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カテゴリ:眼差し
(再び、F・マルクの作品、タイトルは「せめぎあう形」です) 参議院選挙も公示され、連日党首のテレビ討論が盛んです。 街に出て候補者や党首の演説を拝聴する気のないわたくしにとって、 (拝聴したくとも外出できないという人にとっても) 選挙のときにテレビで党首討論を聞くことができるのは有難いですね。 こうしたことが可能なのだから、そろそろ地元のテレビ局あたりで選挙区の各候補者の討論もぜひやってもらいたいものです。企画しない理由として、スポンサーがつかないからという言い訳をいつまで続けるのでしょうね--- ついでに申せば、投票も、インターネットでやれるようにしてもらえれば、 投票率も相当あがることでしょう。 ところで、 政治家の言葉が気になります。 「お聞きをしている」 「お示しをしている」 「お伺いをさせていただきます」 政治家の日本語がこんなんでいいのかしら--- こうした日本語を使って平気でいる感覚、気持ちが悪い。 いまや多くの議員がこうだから、どうしようもないと呆れるばかりなれど、 本当にうすら寒くなる。 こういうおかしな日本語を平気で使う議員には、 間違っても投票してはいけないと思うわたくし。 党首討論でも、ほぼ全員がこうである。 公党の党首に国語検定試験の受験をお勧めしては失礼だろうけれども、 せめて、政党を代表して日本の将来を語っておられる方たちだけでも、 こんな日本語を使ってはいけない。 使ってもらいたくはないと思うばかり。 参議院議員は、良識の府たるところの議員ですから、 日本語検定試験を受けずとも、参議院議員に立候補される方たちには、 もうちょっとまともな日本語を話していただきたいけれど、 以前から気になっているものの、 なかなか取り上げる機会がなかったこの政治家の言葉。 「お示しをしている」とか、 「お聞きをする」 などという日本語は、 本人は丁寧なつもりで使っているのかもしれないけれど、 あるいは緊張しているがゆえのことと勘違いされやすいけれど、 実は、そうではない。 自信や確信がなく覚悟がないために、相手に迎合し媚びへつらう精神の持ち主か、 相手を信じられないために、本音を隠して相手をひどく馬鹿にしている精神の持ち主であることが多い。 「提示しました」あるいは「お示ししました」と言えばいいところを、 「お示しをいたしました」と言い換え、 「聞きました」あるいは「拝聴いたしました」と言わずに、 「お聞きをいたしました」と言い、 「質問したい(と思います)」を、 「お聞きをさせていただきたいと思います」などと妙な日本語に言い換えるのは、 おそらく熟語は硬いイメージを与えるから熟語の使用は避けようという気持ちと、出来るだけ易しい丁寧な印象の言葉を使用しようという気持ちを中途半端に持つから。 なぜ中途半端に持つかといえば、 相手を尊重しているようでありながら、実は少しも尊敬などしていないから。 そこに見え隠れするのは、 相手を何かの手段として利用する精神と同じだ。 政治家は威張っていると思われてはマイナスだという思いを抱くらしく、 相手に丁寧に応じておこうという思いも(選挙のときは特に) へりくだって謙虚な人間だという印象を与えたいという思いも、 同じ精神から生じている。 だから、フツーじゃない奇異な日本語になる--- 日本語をフツーに話すことのできる日本人政治家が、 正々堂々と正しい日本語で話すことができないとすれば、 それは、話す内容に実は重きを置いていないか、 相手を軽んじているか、 あるいは覚悟のなさの裏返しだったりするのでは。 政治家の言葉遣いを耳にして、 あまりに耳障りなせいか、以前から気になっていたことを書いてみました。 政治家の日本語はおかしいと奇異に感じる有権者が一人でも多くなれば、幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 14, 2007 02:42:39 AM
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