母94歳誕生日に「風早国民学校大井分教場」代用教員時代の記録
秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。8月18日は、母の94歳の誕生日でした。実父「秋山巌」の事は生誕100年でずいぶんまとめる事が出来ました。出来れば母が健在なうちに、母の事もまとめたいと思っています。戦中戦後の話はあまりしない母ですが、代用教員時代に、俳優の山崎努さんが生徒だった話はしてくれました。母は、昭和3年商家の娘として南千住で生まれ、お手伝いさんもいるような比較的良い暮らしをしていたようです。母方は彦根藩ゆかりという話は以前に書きました。⇒母方祖母は彦根藩ゆかり【人事興信録】に曾祖父母の名前が!戦中、高等女学校に通っていた母が書いた慰問文が、戦地の父の元に届き、それが縁になった話もこちらに書きました。⇒慰問文で結ばれた二人、今日は敗戦75年です。2018年に聞き取りした話だと、昭和20年に高等女学校を3年で修了し、板橋の軍需工場でも働いたそうです。その後、一家は風早村(現、千葉県柏市大井)へ引っ越し、母は【風早国民学校大井分教場】の代用教員となり、小四を教えていました。教科書の墨塗りもしたと話してくれました。山崎努さんはは、2週間ほどしかいなかったそうですが、都会から来た子どもだったので、とても印象に残っているとのこと。日本経済新聞の【私の履歴書】に連載中の山崎努さん。山崎努(4) 黒い家:夜逃げのように疎開 牛車に乗って、母の郷里へこの回に、風早村でのお話が書かれています。母の歴史は、まだまだまとまっていないのですが、代用教員時代の集合写真がありましたので、載せておきます。ゆかりの方などいらっしゃいましたら、是非コメントください。【風早国民学校大井分教場】集合写真1 2列目右から2人目が母集合写真2 4列目一番右が母集合写真3 4列目一番右が母 女の子ばかりですね。 集合写真4 2列目一番右が母集合写真5 前列一番左が母 先生方ばかり?集合写真6 4列目一番右が母集合写真7 母は写っていません。 初二というのは初等科二年という事かでしょうか。 下駄やわら草履はいてますね。集合写真8 母は写っていません。 笑顔の子どもたちもいて表情が明るくなっています。集合写真9 集合写真10写真は以上です。子ども達の表情や服装、戦後の貴重な資料写真になりそうです。もう少し詳しく調査したいなぁ。風早国民学校大井分教場を調べている中で、「手賀沼教員殉難事件」というのを知りました。ご遺族の小林健さんが書かれた「晩秋」が公開されていました。ゆっくり読みたいと思います。5月末に、3年ぶりに母に逢ってきました。もっと話を聞いておきたいですね、健在なうちに。