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JINさんの陽蜂農遠日記

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蜂:趣味の養蜂

農:菜園、花、スロー&アクティブシニアライフ

遠:海外旅行、国内旅行

を中心とした備忘録を兼ねた17年間にわたる毎日のブログ(雑記帳)です。

書き込んでいただける方は、写真下の『コメントを書く』から気楽に、ご感想、ご意見

ご質問等を書き込んでいただきたく。
2025.12.09
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カテゴリ:JINさんの農園
遊行寺宝物館」入口を見る。



「遊行寺宝物館」の前にあったのが「明治天皇 御膳水」。
明治天皇はたびたび遊行寺にお泊りになったことがあり、その時に使われた井戸であると。
  

移動して、井戸を見る。(洒落ではありません!!)


御行在所日 宿泊(大書院)
明治元年四月十ニ日   東征軍有栖川宮大総督御宿泊所となる
            供奉員は西郷隆盛
明治元年十月十日    明治天皇東幸の折り御宿泊行在所となる
明治元年十ニ月九日   明治皇還幸の際御休息なされ遊行上人とご対面なさる
            (遊行五十九代尊教上人)
明治ニ年十一月九日   明治天皇東幸の折り御行在所となる
明治五年六月十八日   皇后陛下箱根に行啓の際御休息なさる
明治五年八月三日    明治天皇・皇后陛下箱根に行啓の際御休息なさる
明治五年八月ニ十一日  明治皇還幸の折り御宿泊行在所となる
明治九年八月二十七日  皇后陛下箱根に行啓の折り御宿泊所となる
明治九年十一月ニ十日  皇后陛下京都行啓の折り御宿泊所となる
明治十年一月十一日   皇太后陛下京都行啓の折り御宿泊所となる
明治十年五月ニ十一日  皇太后陛下東京に帰啓の折り御宿泊所となる
明治十一年十一月八日  明治天皇北陸からの還幸の折御宿泊行在所となる
            供奉員は右大臣岩倉具視・参議大隈重信
            井上馨・内務省大書記官品川弥ニ郎・宮内省大書記官山岡鉄太郎(鐵舟)等
            五十名
明治三十四年十一月三日 東宮殿下(大正天皇)鎌倉御用邸より来山、
            上人と御対面なさる(六十一代尊覚上人)
明治天皇が度々この遊行寺を訪ね宿泊していることを知ったのであった。



再び大イチョウを見上げて。



本堂を背景に。



参拝者の数が少ないのであった。



大イチョウの枝下から地面へ向かって垂れ下がっている部分。
枝から垂れ下がったように下に伸びた棍棒状の突起物、これを乳根(ちちね)と呼ぶそうである。
イチョウはもちろん雌雄異株の樹木である。おっぱいということから雌木に固有のものであれば
非常にわかりやすい。しかし、残念なことにこの乳根は雄木でも雌木でも大きく育ったイ
チョウでしばしば見られるもののようである。一方どんなに巨大なイチョウでも、ないものはない
ということである。
何の機能を担っているのかよくわからないそうである。身近でよく見かける風景の「なぜ」は
依然として謎であるようだ。
地域によっては乳根が見事なイチョウの巨木を「乳イチョウ(乳銀杏)」とか
「垂乳根(たらちね)のイチョウ」とか呼んで、乳のでない母親たちがお参りすると、
乳がよくでるとされる言い伝えがしばしば共通して確認できるのだ と。



そして奥にあったの「黒門」、「中雀門」を訪ねる。


まずは「中雀門(ちゅうじゃくもん)」。
中雀門は安政6年(1859)に紀伊大納言徳川治宝が寄進、建立された。
四脚門で、高さ約6メートル、幅約2メートル70センチ。



正面に近づいて。


「中雀門」は向唐門造り(むかいからもんづくり)で、勅使門として使われていたので
正面破風及び屋根大棟側面と鬼瓦に菊の御紋が。「向唐門造り」とは、門の屋根の
「唐破風(からはふ)」が、建物の側面(平側)にあり、その下をくぐって出入りする
構造の門のこと。



