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ヤフトピに出るくらいだから、
やっぱり彼は名馬だったようだ。 初の10億円馬、メジロマックイーン死ぬ 日本中央競馬会は3日、1991、92年の天皇賞・春などG1で4勝を挙げ、日本競馬史上初の10億円馬となったメジロマックイーンが、同日、心不全のため死んだと発表した。19歳。 同馬は90年の菊花賞でG1初制覇。91年に天皇賞・春を制し、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く史上初の天皇賞3代制覇を達成した。91年秋の同・秋では1位で入線しながら進路妨害で降着、92年の同・春では、トウカイテイオーとの2強対決に勝って同レース初の連覇を達成するなど、ドラマチックなレースぶりで人気を集めた。93年に引退後は北海道で種牡馬となり、今年も種付けを行っていた。 以上、読売新聞からの情報です。 この芦毛(あしげ)の名馬には、こっぴどくやられた トウカイテイオーやメジロライアンのような鹿毛、 ダイイチルビーのような黒鹿毛が好きだったから オグリキャップやメジロマックイーンのようなグレーの 馬にはどうも夢をかけられなかった。 (正確にはお金を賭けられなかったのだが) 想いはすっかり緑のターフへ。 少しだけ懐かしいお馬さんたちの思い出に浸ってみようか。 ケイエスミラクルという馬がいた。 牡・鹿毛、生年月日1988年3月16日。 誕生日が一日違いで、当時の私のイニシャル(K.S)が同じ。 それで気になって応援していた外国産馬だ。 10戦5勝、それも大敗を喫したのはたったの1回。 だけど、1番人気で臨んだG1・スプリンターステークスで、 無念の競争中止。 最後の直線で故障を発生し予後不良となり、 彼の生涯はこれで終わってしまった。 1991.4.20~1991.12.15の全10レース。 より速く走るためにつくられたガラスの脚は、 死と隣り合わせの芸術作品。 しばらく勝馬投票券を大切に持っていたな。 若かりし頃のほろ苦い思い出だ それを思えば、マックイーンは現役で活躍し、 引退後も種牡馬として優遇され、亡くなったら記事にも なるんだから、きっと幸せな馬だったんだろう。 今夜の夢には何頭かの、美しきサラブレッドたちが 登場してくれることを願う(^^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月03日 23時11分06秒
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