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 月光院璋子の日記  beside you

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Ms gekkouinn

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Aug 6, 2007
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カテゴリ:眼差し
053 二人の子供.jpg

確かに、子供にとって≪母親≫の存在は大きい。
それゆえに、母親の犯罪に対する量刑は重い。

秋田県大仙市で昨年10月、保育園児進藤諒介ちゃん(当時4才)が殺害された事件で、
殺人罪に問われていたた母親の進藤美香被告(32才)に対する判決公判が6日、
秋田地裁でありました。
藤井俊郎裁判長によって言い渡された判決は、
「母親としてあるべき愛情がまったくない。自己中心的で冷酷な犯行だ」
というもので、懲役14年(求刑懲役15年)でした。


判決によれば、母親(被告)は、交際相手の畠山博被告(44才=殺人罪で起訴中、公判前整理手続き中)と共謀して、駐車した軽乗用車内で、息子の頭を殴ったり首を絞めたりして失神させて、その後、交際相手の男である畠山被告に依頼され、用水路に諒介ちゃんを投げ込んで水死させたという、目を覆いたくなるような事件です。

検察側は論告で、
美香被告が諒介ちゃんを殺害したのは、暴行を隠蔽(いんぺい)すれば畠山被告と結婚できると考えたからだとして、「子を守るべき母親の立場でありながら命を奪った責任は重大だ」と指摘。 弁護側は、起訴事実を認めた上で、車内での暴行は畠山被告が主導的な立場であったと主張して情状酌量を求めた裁判でした。


こうした痛ましい事件が起こるたび、いつも思うわたくし。

  その子の父親は、何をしていたのだろう。



被告の状況が、夫である男性と死別か離婚か別居か、それは分からないけれど、
もし、その男性が生きておられたとしたら、子供にとって実の父親。
子供にとって親は、母親だけではなかったことになります。
わたくしは、その父親に聞いてみたい。

 「あなたは、一体、何をしていらしたのですか」



男性同様に、女性にも配偶者である夫以外の異性と交際する自由があるとするなら、
母親であろうとなかろうと、それは変わらない。
そう申し上げたら、どれだけの方が賛同されるかしら。

良識のある方たちなら、その女性が夫と死別もしくは離婚して独身ならば、そうした自由はあるだろうとおしゃるでしょう。但し、他の異性と交際する場合は、出来うるなら子供のことを考えて交際してもらいたいと条件付けをされるのではないかと。
良識があるかどうかは別として、わたくしも思います。
男性同様に、人の子の親となった女性にも、子供のことを抜きにした女性個人の人生というものはある。けれど、養育の責任から自由になれる親はいない。

小さい子供を持った女性が、いかなる事情があるにせよ、夫(元夫)以外の交際相手(恋をした相手)との交際において、我が子を障害と考え邪険にし、ついには我が子を死に至らしめるという事件が起こるたび、
そのたびに、マスコミ報道でも裁判でも、そうした女性たちは、
≪母性愛が欠落した母親の犯罪≫として裁かれることに、わたくしは異議を申し立てたい。

≪母親としてあるべき母性愛≫が欠落して犯した犯罪ゆえに、
多くは情状酌量も認められません。そうしたケースが少なくない。
つまり、保護者の養育の義務を放棄遺棄した罪以上に、≪あるべき母性愛≫の欠如ゆえに厳しく裁かれています。

けれど、≪あるべきはずの母性愛≫が欠如して犯した犯罪なら、
それって、ビョ-キということになるのでは?
なのに、不思議とそういう見方がなされないのは、
いまだに、母性神話信仰者が多いということでしょうか。

≪母性愛≫というのは、人間の女性の場合、
それは無条件の本能ではないことくらい、
いまでは多くの方がご承知でしょうに。


いかなる事情があったにせよ、その≪母性愛≫が十全に育まれないままに、子供の父親である男性と死別、離婚、別居にせよ、その男性と別れ他の異性と交際することになった若い母親の状況を考えたとき、わたくしは、いつも子供への保護責任がどうなっているのか、まずはそのことを何よりも知りたいと思うのです。
けれど、報道を注視していても、そうした情報がほとんど入りません。
父親の影が見えないまま、不問にされている----
母性愛を問うなら、同じように父性愛を問え、と言いたいわたくし。
母親として成長しきれない女性たちにとって、子供の父親である男性(多くは夫)の支えがなければ、子供に被害が及ぶのです。
最初から成熟した親などいないのです。母性愛と言われようと、学習せずに身に付ものではないのだから、母親=母性愛=当たり前という構図では、女性は当惑するばかり。
同じように男性たちも父親になりたてのうちは父親として未熟でしょう。
だからこそ、なおのこと、母親となった妻を支えながら、
自らの父性をも、育てていっていただきたいと思うわたくし---