中雀門」の見事な彫刻を追う。中雀門は、本堂(登靈臺)へ入る手前外陣(げじん)と内陣を
区切る重要な門にあたり聖域への入り口 として、特に荘厳な装飾が施されている と。
宗門の格式と江戸~近代にかけての高度な彫刻技術を伝える、まさに“遊行寺の宝”といえる
見事な彫刻。
●【上段】の彫刻:雲・霊獣文様
最上段の梁とその上部には、緩やかに流れる「雲」、守護を象徴する「霊獣」が刻まれています。
雲は天界を意味し、中雀門の上部は “仏の世界へ昇る天の領域” を象徴します と。
●【中段】の彫刻:海老虹梁・組物
組物(斗きょう)と呼ばれる複雑な木組みに、雲や唐草が絡みつくように彫られています。
特に正面中央の「海老虹梁(えびこうりょう)」は、曲線が大きくせり出し、“門の力強さと
神聖さを支える骨格” を見せる部分。
この部分の彫刻は建築技法としても非常に優れている。


●【下段の欄間】の彫刻:テーマは「瑞鳥(ずいちょう)・花木」
下段の2枚の写真は、特に見事な 欄間(らんま)彫刻。・松に孔雀(くじゃく)
大きく尾を広げる孔雀、松の老木、低くたたずむ雌鳥


・飛翔する鳳凰(ほうおう)と桜
 大きな翼を広げた鳳凰、曲線の美しい尾羽、咲き誇る桜花。



中雀門
安政六年(一八五九)に紀伊大納言徳川治宝(はるとみ)が寄進、建立されました。
清浄光寺はたびたび火災にあっていますが、この中雀門は明治十三年(一八八〇)の藤沢宿大火の
際にも焼失を免れた境内現存最古の建物です。大正十ニ年(一九ニ三)の関東大地震で倒壊した
ものを、引き起こして補修し、今に至っています。向唐門(むこうからもん)造りで、
高さ約6.4m、幅は約2.7m(左右柱間内寸)です。正面破風及び屋根大棟側面と鬼瓦に菊の御紋、
下り棟鬼瓦に徳川家の葵紋が刻まれています。勅使門としは閉門していますが、現在は
遊行上人が出立帰山する時や、開山忌行列等の諸行事に合わせて開門されています。」



「中雀門」の右側にあったのが「三宝の松」。

遊行寺と三宝の松 | アトリエ温もりの部屋

人気の訳は大王松の手のひらより大きい松ぼっくりと長い葉
長い3本の松葉は大変珍しく、お守りとして持ち帰る方もたくさんいるのだと。
また数年かけて実ることもある巨大な松ぼっくりは、落ちているのを見つけるだけでも
非常に幸運であると。
ちなみに三宝とは「仏・法・僧」のことであると。

3本松葉の大王松 l 自然と歴史の中を歩く!

左側が藤嶺学園藤沢中学校・高等学校の校門
藤嶺学園の前身は時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の僧侶養成機関「時宗宗学林」です。
「時宗」は鎌倉時代、念仏と遊行に徹し、捨聖と呼ばれた一遍上人の開いたものです。
本校はその教えを根本とし、宗教的情操豊かな人格の涵養をめざし、1915年(大正4年)に
財団法人藤嶺中学校として創立されました。今年で100周年を迎えた歴史と伝統を誇る学校。



「中雀門」の左側にあったのが「黒門(くろもん)」。
現在の門は石造の“鳥居型の寺門” になっていますが、もともとは黒漆塗りの門または黒い木造門
がこの位置にあり、その伝統的名称が 「黒門」 として引き継がれています。
宗祖・一遍上人の時代から続く古称のひとつ。時宗総本山、寺務所の表札が。


その奥にある「御番方(ごばんかた)」は行事等の正式な玄関として使用されている。
「遊行寺」の受付は近侍司寮(ごんじしりょう)と呼び、信徒・団参の方々は、
この「御番方」と呼ばれる入口から入るのだと。
この建物は明治13年(1880)11月の大火で類焼し、大正2年(1913)2月23日上棟された。
関東大震災によって、本堂・大書院その他多くの建物と同様に倒壊したが、すぐに
倒壊当時の古材をもって再建された。なおこの建物に施されている彫刻類は、一部江戸時代の
彫り物をそのまま使用したのではないかと言われている。
左側に玄関・寺務所入り口。以前ここで御朱印を頂いたのであった。



