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JINさんの陽蜂農遠日記

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蜂:養蜂、

農:菜園 花 スロー&アクティブシニアライフ、

遠:旅行、

 
を中心とした備忘録を兼ねたブログです。

書き込んでいただける方は、写真下の『コメントを書く』から気楽に.ご感想、ご意見

ご質問等を書き込んでいただきたく。


2017.04.18
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カテゴリ:旅行

今年も明日・4月19日(水)から4月28日(金)までの10日間、バルト3国へいつもの旅友

Sさんと観光旅行に出かけます。 

以下の写真は、今回のツアー会社の阪急交通社のパンフレット&HPから

転載させていただきました。

DSC04270.JPG

バルト三国(バルトさんごく)は、バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ

3つの国を指し、北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニア。 

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歴史的に、エストニアやラトビアは北欧諸国やドイツと、リトアニアはポーランドとの

つながりが深く、また3か国はロシアとも深く関わってきた。 

三国ともロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命の後、1918年に三国とも独立を達成。

しかし第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書を発端として

ソ連とドイツによる占領が続いた。1940年にソビエト連邦に併合され、

ソビエト連邦構成共和国であるエストニア・ラトビア・リトアニアの

各「ソビエト社会主義共和国」として連邦政府の強い統制下に置かれた。

1941年に始まった独ソ戦によりこの地域はナチス・ドイツの支配を受けたが、

1944年から1945年にかけて再びソ連に占領された。

戦後、ソ連は自らが得た戦前の旧ポーランド領の一部をリトアニアに編入し、

現在に至るバルト三国の国境線が確定。

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日本とバルト三国の友好関係は、日本が1921年に当時のエストニア、ラトビアを

及び1922年に当時のリトアニアを国家承認したことから始まります。

1991年9月のソ連からの独立直後、日本は政府ミッションを派遣し

各国の独立に対する支持を表明。そして2016年はバルト三国と日本が新たな

外交を開設してから25周年にあたった。

この20年の間、日本と各国は政治、経済、人的交流の面で関係を深め

2007年には天皇皇后両陛下がエストニア、ラトビア、リトアニアを訪問し

いずれの国でもあたたかい歓迎を受けました。(外務省HPより)

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今回のツアーはJAL往復直行便を利用し、成田から出発する限定28名のツアー。 

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成田から往路10時間20分でフィンランド・ヘルシンキまで飛ぶのである。 

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そしてヘルシンキ西港からタリンクシャトル でバルト海をクルージングすること

約2時間でエストニアのタリンに到着。 

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タリン(Tallinn)は、バルト海東部のフィンランド湾に面するエストニア共和国の首都。

フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に

面する主要都市の一つであり、2011年の欧州文化首都である。また、中世ハンザ都市の一つ

として栄えた港湾都市で、現在もバルト海クルーズの主な寄港地の一つである。

初日は夜遅くタリン郊外のホテルに到着。 

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タリンの観光は帰路であり、翌日はタルツゥに向かってバス移動。

タルツゥに到着後は市内観光しラトビアのリガに向かって更に移動し

リガのホテルに宿泊。 

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3日目は世界遺産のリガ歴史地区観光。

リガ大聖堂、聖ペテロ教会、ブラックヘッドの会館、三人兄弟、

ユーゲントシュティール建築群、自由記念碑、中央市場等を観光予定。

そしてカナウスに移動し宿泊。 

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リガ歴史地区は、ラトビア共和国の首都リガの旧市街と新市街が該当し、

