寝袋の下にマットは必要か? 登山と道具の微妙な関係
今回の山行で、山登りの道具について考えた。 まず、寝袋の下に敷くマット。 最近はエアマットが主流のようで、空気を抜けばコンパクトになる。 また、昔ながらのウレタンやスポンジなどが素材のマットも健在で、丸めたり蛇腹にたたんだりして携行している人も多い。これらのマットは、がさばるのでザックの外側に取り付けている人が目につく。 どうも、マットに関しては昔のままでいいやと保守的な人も多いように見受ける。 きっとそれは、マットというのは居住性を高める道具だからだと思う。 確かに、ガレ場にテントを張った場合、寝袋に入っても痛くて眠れたもんじゃない。 しかし、不自由さや不快的なモノを覚悟して(それを求めて)の登山である。 寝不足は翌日の行動に支障をきたすこともあるかもしれないが、寝心地なんて求めるのは邪道ではないか、、、、。 これは、意外と深い問題ではないだろうか。 登山靴やザック、防寒具だって道具である。目に見えて進化している。 さらに、クルマで五合目までいかず、もっと下から登れよという話にもなってくる。 登攀の道具が進化すればするほど、登攀の難易度は低くなってくる。道具の進化と登攀の難易度は反比例するのだ。 しかし、クライミングのエキスパートにとって、様々な道具を駆使したより確実な登攀は、必ずしも望まれるわけでもなく褒められるわけでもない。 単に頂上に立つだけが目標ならば、究極にはヘリコプターで降ろしてもらえばいいわけだが、エキスパートクライマーは厳冬期・無酸素・単独・未踏壁など、より厳しいシビアな状況を求める。 ほとんど何も持たずに山に入り、食料も水を現地調達するサバイバル登山なんていうのもある。 日常生活において、もちろん道具は不可欠だ。 人類の歴史は、道具の歴史でもある。 求めに従い道具が開発され、その技術は進化する。 そして、手に負えない技術までいきつく。 登山に何を求めるのか。 マットを敷いてゆっくり寝たい。 その欲求に応え、より快適で利便なマットが開発されていく。 あれば使いたくなる それが人間だ。 自然回帰なんてできない。 だから、登山やマラソンで茶を濁す ダカラこそ、登山にどこまでどうぐを持ち込むのかは悩ましい問題なのだ。