御番方(ごばんかた)」をズームして。


「御番方(ごばんかた)」の玄関にあった「このお寺の宗旨」。
名 称 : 時宗 (じしゅう)
宗 祖 : 証誠大師 一遍上人(智真)(しょうじょうだいし いっぺんしょうにん(ちしん))
開 宗 : 文永11年(1274)
総本山 : 清浄光寺(遊行寺)( しょうじょうこうじ(ゆぎょうじ))- 神奈川県藤沢市<
本 尊 : 阿弥陀仏(阿弥陀如来)(あみだぶつ(あみだにょらい))
称 名 : 南無阿弥陀仏
教 義:  大慈悲の阿弥陀仏に帰命(おまかせ)するただ今のお念佛が一番大事なことです。
          家業につとめはげみ、むつみあって、只今の一瞬が充たされるなら、人の世は正しく
    生かされても明るさを増し皆倶に健やかに長寿を保つことになります。
    浄土への道はそこに開かれるとする教えです。
経 典: 「無量寿経(むりょうじゅきょう)」・「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」
     「阿弥陀経(あみだきょう)」)・「六時礼讃(ろくじらいさん)」などの経典を
      読誦致します。



「中雀門」を「御番方」側からも見る。 
 

破風中央の「菊花紋」。
遊行寺は江戸時代、幕府から特別保護を受けた“御朱印寺” であった。
そのため、菊花紋(皇室紋)を用いることが許されており、格式の高さを象徴している。
中雀門は境内の中心へ至る最重要の門であり、菊紋の使用はその“格”を表すもの。
写真の上部と下部に 二つの金色の菊花紋(きくかもん) が見えます。
上の菊は 屋根の破風板の中央、下の菊は 懸魚(げぎょ)部分に配置されていた。
下段の菊花紋のすぐ下にある彫刻―これは 「懸魚(げぎょ)」 と呼ばれる寺社建築の
重要な装飾部位。
屋根の垂木の先端、向拝(むこうはい)や破風(はふ)中央に取り付けられる火除け(防火)と
装飾を兼ねた木彫部材 。
由来は「魚(ぎょ)」が“水”を象徴し、火伏せの願いを込めた装飾 といわれます。
・流れる雲
・翼を広げた霊鳥
・天へ昇るような動勢 が組み合わされた 「雲に瑞鳥」 の構図。



中雀門の反対側(御番方側)の欄間部分。
左側が「桜に瑞鳥(ずいちょう)」、右側が「松に孔雀」という一対の欄間彫刻になっていた。



「放生池」前にあった「河野静雲の句碑」。
「放生池」の池畔に昭和44年4月27日に建立されたこの句碑は、高浜虚子門下の
時宗の僧である河野静雲の句碑である。 
左:「生きていて 相遇(あいあ)ふ僧や 一遍忌 静雲」と。 
  【こうして生きている今、思いがけず出会ったこのお坊さんよ。
   今日は一遍上人のご命日なのだ。】
右:「静雲」と刻まれた石碑。



讃歌之碑
妙好華たる榎本君 刀自 その遺志により宝池を荘厳し開山な七百年を讃仰するものなり
維時令和七年二月十八日」 と。
新しい石碑であったが、この人物は? 


魚鱗甲貝供養塔
遊行一雲 平成九年四月 遊山會」
犬や猫の供養塔はよく見るが魚類、貝類は珍しいのでは。


放生池」を見る。
放生池は、「生きものを放して命を慈しむ池」 のことで、仏教の慈悲を形にした施設。
もとは「放生会(ほうじょうえ)」という、魚・鳥・虫などを放して供養する法会からきている。
ここ遊行寺の放生池も、「生かされている命への感謝」を象徴する場所となっているのだ。
 


放生池
この池は一名放生の池とも称し、江戸幕府の記録である「徳川実紀」元禄七年十月の
日記によれば、金魚、銀魚等を放生せんと思わば清浄光寺(遊行寺)道場の池へと
命され、かっ放生の際は、その員数をしるし目付へ届出づべしと記録されている。
古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により家内の繁栄は勿論のこと
長寿一を保っとされている。」 


