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Jan 27, 2009
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カテゴリ:その他 雑多

<豚野郎>

母親の気質はおそらく少年Aを相当いらだたせ、混乱させていたのではないかと私は想像している。「少年A矯正2500日全記録」には、

少年A矯正2500日全記録

「(殺人を犯して)帰ってきて玄関の戸を開けたら、お母さんがテレビ見ながら大笑いしてた。(中略)お母さんにえらいことをしてしまったと分かってほしかったんや、でも全く分からかった。そこで僕はすごい衝撃受けて、僕の母親はやっぱし豚野郎だ、あいつは人間やない、母親じゃないと思った。あの時すごいショックを受けた。」

とAが語ったことが記されている。これがこの家族の「ずれ」を最も象徴しているように感じた。普通に考えればAの怒りは理不尽である。Aが帰ってきた時点で、母親がそんなことに気が付く筈はない。しかし、それまでのAの母親に対する不満が、この言葉に凝縮して表現されているのではないかと思う。おそらく、母親はAにとって、ずっと「ずれた母親」だったのではないか。ある場面では正義をまとった親として激昂し、ある場面では愚かな親として子を溺愛し、ある場面では簡単に子供に騙されてしまうスキだらけの親である。

Aは母親を「豚」と表現している。逮捕後のAに両親が初めて面会に行った時には、「帰れ、ブタ野郎」「会わないと言ったのに何で来たんや」と、目に涙をためながら罵倒し、面会を拒否したという。母親は「ギョロッと目を剥いた、人間じゃないような顔」とその時のAの表情を表現している。両親が帰った後にAは、「こんなことになるくらいなら、最初にお母さんを殺しておけばよかった」とまで語ったという。

<母親の正義> 

それでは、どうしてそこまでAは母親に対するネガティブな感情を持っていたのだろう。

前にも述べたように、母親にはまともな部分があり、正義感のあるところも見受けられる。しかし、母親の語る正義は、どこか正義を振る舞う自分に酔っている部分があるような気がする。正義感や信念の強い人は傍から見ると自己陶酔しているように見えることがある。当時の社会はそういった「酔っている」空気を嫌悪する傾向にどんどん傾いていっていたと思う。いじめる側は自己陶酔するような者をあざ笑い、嫌悪することを愉しみにしている。

おそらくAの母親は今で言う「KY」にあてはまる部分がけっこうあったのではなかろうか。学級崩壊が顕在化し始めた当時、そういった「KY」野郎をあぶり出し、シメ出す雰囲気が確実にあった。Aの母親と同世代のベテラン教師がシメ出され、学級崩壊を起こすというパターンも少なくなかった。古い価値観・古い感性では子供の現実を客観視し、子どもと自分を相対化することができない。この事件のあった1997年前後あたりから、古い価値観・古い感性で対応してくる親や教師が本格的にシメ出され始めたのだろう。

<Aの世代と母の世代のギャップ>

1997年は小学校での学級崩壊が顕在化し始めた年であった。その3年前のAの小学校時代のクラスも相当まずい状況にあったという報道がある。「真面目に生きてきた昭和元禄世代の母親」と「コミュニケーション能力が壊れた学級崩壊世代のA」の世代間ギャップは相当なものがあったと思う。お笑い一つをとっても、母親の時代はドテッをこければ笑いがとれる昭和元禄的なクレイジーキャッツやドリフターズの時代であった。事件が起きた1997年当時はダウンタウンやウッちゃんナンちゃん全盛の時代で、シュールなお笑いが、実に細かい駆け引きの上で成り立つような時代になってしまっていた。子どもたちのコミュニケーションは高度化・複雑化しながら壊れていった。

単純でまじめな昭和元禄世代の両親は、Aの目にはうらやましい人たちのようにも映ったろうし、馬鹿っぽくも映っただろう。

そして母親はまじめでありながらも自意識過剰かつ手前勝手な面がある。Aには母親の真面目さ、自意識過剰かつ手前勝手の両方が許せなかったのだろう。

母親はAへの愛情に基づいてAとのコミュニケーションをしているつもりだった。しかし、Aには母親が示す言葉や態度に「理解ができていない」場合や「頭で理解はできているが心には伝わっていない」場合が多かったのではないだろうか。愛情があり理屈が正しければ相手がその理屈を受け入れるだろうというというありがちな思い違いが母親のAへの一方通行のコミュニケーションとして常に存在していた。そして正論は時に相手を追い詰めることもある。母の正義に追い詰められたとき、Aはその正義を「母親の酔い」としてあざ笑うことによってかわしていたのではないか。正義を振りかざす割には間抜けであったり勝手であったりする、隙の多い母親を「豚」と表現しているのではないかと思う。そこのところでずっとずれが起こっていたのではないかと思う。そして、Aの家族と同じように、現代の一般的な家族のコミュニケーションの中でも、このような「ずれ」が広く多く起こってしまっている状況がある。私はそれを怖いことであると感じている。

 






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Last updated  Jan 28, 2009 12:45:34 AM
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