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 月光院璋子の日記  beside you

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Ms gekkouinn

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Dec 22, 2007
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カテゴリ:映画&DVD
ん!?
エミリオ・エスペデス?
チャーリー・シーン?
いくつかの場面で、思わずそう思ってしまいそうになるほど、
ウィラード大尉を演じたマーティン・シーンは、彼らによく似ていてびっくりさせられました。いえ、エミリオ・エスペデスとチャーリー・シーンがマーティン・シーンによく似ていると言うべきでしょうか。
親子ですものね。似ているはずです。
ホント、よく似ています。今回驚きました。

昨夜「洋画★シネフィル イマジカ」で
『地獄の黙示録 特別完全版』を観終えました。

う~ん、長かったァ!

特別版と最初の映画のどこが違うのか思い出せないくらい、最初に観たときからずいぶん多くの年月が経ったのだなあと改めて思いましたけれど、不思議なことに、最初に観たときの感想も今回観た印象とあまり変わらないなァということに自分でもちょっと驚きましたね。

監督のフランシス・コッポラは、この映画の前に制作した『ゴッド・ファーザー』で一躍日本で(日本でもというべきかしら)有名になった監督でしたけれど、この映画『地獄の黙示録』ですっかり大監督になられたと記憶しています。そういう意味でも、この映画、監督にとってこそ意味がある映画かも。

映画館での予告編でワーグナーのワリキューレが大音響で鳴らされる武装ヘリの攻撃シーンが、封切られる前から評判になったせいか、先入観として、人間の好戦的な攻撃性をどう扱うかというのがテーマの戦争映画なのかもしれないと思ったものでしたが、
反戦映画だなんて少しも思えなかったわたくし-----

人間に内在する攻撃性を、
戦争の中で行われる殺戮と絡めて主張するのなら、
もっと違う作り方があったでしょうから、
この映画は明らかにそうした戦争映画ではありません。

ギルゴアというサーフィンの大好きな殺戮中佐、凄かったですね。
サーフィンのために海辺のベトコンを一掃すべく武装ヘリを動員して殺戮の限りを尽くすのですから。そんな狂気の男にフォーカスを当てた方がずっと良かったろうと。
もっとも、それでは戦争映画になってしまいますけれど。

妙にだらだらとした映画だと感じたのは、
暗殺せよと軍司令部から極秘指令を受けた若きマーチン・シーンが演じているウィラード大尉が、目標のカーク大佐(肥満となる前の中年太りで済んでいる頃のマーロン・ブランドが演じています)までたどり着くまでが異様に長かったせいもありますが、ジャングルの奥地までたどり着くまでの間に彼が目にした多くのものが、実は全て挿話的なせいかもしれません。つまり、映画的にはあってもなくてもかまわないシーンの連続だと言えばいいかしら。少なくとも、わたくしには退屈な挿入シーンと感じられたわけですが、今回も同様の感想。


そして、映画の中にちりばめられるウィラード大尉の回想録的な台詞の数々、自問自答的な哲学的な問答も、監督の独りよがりな映画に対する思いの反映だなあと。それらも≪ためにする自問自答的な台詞だ≫と感じられてならなかったですね。マーチン・シーンのキャラクターのせいだとも言えそうです。正直言って、ミスキャストだなあと感じました。
非主体的なキャラ、映画の狂言回し的存在ということなら、もったいつけずにそういうキャラを選べばよかったのにと。

こうまで長い映画にしたコッポラ監督の意図がどこにあったのか、
当時も今も不明なれど、映画としては、やはり中途半端な印象を拭えないわたくし。困ったものです。

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タイトルが、「今日の(あるいは現代の)黙示録」なので、
聖書の黙示録がコップラ監督の中でどういったイメージだったのか、
なぜ黙示録なのか----

タイトルからして、この映画を反戦映画だと考えるのはナンセンス。
だから、コッポラ監督が映画で描きたかった黙示録というものの意味をこの映画が制作された1970年代=ベトナム戦争に遡って考えても、監督の世界にはたどり着けないかもしれませんね。

『地獄の黙示録』の中の奇妙で幻想的なシーン、それらのほとんどが川を上っていくときの船の上から眺めた岸辺の映像。映し出されるのは殺戮の後の遺体の数々----、なのに不思議と残虐さを感じさせない、リアリティのなさ。音楽のせいかしら。凄惨さがリアルであることを表すために逆に幻想的というトリックを使っているのかと訝ってしまうほど。
まるで聖書の終末のイメージ化----

やっと目的の地にたどり着いたシーンでの白塗りの顔の原住民たち。白塗りは仮面ですから、さて何の意匠かと謎解きを迫るともいえますが、仮面の謎解きが面白いのは、きっと監督ご本人なのではないかしら。

だから、駄目なんです、この映画。(苦笑)

盛りだくさん映画にしてしまったのは、監督のあれもこれもという欲でしょう。あれもこれもというイメージの映像化への欲をそぎ落とすことが出来なかったから、イメージも散漫となり冗漫な映画になってしまっていると言ったら言い過ぎでしょうか。

象徴的な仮面の後は、殺された人間たちの死体が妙な姿で吊り下げられている船着場での映像ですが、これも何の意匠かと思いたくなるほどリアリティのなさ。ウィラード大尉の表情や目線、関心は空ろです。
そこに出迎えに現れる男、アメリカ人報道カメラマンのデニス・ホッパーの台詞は、ちょっと臭いほどで、しゃべらせすぎですね、明らかに。
監督のイメージ、混沌としたメッセージが言語化されようとした瞬間かもしれません。ならば、始めからイメージの明確な言語化を行って、映画を製作していただきたかったなァと思ってしまいます。戦闘のリアリティ、哲学問答、幻想的、象徴的、絵画的、つまり、映像的にも散漫でした。

やっぱり、わたくしの印象は、
当時も今回もやはり

「何て冗長な映画だろう」

というものでしたね。
黙示録も、読み方によっては冗長ですけれど。

ただ、ドアーズの音楽が懐かしかったです。
ペール・ラシェーズ墓地の下で眠るジム・モリスン、
この映画が作られたときには亡くなっていたのでしょうか。
そうなら、観なくて幸いだったかも。



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Last updated  Dec 27, 2007 06:32:03 AM
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