池の水面に映る紅葉
 水面が非常に静かで、鮮やかな紅葉や空の光が映り込んでいた。
 放生池が「浄土の水鏡」 を思わせる穏やかな雰囲気をつくっているのであった。
・小さな「木橋(太鼓橋風)」
 池の対岸にかかる木橋が景色に柔らかさを与え、参道と庭園をつなぐ “結びの橋” となっていた。
 こうした橋は「俗界 → 聖域」への移行を示す意匠。
・右側の水辺に立つ「地蔵菩薩」 
 池の縁には、柔らかい表情の 地蔵菩薩立像が立っていた。水辺に地蔵が置かれるのは、
 三途の川で迷う霊位の救済、水子・子どもの守護 生きとし生けるものへの慈悲 などを
 象徴しており、放生池と非常に相性のよい尊像。
・背景の瓦屋根と白壁の建物  
 白壁の奥に見える建物(太鼓堂方向)は、放生池と庭園を包み込むように配置され、 
 静けさを強めていた。水・木・石・建物のバランスが良く、禅寺にも通じる日本庭園の 
 構成が見られるのであった。



大きな鯉の姿が。こちらも見事な紅葉??が。



「本堂」を振り返って。



中雀門」を振り返って。
 

御番方」を再び。
 

近づいて。
 

見事な向拝欄間彫刻
● 中央
両手を組み、落ち着いて坐す人物 → 釈迦如来
正面を向き、堂々とした坐像
周囲の者が釈迦を拝するように向いている点からも中心人物と分かる
● 左右の人物
頭光(円形の光輪)をもつ → 菩薩を象徴
右側の菩薩:手に巻物様のものを持つ(智慧を象徴)、文殊菩薩型
左側の菩薩:合掌・供物を捧げる姿(慈悲の象徴)、普賢菩薩型に通じる
● 供物を持つ人物(中央左)
大きな皿や籠を釈迦に差し出している人物
→ 供養者(施主)または弟子、あるいは給仕を象徴する場面



「御番方」の屋根正面(破風部分)
を。
・千鳥破風(ちどりはふ)
 中央の三角形に張り出した優美な屋根が 千鳥破風。
 寺院でも格式の高い建物にのみ用いられます。
 千鳥破風は観音堂、御影堂、客殿などに使われることが多く、御番方の重要さを示していた。
・唐破風(からはふ)と組み合わせ
 千鳥破風の下に緩やかな曲線を持つ 唐破風 がついており、これは本堂と調和するように設計
 されていた。
 唐破風は「仏に向かう入口の荘厳」 を象徴する屋根形式。



「御番方」の内部を見る。 



遊戯三味(ゆげざんまい)」と。
これは時宗(遊行宗)の重要語で、「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)の跡を慕い、
その教えの三昧に入る」という宗門思想を簡潔に表した語句であるようだ。
「一遍上人ら遊行上人の教えと足跡を慕い、ただ念仏の三昧に入る道こそ尊い」と。

『禅の世界に「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という言葉がある と。
「遊ぶ」と「戯れる」という字で「遊戯」といいます。字だけをみれば、ふざけて遊んでいると
いうふうに思われるでしょう。しかしその真意は、悟りを開いた修行者が、こだわりを捨て、
思いのままにふるまうということです。凡人は好きな遊びならすぐに遊戯三昧の境地になる
ことができます。しかし嫌いな仕事なら、どうでしょう。本来の遊戯三昧は、嫌いなことでも、
やることそのものを楽しむということです。好きだ嫌いだというとらわれを超えて、仕事
そのものを楽しむということができれば、理想です。』とネットから。



その隣は「信徒会館」。
 

「丹月流お茶席 関係者専用」と。 



「奉納 聖観世音菩薩 為貞鏡院浄弌隆艶大姉 追善」と。



「放生池」の奥の小島に「聖観世音菩薩」像の姿が。紅葉が池の水面に映り込んで



美しい「放生池」周辺の秋景色。
柔らかな曲線を描く太鼓橋は、浮世絵に出てくるような古風な表情で、景色のリズムを作って
いたのであった。橋の向こうに見える白壁の建物は 「太鼓堂」。


「本堂」を背景に、放生池の小島に立つ「聖観音菩薩像」を見る。



ズームして。
・左手に水瓶(すいびょう)または蓮華を持つ
・右手は施無畏印(せむいいん)=恐れなくてよいという印
・優しい顔立ち
・宝冠をつける
・衣のひだが深く、写実的な造形

                                 


                                 ・・・​もどる​・・・                 



                    ・・・​つづく​・・・


​​​​





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Last updated  2025.12.09 07:13:39
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