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2月26日 晴れ 気温12℃
インフルで寝込んだり、孫のひな人形を東京まで届けたりで、大山街道ウォーキングラリーも3つの宿場で断念。 しかし、中止にして結果的によかったと思います。 一口に大山街道と言っても歴史は古く、大山が信仰の山として開山したのは紀元前にさかのぼります。 当初は、山神社(神道)として開山されたが、700年代に弘法大師が入山して以降、神仏習合の社となりました。 江戸時代になり、江戸の庶民が100万人と言われた頃に、大山に参詣に訪れる人がなんと年間20万人とも言われています。 さらに大山講が出来、大山は江戸庶民の観光の場としても栄えていきました。 この時代の主要路になった大山詣りの道を、大山道と言います。 江戸から大山に向かう街道は、ざっと数えただけでも、9街道と海路があり、全ての道は大山に通じるといったところでしょうか。 現在の国道246号沿線が、主要街道となっていたようですが、時代の変遷とともに変わっていきます。 その昔は、矢倉沢往還と言われ、江戸時代以前は矢倉沢往還(赤坂ー足柄峠ー沼図)が、主要な交通路だったようですが、箱根街道が開通すると、矢倉沢往還から箱根へと流れが変わります。 明治の時代に入ると、東海道には汽車が走り、バスが走り、どんどん変わっていきます。 この時代の様子をまとめたのが、雨岳文庫の「大山道資料館」。 館長は元某大学教授の山口さん。この山口さんが住む家は江戸時代からの旧家で重要文化財。現在資料館としても開放されています。 大山街道の二の鳥居横にあります。 一口に大山街道と言っても、時代があまりにも長すぎ、大山街道は都市化が進み、その歴史を残す面影は現在ほとんどありません。 今回、3宿場を回りましたが、大山街道の史跡というより、街道沿い近くにある神社や仏閣などを紹介しているだけで、大山街道というテーマからは、大きく外れているように感じました。 大山道に関する雨岳文庫の資料館については、後日改めて紹介したいと思います。 今日は、この画像の右端にある念仏山に登ります。中央が大山で左の山が丹沢山系。 今日は、秦野市の弘法山を起点に開始。大山まで9.5キロは厳しい! 途中、こんな切通を横切ります。これが矢倉沢往還の現存する史跡。 これはこの善波峠を越える旅人のために灯りがともされたという「御夜灯」。 菜種油でともされたそうです。1827年の頃。 その横にあるお地蔵様?なぜか頭だけが切り落とされた仏像をよく目にします。 大山街道で初めて知った明治の神仏分離、廃物稀釈によるものか・・? ハイキングコースは、足に優しい道。 二つの山が入る構図が、うまく撮れる場所がなくすみません。 左が、高取山で右が聖峰。同じような高さに見えますが、高取山の方がかなり標高が高いです 今回は、上の山の手前にある念仏山。低山ですがかなりの眺望のいいところ。 建物はありませんが、山の頂上にはお地蔵さまが、たくさんありました。 念仏山の由来 この山は、地図に記載されていない山ですが、昭和15年頃まで、旧 名古村(ながぬき)の村民によって、この山で念仏講が行われていたとされています。 この山頂で念仏を唱えると、山裾の集落まで聞こえたと言われています。 こんなお地蔵様も。 箱根の山々。今日は雲があり富士山は見えません。 念仏山山から大山・蓑毛方面に分岐。登山口に車を置いているので戻ってこないといけないので、大山は無理です。 高取山や聖峰までなら歩けますが。前回登ったばかりなので今回はパス。 蓑毛登山口から登ってくる方が多いようですね。 今日は絶好の山日和。多くの方が・・! これは、モグラ塚です。 これが見られるようになるともう春ですね。イノシシとは違います。 冬の間地表深く潜っていたモグラが、暖かくなって地表面近くで活動。トンネルの修復で出た廃土。 モグラは肉食で、ミミズとか昆虫などを食べるようです。 野菜などは食べません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.02.27 10:00:07
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