2006/01/11(水)16:28
あしたは,鏡開き
冬に,乾燥してかさかさになったかかとを称して,なんて言うかしっってますか?(一般的かどうかはしらないけどさ。)
「正月過ぎのもちみたい!!」
おはだぴちぴちの娘衆にはわからんでしょうが…結構深刻なのよ。
わたしは,知り合いにもらった馬油をつかっとります。
馬の脂は,やけどに効くと聞いた方もいるでしょうが,肌にぬるとすうっとしみていくので,べたべたもぬるぬるもしませんよ。かかとがびがびのあなた,試す価値はあります。
って,何の話でしたっけ。
そうそう明日は鏡開きです。
鏡とは,歳神様に備えた鏡餅のこと。槌でこんとたたくとぽろりと崩れます。
手でわってもいいですけどね,空手みたいにしてはいけませんよ。ばちがあたります。
鏡餅は,歳神様の魂とも言われ,それをいただくことにより,神の力が宿ると考えられたようです。
鏡開きに限らず,神様にお供えしたものを人間も一緒にいただくという風習は昔からあり,お雑煮もその一つです。
なぜ鏡餅を「切る」と言わないで,「開く」というのか,わかりますか?
結婚式などでも「切る」「別れる」「終わる」ということばを嫌い(忌み言葉)別のことばに置き換えるでしょ。あれです。
「運を開く」に通じるとか,武家の風習から「切る」は切腹に通じるから,避けるのだという諸説があります。
わたしは,母に「包丁で切ったら簡単じゃないの!」といってやろうとしたら,めちゃくちゃ怒られたことがあります。若気の至りでした。
人は,むかしからお互いの無病息災,五穀豊穣,家内安全を願い,一年を通して,自然やそれをつかさどる神様に祈りを捧げてきました。
現在では,生活も豊かになり,風習やしきたりの本来の意味も薄れてきましが,人々が幸せを願う気持ちは変わりません。
一年の節目に,人智を超えた何か崇高な存在(その呼び方は,考え方や民族や宗教によってさまざまですが)に畏敬の念を持ち,その力を自らにもいただく謙虚な気持ちを持つことは,現代のわたしたちにとっても決して無意味なことではないはずです。
わたしたち日本人の生活には,四季折々のさまざまな風習やしきたりが残っています。冠婚葬祭の場でも,何気なくおこなっているものでも,いわれや由来を聞くことで,また新たな気づきや学びがあると思います。
一月は,いろいろな伝統的な行事が目白押しです。むかしからある風習やしきたりの意味を見直す,いい機会かもしれませんね。
きょうは,ミーハーから脱してまじめトークでした。
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お汁粉の作り方を調べてみました。小豆の煮方も載ってます。(1/11)