「燕山君日記」観ました!
久々の「映画紹介」は、イム・グォンテク監督87作目の「燕山君日記」(1987年)です。李氏朝鮮王朝第10代国王、燕山君を主人公とした伝記映画です。燕山君演じたのはユ・インチョン。この人の燕山君がみごとでした。映画界・演劇界・テレビドラマ界を問わず、俳優としてはたいへん重要な存在で、数々の賞を受賞しているほか、中央大学の教授を務めるなど、教育においても功績のある人のようです。主演こそしていませんが、最近の映画・ドラマでも活躍中です。【ストーリー】(ネタバレ寸止め!)李氏朝鮮第9代国王、成宗の長男として生まれた燕山君は先王の後を受け、国王の座につきます。即位した燕山君は儒教の教えを紐解き、良君になろうという決意します。しかし、先王の葬儀を仏教で行うことを決めると、先王の皇太后、すなわち自身の祖母に先王を引き合いに出され、猛反対に遭います。それ以後の燕山君は自分が国王であるという自意識と、先王との比較からくるコンプレックスからナーバスになり、強引さが目立つようになっていきます。また、朝臣との闘争のなかでのストレスからくる反動もあってか、燕山君もまた、酒、そして色を好む王でした。燕山君は、幼い頃亡くした母の面影をしりません。その母は、嫉妬心が強くわがまま放題でそれが目にあまり、妃としての地位を奪われた後、病死したと聞かされます。しかし、燕山君にとっては母への思慕の気持ちが耐えません。ある日、成宗の時代から冷遇されて朝臣(学者?)から、母の死の真相を聞かされます。母は病弱でとてもわがまま放題を通せるような健康な体の人ではなく、先王の皇太后らから締め出されるように妃の座を追われ、挙句の果てに毒を盛られて死んだというのです。燕山君は事の正否を確かめるため、それまで絶縁され細々と暮らしていた母方の祖母を訪ねます。貧しい暮らしを強いられ、病に伏せっていた母方の祖母は真実を打ち明け、吐いた血で汚れた衣を燕山君に母の形見として渡します。これを目にした燕山君は憎悪をたぎらせ、怒りに震えるのでした。【感想と紹介をかねて】「燕山君日記」に描かれている燕山君の傍若無人ぶり、残虐な行為はそれとして描かれています。はねた首を晒してその首に涙する者まで罪人にする圧政、涙ながらに民の苦しみを訴える老臣に振り下ろす刃、長年付き添ったお供を一時の感情で一突きにしてしまう短気、若い娘たちを品定めし宮廷に引き立てる色情、宮廷の公然の場で女官の衣を剥ぎ取って辱めようとするしたり、丸裸の妓生(女官?)たちを四つんばいで犬のなき声をさせ走り回させる変質性…それらが、“暴君”としての風評に違わず、この映画にも描かれています。しかし一方で、一度は名君たろうとする志、亡き先王との比較に苦しむ姿、母への想いとその死の真相を知ってからの感情の変化…これらも細やかに描かれています。イム・グォンテク監督は世間に理解されない、いわば“辺境”にいるような孤独な人たちを描くのが上手な人だと思います。しかしそれにも増して、普通の人が同じことをしようとしても、その“辺境”の際の部分を際立たせ、ヒロイズムで片付けてしまう(安易に正当化させて満足してしまう)ところを、微細な感覚で緻密にドラマをつくっていくところが本当に巧いし、深いなあと思います。こういう人にはまだまだ長く映画を撮ってもらいたいのですが、「スクリーン・クォーター制」が縮小されたら、映画をやめるとまで言っているようなので、それがきがかりです。ということで、今日は「特集:イム・グォンテク監督」も併せてUPしました。