カテゴリ:川柳
本日は、全日本川柳大会の日だが、残念ながら江戸っ子はお祭りをホカして出かけることもならない。鳥越神社大祭だ。
日頃、生業に勤しむ下町っ子にとって、お祭りは何を置いても参加せねばならない。 台東川柳人連盟の面々も、今日は祭り衣装に身を包み、老いを忘れて先頭に立つ。 本社神輿の渡御筋には、早くから人だかりができ、町ごとに揃いの半被の男女が引継ぎを待つ。 こども等が掲げる旗を連ねて、本社神輿がやってくる。 手古舞衣装の粋な女性が、釈杖の音も涼やかに過ぎると、大きな掛け声とともに千貫神輿が道幅いっぱいでやってくる。この迫力は凄まじい。 幸い、「阿部川町」の半被を着ていた私は、同じカメラマンでも邪魔にされることがなく、行列の中まで入り込んで撮影ができ、担ぎ手の熱気とともに江戸の祭りの雰囲気を存分に味わった。 担ぎ手ひとりひとりの顔がいい。オトコもオンナも、真剣な眼差し。三社様のお神輿も素晴らしいが、鳥越神社の神輿は、また格別。 今日、ここに呼ばれていたのは、台東区の阿部川町と静岡市の安倍川町の文化交流で、川柳250年を広げようというため。 静岡から、「シズオカ文化クラブ」の美人揃いの会員さん達と、「静岡歴史楽会」の識者が、阿部川町を訪ね、鳥越祭りを中心に、江戸以来の歴史的交流をさらに深めようというもの。 この場で、尾藤三柳による、江戸阿部川町の由来と初代川柳との関連についてミニスピーチがあり、今年の川柳250年を文化として発信した。 静岡も、今年家康による院政400年の記念の年であり、文化史料を集めた博物館の計画を進めていることをうかがい、川柳博物館実現への方法論について、サゼッションを受けた。ともに、地元の文化を誇りに思い、後世に残していこうという努力で、川柳家は、もっと自分の文芸に誇りを持ち、句会と雑誌だけで内に篭るのを捨て、外に向かって出て行く時期に来ていることを感じた。 いや、すでに多くの吟社では、そのことに気づき、いろいろなことをやっている。その一つ一つが、今後の川柳の社会性に繋がってゆくのだろう。 台東川柳人連盟の大川会長と博柳先生の句が、入り口に歓迎するように並んでいた。 静岡からのお客様とは、同じ阿部川・安倍川という江戸期の接点をもとに直ぐに打ち解け、町会同士、そして川柳や歴史という文化交流で今後も活動していこうという事で、大いに盛り上がった。 途中、本日の講演を終えたばかりの田辺駿之介師匠が現れた。静岡生れの彼は、田辺一鶴師匠の愛弟子で、集まった交流会の面々の前で、惜しげもなくひとさわりを披露、流れるような口演に、心地よく酔わされる。 日川協の大会に参加できなかったのは残念だったが、別の意味で新しい交流が生れ、今日は大きな収穫があった。 日本の文化は捨てたものではない。 日本に生きるものとして、ニホンゴを通じた表現の一つである<川柳>という文化に携われることを、改めて誇りに思ったしだいである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月10日 18時28分12秒
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