リガは同国最大の人口を擁しています。

また、「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町で、ユネスコの世界遺産に登録。 

町の始まりは1200年。同年、ブレーメン司教アルベルトによって聖堂や兵舎が築かれ、

1255年には大司教座が置かれました。1282年に、北ドイツの有力な都市連合、

ハンザ同盟に加わり、13~15世紀にバルト海東岸の商業の中心地として、

ロシアと西ヨーロッパ地域を結ぶ交易によって繁栄しました。

旧市街には、中世ドイツの商業都市の特徴が見られ、とりわけハンザ同盟時代の

町並みがよく残されています。ほぼ中心部にあるリガ大聖堂をはじめ、聖ヨハネ聖堂、

聖ペテロ教会堂は13世紀に建てられました。

リガ大聖堂は、その後18世紀まで増改築が繰り返されたため、ロマネスク、ゴシック、

バロックなど、さまざまな建築様式が見られます。

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4日目AMはカウナスの市内観光。

旧日本領事館、大聖堂、ペルクーナスの家、旧市庁舎、カナウス城を観光予定。 

特に第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、

ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。

1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、

およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。

その避難民の多くが、ユダヤ系であった。

「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。 

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5日目は同じくリトアニアのヴィリニウス市内観光。

大聖堂、夜明けの門、旧市庁舎、聖ペテロ・パウロ教会を訪ねる。

リトアニアの首都ヴィリニウス、タリンやリガと異なり中世にポーランドの影響を

強く受けたので、天を突くゴシック教会は少なく、その代りにカトリック教会が

多数を占めています。今まで見てきた街の印象と異なるのはそのためでしょう。

聖ペテロ・パウロ教会はバロックの街ヴィリニウスを代表する建物で、建物そのものは

1675年に完成しましたが、内装に30年掛かったと。

そしてギリシア神殿のようなファザードを持つ大聖堂は、中世期にリトアニアがキリスト教に

教化されたシンボルともいうべき教会で、13世紀の創建。今のようなクラシック様式に

改築されたのは18世紀になります。

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ヴィリニウス市内観光の後は、トラカイ観光。

トラカイ島城は、リトアニアのトラカイ、ガルヴェ湖上に浮かぶ島の上に建てられた城の名称。

城は時折、「小さなマルボルク城」と呼ばれる。石造の城の建設は中世リトアニアの

君主ケストゥティス (Kęstutis) により始められ、1409年頃に彼の息子である

ヴィタウタスにより竣工へと至った。

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6日目はシャウレイに移動し十字架の丘を散策。

十字架の丘は、リトアニア北部、シャウレイの北12kmに位置する巡礼地。

リトアニアの観光名所として有名。

その発祥は分かっていないが、初めてここに十字架が建てられたのは1831年のロシアに

対する11月蜂起の後であると考えられている。数世紀を経て、十字架だけでなくイエスの

受難像やリトアニアの英雄の彫刻、聖母マリア像、肖像画、ロザリオなどもカトリック教会の

巡礼者によって置かれるようになった。

十字架の正確な数は分かっていないが、約50,000であろうと推測されていると。

そして再びリガまで長距離バス移動し、到着後は自由行動。

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7日目はピルスルンダーレへ移動しルンダーレ宮殿を観光。 

ルンダーレ宮殿はラトビアで最も素晴らしいバロック-ロココ様式の記念建造物の一つ。

1736−40年にビロン公の夏の宮殿として、ロシアの宮殿を手 掛けたラストゥレリにより

建てられた。

彼の作品はヤルガヴァやサンクト・ペテルブルグでも見られると。

2階建ての宮殿には138の部屋があると。

観光後はタリンに移動。

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8日目はタリン歴史地区観光。

アレキサンドルネフスキー寺院、聖カタリーナの小路、旧市庁舎を観光。

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アレクサンドル・ネフスキー大聖堂はトゥームペア(Toompea)の丘に建っている

正教会の教会。

帝政ロシアの一地方にエストニアが組み込まれていた1894年から1900年の間に

ミハイル・プレオブラジェンスキーによって典型的なロシア復古主義のスタイルに

設計され建設された。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂はタリンにあって最大かつ最重要の正教会の

クーポル付き大聖堂。 

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そして帰路もバルト海クルージングでフィンランド・ヘルシンキに移動し

最後の夜はヘルシンキ市内での自由行動。 

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9日目、最終日はOPツアーを申し込み済みでスオメンリンナ要塞を見学予定。

スオメンリンナの要塞は、フィンランドの首都ヘルシンキ市内の6つの島の上に

建造された海防要塞。ユネスコの世界遺産に登録されており、観光客のみでなく、

地元民にとっても、美しい行楽地として人気がある。

当初の名前はスヴェアボリ(スウェーデンの要塞)だったが、1918年に愛国主義的な

理由からスオメンリンナ(スオミの城塞)と改称された。 

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バルト3国の旅行に当たり、バルト三国の歴史、杉原千畝に関して予習。 

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バルト三国についても図書館の本を借り読んで見ましたが、それぞれの歴史は

当然異なり複雑で十分理解するには至らなかったのですが。 

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地球の歩き方も購入。 

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そして最終旅行日程表とガイドブックも送られてきました。

ホテルの位置も確認し、朝の散歩コースをイメージ済み。 

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今回の旅行に当たり、10年用のパスポートを更新したのです。

そしていつものトランクに荷物をパッケージング。

気温は我が家周辺の1ヶ月遅れのつもりで衣類を準備。 

しかし、昨日はタリンでにわか雪が舞っていた模様。

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そしてリュックもいつものように。 

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行ってらっしゃい!!私は相撲力士の元大関・把瑠都(ばると、本名:カイド・ホーヴェルソン )

私の故郷はエストニアのタリンから車で約1.5時間・70km程東のラクヴェレと言う街。

ラクヴェレ城という中世の城のある街。

美人が多いことでも知られるバルト3国を多いに楽しんで来て下さいね。

男が死ぬまでに行くべき美女大国ランキング トップ5は

1位 バルト3国         2位 ウクライナ

3位 スウェーデン     4位 タイ    5位 アルゼンチン ですよ!!

一期一会の出逢いを良い思い出に!!。

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           【http://bbt.ac/estonia_bizideacontests/より転載】

14日夕方には、今回のベテラン添乗員の女性から携帯にTELが。

旅行中の午前中は寒いことが予想されるので、防寒の準備をと。

そして16日出発72時間前にネットで今回のJAL便(Boeing 787)

窓側・通路側の並び2席を確保しました。

これでトイレ等に気楽に行けるようになりました。

 

今回も旅友のSさんの愛車で成田空港まで。

我が家に5:45前後に迎えに来てくれるのです。

パッケージングもほぼ目処が付きました。

それでは行って来ます。中世の街並み、一期一会の出会いを楽しんできます。 

 






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Last updated  2017.04.18 08:14:46
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