎧」👈️リンク デジタル映像と音楽による躍動感に満ちたビジュアルで、武士の世界観を表現。 そして「小田原城 天守閣」を再びズームして。 広場の中央にが桜の巨木があった。 4月になると(ネットから)。 「本丸」。 「本丸跡 小田原城の本丸は、 東西83間 (約150m)、 南北63間(114m)ほどの規模があり、 その西端に 天守台、 中央には本丸御殿がありました。 本丸の周囲には石垣と土塀がめぐらされ、東と北の 2箇所に門が設けられていました。 東側の門は、 本丸正門にあたる常盤木門、北側は裏門で 鉄門と呼ばれていました。 本丸御殿は、他のお城では藩主居館(はんしゅきょかん)として用いられます。 しかし、 小田原城では徳川将軍家の宿所としての役割を持っており、寛永10年(1632) の寛永小田原 大地震で倒壊したため、 翌年に上洛する三代将軍徳川家光の宿所として再建されました。 その後、将軍家の上洛が途絶えた後も維持されていましたが、元禄16年(1703)の地震により 倒壊・焼失してからは、再建される現在、本丸の東南には「巨松」と呼ばれる天然記念物の マツの巨木があります。 元禄年間(1688~1704)の小田原城の姿を描いた 「寛永年間 小田原城 廓総(くるわそうず)図(通称 「宮内庁図」)」には、「七本松」と呼ばれた松の姿が描かれて いますが、 巨松は 「七本松」最後の一本で、樹齢は400年を越えています。」 樹齢400年以上のクロマツ。 戦国時代から本丸に存在した七本の松(通称七本松)のうち、現在は1本「巨松」のみが残って いるのだと。 「かながわの名木百選 小田原城跡本丸の巨松 天保年間の相中雑誌に「御本丸に七本松という老松・・・」とある松の生き残りと思われる 城跡内最大の巨木である。小田原市の天然記念物に指定されている。 樹高:30メートル 胸高周囲:5、3メートル 樹齢:約400年(推定) クロマツは、本州から九州の海岸に生える常緑の針葉高木で、アカマツとともに防風林、 砂防林や街道の並木などに植えられることが多い。 樹高45メートル、胸高周囲10メートル、樹齢約800年に達するこのもあると 言われている。」 少し傾いては入るが、あたりの松を従えながら堂々とそびえる姿は、お城の風情にぴったり。 「本丸茶屋」は小田原市事業協会が運営する店 と。 うどんやそばや北条にちなんだメニューなど提供。 施設は三つに分かれていて、お土産物の販売コーナー、レストラン、食品のテイクアウトコーナー になっていた。 「本丸茶屋」。 「小田原城 天守閣」。 正面から。 「小田原城天守閣」案内板。 「小田原城天守閣 小田原城天守は、外観三重内部四階の天守櫓に、入口にあたる付櫓、さらに両者をつなぐ 続櫓で構成されています。 江戸時代の城絵図によると、初代天守は、慶長年間(1596~1615)に描かれた望楼型天守 (加藤図)、二代目天守は、寛永10年(1633)の寛永地震後に復興された層塔型天守(正保図)、 三代目天守は、元禄16年(1703)の元禄地震後の宝永3年(1706)に復興された層塔型天守 (文久図)と考えられます。この三代目宝永天守は、その後、江戸時代を通じて存続しましたが、 明治3年(1870)に解体されました。 現在の天守閣は、昭和25年(1950)から3年かけて天守台石垣の復興工事が行われ、その後、 観覧車が設置されるなどしましたが、昭和35年(1960)に小田原市民らの力により、鉄筋 コンクリートで復興されました。 そして、平成28年(2016)に「平成の大改修」として、耐震補強と大規模な展示リニューアルが 行われました。」 右の絵図は上から、「初代 望楼型天守(加藤図)」。 「二代目 層塔型天守(正保図)」。 「三代目 層塔型天守(文久図)」。 その右の写真は中央から、「文久図に描かれた江戸時代末期の本丸と天守」。 「明治3年 解体中の天守」。 「明治26年 天守台に建立された大久保神社」。 「昭和30年頃 天守台の観覧車」。 「昭和35年 天守閣復興工事」。 再び青空を背景に聳え立つ「小田原城 天守」を。 修学旅行?の学生の姿も。 「小田原城址公園 花案内」。 桜、藤、シャガ、紫陽花、ハス、桜、ツツジ、花菖蒲、ユリ、菊花展 を楽しめる 小田原城址公園の場所、そして時期が丁寧に案内されていた。 「小田原市観光アプリケーション A Rポイント 本丸御殿 1703年(元禄16年)の地震で倒壊した、本丸御殿の外観及び内部を再現しています。 小田原城の本丸御殿は、徳川将軍家が上洛の際に用いる御殿でした。内装は、名古屋城やニ条城 などの徳川家縁の城を参考に復元しました。」 「小田原城 本丸御殿」をネットから。 「小田原城 本丸御殿」絵図をネットから。 小田原城内のCG👈️リンク もネットから。 「本丸広場」👈️リンク 越しに「常磐木門」方向を振り返る。 天守閣の左に、天守登城口への長い石段が。 再び「小田原城案内図」。 廻り込んで。 「小田原城 天守閣 登城口 入館料」は510円/大人と。 団体が上って行ったので暫し時間待ち。 小田原城天守閣記念撮影用の看板。 「小田原城天守閣」案内板。 「小田原城天守閣 「天守」とはお城の象徴ともいえる建物で、お城の内外を見張るための物見や蔵などとして 用いられました。江戸時代までは「殿主」「殿守」などとも記され、「天守閣」と呼ばれるのは 明治時代になってからのことです。江戸時代の小田原城は江戸の西を守る要のの城とされ、徳川 将軍家の宿所としても用いられました。寛永11年(1634)には、京都へと向かう途中の三代将軍 徳川家光が天守に登り、武具を見たり展望を楽しんだりしたという記録が残っています。 元禄16年(1703)の大地震で、天守を含めた小田原城のほとんどの建物が倒壊・焼失しますが、 天守は宝永2年(1705)に外観三層内部四階の「天守櫓」、入り口の「付櫓」、両者を結ぶ「続櫓」 の三棟からなる櫓群として再建され、明治3年(1870)の廃墟・解体までもその姿を保ちました。
現在の天守閣は、昭和35年(1960)に市制20周年の記念事業として鉄筋コンクリート造で復興 そして、平成28年(2016)には耐震改修工事と展示の全面的リニューアルが行われました。されたものです。復興に際しては、江戸時代の天守引図(設計図)や模型を参考に外観が復元され、 最上階には周囲の景色を楽しめるように高欄が設けられました。 天守閣内部では古文書や甲・刀剣、発掘調査による出土品などを展示し、小田原城の歴史を 紹介しています。 標高約60メートルの位置にある最上階からは相模湾が一望でき、晴れた日には三浦半島や伊豆大島、
遠く利島や房総半島までを望むことができます。」 天守登城口への長い石段を上って行った。 石段の途中から「本丸広場」を見下ろす。 そして天守登城口へ。 そして「小田原城 天守閣」入口へ。 「小田原城 天守閣 施設案内」。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.07.27 05:20:02
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