7161593 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Freepage List

Comments

Favorite Blog

2023年11月パキスタ… New! 隠居人はせじぃさん

沼津市の寺社史蹟巡… New! オジン0523さん

【蔓日日草 ・ 街路… Gママさん

予算が許すならワイ… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Headline News

Archives

Calendar

『JINさんの陽蜂農遠日記』にアクセス ありがとうございます。

このブログは

陽:太陽光発電

蜂:趣味の養蜂

農:菜園、花、スロー&アクティブシニアライフ

遠:海外旅行、国内旅行

を中心とした備忘録を兼ねた14年間にわたる毎日のブログ(雑記帳)です。

書き込んでいただける方は、写真下の『コメントを書く』から気楽に、ご感想、ご意見

ご質問等を書き込んでいただきたく。
2024.03.05
XML
カテゴリ:JINさんの農園
次に訪ねたのが「宇佐神社」。
東京都世田谷区尾山台2丁目11−3。



社号標石「宇佐神社」。



石鳥居を潜り、神社境内を進む。



石段を上る。



正面に「宇佐神社」の社殿。 
御祭神:[誉田別命・ほんだわけのみこと)[応神天皇・おうじんてんのう]
御由緒
源頼義公が、永承六年安部一族定のために尾山の地に陣を張り勝利を誓い、そして康平五年
(1063年)安部一族を平定し、ここに八幡社を建て神に勝利を報告し感謝したのが当社の
起りであります。また境内に五世紀頃の八幡塚古墳があります と。
創建 康平5年(1063年)
別名 尾山台宇佐神社。



神楽殿であっただろうか。



宇佐神社由緒
祭神 誉田別命(応神天皇)
当社は今から約九百年前八幡太郎義家の父源頼義公の創建になるものであります。第七十代
後冷泉天皇の御代の永承六年に安倍頼時その子貞任宗任が朝廷に謀反をおこしました。
頼義公は朝廷に討伐を命ぜられ京より武蔵の国に入り、ここ尾山の地に陣営を張りました。
すると大空には白雲が八つに分かれてたなびきその形が源氏の白旗のように見えたので大いに
喜び頼義公は地に跪き源氏の氏神である八幡様に勝利の勝利の暁にはこの地に必ず八幡社を
建てる事を誓い蝦夷地に向かいました。戦いは九年に及びようやく康平五年安倍一族を平定し
意気揚々と京に凱旋する道すがら尾山の地に立ち寄りました。そして頼義公は先年の誓いに
よってこの地に社を建てて八幡様をまつり戦勝を報告し神に感謝しました。これが宇佐神社の
起こりであります。以来宇佐神社霊験あらたかな神として人々の尊崇厚く平和を導く尊い
神様武運の神様として広く崇められてきました。」 



手水舎



社務所



拝殿



狛犬(右)



狛犬(左)



拝殿」にさらに近づいて。 



飾り瓦」。
 


「命の言葉 令和五年十二月 神社は心のふるさと 未来に受け継ごう「美しい国ぶり」 
人の行ふべきかぎりをば行ふが人の道   本居宣長
解説 自分の出来ることを一所懸命にやる。報われる報われないは、人の力の及ばないこと。
このことを心得て、大いなる事にあたるべし『玉くしげ』」。
 


「拝殿」の影が石垣に映って。



庚申塔」が木製祠の中に。
 


近づいて。
青面金剛立像。寛延元年(1748)奉納



石垣に張り付いた蔦の紅葉。



本殿」。 



「宇佐神社」の東側にあった「八幡塚古墳」に向かって駐車場を進む。  



これが「八幡塚古墳」であっただろうか。
 


「関係者以外 立入禁止」と。
 


墳頂に上る場所も見つからなかった。



入り口に「八幡塚古墳」の石柱が。
奥に見える階段がある場所が古墳であった。



宇佐神社社殿の裏。
社務所脇の細い坂道をあがっていったところにあった。



八幡塚古墳墳頂には柵に囲まれて小石祠が四つある。



「八幡山古墳」を後にして、「環八通り」に向かって北に進むと、右手にあったのが
寮の坂」碑。
 右:多摩川 左:籠谷戸
 


寮の坂の由来
松高山傳乗寺は、区内における古刹であり、その縁起は遠く後伏見天皇の正和五年(一三一六)と
刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ
本道とならんで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人は寮の坂と呼んでいる。
坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると、この坂の名称の由来が
思い起こされる。
なお、寮の坂の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の
水が滔滔と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は、上流から運ばれた武器、兵糧の類を籠谷戸の
寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたともいい伝えられている。さらに時代は下り、江戸時代
に入ると、川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り、寮の坂は
軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。
設置者: 不 明
設置日: 昭和六十年三月」と。
  


そして更に北に進み「環八通り」「尾山台一丁目」交差点に出る。  



左折して「環八通り」を西・等々力渓谷方向に進む。
 


「尾山台」交差点を通過。
 


左折して「等々力不動尊」に向かって歩を進めたのであった。
 



                               ・・・​もどる​・・・




                  ・・・​つづく​・・・








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.03.05 07:34:55
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.