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カテゴリ:眼差し
また現職閣僚のお騒がせな舌禍問題かと、 久間防衛相の発言がメディアを騒がせていましたが、 新聞を見ても一部の引用しか掲載されておらず、 どういう発言だったのかしらと思い 講演先の麗沢大学での講演記録を調べているうちに、 久間大臣は辞任。 久間大臣の舌禍は、これが初めてではありませんから、問題にされるということを想像だにせずに発言するという脇の甘さは、内容や意図がどうであろうと、言葉に鈍感だという点で閣僚としてかなり危ういものを感じておりましたけれど、 辞任は正解ながら、安部政権にとってタイミングが遅すぎた感は否めません。 辞任したとはいえ、この久間発言、選挙ではさぞかし≪利用≫されることでしょう。 当然、即辞任させなかった安部総理もその矢面に立たされるわけですが、 久間発言、ちょっと内容を振り返って見てみます。 講演の要旨は、asahi.comによれば、以下の通り。 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、 ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。 ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。 ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、 日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。 8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、 そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、 間違えば北海道までソ連に取られてしまう。 その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、 原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、 という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、 原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。 国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。 そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。 言葉として不適切な箇所や、内容的にも問題だなと思われる箇所はありますけれど、 このような発言をされた大臣の歴史認識や見識に対する抗議や批判、 まるで鬼の首でもとったかのような勢いながら----、 ちょっと待てよと。 原爆投下は、戦争の早期終結のためにやむを得なかった、犠牲者をこれ以上(硫黄島の戦いで驚愕し恐れたとはいえ、)出さないためやむを得なかったというのがアメリカの公式な立場。 原爆投下を、ある意味人道的な選択だったといわんばかりの見解もあり、 これがアメリカ側の公式な原爆投下の認識。 原爆投下の決断の背景は、すでにいろいろな歴史資料によって明かされており、決してそのような人道的な見解などではなかった。にも関わらず、アメリカの子供たちは、歴史の時間にそのように教えられています。 スミソニアン博物館で開催予定だった原爆展も、 アメリカ側から拒絶されたことは記憶に新しい。 アメリカにはアメリカの立場があり、自国の名誉や国益に反するようなことは軽々しくしないという大原則が、ここでも貫かれいていることを痛感させられます。 かつて広島の原爆ドームや記念館を訪れたとき、 わたくしは絶句した瞬間がありました。 原爆で亡くなった多くの方たち、被爆者の方たちの思えば、 二度とこうした惨禍が起きないように平和を祈念する思いを強く持ちましたけれども、 原爆投下はそれこそ「人類への罪」として裁かれてしかるべきものだという思いもまた強烈に抱いたものです。 いまなお、アメリカに謝罪を求める思いが心の中で渦巻いています。 なれど---、 敗戦国の悲しさか 属国の如く保身という卑屈な精神に慣れたのか、 あるいは、国益のためという計算ゆえなのか、 日本は原爆投下に対してアメリカに正式な抗議を一度もしてきていないどころか、 その予定もありません。 戦後レジュームの清算を語る内閣が出来たので、 この問題をどう清算するのか期待もしましたけれど--- 抗議などすれば、日米同盟が崩れると恐れているのでしょう。 抗議すべきは抗議して、遺憾の意をきちおんと表明しても、なおかつ必要な同盟関係は維持するようにするのが、外交の手腕というものでは--- 日本の子供たちが現在使っている多くの歴史教科書では、 原爆の悲惨さと平和への思いを紹介すべく広島ドームの写真を掲載する一方で、 その原爆投下によって戦争の終結が早まったと教えています。 久間発言を問題とするなら、 日本の小中学校の歴史の授業で、アメリカの立場に立った原爆投下論を教えているのは、 もっと問題だということになるはず。 けれど、こうした歴史教科書が現在でも非採用にならず使われ続けている--- 日本の小中学校の歴史教科書を手にとってご覧になられた方はおわかりだと思いますが、 普通の国語能力のある人が読めば誰でも、ん?となられるのでは。 どこの国の歴史教科書か分からなくなるほど、 日本の近代現代史は日本悪玉論であふれています。 世界で唯一の被爆国と言いながら、 原爆を投下したアメリカの立場を擁護するような記述の歴史教科書を使い続けている。 原爆投下の記述だけではなく、南京事件をはじめとして、中には、中国の歴史教科書をそのまま翻訳して掲載している教科書もあり、主語が日本ではない記述には、悪い冗談かと驚愕させられたものです。 こうした小中学校の歴史教科書の問題点を指摘し、 こんな歴史教科書では歴史の真実が伝わらないと、それどころか自国の歴史を他国の価値観や見方、もっといえば、特定の(左翼)イデオロギーで教えていることを看過していては、子供たちは自国の歴史に誇りも持てなくなる、そう憂慮された方たちが作られた「新しい歴史教科書」を≪右翼だ≫として批判してきたのも、今回の大臣発言に集中砲火を浴びせているマスコミじゃなかったかしら。真ん中にいても、≪左≫から見れば、≪右≫になる。 問題だとされた大臣の発言と同じ内容の歴史教科書には、 一度も!批判や抗議をしてこなかったメディアや政党が、 今回の久間発言に集中攻撃--- 実に不可解です。 久間発言への抗議を代表するものとして、(皆ほぼ同じ批判内容なので) 某政党の委員長発言を紹介しますと、 「被爆国の政府の閣僚が原爆投下、すなわち核戦争はしかたがなかったという発言をしたことは絶対に許されない。被爆国の閣僚として失格だ」 おっしゃるとおりです。ならば、 「アメリカの立場や考えで教えることは絶対に許されない。被爆国の子供たちの学校で使う歴史教科書で、原爆投下を戦争を終結させるためには仕方がなかったというアメリカの立場で教えるのは絶対に許されない。そういう歴史教科書は、被爆国の歴史教科書としては失格だ」 と発言してもいたいもの。 なのに、そうした教科書を、批判するどころか 採用に当たって支持し、日本の小中学校の「歴史教科書」として推挙しているのはどうしたことでしょう。 そういう歴史教科書を良しとして用いている方たちが、 大臣の、そういう歴史観にのっとったかのような、 「原爆投下も仕方がなかった」という発言に対しどうして今般のようなバッシングに賛同されるのか---言葉狩りをされる前に趣旨を読み取ったならば、むしろ同感の至りと言うべきところではないのか。 大臣発言を批判される方たちなら、当然歴史教科書も問題にしてもらいたいものです。 実に不可解で不快です。 久間発言へのバッシングは、かくして 無自覚であろうと実にトリッキーなものとなる。 被爆や原爆投下に対してさえ、 政治家の発言は、かくも二枚舌で、マスコミ同様に、かくも軽い。 画像は、ゴッホの「星月夜」という作品です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 5, 2007 11:45:32 PM
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