通常、女性一人では、母親にはなれません。
また、生物学的に子供を産んだからといって、母親になれるわけでもない。
精子バンクや試験管ベイビーが選択肢の中に浮上してきている現代とはいえ、
子供を卵子と精子の結合体であると考える人はいないでしょうし、
産みっぱなしという言葉とて、昔からあります。
母親となる女性と父親となる男性の存在があって初めて、子供は生まれ、
体験から申しても、子供は、母性と父性の両方の働きかけを求めるもので、
母子家庭だろうと父子家庭だろうと、
子供にとって親は、母親がいると同様に父親もいる、そういう存在なのです。


なぜ、母親の責任ばかりが、問われるのかしら。
父親の責任も、同様に問われるべきです。
昔と違って、核家族二世代目、三世代目になっているのですもの、
皆で協力していかなければ、子供の命など風前の灯---


離婚後、我が子を自分の手元に引き取って育てていない父親は、特に、
元妻が、我が子をどのように保育しまた養育しているのか、
どうか気にしてほしい。気にしなければならないのです。
それを見届ける責任が、父親にもあるのです。

これは、離婚した妻への思いがどうであろうと、
親として養育費などのお金の問題以前の問題です。
妻だった女性と別れることは出来ても、
すでに人の子の親となった以上、父親たることから逃げることはできないのです。
そのことを殿方も重く受け止めていただきたいと。

我が子の養育の責任から自由になることは出来ないということを、
結婚し人の子の父親となった殿方は、すべからく自覚すべきでしょう。
自覚できない殿方が多い以上、これは、
法整備をさらに進めるしかないと思うわたくし。

元妻(元夫)が、幼子である我が子を手にかけた場合、別れた夫(妻)にも連座制を用いるとなったならば、震え上がる人間はさぞかし多いことでしょう。
そう思われることは、正直、とても不本意なことながら、こうした連座制、それ以外に小さな子供たちを守る術がないのではないかと。

そうでもしなければ、いまや、
身勝手で未熟ゆえに起こる、病んだ心ゆえに起こる親の虐待から、
小さな子供たちを守れないのではないか。
本当に、幼子を守るには、もう、
そこまで考えなければいけない状況になっているのではないかと思います。



母親(妻、元妻)に我が子を手にかけさせてはいけない。
正直申して、それは男性の最大の使命では。男なら、最低限そのことを自分たち男の使命としてもらいたいと思うわたくし---徴兵制もない国なのだから!



この事件、進藤被告の弁護側は控訴しない方針だそうですが、
彼女と交際していた相手の畠山被告は、全面的に否認しているそうです。

無理もない。親じゃないのだから。
恋愛相手、その程度の関係性の相手の子供の死の責任なんて、取れるわけがない。
≪なさぬ仲≫の他人の子供を守るという意志や使命感や責任感を持てるような殿方ならば、さぞかし魅力的な殿方なことでしょう。
≪父性愛≫が、≪母性愛≫同様にいかに得がたく尊いものか、殿方にも少しはお考えいただきたいものです。そうしないと、いずれ、前述の連座制のようなものが現実に法案化されるときがやってくるかもしれない。




画像は、ピカソの「二人の子供」という作品。ピカソが、こうした作品を描いていたなんてと驚かれる方もおられるかもしれませんね---
こうした作品をご覧頂き、現在恋愛中のお若い方も、これから結婚される方も、
現在離婚話が進行中の方も、ぜひお考えいただきたいと思います。
人の子の親になるということは、どういうことなのか。
彼女が妻となり母となったなら、自分は子供の父親として、また夫して
何をしなければいけないか----。

少子化対策ともなり得るよう話なれど、
本当は、こうしたことって少子化対策以前の問題。
そうじゃなかったかしら---














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Last updated  Aug 7, 2007 08:22:39 PM
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